9-5 秘密兵器

 七回裏、泣いても笑ってもこれが最後の攻撃だ。ミドリの呼びかけで、私たちはベンチの前で円陣を組んだ。


「俺たちなら4点差ぐらい逆転できるさ。起こしてやろうぜ、メークミラクル!」


 何名か円陣に加わってない人もいたようだけど、みんなの想いがひとつになったような気がして、謎の自信が湧いてきた。かつてバレー部でチームを鼓舞していたミドリのリーダーシップは、どうやらこの世界でも健在のようだ。


 そして、先頭バッターの染山さんが打席に入る。

 疲れを知らぬ乳神様は、初回の勢いそのままにミルキーボールを連投してくるが、ようやくその軌道に慣れてきた染山さんは、なんとか食らいついてヒットにした。

 次のバッターダチりんも、上手くボールを捉え、連続ヒットでノーアウト一二塁。


 このチャンスで迎えるは、先ほどスパーキング打法で長打を放っている二番レフト彩田氏……なのだが、バッターボックスへ向かうその姿は、見ていられないほどフラフラの状態だった。


「彩田氏、もしやさっきのプレーでどこか痛めたのでは……?」


 ベンチから小浦氏が、心配そうに呼びかける。


「……平気さ」


 彩田氏はそう答えたが、まともにバットを振ることすら厳しそうだ。


「その状態じゃ無理だろ」


「……ここで流れを止めるわけにはいかないよ。僕がやらなきゃ、ほかに誰がやるって言うんだ」


 ――そのときだった。


「どうやら、ワタシの出番のようデスね!」


 みんなの視線が声の主の方へ集まる。そこにいたのは、金色の髪をなびかせる青い瞳の人物、そうジャスミンだ。


「お前、今までどこにいたんだよ」


「ヒーローは遅れてやって来るものなのデス」


 それにしても遅すぎるよ。もう最終回だよ。秘密兵器が秘密のまま終わるとこだったよ。

 そして、貫禄たっぷりのジャスミンは、ずんずんと彩田氏のもとへ歩み寄る。


「ちょい待ちや、ほんまに打てるんか? ミルキーボールを初見で打つのは――」


「心配ご無用デス! ワタシ、マンガで読みマシタ。こういうときは、ホームランと決まってるデス」


 峰須さんの不安をよそに、恐れを知らぬジャスミンは自信満々な態度だ。


「たしかに漫画なら、この場面で打つのは必定。ここは任せてみるのも一興かと」


 小浦氏に諭され、彩田氏はジャスミンにバットを託す。


「絶対打てよ」


 バットとともに彩田氏からの熱いエールを受け取り、ジャスミンはゆっくりとバッターボックスへ歩いていった。


「まかせるデス」


 その背中からは、往年の外国人助っ人ばりに、頼もしいオーラが溢れ出していた。




「ヤアヤア我こそは、ジャスミンと申しマス」


 ――ズバン! ストライク!


「いざ尋常に勝負デス!」


 ――ズバン! ストライクツー!


 一騎討ちに挑むサムライのごとき口上を呑気に述べている間に、ジャスミンはツーストライクと追い込まれていた。

 ……ジャスミン、ちゃんと野球のルールわかってるよね?


「これで終わりよ」


 そして乳神様は、渾身のウイニングショット、ミルキーボールを投げ込んだ。強烈なバックスピンにより生み出されるM字の軌道が、キャッチャーミットへ向かっていく。


 ――――金属音の後、刹那の静寂。


 一振りで捉えた打球は、青空へ吸い込まれていく。

 校舎の屋上に届くほどの、特大ホームランだった。


「おいおい、スイングが早すぎて見えなかったぜ」


「すげえな、あのミルキーボールをホームランにしちまうとはよお」


 ゆっくりとダイヤモンドを一周して帰還したジャスミンを、チームのみんなが取り囲む。


「ワタシ、英語得意デスから」


 いやいや、Mの軌道だからって英語は関係ないでしょ。ほんとに理屈が通用しない世界だなあ。


「一振りにかけるすさまじい集中力、居合のごとき猛烈なスイングスピード。まさに一球入魂サムライ打法やな!」


 ……とにもかくにも、これでスコアは6対7。ついに1点差まで追い上げた。

 この勢いなら、逆転サヨナラも目の前だ。


「よっしゃ、押せ押せでいくぜー!」


 ――ブンブンブーン!

