鏡に映る

 祖母が亡くなった。便宜的に喪主は私。施主が妹。だけど実質、葬儀に際して動いてくれたのは妹だけ。言うことを聞いてくれない私の心では、座っているだけで精一杯だった。文字通りのお飾り状態。ここまで強烈に、明確に自分という存在の不要さを叩き付けられる経験というのもそう多くはないだろう。どら焼きに屋号を焼き付けるみたいに軽い音で、無能の烙印を捺される感覚があった。

 葬儀が済んで、親戚たちはそれぞれの生活へと帰って行く。祖母という大きな存在が抜け落ちて、私たちの日常はあっという間に非日常へと姿を変えてしまった。落ち着かないくらい広くなった家に、私は妹と二人きり。ここ数日の慌ただしさと喧騒が嘘か夢かと思うほど、今は時計の針が煩い。規則正しい音をぼんやり聞きながら、部屋の隅の家具の隙間で微睡んでいる。遠退きそうな意識と共に、このまま私も消えてしまえたら良い。だけどそうもいかないから、なんとかしがみついている。

「お姉ちゃ~ん、お昼ごはん出来たよ~」

 階下からの妹の声で引き戻される。私は彼女がいないと、現世ここには居られないのかもしれない、なんて。

 昼食の後、なんとなく部屋に戻る気になれなかった。かといって居たい場所もなく、適当にリビングのソファに座る。途端、けたたましく電話が鳴った。

「あ、私出るね」

 妹の方が電話から遠かったのに、妹の方が早かった。私は、ただ音の鳴る方に顔を向けただけ。視線を真っ黒なテレビ画面に戻しながら、彼女の声が足音と共に遠ざかるのを聞いた。

 そのまま、目を閉じた。


 夢を見た。見たことのない風景だった。

 目の前には一つ、対岸の見えない大きな川が横たわっている。側にはなんとも時代錯誤な成りをした男が二人、静かに立っている。一人は手枷をされていて、もう一人がそこに繋がれた縄を握っている。江戸時代、お縄になった人のそれだった。私は黙って彼らを見ていた。

 ふと縄を持った男が何か話した。どんなことを言っているのか、声は全く聞こえない。ただ風にざわつく夏草と、水面の揺れる音だけが耳を支配する。手枷をされた男が返事をする前に、川の向こうからもう一人、着流しにちょんまげ姿の男が木舟を漕いでやって来た。縄を持った男と舟に乗った男が、短く言葉を交わす。縄を舟に乗った男が受け継いだ。

「喜助」

 誰の声だったか、目覚める直前にそんな名前を聞いた気がした。

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