花月星臨~少女たちの願望戦争~

一野瀬 遥斗

第1話 それはまるで贈り物《ギフト》のような

 少女が一人、星空を見上げていた。

 冬の夜空に開かれた彼女の部屋の窓は寒気を容赦なく部屋の中へ流し込んでいたが、彼女は構わず空を見上げていた。周囲に建物が少ないからか、彼女の部屋からは星々がよく見える。

 階下の喧騒をよそに、彼女は一心不乱に星を見つめていた。昼にテレビで見たのだ。今日は流星雨が降ると。

 流星雨。それは流れ星の群れ。流れ星に三回願い事を祈ると願いが叶うと絵本で読んだことがある。だからどうしても、少女は流れ星に願いを託したかった。

 そんな彼女の祈りが届いたのだろうか。

 一筋、また一筋と夜空に閃光が瞬く。それは淡く儚く一瞬で、だから少女は急いで両手を胸の前で合わせると、願い事を口にした。

「……みんなの願いが、叶いますように」


 ――果たしてその願いは聞き届けられる。






 それは、雪降る夜のかいこうだった。

 はなむらあさは目の前の光景に目を見張る。

 まばらな雲、月光差し込む粉雪の舞う街を見下ろす公園で、自分と同じ年頃の少女がひとり、くるくると回っていた。

 踊るように。それでいて、まるで酔うのを楽しむように。

 だから朝陽は呆気にとられ、物陰に隠れるのも忘れて現実味の無い少女を見続けていた。



 季節外れの転校はあさひに突然訪れる。

 父の転勤によるものだ。母はかつて住んでいた街である転勤先へついていくと望み、あさひもまたそれに付き従うことを決めた。

 だけれど住処を移すということは人間関係を物理的に失うことに通じる。抜けそびれてそのままになった前の学校のグループチャットが年中行事を前に賑わっているのをぼんやりと眺めながら、そこに加われない自分の立場を急に理解し、たまらず家を飛び出して、遠くへ、もっと遠くへと目指して高台の公園へ辿り着いたのだった。


 口に出すのは憚られたが、あさひは寂しかったのだ。

 孤独だった。だけど、何も視界に入れずもっと独りになりたかった。

 新しい学校は賑やかだ。マンモス校だし学年に三百人以上の人間がいる。だけれどその三百何某は入学してから半年以上の同じ時間を過ごした仲間で、あさひだけがその思い出を持っていなかった。

 共有できないのは何より寂しい。また生来の性格であさひは「求められた反応をしてしまう癖」があるから、いつまでも「転校生」としての立場から抜け出せないでいた。それは明るく元気で人見知りをせず誰とでも打ち解け、わからないことがあれば適切な人物に話しかけ質問すること、また感謝をすることができる、という「人格」だったが、あさひはそれが「自分で作ったもの」としか認識できないでいた。

 仮面は便利で、同時に素を見せられないのは辛かった。


 でも、目の前に急に現れた不可思議な少女を前に、あさひは正気で居られなくなる。

 透き通ってしまいそうな短い髪を揺らめかせながら、両手を広げ、あさひと同じ制服を着た少女は回り続ける。

 彼女の後ろには雪に滲む街明かりが遠く広がっていた。がむしゃらに走ってきたからあさひの家も、学校も、どこにあるかは暗闇の中でようとして知れない。

 だからあさひが見ている景色はある種の異界で、見知らぬ世界に飲み込まれたあさひは動けなくなってしまっていた。


「……そんなにじっと見られたら、僕、恥ずかしいな」

 ふと、回っていた少女が足を止め、背中を向けてそんなことを言った。

 存在感と同じく透明なその声は一拍置いてあさひを驚かせた。言葉はあさひに向けられたものだと気づいたからだ。自然と「彼女と自分は同じ世界にいる」という当たり前の現実を突きつけられてしどろもどろになった。

「えっと、あの……はじめまして。勝手に見ていてごめんなさい」

「うんうん。ごめんなさいが素直に言えるのはいいね。気に入っちゃった」

 そう言って彼女は振り向く。やっと合った視線にあさひはどきりとした。

 寒くは無いのだろうか。制服姿の彼女は一歩また一歩とあさひへ近づくと、顔を覗き込み小首を傾げる。

「僕はほしぎん。夜空の星を見るの星見に銀色と難しい方の花でぎんか。きみは?」

 突然の自己紹介にあさひは動揺しながらも、いい名前だな、と思った。幻想的な苗字に童話のような名前はこの子に似合いだと思ったのだ。つられて自分も名を名乗る。

「は、花邑あさひ。花に珍しい方の村って書いて花邑、朝の太陽、であさひ……」

「お花同士に星に太陽か。なんか、そういうのいいね」

 星見ぎんかと名乗った少女は、そう言ってうっとりと目を細めた。

 そしてぎんかは着の身着のまま飛び出してきたあさひの手を取ると、その冷たさを認めてはあと暖かい呼気を吐いた。温もりがじんわりと指先に染み、自分がどれほど余裕が無かったかを知る。同時に、ぎんかの指の冷たさはあさひ以上のものだったので、彼女がどれだけの時間公園で過ごしていたかに想い馳せた。


