第4話『シオ、訓練を受ける』
「やぁああああ!!」
ピッと景気の良い笛の音と共にシオは壁を駆け上がる。一メートル半駆け上がった彼女は垂れ下がった紐を掴みさらに壁を駆け上っていく。
「……九秒半」
「す、スピードクライミングなんてしたことないです……」
「それなりに出来ちゃってるのがすごいけどね?」
「もう一度だシオ」
「……はい、隊長」
シオがまた壁に向き合うと、オーガスタスは口を開ける。
「ある程度安定してスピードが出るようになったら重りをつける!」
「え!?」
ピッとまた笛が鳴りシオは壁に駆け出す。
「重り!?」
「速度を緩めない!」
「はい!」
頂上まで登ってシオが再び戻ってくるとオーガスタスは五百グラム丁度の砂袋を差し出す。
「少しずつ増やす。人一人分、四、五十キロ付けても壁を登れるようにしていく」
「ひえぇ……」
「では五百グラムから」
重りを受け取ったシオはしょぼくれた顔でハーネスに袋を差し込む。
「この部隊ほんと大変……」
「それならダイヤ隊行く? 隊員同士の私語禁止だけど」
「サファイア隊がいいですぅ!!」
シオは再び壁に向き合うと、何度も何度も繰り返し壁を蹴って頂上に駆け上がった。
「足プルップル……」
「頑張ったわねぇ〜」
食堂に向かったサファイア隊は湿布のにおいを漂わせるシオを囲んでいつもの壁際の丸テーブルに座る。
「午後の訓練は何ですか……」
「午後はない」
「えっ!? やったぁ!?」
「代わりに、お前の剣舞を所長が見に来る」
バンザイをしたシオはそのまま机にゴチンと頭を落とす。
「何故……」
「同調率の高さを確認したいそうだ」
「いやです〜あれ本来人に見せるものじゃないんで……」
「タマカズラ家の剣舞についてはおおよそ調べた。新年に神に捧げる舞だそうだな」
「えっ? そ、そうです……」
「似た環境を作っておく。普段通り行えばいい。ただし、持つのは木刀でも模造刀でもなく軌刃だ」
「……エルと練習していいんですか?」
「そのために時間を割いている」
「そ、そうですか」
シオはやっと箸を掴み焼き鮭を口へ運ぶ。
「ご飯おいし……」
「シオちゃん、和食よく選ぶわよね」
「好きなので……」
シオは久しぶりに
(あ〜ひっさしぶりの床の間のにおい)
(におい?)
(使い込んだ木材って、独特の香りがするんだ。こう言う場所に使うのは元々いい香りのする木材が多いし)
(ふぅーん?)
目の前で刀掛けに置かれたエルと喋っているシオをサファイア隊は透明なバイザー越しに観察する。普段扱うヘルメット同様、バイザーの内側ではシオのバイタルリズムが数値と図式に変換され仮想空間内に表示されている。
「五十五パーセントから動かないな」
「コンマゼロゼロで上がらないし下がらないのなかなか怖いんだけど……」
一人だけヘルメット姿のナミはじっとシオの横顔を観察する。目を閉じ、微動だにせずシオは高い同調を保ったまま背筋を伸ばして座っている。
彼らがしばらく待つと、バイザーをつけた所長が微笑みを湛えて床の間にやって来た。さらには彼と共に副所長も顔を出す。
「お待たせ。出来そうかな?」
「既に集中してます。いつでも大丈夫かと」
「ではお願いするよ」
シオは刀掛けかけからエルを起こして手にすると、刀掛けを部屋の端に置きまず神棚に礼をする。
「おお、巫女さんっぽい……」
アリザの呟きが耳に入っていてもシオは集中を解かず、一度壁際へ下がるとエルを肩にかけ膝を軽く落とし静止する。
オーガスタスによってシオが指定した音楽がかけられると、シオは瞼を薄く開いて袖を手のひらに巻き込み、ゆっくりと槍を扱い出す。鈴の音と独特の抑揚を持つ唄に合わせ、シオはその場で回る。
「ふーん、神楽だね」
「カグラ?」
「神に捧げる舞のことだが、専用の舞台で行うんだ。まあ語るのは後にして見よう」
