第5話-2

 昼の休憩となり新兵のシオは食堂にてあわや派閥それぞれの姫君に囲まれるところを、オーガスタスの機転により収容所の外へと連れ出された。

 保護区ではないものの街には様々な人が通り、日常生活をしている光景が見られてシオは胸を撫で下ろす。

「普通の街も、あるんですね」

「ここを守るのもあたしたちの主な仕事」

「……そうですね」

 防護服ではないものの、組織の者たちは共通の濃灰色の制服に袖を通している。ワイシャツの上に幅の違う線が大きく数本入ったジャージのような制服を着た彼らは、軌刃の入った大きなケースを抱えていて、一般市民から見ても特殊部隊の集団だと明白だ。

「飛び出して来たはいいものの何を食うかすら決めてないな」

「はーい、あたしお勧めの店」

「あそこか」

「いやそっちじゃなくて」

「あっちか」

「そうそっち。と言うことで左の道ね」

 アリザに手を引かれて街を歩くシオは隣を歩くナミを見上げた。ナミは鬼の面ではなく黒マスクと黒キャップの姿でシオの視線を受け取る。

「ん?」

「今の会話わかりました?」

「いや、さすがに俺も隊長とリザのは読み取れん」

「通信?」

「二人は訓練生時代の同期だ。ある程度は言いたいことが感覚で通じるんだろう」

「はぇ〜」

「シオちゃん、和食好きでしょ?」

「え? はい」

「和食ならあそこかなぁと思って。次の交差点渡ったらすぐよ」

「ああ、あそこか」

「そ。ナミも二回は連れて行ったかな?」

「馴染みのお店なんですか?」

「店ではなく店主の方がな」


 首を傾げるシオが連れて行かれたのは、古く朽ちた細いビルに挟まれた小さな個人料理屋だった。看板には『与太郎』とだけ書かれており、ビニールに包まれた手書きのメニューが店の前に佇んでいる。