「ねえ、あさひちゃんがなんでここに来たのか当ててあげようか?」

 ぎんかの言葉に心臓が止まりそうになった。ぎんかがあまりにも幻想的だったから、まるでそのまま真実を言い当てられるのではないかと怖気づいた自分に気づく。

 同時に、もし言い当ててくれるのならばと心のどこかで期待した。

「あさひちゃんは欲しいものがある……違う?」

 どきりとした。やっぱりこの子は普通じゃないんだと思う。

 だってその言葉は「正解」だったからだ。

「あっ……」

 言葉が喉の奥で詰まる。否定でも肯定でもなんでも言葉にしたいのに、何も出てこない。

 だからぎんかはそんなあさひの様子を見て、笑いながら構わず続けた。


「えへへ。何が欲しいかまでは言い当てないよ。無粋だからね。でも、あさひちゃんがそう思ってるなら……」

 ぎんかは言葉を止め、ふふと笑い。


「僕たち、友達になれるかもね」


 今度こそあさひは耐えられなかった。鼻の奥がつんとして目頭が熱くなる。

 まさに欲しいものが、欲しがってもいいものが目の前に現れてしまったという事実はあさひを激しく混乱させた。

 あさひは思わずぎんかの手を離すと後退った。ぎんかが怖くなったのだ。信じがたいものに見えたのだ。


 否、どうしようもなく「ぎんかと友達になりたい」と願ってしまったのだ。


 そうだ。あさひはいつだって友達が欲しかった。転校した後も、転校する前も。「いい子」を演じるのは簡単だし、例えもしそれが演技ではなく生来のものだとしても思春期の年頃の少女たちは「良心」だけを繋がりとして求めない。あさひは友達が欲しかったが、同時に相手にあわせて悪徳を獲得するなどできない少女でもあった。あさひは本当はわがままで、自分が自分のまま「自分と一緒に歩いてくれる友達」を常に求め続けていた。


 ゆえにぎんかの言葉は致命的だった。

 あさひの心境を見透かすようにぎんかはにっこり微笑むと、突拍子もないことを告げる。


「その願い、叶える方法、教えてあげようか?」

「えっ?」


 あさひの動揺をよそにぎんかは再びあさひに近づくと、手を握り額同士をくっつけて、まるで唇が触れるような距離でそっと両手を握りしめた。


「『けっしょう』を三つ集めたらまたここに来て」


 その言葉が合図だった。

 あさひの胸がまるでほころぶように熱くなる。

 そしてあさひを中心に、積もり始めた冬景色を塗り替えるがごとく雪が融け、根も葉もないのに至る所から大小さまざまな赤い花――ゼラニウムが咲き誇った。

 赤い花弁を舞い散らしながら咲く花を少女二人は見上げて、片方は目を見張り、片方は笑った。

「……綺麗な力だね。あさひちゃんにぴったり」

 ぎんかは微笑むと、握った手に口づける。

「友達になれる日を楽しみにしてるよ、あさひちゃん」

 そこであさひの意識は途絶えた。




 眩しい。

 薄手のカーテンが陽光を透かしていた。その明るさであさひは目覚める。

 目覚める。

 覚醒した意識はあさひの身体を跳ね上がらせた。周囲を見回し、そこが自室だと確認すると、自分は制服のまま眠っていたのだと見下ろした。いつの間に帰ってきていたのだろう。

「夢……?」

 心臓がばくばくと早鐘を打ちながら、あさひは固く握り締めた右手を見下ろし、恐る恐るその手を開いた。

 手の中心には細胞が潰れぐちゃぐちゃになった、赤いゼラニウムの花びらが握られている。

 花弁はぎんかが夢でないことを告げていた。






 そうしてあさひはひとりの少女に追い詰められている。


 長い髪の毛を腰まで伸ばし、背筋を正した凛とした姿は学年でも目立っていたから彼女のことは知っていた。

もちづきさん……ですよね? あの、わたしになんのお話が?」

 あさひが恐る恐る問いかけると、ちよはつまらなそうにふんと鼻を鳴らした。

 昼休みになった途端、「ちょっといい?」と突然つかつかとちよがあさひの元を訪れ、手を引き、こうして誰もいない屋上へ連れ出したのだ。

 屋上からは今は花も葉もない桜の木が良く見える。その桜を背にフェンスへ押し付けられながら、あさひは身動きが取れない。

 ちよは整った顔を不機嫌そうに歪めながらあさひを見下ろしている。

 こうなってしまえばあさひは怯えることしかできない。表情に怯え、沈黙に怯え、今の時間の意味に怯えている。困ったように笑って空気を和まそうとしてみれば、満を持してちよが言葉を紡ぎ出した。


