10-6 悲しき牛乳モンスター

 楽しい日々は、あっという間に過ぎ去る。気づけば、私たちは二年生になっていた。

 だからといって、特にクラス替えがあるわけでもないため、私たちの楽しい日常は変わらず続く。

 料理部の活動も、先輩がいなくなって後輩が入ってきたとて、私たちのやることは一切変わらない。バレー部にいたときは、学年が上がるとレギュラー争いが本格的に熾烈を極めていったけど、ここではただ料理を作って食べるだけ。まったく平和な部活だよ。


「じゃあここで、牛乳を少々……」


「ちょい待ち! まったく、ちょっと目を離すとこれや」


 今日の料理部の課題は、ミネストローネ。最後に牛乳で味を整えようとする私を、トロネが制した。


「絶対美味しいって、牛乳に勝る調味料はないんだよ。ナナセもそう思うよね?」


「わたしが、同意するとでも?」


 ナナセは、冷ややかな目でこっちを見ていた。


「えー、前にミズキとカレーに牛乳入れたときは、あんなに嬉しそうにしてたのに……」


「…………ミズキって、魚田さんのこと?」


 ナナセは冷静かつ鋭い言葉を、私に突きつけてくる。

 しまったな、あれは林間学校のときのことだから、今のナナセは知らないんだった。

 ずっとタイムトリップを繰り返していろんな経験をしてきたせいで、たまにいつの記憶だったかごっちゃになっちゃうんだよね。

 これからは、あまり変なことを言わないように気を付けないと。


「あー、あれはナナセには関係なかったね。でもまあ、牛乳が最強の調味料だって事実に変わりはないよ。牛乳こそ至高、牛乳こそ正義、ビバミルク!」


 変な空気になりそうだったから、とりあえず強引に牛乳を持ち上げて煙に巻いておいた。なんか浮気がバレないように、必死で誤魔化してるみたいで妙な気分だな。


「ミルク……なんでこんな牛乳バカになっちゃったんだろう。昔はあんなにまともだったのに……」


 ナナセの疑念に満ちた表情が、みるみる哀れみに変わっていった。


「ええっ、ちょっと酷くない? ナナセがミルクの神様の話をしたから、私こうなっちゃったんだよ?」


「そんなの適当に言っただけだし、知らないもん」


 衝撃の事実が発覚した。私の支えになっていた、ミルクの神様への信仰心を打ち砕かれた気分だよ。


「あれ適当だったの? ……まあ、ミルクの神様にはほんとに会えたからいいけどね」


 そう、あれがナナセの作り話なんだとしても、現に私は乳神様というミルクの神様に何度も会っているんだから。


「……ホリーナはん、なんやわけわからんことゆうてはりますけど、どないします?」


「ミルク……わたしたちは、もう小学生じゃないんだよ。そういうのは、卒業しなきゃね」


 そういえば、これまで他人にミルキートリップについて話したことはなかったけど、別にしゃべっちゃダメってルールはないんだよね。


「信じられないのも無理はないけど、これはほんとの話なんだよ。実は私ね……ミルクの神様の力で、未来からタイムトリップして来たんだ。飲めばトリップできる不思議な牛乳があってね――」


 私は真剣に、ミルクの神様やミルキートリップのことを熱弁する。


「牛乳を飲んでトリップするって……。あかん、もう手遅れや。ホリーナ、あんたが生み出した、この悲しき牛乳モンスター、責任もって一生面倒みるんやで」

「ミルク……ごめんね。わたしのせいで、こんな残念な子になっちゃったんだね……」


 もしかしたら信じてもらえるかもって、ちょっとでも期待した私がバカでしたよ。

 そういえば一時は、もしかしたらナナセはタイムトリップ前のことを覚えてるのかも、って思ったりもしたけど、先ほどからの彼女の反応を見る限り、どうやら私の思い違いだったみたいだ。