シオは時にゆっくりと、時に激しく動き、栗色の髪を馬の尾のように揺らしながらエルを手に舞い続ける。エルとの同調率は雅楽が盛り上がるにつれ上がっていき、七十五パーセントに来たあたりで上昇が止まる。
「ほぼ理想値ですね」
「うーむ……」
シオの海色の瞳は最初の夜のように鮮やかに光りはせず、彼女は自分の体だけで舞を続ける。
「ふふ、うふふ」
巫女の手に握られたエル・エウロパはそれはそれは楽しそうに舞を楽しみ、その影響はやがて見学者たちにも観測される。
「……子供の笑い声が聞こえるような」
「うむ、波形にも表れている。幻聴ではないようだ」
エルの楽しそうな声はシオの体ではなく槍そのものから溢れていた。そしてエルとシオの動きがより一体となると、シールドを持ち上げたナミの視界にはシオの横で同じように舞う金髪の幼い少女が映り込んだ。
「…………」
舞が終わるとシオは槍の穂先を下げ、神棚にエルを捧げるように掲げて一礼。神棚の前から後退するとやっと表情を和らげた。
「久しぶりに全部踊ったら疲れた……」
シオは筋肉痛で悲鳴をあげる足で何とか所長たちとサファイア隊の元へ歩いて戻った。
「素晴らしかったよ」
「あ、ありがとうございます」
「こちら、所長さん」
「えっ!? あ、どうも初めまして!」
シオがガバッと頭を上げると所長はニコニコと人懐こい笑顔を見せる。
「エディ・ブラックマンだ。隣の彼は副所長のラウ・ハヤマ」
「疾走に山と書いて
「ど、どうもご丁寧に……」
ブラックマンと言う聞き慣れた苗字を耳にしたシオは「ん?」と顔を上げエディ所長とオーガスタス隊長の顔を見比べる。髪の色は茶髪の巻毛と白髪で違うものの、目元の雰囲気が似ている年齢の違う男性が二人並んでいる。
「……俺の父だ」
「えっ!? あら! あらあら! 隊長には大変お世話になっております!」
「これはこれはご丁寧に」
シオに揃えるようにエディは深々と頭を下げてから上体を起こす。
「名前は本土式だけど育ちはこっちでね」
「あら、じゃあヤポンの人」
「うむ。息子も育ちはこちらだ」
「ああーなるほど」
納得、とシオは頷く。所長の懐からピッと小さな音がして彼は苦い顔をする。所長はスマホを取り出すと画面を見て溜め息をついた。
「もう? 少し休みたいよ私は」
「所長」
「はいはい、分かってます。ではミス・タマカズラ。君のことは報告に上げておくよ。ごきげんよう」
「ご、ご機嫌よう」
エディ所長はハヤマ副所長に愚痴を漏らしながら床の間から立ち去る。残されたシオはポカンとして、まずオーガスタスの顔を見た。
「何だ」
「あんまり似てませんね……」
「俺は
「親子関係隠してるんですか?」
「親のおかげで出世してんだろー? とか、そう言うの嫌いなの。八月さん」
「親子共々そうだ」
「なるほど……」
「ブラックマンと言う苗字は珍しくない。ただの同姓と思われている程度が丁度いい」
「鈴木さんと鈴木さんだから親子とは限らない感じですね」
「そうだ」
シオはぎゅっと伸びをすると、ふーっと深く息を吐く。
「……お腹空いちゃった」
「もう!? さすが十代の胃袋!」
「成長期はいくら食べても足りないからな。休憩を入れよう。……ナミ?」
ナミはずっとシオの傍らを見下ろしていて、オーガスタスの呼びかけでやっと顔を上げる。
「はい」
「休憩だ」
「わかりました」
三日ほどシオは訓練に明け暮れた。恒例となって来たシオの訓練姿を見守っていたオーガスタス。彼のタブレットに珍しくエディ所長から個人的なメッセージが飛んで来る。
「……何?」
オーガスタスは渋い顔をするとサファイア隊を呼び寄せる。
「これから上層部が来るらしい」
「はぁ!? 何で突然!?」
「さあな。私用だそうだから派手な迎えや警護はないようだが……恐らく狙いはシオだ」
「え? 私ですか?」