「あなた、何か『能力』を手に入れたわよね」


 能力。その言葉にどきりとする。

 昨日のことが夢でないとすれば、ううん、夢だとしても、あんな話を他人にするわけにはいかない。非現実的で説明がしづらく、恥ずかしいからだ。


「えっと……なんのことかわからないんですが……」

「じゃあ『決晶』を集めているでしょう? 知らないとは言わせないわ」

 『決晶』。ぎんかが言っていた言葉で聞き覚えがあったから、あさひは思わず反応してしまう。

「……やっぱり。ぴんと来てないかもしれないけれど、その様子だと能力も手に入れているわよね」

 そう言うとちよは右手を掲げた。その手のひらの上に小さな球状のものが現れる。

 表面がまばらに揺らぐその球は、まるで満月に似ていた。

「私はこれを『フルムーン』って呼んでる。あなたも、こういう能力を与えられたでしょう?」

 あさひはそれを見てくらくらしてしまった。昨日の出来事だって半ば夢だと思っていたのに。

 だから恐々とちよを真似るように、両手を合わせると手を開いて見せた。

 そこには一輪のクロタネソウの花が咲いている。

「これだけ、です……」

「花を咲かせる能力、ね。なんだかあなたらしいわ」

 何があさひらしいのかわらかなかったけれど、とにかくこれが「能力」とやららしい。

「能力を持っていて『決晶』を集めている人間を私は『ストーナー』って呼んでいる」

 ちよはそう言い切ると、あさひが手にしたクロタネソウを手に取った。

「どうやらあなたも『ストーナー』の仲間入りをしたってことね」

 耳馴染みのない言葉だから首を傾げてしまう。

 でも、それはもしかすると。

「じゃ、じゃあ、望月さんも星見さんに会ったんですか……?」

 もしちよがぎんかに会って『ストーナー』になったのだとすれば、ぎんかと顔見知りということになる。だとすれば、彼女に再会する手がかりを得られるかもしれないと思ったのだ。