「これはまた古風な……」

オーガスタスが引き戸を開けて暖簾のれんをくぐると「らっしゃーい」と軽快な声が聞こえる。

「おお、八月。相変わらずハワイアンシャツが似合いそうな……」

 厨房と客席を隔てる暖簾のれんから顔を出した初老間近の男性は、アリザとナミに挟まれて入ってきた少女を見ると目を丸くする。

「おやっ」

「新人だ」

「ほお。ああ、席はお好きに」

「座敷にしよう。炬燵ごたつの部類だから脚が下ろせるぞ」

「畳のある料理屋さん久しぶりです……」

 炬燵ごたつ式のテーブルに着くと、シオは体を横たえて畳に顔面を押し付ける。

「イグサだ〜、プラスチックじゃない」

「シオちゃん畳のニオイ好き?」

「好きですー。畳の上で暮らしてきたんで」

「やっぱり古い家なのねえ」

イグサの香りに満足したシオは笑顔で体を起こす。

「和食は一通りあるが、何にする?」

「えっとー」

 表にあった物と変わりないビニールに包まれたお品書きを開くと、シオは魚料理を探す。

「お寿司とかお刺身あったら食べたいんですけど」

「刺身定食がある」

「じゃあお刺身定食にします。ナミさんは?」

「ナポリタン」

「え、あるんですか?」

「ああ、焼きそばみたいなものだがな」

「へーえ」

 品書きをオーガスタスとアリザへ手渡すと、シオは髪をまとめ上げてから手拭きで手を清潔にする。

「おじさーん、あたし唐揚げ定食」

「あいよー」

「ナポリタンと刺身定食を二つ」

「あいよっ」

 厨房を一人で切り盛りしている店主は暖簾のれんの向こうで返事をすると調理に取り掛かる。

「馴染みのお店なんですか?」

「ここのおじさん、あたしの同級生のお父さんなの」

「えっ! アリザさん地元この辺なんですか!?」

「そうよー、第二の故郷。高校の時に転校してきたの。それ以来この辺が地元」

「そうだったんですか」

「でもおじさん、あたしが八月さん連れてきたらすっかり八月さんの方を気に入っちゃって。ヤキモチくぐらい」

「あら」

 料理を待つ間、オーガスタスはタブレットをいじる。ややあって彼はナミとシオの前にタブレットを置いた。画面には名前を書く空欄が二つ、上下に表示されている。

「バディとして正式に登録する。署名しておけ」

「えっ。あ、私でいいんですか?」

シオが真横のナミを見上げると、青年は戸惑うように視線を彷徨さまよわせた。

「むしろ俺でいいのか、と」

「私は、嬉しいですけど。ナミさんだと」

「そ、うか」

ナミは困惑と恥ずかしさを飲み込むと、シオに右手を差し出した。

「……よろしく」

「はい、よろしくお願いします」

握手を交わすとナミはタブレットペンを手に署名を始める。

「いやー、初々しいわねぇ」

「……ひやかすな」

「ひやかしてないわよ。微笑ましいの」

 ナミからペンを受け取ったシオは続いて署名をし、タブレットとペンをオーガスタスに返した。

 オーガスタスはタブレットを操作して書類を提出すると、懐の大きなポケットにタブレットを仕舞い込む。

「そこに入ってたんですか?」

「タブレットの中では小型だからな。入る」

「この制服、あちこちポケット付いてるし種類も多いから便利で、制服膨らんでる人も結構いるのよ」

「ああ、ポケット多いなぁとは思いました」

「鞄を持ち歩くとわずらわしいと言う隊員もいるし、片腕でも荷物で手が塞がるのが嫌だと言う理由も多い」

「ふんふん」


 再び手拭きを使ったシオは肘先をテーブルに置き店内を見渡す。保護区にいた頃の、馴染みのある生活の延長に存在する料理屋をシオが静かに観察していると料理が運ばれて来る。

「はいお待たせ。ナポリタンと唐揚げ定食ね」

「ナポリタンはナミー、あたし唐揚げ」

先に食事が運ばれた二人は手を合わせ箸を持つ。

「いただきまーす」

「いただきます」

「イケメンだけじゃなくて別嬪べっぴんも連れて来たなぁリザ?」

「でひょ?」

 熱々の唐揚げを一つ咀嚼そしゃくしたアリザは同級生の父親に「美味しい」と笑顔を見せる。

「この美少女、シオちゃんって言うの」

「初めまして。シオ・タマカズラです」

「タマカズラ? 変わった苗字だな」

話もほどほどに厨房へ戻っていく店主の背にアリザは声をかける。

「保護区の子!」

「道理で! じゃああっちか! 川向こうの!」

「そうー」

「……この辺に川なんてありました?」

「本物の川ではない。保護区へ向かう検問所のことだが、砂利の敷かれた堀の上に橋がかけられているから川と称されている」

「……それって隔離されてるみたいな……」

「みたいじゃなくて隔離してるの。主に世間から。と言うかあたしたちから?」

「え?」

「軌刃が陸続きに移動しないよう、保護区は地形的な制限を受けている。この街は軌刃収容所と保護区の独立した産業を支える外郭がいかくと呼ばれる地域で、古い街並みを残しているのは保護区の人間がうっかり迷い込んでも隔離されていると思わせないようにするためだ」

「……わたし隔離されてるなんてこの歳まで思いませんでした」

「それで正解だ。この外郭がいかく地帯は田畑も管理しているし、更に外側には任務で行ったような廃墟が放置されている」

「どうしてその……復興しないんですか? みんな困ってるんじゃ?」

「戦場として残してるのよ。自然の多い山とか谷は出来るだけ手付かずで残しておきたいし、そこを管理する人間も必要になるでしょ? だからヤポンの中でも古都と、緑の多い田舎は隔離して軌刃の手から守ってるの。代わりに近代に出来た郊外はほぼ廃墟と化したわ」

