第3話『シオ、外へ行く』

 朝一番、シオはアリザと同部屋となった寝室で目を覚ますと備え付けのケトルで湯を沸かし白湯を飲む。タオルケットを床に広げると柔軟を始め、じっくりと汗をかいていく。

「シオ、何してるの?」

「朝の体操だよ」

「ふうん……。楽しい?」

「楽しくはないかな? でも踊るのに必要だから」

「そっか……。ねえ、それ私にも出来る?」

「え? うーん……ただの柔軟だよ?」

「やってみたい!」

「そしたら……ええと、どうしようかな」

シオはタオルケットの上でうんと背を反らし、アリザのベッドの方を見た。上下逆さまの景色にぼんやりした表情のアリザが映る。

「お」

「おはよう……早起きだね」

「ごめんなさい。起こしちゃいました?」

「ううん大丈夫。ただあたしが目覚ましより早く起きるのは相当稀……あふ」

「朝苦手なんですか?」

シオは一度立ち上がるとタオルケットの位置を直す。

「出来たら布団とずっと仲良くしていたいタイプ……」

「あはは、意外です。アリザさん普段きちんとしてるから」

「公私共にきちんとしてるのは八月さんの方よ」

シオはアリザと話しながら、エルにどう柔軟を教えるか悩んでいた。

「じゃあエル、私の体使って柔軟する?」

「いいの!?」

「いいよー。ちょっとだけね」

「うん!」


 立ち上がったシオの瞳がペイルブルーに輝くと、彼女の言動に変化が出る。

「どうやるの? シオ!」

「えーとね、まず前屈からやろっか。立ったまま腕を前に下ろしてみて」

「前? こう?」

「そうそう。手のひらが床に触るように……」

「むむむ……」

シオの手は床をしっかり捉えたが、エルは経験したことのない膝からふくらはぎまでの違和感にを覚える。

「シオ……なんか膝下? が変……」

「それはいた気持ちいいって感覚」

「い、いたきもちいい……?」

「筋肉使ってる感じするでしょ?」

「する……」

「その痛いところと気持ちいいところの中間を維持すると、体の柔軟さが増えるんだ」

「私、柔軟出来てる?」

「うん」

「やったぁ!」


 エルはシオに教えてもらいながら三種類ほどの柔軟を終え、晴々とした顔で起き上がった。

「血がたくさん流れてる感じがする!」

「体あったまってきたね。そろそろ交代してもらっていいかな?」

「うん!」

ペイルブルーの輝きが引っ込むと、シオは腰を低く落とし膝に負担をかけながらじわーっと動き始める。

アリザはベッドの上でぺたんと座ったまま、大きく欠伸をしている。

「……器用なことするね」

「はい?」

「軌刃と体共有してるでしょ」

「ええ、まあ」

「あたしたちのほとんどはそこまで軌刃と同調しちゃうと大概、体の主導権を奪われるのよね。シオちゃんみたいに主導権の取り合いにならないのは珍しいの」

「そんなの、お前たちが私たちを雑に扱うからでしょ」

アリザが目を丸くしてシオを見ると、彼女の瞳は一瞬ペイルブルーになっていた。

「エル、そう言うこと言わないの。みんながみんな軌刃の声を聞けないって話だったじゃん」

「ふーんだ」

「……普段からそれ出来るの何気に強いのよねー。軌刃の方が戦闘技術が高いし、戦い方を教えてもらえるなら教官要らなくなるって言われてるんだけど」

アリザはあくびを一つすると、着替えに手を伸ばす。

「でもエルちゃんは戦いたくないんだったっけね。そう言う気質の軌刃もいるってだけで上層部への報告もといゴマすりがたくさん出来るわ」

「ゴマすり?」

「上層部に気に入られた方が昇進早くなるから。そう言う意味で報告書の作成はみんな真面目にやるの。やらない子は士気が低いか、無欲か、ちょっと天然だったり」

「上層部ってどう言う人たちなんですか?」

「各地域数カ所にある、施設の所長なんて言うのは現場指揮の最高位ってだけで案外立場が低くて。上層部ってのは現場指揮官たちを取りまとめてる地域代表から上の人たちを言うの。例えば関東地区代表さんとかね」