「…………」

 ちよは答えない。肯定とも否定とも取れない沈黙はあさひの不安を膨らませた。

 長い沈黙を経て返ってきたのは、質問の答えではなかった。


「私はあなたから『決晶』を奪おうとは考えていない」

 あさひはその返答にまぶたを瞬かせる。


「そもそも、『決晶』ってなんなんですか……?」

「……そんなことも教えられなかったの?」

 ちよは一気に強面になった。眉をしかめ不機嫌そうに足をぱたぱたさせている。いつもは美少女然とした姿しか見ていなかったから、なんだか意外だった。


 彼女は溜め息をつくと、渋々と言った様子で解説を始めてくれる。

 ちよは自分の胸元に手をかざすと、きらきらと輝く棘のたくさんある水晶のようなものを虚空から浮かび上がらせた。どうやらこれが『決晶』らしい。


「まず『決晶』は願いを叶えるために三つ集める……これは知ってる?」

 こくりと頷くと安心したように『決晶』をしまう。

「『決晶』は――『ストーナー』の決意の化身とも言える。だからそれを譲り受けたり奪ったりして集めるの」

「決意の、化身……」

 言葉の語感を心の奥で転がしながら確かめる。そんなものを集めていいのだろうか。

「だから……私はあなたからそれを奪ったりしない。むしろあなたに『願い』があるなら私が協力するわ」


 改めてちよは宣言する。釘を刺すような物言いにあさひは少し気圧された。

 『決晶』を集めればぎんかと友達になるという願いは叶う。そのために自分は何ができるだろう。あさひは考えながらふと人の気配が近寄ってきているのに気づいた。


「ねえ……そこのふたり。屋上は無許可での立ち入り禁止ですよ」


 現れたのはクラス委員長の子だった。確か名前ははるまち真理亜まりあ。勤勉に周囲を見回す印象の人だったから、屋上に人がいるのに気づきとがめに来たのだろう。

「……わかってるわ。ちょっと『転校生』に校内を案内したかっただけ。ここの桜は春になると見事だって」

 ちよの嘘は自然だ。さすがにこれでは強い否定もできないだろう。

「そう……ありがとう、望月さん。私、そこまで気が回っていませんでした」

 まりあはちよへ礼をすると、立ち去ることを促すように背を向けて屋上の扉へ向かっていった。

 その背を追うようにちよはあさひの前を後にする。

「今夜七時、あの桜の木の下で」

 残された一言をあさひは受け取り、驚いて胸が跳ねた。



 その夜、急いで学校に戻りロータリーの桜の木の下を訪れると、そこにはちよが待っていた。

 あさひは胸を高鳴らせ、微笑みながら彼女へ駆け寄る。






 その頃、学園寮ではひとりの少女が自室で身支度を整えていた。

 その少女――春待まりあは夕食後の時間だというのに、マフラーやコートを纏い、冬の装いへと見る見る姿を変えていった。


「ねえねえ、まりあちゃん。どこか行くの?」

 膝の上に広げた雑誌をぱらぱらとめくっていた同室の少女が声をかける。その問いかけに、まりあはあははと笑い、振り返った。

「ちょっと出かけてきますね。大丈夫。いつも通り門限までには帰りますから」

 まりあは早口でまくし立てる。まるで横やりをいれさせないとでも言うように。

「ふうん。そっかあ」

 しかし少女はその答えに対して少し不満そうにまりあへ眼差しを遣ると、また視線を雑誌へ落とした。

「でも、夜ってやっぱり危ないし、早く帰ってきてほしいな……」

「大丈夫よ。よしもとさんは心配性だなぁ」

 まりあは少女に構わず外出の準備を済ませると、廊下へ向かう扉の前へ立ち、振り向きもせず言い残す。

「じゃあ行ってきますね。お土産は期待しないでください」

 少女の返事も待たずに廊下へ出ると、後ろ手に扉を閉め、廊下に誰もいないことを確認して決意を籠めた溜め息を吐いた。

「……もう後戻りなんてできないんです。早く行かなきゃ」

 胸の前で拳を握り、しばし瞑目すると顔を上げ前に向き直り外へ向けて歩き出した。



 残された少女――葭本ゆうは読んでいた雑誌を閉じると、まりあが姿を消した扉を見つめる。

「……まりあちゃん」

 手持ち無沙汰に癖っ毛の先を弄りながらゆうゆは部屋を見回す。まりあのいない部屋は広く、ひとりでは凍えてしまいそうだった。

 まりあが毎夜のように出かけるようになったのは、この数週間のことだ。それまでまりあは部屋で勉強をしたりタブレット端末を弄りながら、いつものんびりと過ごしていた。

 その穏やかな時間を共に過ごせることが、ゆうゆにとっては心地よかった。

 ゆえに、この頃のまりあの外出には思うところがある。

「…………」

 それは半ば思い付きだった。趣味が悪いとは思う。だけれどゆうゆにとってまりあはそれだけ大事な友人だったのだ。

 友人のため、ゆうゆは小さく覚悟をした。






「……『決晶』を三つ集めれば、星見さんとお友達になれる」

 ちよに案内された廃ビルの屋上から見渡すネオン街はあさひには眩く、どこか現実味の無いものに見えた。ましてや自分が『決晶』とやらを巡る不思議の中に放り込まれたなんて絵空事のようだった。

 ぼうっと街並みを見下ろすあさひに業を煮やしてか、ちよは肘であさひを突く。

「ほら、ぼさっとしてないで他の『ストーナー』を探すわよ」

 ちよは己の胸の前に手をかざすと、『決晶』を取り出して手のひらの上に浮かせた。

「こうやって自分の『決晶』を使って念じると、どこに『ストーナー』がいるか大体わかるわ」

「それって、誰が『ストーナー』かは断定はできないってこと……?」

「……ぶつくさ言ってないで、あなたもやる!」


 ちよが急かすからあさひも慌ててちよの真似をする。『決晶』を出して目を瞑り念じれば、確かにまぶたの裏に遠近様々な淡い光が浮かび上がる。これが他の『ストーナー』ということだろうか。


「わあ……」

 その光景にあさひは感激した。見とれるほどに綺麗だったからだ。動いているものは歩いている人なのだろうか? 止まっているものは自分たちと同じように他の『ストーナー』を探していたりするのだろうか?


「……その様子だと、ちゃんと力は使えるみたいね」

「うんうん。それで、この中から『決晶』をくれる人を探せばいいんだよね」

「そう簡単にはいかないわ。話が通じる相手とは限らないし、何より『ストーナー』という時点で相手も願いを持ってる。だから最悪……」

 ちよは言いかけて、突然殺気立った。


 同時にあさひのまぶたの裏を眩い光が覆い尽くす。

「危ない!」

「えっ?」

 ちよに突き飛ばされてあさひは屋上のタイルを滑り転ぶ。衝撃が大きい。何かと思い目を開けば、信じられない光景が目の前に広がっていた。

 少女がひとり、廃ビルの屋上を破壊しながら拳を打ち据えていた。

「……あなたが新しい『決晶』の持ち主ね。花邑あさひさん」

 少女――春待まりあは青く燃える拳を握り締めて、あさひをじっと睨みつけた。



「……春待は、私のことをとっくに諦めたんじゃなかったの?」

 ちよは臨戦態勢を取りながら『決晶』を体内にしまった。代わりに小さな月のようなものを手のひらに浮かび上がらせてまりあから距離を取る。

「望月さんのことは諦めました。でも、花邑さんのことは

 その言葉にあさひはぞくりとする。他でもなく、真剣そのものの殺気を向けられたのは初めてだったからだ。まりあの圧に膝はがくがくと震え、身体がすくみ上って身動きが取れなくなる。

「ご、春待さんも『決晶』集めするような願いを……?」

「あなたに説明する義理はありません!」

 まりあはそのままあさひ目掛けて突進すると、燃える拳を振り下ろそうとする。だからとっさにあさひはその攻撃を避けた。

 あさひを掠めた衝撃はそれだけでコートの表面を引き裂いた。


 ――春待さんは、危険だ。


「望月さん、逃げよう!」

「ええ、そうしましょう」

 あさひは手をかざして花を出すために念じる。その背中を狙うまりあとの間にちよは滑り込み、まりあの追撃を食い止めた。

「邪魔をしないで、望月さん!」

「これは防衛よ」

 ちよは手に出した小さな「月」をまりあへ投げつける。「月」はまりあの拳に当たると、拮抗して彼女の足を止めた。

 一方、あさひがやっとのことでたくさんのチューリップの花を出すと、その花々はゆっくりとビルの下へと舞い降りていく。

「望月さん!」

 そうしてあさひはビルから飛び降りると、一段一段駆け降りるように花を踏んで地面へ着地した。ちよもそれに追従する。あさひが裏路地へ着地すると、繁華街の方めがけて走って逃げようとするが、その背をちよが掴み引き寄せた。