「そんな……」

話の途中で刺身定食が運ばれ、シオとオーガスタスの前にはつややかな白飯と美しい魚の切り身が並ぶ。

「……このお米って」

「うちの米はすぐそこの、田原さんちのだよ。美味えんだこれがよ〜」

 シオは去りゆく店主の背を見つめてから白飯に視線を戻し、はしを持ち手を合わせる。

「いただきます」

ばしで白飯を口に運ぶと、高い香ばしさが鼻をくすぐり、噛めば甘さが広がる。

「美味しい」

「でしょ? このお米いつもお代わりしちゃうの」

「お代わりしようかなー」

「してして。体力勝負だからこの仕事」


 食事を終えたサファイア隊は他愛のない話を挟み、オーガスタスとアリザの相槌あいづちを機に話題は切り替わる。

「シオちゃんから見てアルコルさんはどう?」

「え? えっと……いい人そうですけど」

「けど?」

「……いい人、で、優しそうです。でも何かこう……隠し事、じゃないな。試されてるような確かめられてるような」

「何を確かめられた?」

「文字を読んでみてって言われて……。軌刃が収まってた遺跡にあった古代文字とか」

シオ以外の三人はその言葉で互いの顔を見る。

「しゃがんでやっていたあれか。あの時は話の内容がよく聞き取れなかったが……上層部でも一部しか握ってない情報をなぜ新兵に?」

「そこよね」

「あの……?」

「シオちゃんはなついてるみたいだけど、上層部が一枚岩じゃない話は聞いたでしょ? エウロス派は穏健とは言うけどあくまでボレアス派と比べたらの話よ。エウロス派にも過激な奴はいるの。油断しないで」

「でも……」

シオはアルコルの無邪気な表情を思い浮かべる。

「アルコルさんは悪いことをする人じゃないと思います。少なくとも、私に危害を与える人ではないはずです」

「根拠はない」

「ないです。勘です。でも、そう信じてます」

「言っておくがお前の身を預かると決めた我々と違って彼は外部からの監視だ。気を許しすぎるな」

オーガスタスの言葉にシオは口をとがらせる。

(アルコルさんそんな人じゃないもん)

「分かったな?」

「……はい」

「さて、甘いもの頼む?」

「甘いものあるんですか?」

「あるわよー。お汁粉とかー、白玉パフェとか」

「抹茶のおうすありますかね?」

「え? 抹茶? えーと……」

 シオは再び品書きを手に取り、呆気に取られる三人を前に羊羹ようかんと抹茶で食事を締めるのであった。




 シオはそれから午前は高域帯の少女たちと試合をし、午後には疲れ切った体でオーガスタスの講義と更なるトレーニングに明け暮れた。


 シオがそうして心身を鍛えていったある日、彼女は高域帯の少女ウラリーに追い回され廊下を全力で駆けていた。

「廊下走っちゃダメなんですけどぉ!!」

「こらー! シオ! ウラリーちゃんと勝負しなさい!」

「嫌です! ウラリーさんは今日スケジュール組み込んでないでしょうが!」

 室内でこんなに走ったら。シオの焦りと不安は的中し、曲がり角で少女は誰かに真正面からぶつかる。

「ごめんなさい!」

 運の悪いことにシオを抱き止めたのはアーチボルト・レオン将軍で、彼はぶつかって来た新米の巫女をじっと見下ろした。

(うわ、よりによって……)

「す、すみません」

 レオン将軍はシオを黙って見下ろすと、甲冑のような銀色の装備を鳴らしながら立ち去った。

(あれ? 今の将軍あんまり怖い雰囲気じゃなかった……)