「しょ、所長さんが偉くないんですか……?」

「八月さんが自分たちは現場の末端だって言ってたでしょ?」

「そんなに大きな組織なんだ……」

「じゃあその上層部とか言うのが悪いのね」

「そうでもないわよ。むしろ、上と現場に挟まれてる中間に何人かいるわね、私利私欲で動く連中が」

「そいつらをボコボコにすればいいのよ!」

「エル?」

「だって!」

「……ねえ、私にも出来るかな? シリウスと体を共有するの」

「え?」

「シリウスと私、喋ったことはないの。握ってると感情みたいな感覚は伝わるんだけど」

「えーとですね……」

シオは筋トレをしながら、着替えを終えたアリザの横で腰掛けている全体的に色の薄い長髪の男の顔を見る。シリウスは両手を広げ、首を横に振った。

「……シリウスさんは紳士だから女性の体に憑依はしないそうです」

「え? そう言う理由?」

「シリウスさん王子様って感じだもんね? エル」

「そうね、紳士よ」

「へーえ……そうなの」

「アリザさんはシリウスさんに信頼されてますから、何も心配要りませんよ」

「……それ本当?」

「はい」

アリザはベット脇のケースに収納した長銃シリウスの前に立つと、腕を組んで唸る。

「信頼ね……」

「私たちもアリザさんとシリウスさんみたいな相棒になれるといいね、エル」

「私たちならもっと仲良くなれるわ!」

「ふふ、そうだね」


 シオはアリザたちと似た防護服に袖を通し、グローブ状のエルと共にオーガスタスたちと食堂で合流した。

「おっはよう♪ 八月さん、ナミ」

「おはよう」

「……おはよう」

「おはようございます、皆さん」

「おはようシオ。食後の会議で話すが、本日サファイア隊は配給の手伝いと見回りだ」

「えっ」

「やっぱり!? 服が来たからもしやとは思ったけど!」

「所長の判断だ。仕方ない」

「大丈夫!? この子まだ二日目よ!?」

「えーと?」

シオがオーガスタスとナミに視線を向けると、ナミが頷く。

「今日は輸送車に乗って、食事を配りに行く。保護区以外の場所だ」

「……行っていいんですかね? 私」

「いずれ、現場に出ることになるなら……いい練習になるだろう」

「ん……」

シオは戸惑った様子で俯いた。

「さ、まずはご飯!」

「は、はい」


「本日はサファイア隊、エメラルド隊、トルマリン隊で関東D-6区域にて配給を行い、トルマリン隊はその後見回りに行く。我々もトルマリン隊に同行するが、基本の立ち回りは援護だ。急を要する事態でなければ表立っての戦闘は控える」

 食事を終えたオーガスタスはシオにタブレットを配布し、画面を共有しながら部下たちに作戦の説明をしていく。

「りょーかい」

「承知しました」

オーガスタスは画面に食い入っているシオの肩を揺する。

「返事」

「は、はい! 了解しました!」

「よし。では軌刃を装着後、三隊で合流する。シオは基本リザと同行し、戦闘はしないこと」

「はい! 隊長!」

「いい返事だ。〇八三〇時、五番ゲートにて集合。以上、解散」

「イェッサー。じゃ、行こうかシオちゃん」

「はいっ」


 シオは灰色地に黄色の線が入った防護服にサファイア隊を示す青い盾型の金属バッジを左腕に縫いつけたものに袖を通した。

アリザに連れられ青いシールドの下で緊張しつつ槍姿のエルを背に輸送車に乗り込むと、アリザ同様黒い防護服と青いシールド付きのヘルメットに身を包んだ隊長オーガスタスとナミと合流する。

「サファイア隊、点呼」

「一」

「二」

「さ、さん!」

「四。全員を確認。エメラルド隊とトルマリン隊が合流次第、出発する」

「イェッサー」

「い、いえっさー」

アリザは隣に腰掛けたシオの背をポンポンと叩く。

「だーいじょうぶ大丈夫。ちょっと散歩に行くだけと思って」

「は、はい」

「向こうに着いたらエメラルド隊から指示があるから、よく聞いてね」

「はい!」

「よしよし、いい子」


 サファイア隊の面々が待っていると、五分もしないうちにトルマリン隊がやって来る。

「トルマリン隊、点呼!」

「一!」

「二!」

「三!」

「四!」

「五!」

(トルマリン隊めっちゃいるじゃん……)