 あさひの目の前で地面が弾けた。

 まりあだ。まりあが屋上から拳を振り下ろして落下したのだ。力だけでもすごいが、その技量と度胸にあさひは圧倒された。


「……ふうん。花邑さんの能力は、お花を出すだけの力なんですね」

 チューリップの白い花びらが舞い散る中、まりあはその包容力のあるはずの顔を歪めると、くつくつと笑い始めた。

 瓦礫の中でゆっくりまりあが立ち上がる。そして胸に手をかざすと二つの『決晶』を目の前に浮かせた。


「私の能力……『クリスマス・プレゼント』は、私の拳を食らった相手を破り捨て、中から『決晶』を無理やり奪う」

 そしてあさひたちを見据え、表情を失った顔でつまらなそうに言い切った。

「まるで、聖夜の朝に置かれた箱を子供たちが勢いよく破り捨てて中身だけ取り出すように」

 あさひの背筋がぞくりとすくみ上る。


 だって、それが意味することは。


「……春待さんは、二人も殺したってこと……?」

「そうですよ、花邑さん」

 まりあは淡々と答える。まるで罪悪感を欠片も抱いていないような振る舞いだった。

「だから私はあと一人殺せばゴールです。願いを叶えるのは私です」

 独白と共にまりあは再び「人を殺すため」の構えをする。その標的は間違うこと無くあさひへ向けられていた。

 その迫力に気圧されたあさひは身動きが取れなくなる。


 ――このままだと、殺される。


 だからといってあさひの能力は人を殺せるようなものではない。花を出すだけで何ができるというのだ。

「最後の一人になってくださいね、花邑さん!」

 まりあが地面を蹴る。その拳はものすごい勢いであさひへ近づいてくる。

 自分はもう殺されるだけでしかないのだと悟ってしまったあさひは、立ち尽くしたままその「死」を待つだけの存在になっていた。


 怖い。でも、「殺すよりはましかもしれない」。

 そんなことを思っていた。

 その刹那。


「その信念の在り方は『決晶』のように美しいのでしょうね。でも」

 まりあからあさひを庇うように、ちよは二人の間に入って宣言する。

「……あなたのそれは、塵芥ちりあくたと同じよ」

 そしてまた二人の力は拮抗する。空気を揺さぶるような衝撃波を放ちながらぎちぎちと音を立てて拳と「月」はかち合った。

「負けるのはあなたの方です、望月さん!」

「私はその程度のたまじゃない。わかっているでしょう? 私を諦めて逃げ回ってた、春待!」

 二つの力が真正面からぶつかって弾ける。その衝撃を避けるように二人は飛び退き間合いを見極めるようにして向かい合った。あさひはそんな二つを見ているしかできなかった。

「……あさひは私が守る。守り続ける。それは春待にとって都合の悪いことでしょう? だから諦めてくれないかしら」

「そ、そう……お願いします。わたしはただ、『友達』が欲しいだけだったんです……」

 あさひの言葉を聞いたまりあがぴたりと動きを止める。


「……へえ、花邑さんも『同じ』なんですね」


 意外なまりあの言葉に、あさひはぽかんと口を開けた。





 ずっと前から「友達」が欲しかった。


 委員長、委員長とまりあを慕ってくれる同級生は数多くいた。情けない子も、しっかりした子も、みんな平等にまりあは面倒を見た。

 だけれどそんなことを積み重ねるうちに、まりあはあることに気づいてしまう。


 ああ、私は、「委員長」になってしまった私には、「対等な友達」などいないのだと。


 他のクラスの委員長はいわば「同僚」だった。だから問題解決の相談こそすれど、個人的な他愛のない会話などできないでいた。

 通信端末からネットワークに繋がれば仲のいい人は次々現れた。しかし、会ったことの相手を果たして友人と呼べるのだろうか? 私が友人だと思っていても相手は友人だと思っていないかもしれないのに? オンラインにいることは多少の慰めになったが、あくまでそれだけで、いつの間にか心にぽっかりと空いた大穴を埋められるものではなかった。

 会いたかった。友達に出会いたかった。できるなら私を裏切らないで、他愛のない話を延々お互いにしたかった。

 そういう関係を、まりあは「友達」と呼びたかったのだ。

「……ねえ、花邑さん。花邑さんと私。願いが同じ者同士、友達になりませんか?」

 ぽろりと、零れ落ちるようにまりあのが口をついて出た。


 誰でもよかった。何よりあさひは「都合が良かった」。転入生だし、まりあとは違う意味で「異質」だったからだ。


 まりあの突然の提案に、あさひは目に見えて困惑を滲ませた。それもそうだ。「友達」になるには、「対等」になるにはお互いの歩み寄りが必要だ。だからあさひが戸惑っているならまりあも歩み寄らなければならない。


