Trip1. 牛乳

1-1 便所飯

 トイレの個室は、学校の中で唯一の落ち着ける空間だ。しかし、お世辞にも居心地が良い場所とはいえない。


 どんなに清潔に見えたとしても、衛生状態は疑わしいし、そんなところで食事をするなんてもってのほかだ。そんなことはわかっている……わかってはいるけど、今日も私はここでお弁当を広げている。


 でも、これはしょうがないことなんだ。教室でひとり惨めな気持ちになって食べるくらいなら、こっちの方が何倍もマシだから……。

 それに、どうせ教室で食べたとしても、食べ終わったらやることがなくなって、結局トイレに逃げ込むことになるんだから、それならいっそ最初からここで食べた方が効率がいいってもんだ。


 もちろん、これが花の女子高生にあるまじき行為であることは自覚しているけど、ほかに選択肢はないんだからしょうがない。


 そんなふうに、自分を正当化しながら黙々と食べ物を口に運んでいるうちに、気づけば弁当箱は空になっていた。私はゆっくりと膝の上のそれを片付ける。そして、食後のデザートならぬ、食後の牛乳を取り出した。


 ――私にとって、牛乳は最高のエナジードリンクだ。


 自分の名前が『ミルク』だから、シンパシーを感じるっていうのもあるけど、それを抜きにしても、単純に飲み物として独特の味わいがあり、栄養も満点で、飲むだけでちょっと元気が出てくるような気がする。

 それになんてったって、こんな相性最悪な場所で飲んでも、それなりに美味しく感じるんだから、牛乳ってすごい。


 ……気は進まないけど、話をトイレに戻そう。

 たしかに飲食との相性は最悪だけど、トイレの中も慣れてしまえば思っているほど悪いところではない。

 特に、ここは教室から離れた場所にあるトイレなので、昼休みでもほとんど人は通らず静かだ。それに、利用頻度も少ないせいか比較的汚れておらず、特有の嫌な臭いもそれほど漂ってこない。

 目を閉じてしまえば、もはや自分の部屋と変わらない空間だといっても良い……かもしれない。


 そんなことを考えながら、紙パックに入った牛乳をゆっくりとストローで吸い上げていると、不意に誰かの足音がして、直後にどこかの個室が閉められる音が私の耳に飛び込んできた。教室から離れた場所にあるとはいえ、たまには人が入ってくることもあるのだ。

 そして、昼休みにわざわざこんなところまで来るということは、私と同じ理由かあるいは……これ以上の想像は、せっかくの牛乳の味が損なわれるからやめておこう。




 学生はクラスという決められた枠組みの中で、さらにいくつかのグループを形成している。

 教室をお茶会の会場に見立てるなら、そこにはいくつかのカップが並んでおり、それぞれのカップに別々の種類の飲み物が入っているといった具合だ。


 この「グループ」というのが実に厄介なもので、あるグループに一度溶け込んでしまえば、そこから抜け出して別のグループに移るのは容易ではない。それは言うなれば、コーヒーに溶けたミルクだけを取り出して、紅茶に移すことができないのと同じだ。

 つまり、最初にどのグループに混ざるかということが、その後の学校生活の行く末を決めるといっても過言ではないだろう。


 ――ちなみに私は、どこのグループにも混ざれなかったミルクだ。


 既にそれぞれのカップの飲み物が決まってしまった今となっては、もうどこにも混ざることはできない。

 コーヒーを今さらカフェオレに変えるなんて、あってはならないことだ。

 もはや私には、大きなカップの陰にひっそりと隠れて、ただのミルクとして過ごすしか道はないのだ。

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