「高い同調率を叩き出した新人は上層部への引き上げも早い。他の派閥に見つからないうちに唾でも付けに来るんだろう」
シオは目を丸くするとナミの左腕にしがみつく。
「私サファイア隊がいいです」
「無論だ。引き抜かれてたまるか」
「ナミさんの制服の中に隠れていたい気持ち……」
「隠れてれば? 本当に」
「いいですか?」
「服の中はやめろ」
オーガスタスは腕を組み中空を見つめ珍しく悩んでいる。
「八月さん何かいい案ある?」
「突然買い出しに行く手もあるが……」
「それでいいわよ! 行こ! ね! みんなで!」
「今から許可を得て外……間に合うかわからんな」
と言いつつサファイア隊は荷物をまとめ早足で室内訓練場を出る。
しかしその彼らを待ち受けるように、廊下には色を抜き取ったような灰色に染まった髪に人形のような白い肌を持つ年若い娘と、その後ろから赤い髪の大柄な男が歩いてくる。
「間に合わなかった……」
「え、あの人たちですか?」
「よりによってボレアス派とかついてないわ〜」
「ボレアス派?」
「端的に言うと過激派だ」
「えっ」
腰に剣を携えた灰の髪の少女はシオの前に真っ直ぐ歩いてくる。人形のように美しい黒いドレス姿に似合わず、彼女のエメラルド色の瞳には闘志が燃えている。
「貴女ね」
「え、ええと……」
少女は鞘から剣を引き抜きシオの眼前に突きつける。
「抜きなさい。私たちなら語るより早いはずよ」
「え、えーっと……」
シオは少女の後ろに立つ、短い赤毛の大男を見上げる。銀色の重装備の男の口元は笑っているものの、それは人を見下すものであり、その視線は灰の髪の少女に向けられている。
(何この人……?)
自分に注意を向けていないシオに少女が何かを言おうとした時だった。訪れた客人の背後でガシャーンと派手な音がする。
「あららららごめん、ごめんなさい! ちょっと急いでて!」
その声を聞いたボレアス派の二人は顔を
「こ、こんにちはーピザ屋です。違うか、あはは……は」
眼鏡の男性とシオの視線があった時、二人は周りのことも忘れてお互いを見つめてしまった。
色の濃さは違えど、茶色の髪と海のような青い瞳。
薄茶髪に南国の海のごとき瞳の壮年の男性と、シオはどことなく似ていて……二人はポカンとしてしまった。
「は、初めまして……ですよね?」
「あ、ああ。そうだと思うけど……」
サファイア隊と、ボレアス派の二人も並んだシオと男性を見ておや? と目を丸くした。
(似てるわねー)
(似てるな)
オーガスタスとアリザは普段通り視線で会話をするとアリザが「ねえ」と声を出す。
「シオちゃんのお父さんだったりしない?」
「えっ!? い、いや。僕結婚どころか恋人すらいないので……」
「あら」
「……正直お父さんかもってちょっと思いました」
「え?」
「あ、うち、お父さんいないんです」
「え!?」
「小さい時からそうで……。寂しいとか思ったことなくて気にしてなかったんですけど」
「えーっ、シオちゃんそうだったの!」
「まあ、はい」
シオの前に手の平が差し出される。
見上げれば、自分によく似た瞳の男性。
「僕は、アルコルと言います。シオ・タマカズラさん」
「あ、はい。よろしくお願いします」
眼鏡にボサボサ頭のアルコルはニッコリと微笑む。
和やかな雰囲気になったアルコルとシオが気に入らないのか、ボレアス派は目つきを鋭くする。
「エウロス派の飼い犬にしては嗅ぎつけるのが早いな」
「えっ!? あ、ああどうもお二方。僕はー……ほら、何派とかより根っからの研究者なんで」
「研究者?」
「僕は、昔から軌刃研究をしています。そのおかげで上層部に声をかけてもらったんですけど……。あ、今日はタマカズラさんの正確な計測をしに……ええっとタブレットどこだっけかな」
肩から斜めにかけた大きな布バッグに手を突っ込むアルコルは危なっかしく、シオは思わず横からバッグを広げるのを手伝う。
