第6話『シオ、助けに行く』

 分厚いカーテンで日差しをさえぎった薄暗い部屋の中、レア・アートマンはいつもの折檻せっかんを受けていた。少女は既に赤くなった頬を張り飛ばされ勢いのまま床に転がる。

「う……」

 斬刃を易々やすやすと扱う彼女が抵抗しない理由は、相手が血も涙もない恐ろしい男たちだからだ。

 アーチボルト・レオンは冷たい瞳でレアを見下ろし、己の背後で一人用のソファに深く腰掛けている主人に目配せをする。

「アルコルが見つけた新人に遅れを取ったと聞いているぞ」

「……申し訳ございません」

影の中、顔も見えない主人は決まってレアに溜め息をつく。

(もう少し成果を出せば、でしょ)

「お前がもう少し成果を出せればこんな扱いなどせぬと言うのに」

(ほらね)

レオン将軍の主人たるアルクトウロスは白髪混じりの金髪を後ろへ撫でつけた。

「レオン」

「は」

「お前の目から見てそのシオと言う娘はどうだ? 特異なものはあるか?」

「今のところはほかの高域帯の小娘と変わりありません。しかし」

言葉を切ったレオン将軍はチラリと項垂うなだれるレアを見やった。

殿が目をかけている時点で、他の小娘にないものがあるはずです。お恥ずかしながら報告できるほどの見極めはできておりません」

「そうか。ではシオに私を売り込んでおけ。よく世話をしてやるぞ、とな」

「は」

 レアは嫉妬と恐怖で心が真っ黒になりながら、唇を噛みちぎりそうなほど食いしばった。




 シオ・タマカズラはベンチの上でぽわっと口を開いてあくびをして、その隙にアリザから寝覚めのチョコレートを放り込まれた。

「もぐ?」

「寝起きがシャッキリしない時は甘いものが一番よ」

 シオは年相応にへにょっと笑い、アリザの好意をありがたく味わう。

 今日はボレアス派のレオン将軍やレアを始めゼピュロス派もノトス派も関東D地区にいない。そもそも姫巫女たちがシオにちょっかいを出しに訪れていただけなので、いい加減己が担当する仕事場に連れ戻されたようだ。

ひちゅもん質問なんれひゅけおですけど

「んー?」

 シオは口の中にへばりついたチョコレートを唾液で流し込み、廊下の突き当たりに存在する木製の大きな扉に目を向けた。

「今日も任務なんですよね?」

「そうよ」

「その割には出発がゆっくりですけど」

 オーガスタス隊長とナミは朝早く所長室に呼び出され、バディの片割れたちは廊下のベンチで長いこと待たされている。

 他の小隊は朝食など終わって訓練や任務に出かけたのにサファイア隊はいつまで経っても食事にすら行けない。シオがカロリー不足であくびをするのも無理はなかった。

「お腹空いた……」

「あたしもー」


 二人が揃ってあくびをするとオーガスタスと黒マスク黒キャップのナミがやっと出てきた。

 シオはいつもならナミの隣に立って手を繋げばそれで満足なのに、空腹だからなのか下腹部がうずうずしてナミにしがみつきたかった。さすがにそれは恥ずかしいかな、と少女は自分の手首をきつく握ってから立ち上がった。

「おはようございまーす」

「おはようリザ、シオ」

「おはよう」

「おはようございます。打ち合わせ長かったですね」

「ああ。今日は少し変わった任務、いやシオが来てから初めてだな」

「あー、やっぱり」

「ん?」

「とりあえず食堂行きましょ」


 人の少ない食堂へサファイア隊が足を踏み入れると九時を過ぎていた。

各々の朝食を手に丸テーブルに座ると早速オーガスタスが任務が表示されたタブレットを見せてくる。

「読むのはざっとでいい」

「はい」

 斜め読みを始めたシオの目に飛び込んできたのは救出と言う文字だった。隊長用の指示書だからじっくり読んではいけないのだろう。シオはオーガスタスが急かす右手にすぐタブレットを返した。

「救出ですか?」

「そうだ」

首を傾げるシオを横目にアリザとナミは黙々と食事を進める。

「詳しいことは作戦室でね。ここではダメよ」

「了解です」


 場所をシオの中ではお豆腐ルームと称されるサファイア隊の作戦室に移し、オーガスタスは本日の任務の詳細が明かす。

「秘密作戦、ですか?」

「そうだ。表向きは隊員の救出作戦、実際は斬刃の回収だ」

「……任務内容を表向きと裏向きで変える理由は?」

「現場に行けばわかることではあるが、ここで言うなれば……そうだな」

 オーガスタスはあまり口に出したくないのだろうか。溜め息をついた。

「大概は遺体の回収と同義だ」

シオの顔からさっと血の気が引いた。

(遺体……)

 まだ黒マスクでいるナミは彼女の顔が青ざめたことに気付き、すぐに手を握った。

「……ナミさん」

「最後まで聞いた方がいい」

「は、はい」

 シオが視線をオーガスタスへ戻すと隊長はうなずいた。

「担当地区が救助要請を受けたものの何らかの事情があってすぐ助けに向かえない場合がある。そう言った時に出動するのが我々サファイア隊のだ」

「……じゃあこの前みたいな配給は……」

「任務としては多くない」

「ああ……」

 シオは新人だから最初だけ配慮されたのだ。

(最初からこの任務だったらきっと怖くて逃げ出してた……)