「花邑さんが望むなら、私、登校の時間を合わせます。お昼だって一緒に食べる。恥ずかしいけれど、秘密のお話だってしたい。どうですか。悪くないと思いませんか?」

 あさひはまりあの言葉を聞いてぴたりと微動だにしなくなる。まだ決定打が足りないのかもしれない。

「お誕生日だってお互いにお祝いする。お揃いのキーホルダーを持つのだっていいかもしれません。休み時間ごとにおしゃべりしましょう。だから」

「わ、わたしは」

 あさひはまりあの言葉を遮った。遮られたことに心の何処かでむっとしながら、この程度で怒っていては友達になれないと言葉を呑む。

 しかしてあさひの口から飛び出した言葉はまりあの期待を裏切るものだった。


「わたしは自分の願いのために人殺しをするような人とお友達にはなりたくない……」

 致命的な一言だった。まりあの中で何かが音を立てて割れた。

 代わりに溢れたのは哄笑だった。とめどなく口から出てくる笑い声は留まることを知らず、次第に涙声が混ざって高笑いへ変わった。

 前にいる二人の気配が珍奇なものを見る目に変わるのがわかる。

 やめろ。そんな目で私を見るな。

 友達にもなってくれない癖に。

「じゃあ、決まりです」

 自分から感情が消えるのがわかる。その変化を察したのか、ちよがあさひを庇うように立ち位置を変えた。


 あと一つ? 知ったことか。私はもう決めたのだ。

「私は! 『決晶』を集めて! 『本当の友達』を手に入れる!」

 拳に力を籠め、弾かれるように飛び出した。

 「二人とも」殺すために。

「死んじゃえ!」

 まりあの動きに反応したちよが「月」を溜めて拳にぶつける。

 再び力は拮抗する。まりあも本気だし、ちよだって本気だ。

 だけれどちよの真価はその立ち回りの巧みさにある。これまでまりあはそれに翻弄され、彼女から『決晶』を奪うことを諦めた。だが今のちよはあさひを守ることに重点を置き、その動きを制限されている。真正面からのぶつかり合いであれば――単純な暴力なら、まりあの方がずっとずっと上手だ。

「はぁああああああああ!!!!」

「ぐっ……」

 ちよの足元のアスファルトが割れる。骨が軋む音がする。

 これなられる。

 まりあがそう確信し、「月」を砕きながら拳を貫こうとする。

 ちよを潰そうとする。

 その時。


「やめてぇぇぇええええええええっ!!!!」

 あさひの絶叫がこだまして、まりあとちよの間に大輪の赤いカランコエが咲く。

 そしてその花から茎が伸び。

「っ、え……?」

 焼けるような熱さと共にまりあの腹を貫いた。

 ぱりんと音を立てて、まりあが手に入れた二つの『決晶』が砕け散る。





 そしてまりあは膝から崩れ落ちる。彼女が地に伏すと同時に花は散り、血と花びらが混ざりながら地面を汚した。

 鼓動と共にまりあの背中からは鮮血が噴き出し、彼女の衣服を汚していった。

 虚空から現れたまりあの『決晶』はあさひの元へふわりと浮かんでやって来て、胸の中へとすうっと消えていく。

 あさひは荒くなる呼吸を落ち着けながら、次第に事態を把握して混乱し始めた。

 わたしが、春待さんを刺した?

 まりあを貫いたのは間違いなくあさひが出した大輪の花だ。それがまりあを傷つけたのだ。

「て、手当て……手当てしないと……」

 動揺しながらあさひはまりあを抱き起す。すると起こされた真理亜の口からこぽりと音を立てて血の塊が溢れてきた。

「ひゃっ……」

 血まみれになった自分の手を見てあさひは更に混乱する。まりあの出血は止まったが力の抜けた体は鼓動も呼吸も止んでいた。

「嘘……」

 まりあが死んでいる。それを認識した瞬間、あさひは自分の頭のてっぺんからさあっと血の気が引いていくのを感じた。

 手が震えて思わずまりあを突き飛ばしてしまう。ごとりと音を立てて横たわったそれは微動だにしなかった。

 あさひは血まみれた手をぶるぶると震わせながら尻餅をついて後退る。

 わたしが、ころした。

「まりあちゃんっ!」

 悲鳴に似た叫び声と共にやってきたのは見覚えのある姿だった。


「葭本さん……」

「まりあちゃんっ! まりあちゃんっ!」

 必死の形相で駆け寄ってまりあの死体を揺さぶっているのはクラスメイトの葭本ゆうゆだ。たしかまりあとゆうゆは寮で同室だったはず。

 まさか、ずっと見ていた?

「夜は危ないって、あたし言ってたよ……?」

 動かなくなった彼女を抱きしめながら、ゆうゆは嗚咽を漏らして涙を零した。その様はどう見ても悲痛で、見ていて心が締め付けられる。

 あさひもちよも泣きじゃくるゆうゆを呆然と見ていることしかできなかった。

 しばしのち、あどけないはずの顔立ちを夜叉のごとき形相に変貌させたゆうゆは、あさひを睨みつける。

「……転校生が、まりあちゃんを殺したんだね」

 その言葉にあさひははっとする。

「ち、違う……わたし、殺そうとなんてしてな……」

「人殺しで嘘つき! あたし、見てたんだからっ!」

 ゆうゆはまりあを抱き立ち上がると、きつくきつくあさひを睨みつける。


「あたしは、転校生を許さない」

 ぞくりとした。ゆうゆが投げてきた殺意は、まりあの何倍も濃く深いものだったからだ。


 殺される。直感的にそう思ったが、ゆうゆはどうやら『ストーナー』ではないらしい。まりあで手をいっぱいにした彼女は「殺してくるかもしれない相手」よりも「殺されたルームメイト」を強く想っているようだ。

