9-2 ミルキーボール

「プレイボール!」


 外野にいる私にも届くほどの声量で、主審の銀城先生が試合開始を告げた。

 うちの先発ピッチャーはミズキ。受けるキャッチャーはウメコだ。

 相手バッターは、遠くてよく見えないけど、たぶん隣のクラスの人……かな? 

 同じクラスの人以外は、私にとってはモブキャラだから、別にどうでもいいや。


 ……とか思っているうちに、先頭打者はサードゴロに倒れていた。

 続くバッターはセカンドにフライを上げ、これをレイちゃむががっちりキャッチ。

 三番バッターのショートゴロは、茶田さんが軽快に捌いてファーストの峰須さんへ。ミズキは、淡々とスリーアウトを取って、攻守交代となった。


 外野からダラダラとベンチに戻ると、うちのクラスのトップバッター、レイちゃむが早くもバットを握っていた。

 スコアボードに目をやると、手書きの表が七回まで用意されている。

 そばにいた堀さんが、この試合は九回ではなく七回が最終回であること、私の打順が八番であることなどを親切に教えてくれた。


 堀さんの話を聞きながら、レイちゃむが左バッターボックスに入る様子をぼんやり眺めていると、私の目に驚きの光景が映る。それは、ピッチャーマウンドに佇む牛柄の服を着た美少女……そう乳神様だった。


 へー、乳神様も野球するんだー。

 しかも、サウスポーなんだー。

 ……もういろいろ起こりすぎて、どうでもいいことしか思い浮かばなくなってきたから、考えるのはやめよう。とにかくこの試合に勝って、時空ミルクを手に入れることだけに集中しよう。


 そして、ピッチャー乳神様が振りかぶって投じた初球――その軌道は、物理法則を完全に無視した魔球だった。


「あっあれは、『ミルキーボール』や!」


 突如、ベンチで関西男児の峰須さんが叫ぶ。


「ボールに強烈なバックスピンをかけることで、ジェットコースターのように二度の後方宙返りをした後、ミットに収まる魔球。横から見たその軌道はまさにアルファベットのM、その様からミルキーボールと呼ばれとるんや!」


 峰須さんは、頼んでもいないのに丁寧に解説してくれた。謎理論過ぎて、ぜんぜん理解できなかったけど。


「ストライーク、バッターアウト!」


 慎重派のレイちゃむは、じっくりボールを見ていった結果、見逃しの三振だった。

 二番レフト彩田氏も、ミルキーボールに手も足も出ず三振。

 そして、続くバッターの茶田さんも……カコーン。


「おっ当たった、ラッキー!」


 凡退するかと思いきや、持ち前のセンスで華麗にセンター前ヒットを放った。ほんと、才能がある人は羨ましいよ。

 残念ながら、四番のミドリがレフトフライに倒れたので、私たちのチームは無得点に終わった。


 乳神様の魔球には驚いたけど、意外とバットに当たるみたいだし、打てない球じゃない。この分なら、こっちが点を取られなければ勝機はある。私は意気揚々と、ライトの守備位置に向かった。


 二回の表、相手の先頭バッターは四番の乳神様だ。

 いったい、どんなバッティングをするんだろうか。

 あんな魔球を投げるぐらいだし要警戒だ。

 ……まあライトの私はただ見守るのみだけどね。


 だが予想に反して、乳神様は平凡な外野フライを打ち上げた。


「ライトー!」


 遠くで誰かが叫んだ。

 打球は余裕ぶっこいていた私の方へ、ぐんぐん向かってくる。


 やばい、こっち来てる。

 前……いや後ろかな? 

 ぜんぜん距離感わかんないってー!


 そしてボールは、私のはるか頭上を通過した。申し訳程度に腕は伸ばしてみたけど、周りからは間抜けにバンザイしてるようにしか見えなかったことだろう。

 後方を点々とするボールを私が拾い上げたときには、乳神様はすでにダイヤモンドを一周していた。これが俗に言う、ランニングホームランというやつだ。


 ミズキは、後続を打ち取りスリーアウト。1点を献上した私は、肩身の狭い思いをしながらおずおずとベンチへ戻る。


「しっかり守れよな!」


 ベンチで待ち構えていた堀さんから、私に激が飛んだ。いつものおっとりした性格とのギャップがすごいけど、よく考えたら怒らせると割と怖いタイプの人だったな。


 ……でもさ、しょうがなくない? 

 フライなんて取ったことないんだし。

 素人に守らせる方が悪いよ。

 そんなに言うなら、ほかの人に守らせればいいのに。


「あのさ……私、野球得意じゃないから、誰か代わってくれない?」


 とりあえず私は、これ以上堀さんの神経を逆なでしないよう、努めて丁寧な口調で近くにいる人に選手交代の打診をしてみる。


「あー、俺はマネージャーだから無理」


「……同じく」


 堀さんと町屋さんから、立て続けに断られた。まあこの二人には、さほど期待はしていない。続けて私は別の人に視線を送る。


「俺様は外野なんて地味なポジション、ごめんだね」


「野球はやるものじゃなく、観るものなんだが?」


 染山さんと小浦氏にも断固拒否された。この世界のみんなは、けっこうわがままだな。


「じゃあ――」


 そして残りのダチりん、酒井さんにも頼もうと思っている間に、峰須さん、ウメコ、ムギは三者連続三振に倒れていた。

 ……仕方ない。ライトにボールが飛んでこないことを祈ろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る