 彼らはこの生活に慣れる時間をくれた。シオは周囲の気配りに感謝し、覚悟を決め顔を上げる。

「場所はどこですか?」

「関東A地区に近い、地区の境界付近だ」

オーガスタスは任務の詳細データを隊員全てに配る。

「ずいぶん南ですね」

「ああ。途中までは他の隊の輸送車に同乗させてもらい、乗り継いで現場に向かう。現場に着くには一日半かかるだろう」

「え、そんなゆっくり……?」

 救出と言うにはずいぶんのんびりしている。しかし表向き、と言う言葉を思い出しシオはハッとした。

(そっか、救出できる見込みがほとんどないんだ……)

 生死不明だから救出と銘打っているだけに過ぎない。そう思うとたまれなくなる。

「出発は一八三○イチハチサンマル時。集合場所はここ、サファイア隊作戦室。それまでに軽く訓練も行い、英気を養っての出発となる」

「イェッサー!」

「では解散。ただちに訓練場Bにて再集合」

「イェッサー!」

「……そう気張らなくていいぞシオ」

「頑張ります!」

「頑張らなくていいんだってー、シオちゃん」

「まあ、気合が入っているのはいいことだがな」




 日がかげる頃、シオは遠出をするエメラルド隊の輸送車に乗り込み出発を待った。相変わらず噂の新人であるシオに話しかけようとする浮ついた四期生は多い。だがシオはこれから生死不明の隊員を行かなければならなくて、話しかけられても上の空だった。

どんな人なのか。

死ぬときは怖かっただろうか。

もし生きていたらどう声をかければいいのか。

そんな風にシオがぼんやりと考えているとサファイア隊は装備を整えとうに揃っていた。

(はっ)

「サファイア隊、点呼」

「一」

「二」

「三」

「四。全員を確認。エメラルド隊の点呼を確認後、ただちに出発する」

「イエス、サー」




 シオは輸送車の中で揺られ、眠気を覚えた後記憶が飛び、気付いたらナミを膝枕に横になっていた。

(男の人に膝枕されるの初めて……)

 そう考えた瞬間、いや、初めてではなかった気がする。ともよぎった。

 畳の上、大人の男が幼い自分に膝を貸している。その人は家族で……。

(多分、お父さん……)

「シオ」

 ナミから声をかけられシオは完全に目を覚ました。

 かけられたモスグリーンの厚く硬い毛布を持ち上げ、シオはナミに振り向いた。

「ごめんなさい、膝……」

「構わない」

 ナミは青いシールドの黒いヘルメットを付けたままうなずいた。

 シオはナミの肩にも毛布をかけてぴったりと寄り添った。ナミは柔らかい彼女の体が当たって緊張する。シオはナミの腕と自分の腕を組んで彼の肩にもたれかかり、これから迎えに行く隊員について再び頭を悩ませた。

心頭滅却しんとうめっきゃく心頭滅却しんとうめっきゃく……)

「……夢でも見たのか?」

「はい?」

「寝言を言っていた」

「え、本当ですか? 私はなんて?」

「……きちんと聞き取ったわけじゃないが……」

ナミは言葉を選んでいるのかうつむいて静かになる。

(そう言えば日本語じゃなかった、か……?)

 違和感を覚えた。意味はわかった気がするのに、具体的に思い出そうとすると夢のように消えてしまう。

「……いや、やっぱりよく分からなかった」

「ふーん……?」

なぜ内容を伏せられたのかわからずシオは首をかしげた。

 シオがやっと周囲に意識を向けると、エメラルド隊の隊員と新芽たちも揺れる輸送車の中でうたた寝をしている。数人は起きたままで、タブレットで読書をしていたりゲームをして暇を潰しているようだ。

(静かだな……)

