1-2 時空ミルク

 友達ゼロの私は、今日も誰とも口をきくことなく放課後を迎えた。当然のごとく何の部活にも入っていないので、そのまま帰路につく。


 思えば、こんなぼっち生活を送るようになったのも、すべてはスタートで出遅れたせいだ。

 みんなが高校に入学し、輝かしい高校生活を始めたそのとき、運悪く私は一週間ほど学校を休んでしまった。一週間ぐらいたいしたことはないと思うかもしれないが、それはカップに飲み物が注がれ始めるには十分な時間だった。


 とはいえ、そのタイミングなら、まだ各カップは完全には満たされていなかったはずで、混ざろうと思えばどのカップにも混ざることはできただろう。

 でも当時の私には、自分からどこかのグループに混ざりにいく勇気はなかった。完成されつつある飲み物の味を、自分のせいで変えてしまうのが怖かったんだ。


 振り返ってみると、あれが最初で最後のチャンスだったのかもしれない。私が高校に入学して初めて登校した日、あのとき勇気を出してどこかのグループに混ざっていたら……。

 まあ、もうじき高校二年生も終わろうとしている今となっては遅いんだけど。


 そしてまた運の悪いことに、この学校には三年間クラス替えがない。つまり、クラスに溶け込めなかった私は、あと一年以上はぼっち生活を送ることが確定しているのだ。

 私は、いったいあと何回この帰り道をひとりで歩くことになるのだろうか……。

 考えるだけで、ますます憂鬱になってくる。


 早く家に帰っても特にすることはないので、いつからか私は、気の向くままに遠回りをして帰るのが習慣になっていた。

 そしてその道中、私はあえて通ったことのない路地や入ったことのないお店に、積極的に寄り道するようにしている。それはひとえに、代り映えのしない毎日に、何か新しい出会いがあるかもしれないという淡い期待からだ。


 そんなふうに今日もひとり見知らぬ道を歩いていると、目の前に見たことのない個人商店が現れた。

 こじんまりした建物の看板には、『乳神商店ちちがみしょうてん』という名がしっかりと刻まれている。


 店名からして、牛乳とか売ってる店なのかな?


 その名前に興味をそそられた私は、引き寄せられるように店内へと足を踏み入れた。

 店に入って辺りを見渡すと、私以外のお客さんはいないようだった。商品棚にはちょっとした駄菓子や文房具などが雑多に並べられているが、大手スーパーではあまり見かけないような商品ばかりだ。


 狭い店内をあっという間に一回りして、そのまま店を出ようとした私だったが、ふとレジ横の冷蔵ショーケースの前で足を止める。


 覗き込んだショーケースの中では、ビン入りの牛乳にパック牛乳など、様々な種類の牛乳がひしめき合っていた。しかも、そのどれもが普段スーパーではお目にかかれない珍しい商品ばかり。

 まさに、乳神商店という名に恥じぬほどの商品ラインナップ。自称牛乳愛好家である私としては、素通りするわけにはいかない。


 さて、どの牛乳にしようか。


 相変わらず私以外のお客さんは入ってきていないし、レジには寡黙なおばあさんが鎮座しているだけなので、気兼ねせずにゆっくりと品定めができそうだ。

 私は新たな牛乳との出会いに心躍らせながら、ショーケースの端から端まで、舐めるように商品を眺める。


 ……うーん、どれも美味しそうで決められない。


 私は、あまりにも豊富な種類の牛乳たちを前に、どれを買うか決めかねていた。

 そんな折、ふと目線をショーケースの向こう側に向けると、ある貼り紙が目に留まる。


『ぶっ飛ぶ味わい 時空ミルク ―― 時価』


 時空ミルクって何だろう?

 よくわかんないけど、めちゃくちゃ気になるな。

 ……でも、時価ってちょっと怖い。

 そもそも、牛乳に時価とかあるんだ。

 ……『時空ミルク』だから、まあそれっぽいけど。


 なんてバカなことを考えているうちに、私の頭の中はすっかり時空ミルクを飲みたい気持ちでいっぱいになっていた。


 ……とりあえず、値段だけでも聞いてみようかな。聞くだけならタダだし。


 意を決して、私はレジの奥のおばあさんに尋ねる。


「あのー、すみません。その時空ミルクって、いくらですか?」


「無料だよ」


「えっ? ……タダでいいってことですか?」


「ああ、時価だからいつも同じ値段じゃないけどね。今回はゼロ円だよ」


 聞くだけならタダって思ってたけど、買うのもタダじゃん。

 そもそも、時価にゼロ円のパターンってあるの? 

 もはや最安値じゃん、価格バグってるよ。

 今日だけ全国の牛さんからめっちゃお乳出て、価格崩壊したのかな? 

 さすがにちょっと怖いんだけど……。

 でもまあ、タダで手に入るなら、このチャンスを逃す手はないか。


「あの、じゃあその時空ミルク、一つください」


 結局、私の中で怪しさよりも好奇心が勝った。


「いいんだね?」


「えっ?」


 おばあさんは、なぜかすんなり時空ミルクを渡してくれなかった。

 こっちはもうその気なんだから、ここまで来て無駄にもったいつけないでほしい。


「このミルクを飲むと、もう飲む前の生活には戻れなくなるよ? ……その覚悟はあるかい?」


 普通の牛乳には戻れなくなるほどの美味しさってことかな? 

 そんなことを言われたら、牛乳好きの私としては、ますます飲まないわけにはいかない。


「はい、大丈夫です」


 私は少し声を上擦らせながら答えた。

 そして、おばあさんから『時空ミルク』を受け取る。


 見た目は普通の200mlぐらいのビン入り牛乳だけど、いったいどんな味なんだろう? 

 過度な期待をしない方がいいのはわかってるけど、あれだけのことを言われたら、やはり期待せずにはいられない。


 私は店を出ると、さっそく牛乳ビンの蓋を開けた。そして、店先のゴミ箱に蓋を捨てると、そのまま牛乳を口へと運ぶ。


 ――それから先は、あっという間だった。


 美味しいと思う間もなく、自然と牛乳が喉に流し込まれていく。

 呼吸をするのも忘れるほど夢中で飲み続け、気づいたときには、私は一本分の時空ミルクを飲み干していた。


 …………あれ?


 そしてどういうわけか、飲み干した瞬間から、私の視界は歪みだした。


 もしかしてこれ、なんか変なものでも入ってた? 

 ……それとも、普通に腐ってただけ? 

 とにかくこれ、なんかやばい!


 なんとか店内のおばあさんに助けを求めようとするが、体が思うように動かない。なぜか、ガラス越しのおばあさんの姿が、牛柄の服を着た美少女に見えてきた。


 こんな幻覚まで見るなんて、これは完全に牛乳の呪いだ。

 私の人生、こんなところで終わるのか。

 ……でも、最後に牛乳を飲んで終わりなら、それも悪くない……かも。


 ――――ビンが地面に落ちるカランという音を最後に、私の意識は失われた。

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