8-2 淋しい熱帯魚
放課後の図書室は、水で満たされた水槽の中みたいに、冷たい静寂に包まれている。
窓の外では、運動部の人たちが元気よく声を張り上げているようだけど、その音はとても遠くに感じられ、私の耳にはぼんやりとしか届いてこない。
これまで、この場所に足を踏み入れる機会がほとんどなかったため、馴染みの薄い私には、校内でありながら別世界のように感じられた。
私は、多少の息苦しさを覚えつつも、本棚の隙間を縫うように、ぎこちなく水槽の中を泳いでいく。
そして、水底に沈んだ石の陰に隠れる熱帯魚のように、静かに佇む少女のもとへとたどり着いた。
「町屋さん、隣いい?」
「……うん」
「今、何の勉強してるの?」
「……数学の宿題」
私は、ひとりで勉強している町屋さんの隣に腰を下ろしながら、流れるように話しかける。町屋さんは素っ気ない返事だったけど、私のことをそれほど拒んではいないような気がした。
ひとり用の自習席ではなく、あえて長机の方で勉強していることから、もしかしたら私のことを待っていてくれたのかもしれない……と、ここはポジティブに捉えておく。
「宿題、けっこういっぱい出てるもんねー。私も一緒にやろーっと」
私は町屋さんの横で、同じ数学の問題集とノートを広げる。序盤の内容は、さすがに簡単だなあ。答えを写した方が早いけど、町屋さんの手前、今回は真面目にやるか。
私は解き慣れた問題の解答を、スラスラとノートに書いていく。
そして、法定速度を無視してハイペースで解き続けた私は、気づけば先に解き始めていた町屋さんを追い抜いていた。
「よし、終ーわりっと。町屋さんはどんな感じ?」
「私は、まだ……」
町屋さんは、後半の問題で苦戦しているようだった。
「ああ、そこはね――」
私は自信満々に、問題の解法を説明する。すると彼女は、すんなりその内容を理解できたようだった。
さすがは、真面目に勉強に励んでいる町屋さん、理解が早い。
「白野さんは、頭いいんだね。こんなにスラスラ解いちゃうなんて」
町屋さんは、今しがた解き終えて閉じられた問題集を見つめながらつぶやく。
「えー、そうかなー?」
まさか、頭のいい町屋さんに、私が勉強を教える日が来るなんて、夢にも思わなかったなあ。私は軽い優越感に浸っていた。
「じゃあー、次は英語の宿題もやっちゃう? わかんないところは、なんでも聞いてよね!」
ちゃんと自覚できるくらい、私はすっかり調子に乗っていた。
いやあ、強くてニューゲームって最高だね。
私と町屋さんは、放課後に図書室で勉強するのが、すっかり日課になっていた。今回の私は、勉強に真面目に取り組むって決めてるから、たとえ町屋さんが来てなくても毎日図書室に通う気ではいたんだけど、今日まで町屋さんがここに来なかった日は一日たりともなかった。
別に私に会いに来てるわけじゃないんだろうから、きっと町屋さんは、以前もこんなふうに勉強しまくってたんだろうなあ。
ここまで勉強漬けの毎日を送ってたんなら、ずっと成績一位をキープし続けてたのもうなずける。
「来週から、テスト始まるね」
そんな私たちは、いよいよ来週、高校に入って初めてのテストを迎える。まあ、私にとっては初めてでもなんでもないんだけど。
「町屋さん、自信のほどは?」
「どうかな……。平均点以上は取れたらいいな……とは思うけど」
何をおっしゃいますやら。ずっと、クラストップを独走されるお方が。
「町屋さんなら余裕だよ。なんなら、クラス一位も狙えるんじゃない?」
「いや、無理だよ。だって、まず白野さんの方が、絶対私より頭いいし……」
今までの私は、なんだかんだで適当にテストを受けてきたから、最高でもクラス二位までしかいったことはない。
でもたしかに、今の私が本気を出せば、たぶんほぼ全教科で満点近くを取れるだろう。そうなると、クラス一位の称号は町屋さんじゃなくて、私がもらうことになるのか。
……それはいいんだろうか?
どんな問題が出るのかわかった状態でテストを受けるのって、フェアじゃないからなあ。
そういえば前回二位だったときも、三位の酒井さんからめちゃくちゃ睨まれたっけ。……いや、あれは授業をサボりまくったうえでいい点を取ったせいもあるか。
――とにかく、今回のテストへの臨み方はよく考えないとな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます