5-7 ミルクの数ミリ

 二年生の冬、私たちの世代が中心になってから初めての全国大会が開催される。

 これまでは、毎回地区予選で敗退していたため、全国大会出場は叶わなかったが、今年は有望な一年生も多く、戦力的には申し分ない。今回こそ予選を突破できるのではないかという雰囲気が、なんとなくみんなの間で漂っていた。


「よーし、みんな集まれ」


 土曜日の部活が始まるタイミングで、顧問の銀城先生が部員を集める。普段休みがちなエンジョイ勢の人たちも含め、今日はほとんどの人たちが練習に参加していた。


「前から予告していた通り、今日はまるまる試合形式の練習をやってもらう。試合の中での動きを見て、大会メンバーを決めるからそのつもりでいろ。これまでレギュラーだった者も関係なく、今一番調子のいい者を選ぶからな」


 実力主義の銀城先生は、いつもこうやって試合形式の練習の中で活躍している人を優先的にメンバーに選んでいる。

 レギュラークラスの人でも、実力を発揮できなければ選外になることもあるが、直近の大会で勝つために最適なメンバーという意味では、理にかなっているように思う。


 前にウメコが選ばれたように、今日活躍すれば、これまでメンバー入りしたことのない人にも十分チャンスはある。もちろん私にも……。

 今日の私は、いつになくやる気に満ちていた。なんとしてでも、大会メンバーに選ばれたい理由があるからだ。


 理由その一、ミドリ、ムギ、ウメコと一緒にメンバーになれれば、私とみんなの間にそびえ立つ見えない壁は消え去り、以前のように胸を張って三人と接することができる気がするから。


 そして理由その二は、この大会で私たちの学校は全国大会出場を果たす予定だからだ。少なくとも、タイムトリップ前はそうだった。

 たとえベンチウォーマーでもいいから、私も全国大会出場メンバーという肩書きが欲しい。不純な動機ではあるけど、全国大会出場ともなれば、今後の人生のちょっとした自慢にはなりそうだし。


 ――そして、私たちの運命を決める練習が始まった。


 調子の良し悪しというのは当然あるものの、やはりレギュラー常連組の実力は揺るがない。ミドリやムギ、ほか数名の活躍ぶりは、誰がどう見ても圧倒的だった。

 対してウメコも、持ち前の負けん気でボールに食らいついていた。こんなことを言うのもなんだが、リベロというポジションは競争率も低いから、おそらくこの分だとウメコもメンバー入りは堅そうだ。


 ……ということは、あとは私がメンバーに選ばれれば、四人で一緒に全国へ行ける。今回こそは、なんとしても選ばれたい。

 そんな気持ちとは裏腹に、私はここまでほとんど見せ場を作れていなかった。それどころか、エンジョイ勢の茶田さんの方がよっぽど活躍している始末だ。普段私より練習していないくせに、こんなときだけ調子がいいなんて納得いかない。


 ……いや、ほかの人なんて関係ないよね。私は私の全力を出せば、それでいいんだ。


 ボールを手に、私はキッと前を見据える。向かいのコートには、ムギとウメコ。味方側のコートにはミドリの後ろ姿。次は私のサーブだ。

 とりあえず私は、気持ちを落ち着けるため、二、三度ボールを床に打ちつける。さっきまでは、ミスを恐れて確実に入れにいく無難なサーブをしてしまっていた。でもそれじゃダメだ。ミスを恐れず、ギリギリを攻めないと。


 私は大きく上にボールを投げ上げ、思いっきりサーブを放った。

 ――手応えあり。コース、威力、ともに悪くない。

 そして、ボールは相手コートに落ち……なかった。ギリギリで、飛び込んだウメコの手に拾われた。

 結局そのままムギにスパイクを決められ、私のサーブ権が終わる。


 ……でもまだ、試合は終わってない。サーブがダメならレシーブ、スパイク、ブロック……すべてのプレーを全力でこなすのみだ。


 相手チームが強烈なスパイクを放つ――私のブロックは弾かれる……。

 負けじと私もスパイクを放つ――そびえ立つ高い壁に阻まれる……。


 それでも、諦めるわけにはいかない。私は味方の弾いたボールを懸命に追いかけるも、伸ばした指の数ミリ先で無情にもボールは床に落ちる。


 ……きっと今のは、ウメコなら届いていた。

 ――この数ミリが、私とウメコの差だ。


 このたった数ミリを埋めるために、これまで何千何万回も、ウメコはボールに飛びついてきたのだろう。

 今日このときだけ頑張ったからって、簡単に届くものではない。そんな虫のいい話じゃないのはわかってる。

 だけど……それでも今できるのは、今の100%を出しきることだけ。とにかくがむしゃらに、ボールに食らいつくのみだ。


 そして再び、ボールが味方コートに向かってくる。

 私の数メートル前方……今度こそ取る!

 私はただボールだけを見つめて、思いっきりダイブする――――その刹那、全身に衝撃が走った。


 …………気づいたときには、私の傍らでうずくまるミドリの姿があった。




 その後のことは、はっきりと覚えていない。私との接触で怪我をしたミドリは、思ったよりも重傷で、予選には出られなくなった。そして、幸か不幸か無傷だった私は大会メンバーに選ばれた。


 ミドリが出場できなかったことで、戦力としても大幅にダウンしたことはもちろんだが、それ以上に、彼女はチームの精神的支柱としての役割も大きかったので、その影響力は甚大だった。

 代わりに選ばれた私も、試合の出場機会は与えられたものの、やはり実力不足で、とてもミドリの抜けた大きすぎる穴を埋めることなどできなかった。


 結果として、私たちの高校は、全国大会への出場を逃した。

 ――それだけが事実だ。


 誰のせいでもない。

 また次頑張ればいい。

 今回はチームとしての実力が足りなかっただけ。

 …………。


 ミドリも……みんなも、口々にそう言っていたけど、私にはわかっている。チームの実力は申し分なかった。それなのに、私のせいでミドリが怪我をして、全国大会出場を逃したんだ。

 すべて私のせいで……。


 三人と一緒に過ごすのもいたたまれなくなった私は、自ら距離を置いた。

 ――私がいなければ、バレー部もこの三人も上手くいっていたはずなのに。

 私がいなければ、みんなは全国大会に出場できていたはずなのに。

 私さえいなければ……。


 部活にも顔を出さなくなった私が、ひとり帰る道中に立ち寄ったのは、あの乳神商店だった。


「時空ミルクください」


「72円だよ」


 勝手知ったる私は、最低限のやり取りで時空ミルクを購入した。

 店の外は木枯らしが吹きすさび、私の寂しさを一層駆り立てる。寒空の下で飲む牛乳も美味しいけど、今はそんな気分じゃない。


 私は冷えた牛乳を抱えていったん帰宅した。そして、時空ミルクをコップに移し替え、電子レンジで温める。

 たまには、こういう飲み方も悪くない。私はほどよく温まった「時空ホットミルク」をゆっくりとすすった。

 温かな優しさが、冷えきった小さな胸にじんわりと染み渡る。

 ――私は遠のく思い出をそっと、熱いミルクとともに飲み干した。

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