 ジャスミンに続けと、ホームラン狙いで大振りした茶田さんは、あっさり三振に倒れた。お願いだから普通に打ってよね。


 こういうときに頼りになるのは、四番のミドリ。悪い流れを断ち切るように、サラッとヒットを打って出塁してくれた。


 そしてバッターは、本日ノーヒットの峰須さん。ミドリが当たってるだけに、次の峰須さんが大ブレーキなのは痛いよね。

 私が言うのもなんだけど、そろそろ打たないと大戦犯待ったなしだよ?


「いっちょ、かっ飛ばしたるでー!」


 ――ガスッ!

 あっ終わった。


 峰須さんは中途半端に引っ掛けてショートゴロ。完全にゲッツーコースだ。

 ショートからセカンド、そしてセカンドからファーストへ。643のダブルプレーでスリーアウト、試合終了……かに思われたが、一塁はヘッドスライディングで間一髪セーフだった。


 肝を冷やしたよ、まったく。

 あれだけ偉そうに解説してるんだから、自分もちゃんと打ってほしいよね。


 でもこれでツーアウト。あと一人アウトになればゲームセットだ。

 打席に向かうのは、六番のウメコ。前の打席までは、ミルキーボールをまともに捉えられていないようだけど、何とか繋いでほしい。なんたって、次のムギには天空落とし打法がある。ムギまで回せば、きっと何とかしてくれる。

 ウメコもきっとそう思っているのだろう、ツーストライクに追い込まれてから、ファールで粘りに粘ってフルカウントまで持ち込んだ。そして――。


「ボール、フォアボール!」


 なんとかフォアボールをもぎ取り、ツーアウトながらランナー一二塁となった。そして迎えるは期待の星、七番センタームギ。

 ランナーが一人帰れば同点、二人帰れば逆転サヨナラだ。この試合の命運は、ムギのバットに託され……なかった。ムギはバットを置いて、ゆっくりと一塁へと歩き出す。


 ――敬遠だ。


 考えてみれば、一打同点、逆転のシチュエーションで、当たっているムギとの勝負を避けるのは当然だろう。しかも次のバッターは、本日全打席三振の白野ミルクなんだから。


 ……私には無理だ。

 私はすがるように、ベンチの方に目を向ける。誰か代わりに打ってくれる人はいないだろうか。ジャスミンのような、秘密兵器は……。


 ――――いた!


 ベンチの隅でふんぞり返っている、ごりごりのヤンキー酒井さん。

 この世界ではこんなだけど、いつもは頼れる委員長の酒井さん。

 きっと私が打つより可能性はあるはずだ。

 ちょっと怖いけど、勇気を出して代打をお願いしてみよう。

 ピンチヒッターを頼むため、私はバットを持ってベンチの隅へと向かう。


「あの……酒井さん。私の代わりに――」


「白野、それでいいのか?」


 言い終わらないうちに、目の前で座っている酒井さんから問いかけられた。


「えっ?」


「チャンスを誰かに譲って、それで後悔はないのか?」


 たしかにこれは、ヒーローになれる絶好のチャンスだ。でも、こういうときに打てるのは、ジャスミンのような物語の主役級の人だけ。


「しょせん私は脇役だし、打てっこないよ。みんなも、全打席三振の私に期待なんてしてないでしょ?」


 すると、そこかしこから次々と、私に言葉が投げかけられる。


「みんなって誰だ?」


「三振したのは、打席に立ったからっしょ。それだけでも、すごいことだし」


「冴えないキャラが試合を決める、胸アツ展開希望!」


「打席に立てば、誰もがヒーローデス!」


 私の中の「みんな」は、どこにもいなかった。

 ここには、ただ私を信じてくれる仲間たちがいた。


「おい、どうすんだ?」


 酒井さんから急き立てられた私は、はっきりと答える。


「みんな……ホームランでいいよね?」


 そして腹をくくった私は、運命の最終打席へと向かった。

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