7-2 屋上という名のフロンティア

 なんか変なことに付き合わせちゃったなあ……。

 これ絶対、教育上よくないよね。


 思い悩みながらも、とりあえず私は、購買で牛乳とパンを購入する。ジャスミンも、私にならって同じものを買っていた。


「ミルク、次は何をするデスか?」


 ジャスミンは、期待に満ちた眼差しを私に注いでくる。サボりって、そんな高尚なものじゃないんだけどなあ。


「特にすることもないし、もうお昼食べちゃおっかなあって」


「まだお昼休みじゃないのに、いいんデスか! これはもしや、ハヤベンってやつデスね!」


 これお弁当じゃないけどね。まあ細かいことは別にいいか。


「ミルク、ワタシ屋上で食べたいデス!」


 ジャスミンは目を輝かせて提案する。屋上でお昼を食べるシチュエーションって、みんな一度は憧れるよね。でも、たしかうちの学校って、屋上に入れなかったような……。




「……ダメっぽいね」


 屋上へと続く扉の前で、私はつぶやいた。目の前の扉には、はっきりと『立ち入り禁止』と記されている。


「屋上、行けないデスか……」


 後ろに立つジャスミンの表情を見ると、こっちが気の毒になるほど、わかりやすくガッカリしていた。


「うん、たぶん鍵もかかってるだろうし……」


 そう口にしながら、私がドアノブを捻ってみると……驚くほどすんなり扉が開いた。


 鍵かかってないんかい! 

 不用心だなあ、まったく。

 まあ扉が開くからって、立ち入り禁止なことに変わりはないんだけどね。


「ミルク……どうしても、ダメ……デスか?」


 普通に考えて、ダメだよね。だって、そういうルールだもん。「ルールは守るためのもの」っていうのが私の信条だし。これまでもずっと、そういうふうに正しい道を選んで生きてきたんだから。


 ……でも、それは本当に正しい選択だったんだろうか。

 安心安全な道の先で手にした結果は、果たして満足のいくものだっただろうか。たまには、少しばかりの冒険をしてみてもいいんじゃないか。多少の危険を冒したとしても、時には思いきった選択をすることも人生には必要なんじゃないだろうか。


 そうだ、本当は私も、ずっと屋上行ってみたかったんだ。それなのに、いつしか自制心の檻の中に、好奇心を閉じ込めることが当たり前になって、そんな純粋な気持ちをすっかり忘れていた。


 私はしばし思い悩んだ末、ジャスミンの方へ力強く向き直る。


「ジャスミン、ルールは守るものだよ。……でもね、ルールを超えた先でしか見えない景色もある。だから私は行くよ、ルールのその先へ!」


「ミルク! ワタシも行きマス! 屋上という名のフロンティアへ!」


 まあ、こんなに楽しみにしてるジャスミンの期待を裏切るのも悪いもんね。というわけで、甘美な冒険の誘惑に負けた私たちは、好奇心を開放し、扉の向こうの世界へと足を踏み入れてしまった。


 これは私の選んだ道だ、後悔はしない。たとえこの先が、引き返すことのできない悪の道へ続いていたとしても……。




 屋上の周りは、腰の高さほどのコンクリートの壁で囲まれており、その上には私の背丈よりも高い金網が張り巡らされていた。この分なら、誤って落下する危険はなさそうだ。私たち二人は、金網のそばまで行って、遠くの景色を眺める。


 屋上といっても、その高さはせいぜい10メートル程度なので、町を一望できるというほどではない。とはいえ、普段より高い場所から眺める景色には、何となく特別感というか、謎の支配感みたいなものを感じた。


 目線を落とすと、グラウンドでどこかのクラスが体育の授業をしている様子が目に入った。きっとこっちには気づかないんだろうけど、ひょっとして誰かに見つかるんじゃないかと、怖気づいた私は一歩後ずさる。

 対して恐れを知らぬジャスミンは、金網に顔を近づけて興奮しっぱなしだった。


 春風になびくブロンドの髪が、太陽の光を浴びてきらめく。

 空の青を集めたかのような鮮やかな瞳が、宝石のように輝く。

 その容姿は、まるで絵本の世界から飛び出した妖精と見紛うほどの美しさだ。


「ミルク! 人がゴミのようデス!」


 ……口を開かなければね。


 ひとしきり屋上からの眺望を楽しんだ私たちは、地べたに腰を下ろして昼食を食べることにした。

 今日は天気も良く、春の陽気がとても心地良い。日光を遮るものが何もない屋上は、お昼を食べるにはもってこいの、まさにベストプレイスだ。


「そういえば、ジャスミンはいつから日本にいるの?」


 私は、購買で買ったパンをかじりながら尋ねた。長いこと同じ教室にはいたけど、これまでまともに話をしたことがないから、実は彼女のことはほとんど知らない。


「日本に来たのは、高校に入学したときデスよ。それまでは、イギリスに住んでマシタ」


「そうなの!? 日本語上手いから、てっきりもっと前からいるもんだとばかり……」


 ジャスミンは、外見に似合わず……と言っていいのかわからないけど、非常に流暢な日本語を話す。ほんのちょっとイントネーションが怪しいところはあるものの、何の支障もなくコミュニケーションを取れるレベルだ。


「グランマが日本人なんデスよ。それで、向こうにいたときから、日本語を話してたんデス。日本のことも、グランマからいろいろ教わりマシタ」


 なるほど、それで日本語を話せるのか。おばあさんからいろいろ教わってたなら、日本の生活に、それなりに馴染んでいるのもうなずける。


「ワタシ、グランマから日本のこと聞いて、ずっと来たいと思ってマシタ。アニメ、サムライ、ツンデレ、カベドン……ジャパニーズ文化、もっといろいろ知りたいデス!」


 残念ながら、サムライもツンデレも、その辺には落ちてないんだよ。……って言いたいところだけど、夢を壊しちゃ悪いから牛乳と一緒に飲み込んでおこう。


「あの……ミルク、ひとつ聞いてもいいデスか?」


「うん、なんでも聞いて」


 彼女はいつになく神妙な面持ちで、声を潜める。


「ミルクは、もしかして……ニンジャだったりしマスか?」


 ……グランマよ、いったいあなたは孫に何を吹き込んでるんだ。正しい日本の知識をちゃんと教えといてよね。


「……ジャスミン、私の秘密を知るには、ハラキリする覚悟が必要だよ? それでも知りたい?」


「…………ワタシ、ニホンゴ、ワカリマセン。ナニモ、キイテナイデス」


 軽い冗談のつもりだったんだけど、恐れをなしたジャスミンは、急にカタコトの日本語で誤魔化し始める。こんな可愛い反応されたら、もっとからかいたくなっちゃうな。私は、珍しい外国のおもちゃを手に入れた子供のように、ワクワクしていた。

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