「もー、シオ♡ 捕まえた♡」

ウラリー三尉に抱きつかれながらシオはレオン将軍の背をながめた。

「あの、ウラリーさん」

「もー! 同い年なんだから敬語はナシって言ったでしょ!」

「レオン将軍ってレアさん叩いたりするんですけど、高域帯の子全員にそう言う態度取るわけじゃないんですかね?」

「敬語ナシー! もー!」

 ウラリー・フィヨンは頬を風船のようにふくらませてからシオと腕を組み、来た道を戻り始める。

「そんなことしたらただの暴力男で訴えられるわ」

「え、まあ……そうかも知れないけど」

「レオン将軍はレアちゃんのこと見下してるの。折檻せっかんなんてしょっちゅう」

「なんでレアさんだけ……」

「知らない。少なくともウラリーちゃんは叩かれたことないし、ヒルデちゃんはレオン将軍と話したことすらないわ」

「人によって態度違いすぎません?」

「そう言う人なんじゃない? さあシオ♡ ウラリーちゃんと勝負して、それからお昼ご飯よ♡」

「えーん」


 高域帯の少女たちはこの日やっと食事を共にした。席には四人だけ。上層部の面々はやや離れた位置にある丸テーブルで顔を突き合わせており、サファイア隊の三人はいつもの食堂端の丸テーブルではなく高域帯の少女たちのすぐ横のテーブルを取っていた。

「もー! そんなに情熱的に見ないでよ!」

 ウラリーは高域帯の少女たちをにらむナミに向かって頬をふくらませた。

「大丈夫ですよナミさん。ただの女子会です、女子会」

「そうよ! だから男はあっち向いてて!」

 ナミはなおも少女たちをにらみ付けていたが、ウラリーは気を取り直して食事に手を付ける。

「せっかくの女子会だし、やっぱり恋バナからいく?」

「ウラリーの恋バナ聞き飽きてるんだけど」

「マイア様の魅力は毎日語っても飽きないの♡」

「ん? ウラリーさんはマイアさんのことそう見てるんですか?」

「憧れなの♡」

「ウラリーの理想の女性像なんだって。マイアさんをアイドルに見立てるとそのファンって感じかな?」

「ああ、そっち。お二人は? 好きな人とか」

「なんで私があんたにそんなこと言うのよ」

「あたしはまだ全然。訓練時代に彼氏はいたけどウラリーがあいつはやめとけって邪魔して来て」

「ヒモはダメ」

「あたしは世話したくなるタイプの方が好きなのー」

「イルムヒルデさんはそっちのタイプなんですか……」

「シオは? 好きな人」

「中高で告白は何度かされましたけど彼氏はいまだに……」

「えーっ!? どうして!?」

「恋人になるのはなんか違うんですよ。友達ならともかく」

「じゃあじゃあ、シオは誰とも付き合ったことないの!?」

「ありません」

「モッタイナイ! どうしてー!? こんなに可愛いなら誰も放って置かないわよ!?」

「放って置かれたいんですー」

「えー!?」

ウラリーはシオの腕をがっつり掴むと顔をうんと近付け、小声で話す。

「じゃあナミは!? アリ!? ナシ!?」

「えっ」

改めて考えてみるとどうなのだろう? とシオは首をひねった。

「う、うーん……」

「想像してみて。ナミがもし他の女の子とキスしてたら?」

「……イヤかも」

「アリなのね!?」

「うーん、多分? でもナミさんが幸せそうなら応援しますよ、私」

「そこはヤキモチ妬かないと!」

「えー。私はナミさんが幸せそうならそれでいいですー」


 名前を連呼されているナミ本人は話の全貌が見えずいらついた様子でウラリーの背中をにらみつけ、そんな様子の後輩にオーガスタスとアリザは溜め息をつく。

「いっそ混ざってきたら?」

「嫌だ。飯食ったらさっさとこっちに連れ帰る……」

「案外お前の惚気のろけ話かもしれないぞ」

「えっ」

「あー、あるかも。ナミシオコンビってはたから見て仲良いし」

「な、え……?」

その後もナミの困惑をよそに少女たちの恋バナは加速していった。

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