Trip7. ジャスミンティー

7-1 サボタージュ

「――じゃあ、簡単に自己紹介してもらえる?」


 五十嵐先生の優しい声に、私の意識は呼び起こされる。眼前では、見覚えのあるクラスメイトたちが行儀よく席に座って、じっと私の方に注目していた。

 窓から吹き込む春風が心地よい。どうやら無事に、懐かしいあの日、あの場所に戻ってきたようだ。

 あんなに酷い態度だったから、変な世界に飛ばされても文句は言えないと思っていたけど、乳神様はちゃんといつも通りタイムトリップさせてくれたらしい。


 私は振り返ることなく、悠然と自分の席の方へと歩き出し、流れるように着席する。先生が何かしゃべっていたようだけど、その声はあまり耳に入ってこないので聞き流した。私は自分の席から、念のためチラッと黒板の方に目をやり、今日の日付を確認する。

 どうやら、間違いないようだ。ここから、もう何度目かわからない私の高校生活が始まる。

 乳神様に言われたように、最近の私は過去に戻れることが当たり前みたいになってしまっていた。でもそれじゃダメなんだ。もう甘えは捨てよう。時空ミルクには頼らない、これで最後にする、っていう覚悟を持って臨まないと……。

 私は固く決意して顔を上げた。心なしか、教室の中の空気がざわめいているような気がする。


 ……あれ? そういえば私、さっきちゃんと名乗ったっけ?

 ――直後に鳴り響くチャイムの音は、不穏な高校生活の始まりを告げているかのようだった。




 やっちゃったなあ……。まさか、初手でミスるとはねえ。

 私は自己紹介を促されておいて、名乗らないという暴挙に出た自分にあきれていた。周りから見たら、先生の言うことをガン無視する、ただのヤバいやつだよね……。

 でもしょうがなくない? 

 目が覚めてすぐ自己紹介しろって言われても、普通反応できないよ。

 それに、これまで何度となく自己紹介してきてるから、今回名乗ったのかどうかも曖昧になるって。

 むしろ、今までちゃんとできてた過去の自分を褒めてあげたいね。


 退屈な授業をボーっと聞き流しながら、私は自分の失敗を棚に上げる作業に没頭していた。だって初日の授業なんて、もう聞き飽きたんだもん。英語の時間に先生が板書でスペルミスをして、それを委員長の酒井さんが指摘するのなんて、親の顔より見た光景だ。

 もういっそのこと、先生が板書する前に私がミスを指摘しちゃおうか……とも思ったけど、さすがにそれは意味不明な行為なのでやめておいた。


 授業終わりの休み時間になっても、私の周りには誰ひとりとして寄りつかない。そもそも今までだって、休み時間に私に話しかけてくるクラスメイトはいなかったんだけど、とはいえ、こんなに避けられていると感じたことはなかった。明らかに、「関わらない方がいい危険人物」としてのレッテルを貼られているような気がする。

 昼休みまで、あと一時間もあるのか……。そういえば、まだお昼買ってなかったな。でも、今から買いに行ったら授業間に合わないなあ。


 ……授業聞く意味ないし、もういいや。

 私は長い長い高校生活の中で初めて、授業をサボることにした。




 チャイムの音が校舎中に鳴り渡り、昼休み前最後の授業が始まる。そのとき私は、教室の外にいた。それぞれの教室からは、先生たちが教鞭をとる声がかすかに漏れ聞こえてくる。私はその喧騒から遠ざかるように、購買へと向かった。


 教室から離れた誰もいない校舎は、驚くほどの静寂に包まれていた。今この瞬間も、みんなは真面目に授業を受けていると考えるだけで、えもいわれぬ背徳感を感じる。そうしてしばらくの間、私が「人類最後の生き残りごっこ」に酔いしれていると、その世界観をぶち壊す存在が現れた。


 ――儚げな表情で、金色の髪をなびかせる青い瞳の美少女。


 せっかく、この世界の主人公気分で私が優雅に校内を闊歩していたというのに……比べるまでもなく、主人公は絶対あっちだ。

 しばらくその美しさに見とれていると、彼女は私の存在に気づき、不安そうに近づいてきた。


「あの……ワタシ、ジャスミンと言いマス。もしや、同じクラスの……」


「ミルク。白野ミルクよ!」


 私は謎の対抗心から、漫画の主人公ばりにかっこつけた名乗りを披露した。


「ミルク、ヘルプミー! 教室に戻れなくなりマシタ!」


 ジャスミンは、クラスメイトの私を見つけたことで少し安堵した様子だったが、すぐさま切羽詰まったように助けを求めてきた。どうやら彼女は、不慣れな校内で道に迷ってしまったらしい。

 とっくに授業は始まっているというのに、まったく困った子だよ。


「教室はあっちだよ」


 私は、自分たちの教室の方角を指差す。


「センキュー、助かりマシタ!」


 ジャスミンは、急いで教室の方へと向かいかけて、私の方をぱっと振り返った。彼女の首回りをしなやかに流れる金髪が、いちいち美しい。


「ミルクは、一緒に行かないデスか?」


 なぜか微動だにしない私を、清純な青い瞳が不思議そうに見つめていた。


「私は……授業サボっちゃおうかなあと思って。ジャスミンは気にせず行って」


 そして私は、ジャスミンに背を向けて、ゆっくりと購買の方へ歩き出す。するとなぜか、私の真横にジャスミンが顔をのぞかせた。


「これは、ジャパニーズ文化のサボタージュデスね! かっこいいデス! ワタシもお供しマス!」


 サボりはそんな立派なものではないし、日本の誇れる文化でもない。たぶん万国共通の非推奨行為だ。


「一応言っとくけど、サボりは全然かっこよくないからね。教室に戻るなら、今のうちだよ?」


「ノンノン。ワタシ、マンガで読みマシタ。クールな生徒は授業をサボるのデス。これぞ、クールジャパンなのデス!」


 こうやって、間違った日本文化が海外に伝わっていくんだろうなあ……。

 もう知らないよ、私忠告はしたからね。

 とにもかくにも、私はなぜか成り行きでジャスミンと一緒に授業をサボることになってしまった。

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