9-6 青春は駆け抜けるもの
「悪いわね。アウトは取れるところから取るってのが、野球の鉄則なのよ」
乳神様が、マウンドから見下した態度で話しかけてくるが、今の私はそんな些細なことには動じない。
一球目、投じられたミルキーボール――私はフルスイングするも、空振り。
思えばこれまでの人生、私は見逃し三振ばかりだった。どうせ自分には打てないと、バットを振ることを諦めていた。そして次第に、打席に立つことすらしなくなった。でも、私の人生に代打はいない。私が打席に立たなければ、誰も代わりに打ってくれる人はいないんだ。
二球目、先ほどと同じミルキーボール――私のバットは、思いっきり空を切る。
タイムトリップするようになって、私は少しずつ打席に立ち始めた。相変わらず空振りの連続だけど、バットを振るようにもなった。そしてわかった。たとえ当たらなくても、全力の空振りには意味があるってことが。
「これで終わりね」
三球目、みたびのミルキーボール――私は渾身の力を込めて、バットを振る。
当たり前のことだけど、振らなきゃ当たらない。もう見逃し三振だけはしたくない。
――――カコン。
当たった! ついに当たった!
「走れー!」
ぼてぼてのピッチャーゴロ。バットを捨てた私は、仲間の声に背中を押され、全力で一塁へと走り出す。
普通にいけば、タイミング的には余裕でアウトの当たり。それでも、私は全力疾走する。たとえアウトになるとわかっていても、それでも全力で走るのが高校野球なんだ!
一塁までの距離が、果てしなく遠く感じる。
息が苦しい、足がもつれる、視界が霞む――それでも走る!
そして私は、一塁ベースを踏んだ直後、そのまま転がるように地面に倒れ込んだ。大の字になって空を見上げる。顔から大粒の雫が次々と流れる。
――そうだ、青春ってこういうものだった。
後戻りできない日々を全力で駆け抜ける――これが青春だ。
どうせ無理だとか、やり直せばいいとか、何かと理由をつけて本気を出してこなかったけど、本気で走るのって、こんなに気持ち良かったのか。
みんなの声を遠くに感じる。そういえば試合は……結果はどうなった?
ゆっくりと上半身を起こすと、不意に頬に冷たいものが触れた。
「全力で駆け抜けた先で、たまーに神様が微笑むことがあるのよね」
頬に添えた私の手にはビン牛乳。目の前には穏やかな表情を浮かべる、牛柄の服を着た美少女がいた。
私は、もう戻らない青春の日に別れを告げるように、手にしたビン牛乳を一気に飲み干す。
――二度と味わえない青春の味は、一瞬で喉の奥へと過ぎ去っていった。
****
「勝った気になるんじゃないわよ。あれはヒットじゃなくてエラー。完全に打ち取ってたんだからね」
さっきのグラウンドでの大人な振る舞いは、いったいなんだったのか。
もうちょっと青春の余韻に浸りたかったのに、台無しだよ。
「幸運な勝利はあっても、偶然の勝利はないんですよ。つまり、私たちが勝ったのは必然であり実力。負けを認めないと成長できませんよ?」
「あんた、いつの間にか賢いこと言うようになったわね」
まったく、どっちが神様なんだか。
自慢じゃないけど、私も伊達に何年も高校生やってないからね。
「それは置いといて、あんたもう時空ミルクに変なことするんじゃないわよ」
乳神様の忠告はごもっともだが、前回ミルメークを入れたのは、やむにやまれぬ事情からだし、しょうがないよね。
「次からは気をつけますよ。……っいうか、これでタイムトリップは最後にしますから」
私はキッパリと宣言した。
「へぇー、これまでバンバンあたしに頼ってきてたのに、どういう心境の変化よ?」
目の前の神様は、興味深そうな表情を見せる。そもそも私が頼りにしてたのは、乳神様本人じゃなくて、そのタイムトリップ能力だけなんだけど、細かいことはいいか。
「私、気づいたんです。『青春は駆け抜けるもの』だ、って。だから、何度もやり直すべきじゃない。デメリットなしで使えるからって、ミルキートリップに頼りきりじゃダメなんです」
「子供は親の知らぬ間に成長するのね、なんか感動だわー」
あなたの子供になった覚えはない。どっちかというと私の方が、手のかかる子供を持った保護者の気分なんだけど。
「じゃあ乳神様とも、これでお別れですね。最後のミルキートリップ、お願いします」
私は真っ直ぐに乳神様の瞳を見つめる。これからの私は、前だけを見据えて進んでいくんだ。
「そうね。……ほんとにこれが最後になることを願うわ」
――――ミルキートリップ!
最後のセリフはちょっと引っかかるけど、意外なほどあっさり、乳神様は私を過去へと飛ばす。……もうちょっと別れを惜しんでくれてもいいのになあ。
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