 ……これ以上語り続けると、ほんとに頭のおかしい子だと思われそうだから、冗談で済むうちにやめておこう。ミルキートリップのせいで友達を失くしたら、本末転倒だからね。




「やっほー、料理作ってるー? おっ、今日はクラムチャウダーなの?」


「もう作り終わったよ~。ミネストローネだけどね~」


 私たち料理部員がミネストローネを作り終えたタイミングで、狙いすましたかのようにチャクラが調理室に押しかけてきた。なお、私が牛乳を投入したせいで、鍋の中身はクラムチャウダーみたいな白っぽい見た目になっている。


「なーんだ、せっかくこのチャクラさんが手伝いに来てあげたのに。仕方ない、食べる方だけ協力してあげよう」


「そんなことゆうて、どうせ最初から食べるのだけが目的やったんちゃうか?」


「失礼な、あたし料理女子だよ。食べるより作る方が得意なんだからね」


 チャクラ本人はそう言ってるけど、実際に料理するところを見たわけじゃないから、未だに信じられないんだよなあ。


「ほんなら、これ剥いてみいや」


 トロネもチャクラの料理の腕を信用していないのか、試すようにリンゴを差し出した。


「そんなの朝飯前だよ。あっ、今は晩飯前だろ、っていうツッコミはなしね」


 つまんない冗談を言いながらも、チャクラは受け取ったリンゴの皮を手際よく剥き始める。その包丁さばきは、普段から使い慣れている人の手つきだ。どうやら、料理が得意というのは、あながち間違いではないらしい。

 そんな彼女の手をじっと見つめながら、私はふと気になって尋ねる。


「チャクラ、バレー部の練習はいいの?」


「やってきたよ。ちょっと早めに抜けて帰るとこだけど、美味しい匂いに誘われて、ついここに来ちゃったってわけさ」


 甘い香りの花に誘われる蝶々みたいだな。ほかのバレー部員たちは遅くまで練習してるっていうのに、呑気なもんだよ。

 でも、目の前でリンゴを切りそろえるその手は、バレーの練習をちゃんとやっている人のそれだ。私にはわかる、だってかつての私もあんな手だったから。


「よし、でーきた!」


 私たち四人は、可愛くウサギ型にカットされたリンゴと、ミルク入りミネストローネを囲んで座る。


「見事なもんやな、見直したわ」


「料理部にスカウトしたくなった? 残念だけど、あたしにはバレーボールがあるからダメだよー」


 ほんとチャクラは、何をやらせてもそつなくこなすんだよね。

 バレーボールの方も、本腰入れればレギュラー入りだって容易く成し遂げちゃいそうなのに……。

 まあ、真剣に取り組まなくてもそれなりの結果を残せるっていうのも、ある意味羨ましいというか妬ましいというか……。

 チャクラみたいに才能豊かだったら、人生イージーモードだろうなあ。


「残念だなあ、クラムちゃんぐらい器用ならこの二人よりもずっと美味しい料理が作れそうなのに」


 ナナセはがっかりした表情で私とトロネにちらりと目をやる。


「ちょナナセ、それなんかひどくない? 私たちだって不器用なりに頑張ってるんだよ。ね、トロネ」


「せやせや。それにホリーナだってようお皿落として割っとるし、うちらと同類やで」


「そっそれは、ちょっとぼーっとしてて手がすべっただけだし」


 トロネはここぞとばかりに、ナナセの失態をさらす。たしかにナナセの手からお皿が滑り落ちていくのは割と見る光景だ。


「大丈夫だよ、ナナセのそういう抜けてるとこも可愛いから」


「もう知らない!」


 私とトロネから集中攻撃を浴びたナナセは、面映ゆそうな表情を浮かべる。


「……今日も料理部は楽しそうでなによりですなあ」


 そんな私たち三人のやり取りをチャクラは微笑ましく眺めていた。その表情が私にはどこか羨ましそうにも見えた。

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