「探し物の時は荷物の中身広げちゃうといいですよ」
「あ、ああ。効率を考えるならそうだね。そうするよ」
アルコルは膝を落とすと床に荷物を一つ一つ置いていき、目的のタブレットを見つける。
「あった!」
「荷物たくさん持ってるんですね、アルコルさん」
「と言うか詰めすぎだよね……最近周りに言われるんだ。いや昔からかな。あはは」
のんびりとした口調で頭をかくアルコルは、タブレットを取り出すとその手は手早く画面を操作し始める。
(器用そう)
「えっとー……ああ、あった。これ」
アルコルはシオにタブレットを手渡し、表示した文字の羅列を少女が目で追うのを見つめる。文字は筆文字のようにも見え、英語でもドイツ語でもフランス語でもなく、シオは何となしにそれらに目を通す。
「……何語ですか?」
「軌刃が発掘された遺跡にあった文字だよ。読めそう?」
「いえ、さすがに無理です」
「そうか……。うーん、じゃあ」
アルコルはタブレットを手元に戻すと別の画面を出し、シオに見せる。次は画像で、遺跡の中で軌刃たちが納められている様子だった。
「あ、エルが入ってたここのケースに似てる……」
「ここで見た以外の既視感はある?」
「んー、ない、です」
「あれ。そっか……」
タブレットを荷物にしまうとアルコルは腰を上げる。
「じゃあ計測に行こうか」
「おい、先に来たのは我々だぞ」
今にも鞘に収まった軌刃を抜きそうな迫力の赤毛の男性に、アルコルは両手を見せてへらりと笑う。
「いやぁ、お忍びで来た将軍たちとは違って僕は公式の派遣なので。悪いけど譲れません」
「チッ」
赤毛の男性は不機嫌さを露骨に出しアルコルを睨みつける。アルコルは困り笑いで固まったまま、そそっとシオの影に隠れる。
「いやぁ、ほんと怖いなぁボレアス派は」
「聞こえてるぞ」
「ご、ごめんなさい」
アルコルは手を添えたシオの肩を掴むとサファイア隊の面々に目配せをする。
「では、測定に」
「あ、あー、はい」
最初に測った時のように検査室に案内されたシオは、アルコルの手によって更に細かい検査を受ける。
「あのー」
「ん? あ、気分が悪くなったら言ってね!」
「あ、はい。じゃなくて、こんなにいろんな姿勢で測るんですか?」
シオは検査用のケースの中で立ったり座ったり膝を立てて丸くなったりしていた。
「姿勢が変わることで同調率に差が出る子もいてね。一応だよ」
「なるほど」
検査室から出て来たシオは、着替えを終えるとサファイア隊と合流する前にアルコルに引き留められる。
「はい?」
「これ、見てもらえるかな? 触って構わないよ」
アルコルは布バッグの中から鞘に収まった短剣を取り出す。その柄は鞘と同じ冷たい金色と青色で、シオは驚いてアルコルの顔を見上げる。
「僕の軌刃。どうぞ、触って」
シオは戸惑いながらそっとアルコルの手から短剣を受け取った。
「……これ、空っぽ……?」
「うん、そう」
アルコルに手渡された短剣には意思がなかった。ただの器と言う印象を突きつける不思議な軌刃にシオは興味を抱く。
「この軌刃の人格は、どこに?」
「それに対する回答はまだ難しいかな……。でも、よかった。文字は読めてないけど君の感度は間違いないね」
「何の話ですか?」
「ほとんど独り言だよ。でもそうか、そうすると……」
自分の世界に入りかけたアルコルはハッとして目の前のシオに意識を戻す。
「ごめんごめん。この軌刃だけど、名前は僕と同じでアルコルなんだ」
「アルコルさんの……アルコルくん?」
「そう。その中身のない軌刃の感覚、よく覚えておいてね。それから僕の軌刃に意思がないことは他言無用で」
「わかり、ました」
「うん。じゃあ戻ろうか」
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