 だからあさひとちよに背を向けて、その場を立ち去って行った。

 あさひは脱力し、地面に倒れかける。そして声を上げて耐え切れずに泣き始めた。


 自分が人を殺した。人に恨まれるようなことをしてしまった。

 まりあはもう生きていない。そうしてしまったのは自分だ。

 罪悪感に耐え切れず、あさひの心が暗いものに塗り潰されていく。


 泣きじゃくるあさひの元へ、凛とした声が唐突に上から降ってきた。


「……あなたがいなかったら、私、死んでたわ」

 ちよだ。あさひはきょとんとした顔で思わず彼女を見上げる。

「春待は私を本気で殺す気でいた。だから、あなたがあそこで能力を使ってくれなかったら、今死んでたのは私だった」

 訥々とちよは続ける。その言葉は真実だろう。同時にあさひを心配してくれての言葉だ。

 冷え切っていたあさひの胸の中をじわじわと暖かいものが満たしていく。


「……『フルブルーム』っていうのは、どう?」

「えっ?」


 流れを切ったのもまたちよだった。突然の言葉にあさひはきょとんと首を傾げてしまう。

「その、あなたの能力の名前……」

 ちよは恥ずかしそうにしながら声をどんどん小さくしていく。どうやらあさひのあの花たちに名前を付けてくれようとしたらしい。

「ふふ、あははは!」

 その素直な名づけにあさひは思わず笑ってしまう。

「ちょっと……ネーミングセンス、気にしてるんだからあんまり笑わないで」

「違うの望月さん。望月さんがわたしのために考えてくれたのが嬉しくって」

 目尻に浮かぶ涙を拭いながら、あさひは心底感謝した。

 だってあの隙が無いように見えたちよが、あさひのために気を紛らわすような言葉を選んでくれたのだ。嬉しくないわけがない。


「……ありがとう、望月さん」

 あさひの言葉を聞いたちよははにかみながら、鮮血のような花びらが残る地面へ視線を落とした。






「……まりあちゃんっ……まりあちゃんっ……!」

 血が抜けて随分と軽くなったまりあの亡骸を抱きしめながら、ゆうゆは桜の木の下で声を殺して泣いていた。学校のロータリーにある大きな桜の木だ。ゆうゆはそこまでまりあの死体を誰にも渡さないとでも言うように引きずって逃げてきた。

 まりあは冬空の下冷え切って冷たくなっていた。だらりと弛緩した手足は大地にしなだれ、口はぽっかりと開き、薄く開いた双眸は光を映さない。

 それが「死」であると認めたくなくて、ゆうゆはまりあの身体を揺さぶりながら固く固く掻き抱いた。


 まりあはあの二人に殺されたのだ。何が起きたかわからないが、ゆうゆの目の前でまりあの身体は貫かれ、膝から崩れ落ちて動かなくなった。ゆうゆの呼びかけにも答えない。ゆうゆが肩を叩いても反応が無い。

 それが苦しくて、ゆうゆの思考は飽和していた。

 どうすればいい? どうすればまりあはまた自分を見てくれる?

 そんなことばかりが頭をぐるぐると取り巻いて、大事なことをすっかり忘れていたことに気づく。


「あっ……警察……それとも、救急、呼ばなきゃ……」

 震える手で通信端末を取り出し電話をかけようとするが、冷え切った指はまともに動いてくれなくて非常電話のボタンが押せない。「警察」。「救急」。その言葉を意識すればするほどに手はがくがくと震え、ついには端末を落としてしまった。

 弾んでアスファルトへ転がって行った端末を取ろうと手を伸ばすと、不意にそれは誰かに取り上げられる。


 見上げるとそこにいたのは、自分と同じ制服を纏った髪の短い少女だった。

「返して……」

 回らない頭でゆうゆは端末へ手を伸ばす。早く連絡すればもしかしたらまりあは。そこまで考えて思考は止まり、唇がわなわなと震え始める。


「返して、って、その子の命を?」

 少女は藪から棒にそんなことを言った。その言葉にゆうゆの頭の芯は冷え切り、何も考えられなくなる。

 ゆうゆの表情の何がおかしかったのか、彼女はくすりと微笑み、ゆうゆとまりあの傍らにしゃがみ込むと傷ついたまりあの手を優しく握った。

「もしかしたら僕好みかな、って話しかけたんだ」

 慈愛に満ちた表情でまりあの手を撫でると、はい、と彼女は通信端末をゆうゆに渡す。反射的にゆうゆは受け取り、同時にまりあに優しくしてくれたというその様子だけで心が揺らいでしまった。