 シオを挟み反対側に座っているアリザはオーガスタスの肩でよだれを垂らしながら爆睡しており、オーガスタスは紙の本で読書をしている。

「……アリザさんも寝てる」

「リザは枕があればどこでも寝れる」

「タフですねぇ」

「そのうち隊長の膝でいびきかき始めると思うぞ」

「タフ〜」

 シオは自分もヘルメットを被っておこう、と栗色の髪を結び始める。

 ふいにナミが彼女の髪を一筋すくった。ナミ自身も、無意識に手を伸ばしてしまったのだろう。二人はきょとんとして見つめ合った。

「あっ……わ、悪い」

「い、いえ……」

 何となく目の前の景色をぼんやり見ていたエメラルド隊の四期生は予期せぬアオハル事件に反応し、当事者以上に緊張した。

「……ナミさん結んでくれますか?」

「え?」

「えっ!?」

二人に振り向かれ、スイマセン、とエメラルド隊員は己の口をおおった。

「……し、したことないから……」

「ヘアゴム結ぶだけですよ」

三つ編みを終えたシオはヘアゴムを相棒に手渡し背中を向ける。

「はいどうぞ」

 ナミは困惑の沈黙ののちヘアゴムを受け取ってシオの髪に手を伸ばした。やったことはないと言いつつもそれなりに器用なナミは三つ編みを綺麗にまとめ上げた。

「簡単でしょ?」

「ま、まあな……」

「ふふ」

 シオは三つ編みをさらに巻き付け、うなじに団子を作ってヘルメットに仕舞い込んだ。

「ナミさんは私の髪好きに触っていいんですよ」

「くっ」

その不意打ちはずるい。ナミはシオに手の平を向けて視界を隠した。赤くなった顔なんてヘルメットで見えないのに。

「……なに? この青春」

エメラルド隊員のつぶやきは輸送車の走行音に消えた。




(ろくに眠れなかった……)

 一度男女を意識するとかえってギクシャクするものだ。

 ナミは寝不足と隣で眠るシオの二の腕の柔らかさのことで頭を重くしながら、火を囲むオーガスタスとアリザの元へ向かった。

「おはよーナミ」

「おはようリザ。隊長、おはようございます」

「おはよう」

 ナミは黒マスク越しにグッとあくびをこらえて背後で支度を整えているシオを見やった。

「寝不足か? 珍しい」

「ちょっと眠れなくて……」

 朝日の下でシオの栗色の髪が透けて金色に輝いている。まぶしいな、と彼は思った。

「ああー、ハハン?」

 アリザのニヤついた言い方に振り返ると、彼女は美女らしからぬだらしない笑みを浮かべていた。

「青春? 青春しちゃったー?」

 茶化す態度にムッとしたナミは言い返そうとして、背後から現れたシオの柔らかい手に驚いて息を飲んだ。

「っ!」

「おはようございます八月さん、アリザさん」

「おはようシオちゃーん」

「おはよう」

シオはナミの肩に置いていた手を滑らせて彼の隣に腰掛けた。

「ナミさんおはようございます」

「……うん」

心臓が止まるかと思った。うるさい心臓を落ち着かせるのに数分はかかりそうだ。

「どうしたんですか?」

「……何でもない」


 エメラルド隊はこのあと配給へ向かうため、サファイア隊は大振りな荷物を下ろし始める。

「まだ遠いですよね」

「このあとエメラルド隊のトラックを借りる」

「本当ですか!?」

「一応は救助隊だからな。相手を運べないと困る」

「ああ、そうですよね」

 オーガスタスは軽量を積む軍用トラックを借り、ナミたちは引き出された小さなトラックに荷物を積み込む。

「点呼」

「一」

「二」

「三」

「四。全員を確認。ナミとシオは荷台へ。アリザは助手席だ」

「アイサー」

「イエッサー」


 荷台の毛布の上で二人きりとなったナミとシオは普段以上に密着していた。ナミの脇にシオがすっぽりと収まり、鼓動すら響くほど。

「……シオ」

「はい」

「ち、近くないか……?」

「え? あ、ごめんなさい」

離れた方がいいのか、と腰を浮かせたシオの腕をナミは慌てて引いた。

「いいいい、いや、そうじゃなくて」

「え?」

「いや、いい。隣でいいんだが、その……」

もうちょっと、とナミはシオの位置を決めて背を向けるように座り直した。

「うん?」

くっついている距離は変わらないのにどう違うのだろうか、とシオは首を傾げた。

「ナミさん今回どうしたんですか?」

「こっちのセリフだ。今日はやたらとスキンシップが多いぞ」

「そうですか?」

(無意識なのか……)

「……クラスメイトにもこう言うことしたのか?」

「まさか。ナミさんだけです」

 話す間にもシオは背後からナミの腹に腕を回していてピッタリと密着する。背中に柔らかいものが当たっていてナミの鼓動は早くなる。

「……そう言う、ことをすると勘違いされるぞ」

「何がですか?」

「俺だけ、とか。その……男にそう言うことを言うのはあんまり……」

「ん?」

肝心なことは伝わらないらしい。

全く鈍いのかあざといのか。

 ナミはこのままではダメだ、と少女の腕を引き剥がして体ごと振り向いた。

「いいか。普段から男と女の性差は意識しろ」

 偉そうなことを言って、ナミもこれが初めてだ。これまで恋をする暇もなかった。ただ生きるのに必死で。

 きっとオーガスタスから注意を受けるのは自分だろうし前もって壁を作っている。ずるい奴、と自嘲じちょうする。

「でも」

でも、やっぱりシオの海色の瞳はどうしようもなく美しくて困る。絹糸のような栗色の髪も。

「私にとってナミさんは唯一ゆいいつの人なんですよ」

運命という言葉は嫌いだ。偶然に対する都合のいい解釈だから。それでも、もし運命が転がっているなら彼女がいい。

「ナミさん」

シオは彼の首に腕を回した。

「私ナミさんが」

「やめてくれ」

ぐちゃぐちゃの感情になっている自分が情けなくて仕方ない。恋ってもっと輝かしいものじゃないのか? 額を押し付けたシオの首筋は甘い匂いがした。

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【長編】斬刃(きじん)の姫 ふろたん/月海 香 @Furotan

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