「……ありがとう。あたしは葭本ゆうゆ。あなたは、何年生ですか?」

「えへへ。可愛い名前だから余計気に入っちゃた。殺意を持ってるのもいいね」

 殺意。その言葉にゆうゆはどきりとする。少女の真意を図りかねて目を見張れば、いたずらっぽそうに細められた瞳がゆうゆを見つめ返してきた。


「だって大切な『お友達』が奪われちゃったら『本当のお友達』だったゆうゆちゃんは悔しいもんね」


 「お友達」。「悔しい」。少女に言われた言葉を咀嚼する。ああそうだ。自分は今悔しいのだ。その事実を再認識して、その矛先はさっき見た花邑あさひへと向いた。

 あいつがまりあちゃんを殺したように、あたしが転校生を殺してやる。

 そんな反道徳的な思考が脳裏をよぎり、拭えなくなって静かに根付きそうになる。

「その子を殺した子を、殺したいって思ってるんじゃないかな?」

 少女の言葉は決定的だった。殺意を肯定されてしまった。


「殺し、たい……」

 殺したい殺したい殺したいまりあを殺したあの子を殺したいあの子を殺せるならなんだってする死刑にされたっていい自分が死んだっていいなにがなんでも転校生を殺してまりあを蹂躙したようにぐちゃぐちゃになるまで殺してやる。


 湧き上がる殺意は止め処なかった。溢れて止まらない感情にゆうゆは困惑し、しかし次第に決意を強めていく。

 その決意を後押しするように、少女はそっと耳元で囁いた。

「だからねぇ、僕もきみにプレゼントをあげたい、って思ったんだよ」

「プレ、ゼント……?」

 少女の言葉はわからない。だけれどそれは「真実になる」のだと妙な確信があった。

「……なんでも願いを叶える『決晶』、きみも欲しいよね」

 そう言うと少女はゆうゆの胸の前に手を添えた。胸が奥から熱くなる。そうして少女がゆっくりと手を引くと、キラキラと輝く結晶がゆうゆの前に現れ輝きだした。

 それは、まりあがあの二人に奪われたものとよく似ていた。

 どくんと心臓が跳ねる。覗き込んだ時、断片的に聞こえたまりあたちの会話を思い出す。「三つ集めれば願いが叶う」、だっただろうか。だとすれば「まりあを生き返らせることもできる」のだろうか?

 同時にゆうゆは理解する。今この瞬間自分に「力」が与えられたことを。転校生を「殺すための力」を手に入れたことを。


「あっ、ああっ……!」


 逡巡し状況を飲み込んだことを認めただろう少女は、ゆうゆの様子を見てくすくすと笑いながら立ち上がった。

「せっかく挨拶してくれたのにこっちが忘れちゃった。失礼だけど怒らないでほしいな」

 そして少女はスカートを摘まみ上げると、まるで童話のお姫様のように頭を垂れておじぎをする。


「僕はぎんか。星見ぎんか。よろしくね」

 幻想的な名前をした少女は、天使のようににっこりと微笑んだ。





 後姿を眺めながら、ぎんかは桜の木の枝に腰を掛け、にこにこと遠くを見つめる。

「……お友達の前に敵が増えちゃったね、あさひちゃん」

 その様子は言葉とは裏腹に大層楽しそうで、あさひを心配しているようには到底見えなかった。

 ふと、感情を削ぎ落したように表情を消すと、ぎんかは遠くの星々を見つめる。

「朝は夜の終わりを告げる。逆に、夜になったら朝は終わっちゃう」

 夜は更け、もうすぐ東雲がやって来るだろう。そうしたらすぐに朝はやってくる。今は光るたくさんの星々も、煌めきも、朝になれば月すら残さず消えてしまう。

 ぎんかはその時が来るのを心底楽しみにしていた。

「『お友達』になれるの、楽しみにしてるよ、あさひちゃん」

 そう言うとぎんかは枝から飛び降りた。

 

 雪に足跡がつく前に、その姿はすっと世界から消えている。






「あさひちゃん……」

 家の自室へ戻ったちよはベッドの上に制服のまま転がりながら、体を丸めた。

「……また一緒に、なることができた」

 思い出すのは幼少期のこと。その記憶の中には、幼い姿のあさひがいる。そしてちよもいる。

 あさひはもう覚えていないだろう。それくらい昔の話だ。でもちよはその思い出をずっと抱きしめて、再会を望んでいた。

 そしてそのためにちよは『ストーナー石ころども』になったのだ。

 あさひが『ストーナー』になったと知ったときはどうなることかと思ったけれど、今のままなら何とか守り抜くことができそうだ。

 薄目を開けてちよはうっとりと一枚拾った赤い花びらを見つめる。

 脳裏に浮かぶのは別れ際に見たあさひの笑顔。そして子供の頃「ちよちゃん」と呼んでくれていた彼女の屈託ない笑顔が重なって見える。

 それがまた自分の手の届くところにやってきた。あいにくあさひはちよのことを忘れてしまっていたようだけれど、それでもその結果に大層満足していた。あさひもいずれちよのことを思い出す日が来るだろう。

「あさひちゃん……私、あさひちゃんの願い、絶対叶えてあげるからね」

 ちよの決意は固かった。そもそももう、ちよにこれ以上の『決晶』は必要ない。


「私の願いはもう、『叶えた』から」


 そう言ってちよは満足そうに目を瞑った。

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花月星臨~少女たちの願望戦争~ 一野瀬 遥斗 @ichinose_haruto

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