トルマリン隊は新兵も含めた十八人でサファイア隊が座る輸送車に乗り込んでくる。

「シオちゃん、左右変わろうか」

「あ、は、はい」

座り直したシオはアリザとナミに挟まれ、ほっと胸を撫で下ろす。

目の前に座った赤色と緑色の光沢が光の加減で変わるシールドがついた、トルマリン隊の隊長と副隊長はまずサファイア隊の隊長オーガスタスと握手をしてから腰を下ろす。

「サファイア隊が新兵を入れるなんて珍しいですね」

「所長の判断だ」

「あー、なるほど」

「その子、タマカズラさん? 何期生なんですか?」

「四期生だ」

「今期の? こんなスタイルのいい子いたかな……」

「シオ」

「はいっ!?」

オーガスタスはシオの方に向くと、ヘルメットの横をコツコツと叩く。

戸惑ったシオがアリザの方に向くと、アリザはシオの手を取ってヘルメット横にあるボタンをカチッと押し込む。すると、シオの視界が生身のように広くなり空中に文字やモニターが浮き出る。

(おおおっ!!)

オーガスタス隊長はタブレットに文字を打ち込み、シオの視界にチャットを表示させる。

「基本、他の隊に関係のないことは仮想空間VRにて文字のみでやり取りする」

「すごーい! 了解です!」

シオは嬉々としてタブレットを触り始める。アリザやナミに両サイドから教えてもらいながらシオはどこに何の機能がしまわれているか覚えていく。

「チャットと身体バロメーターとどの隊か、階級はいくつか……なるほど」

「氏名もね。新兵は新芽って言って、頭の上に葉っぱが表示されるからどの部隊から見てもわかるの」

シオはトルマリン隊の面々を見渡し、後輪の近くに座っている新兵たち五人の頭の上に植物の双葉が表示されているのを確認する。

「本当だ……」

「シオちゃんにも双葉付いてるわよ」

アリザはシオの頭の上をつまむ動作をする。

「ヘルメットは任務中、基本は外さないこと。保護区域外は頭の上に物落ちてきたりして危ないからね」

「わかりました!」

サファイア隊の無言のやり取りを見ていたトルマリン隊の隊員たちは顔を見合わせる。

「仲良いですね」

「新人が萎縮しては困るからな」

「あー、まあ、そこは方針の違いですね」

「四期生って言ってましたけど……」

トルマリン隊員は新兵の青年たちを見てタブレットに何かを打ち込む。すると新兵たちはこちらへ顔を向ける。

「はい!」

「四期だって。同期だろ? 知ってる?」

「えーと、すいません。知らないです」

「だよな。俺も知らない。どこの地域にいたの? 異動だろ?」

シオは返答に困り、オーガスタスに顔を向ける。

オーガスタスは手早く文字を打ち込む。

「都合の悪いことは黙ってていい。俺が話しておく」

「すみません」

「気にしなくていいのよ。八月さん隊長なんだから、隊員を庇うのも隊長のお仕事」

「は、はい」

オーガスタスはトルマリン隊の隊長を呼ぶと、タブレット同士で何か話をする。トルマリン隊隊長は数度頷くと自分の部下に顔を向ける。

「現場で抜擢ばってきされた新人だ」

「あっと、すみません」

何故か気まずそうにしたトルマリン隊員を不思議に思い、シオは首を傾げる。

抜擢ばってき?」

シオがナミの方を見ると彼は文字を打ち込む。

「それまで軌刃と無関係だったのに事件に巻き込まれて関わりを持たざるを得なくなったタイプだ。俺もその手だが、お前も間違ってはいまい」

「ああー、そうですね」

「抜擢って言われる子は訓練しつつ現場に駆り出されるの。とは言っても半年は訓練に勤しむんだけど、シオちゃんは大出世ねー」

「そうなんですか?」

「抜擢された奴は現場と訓練を行き来するのが一番効率がいいとされているが、普通は訓練もなしに外へ出すと真っ先に死ぬからな」

死、と言う単語を聞きシオはほんの二日前まで重傷で病室にいたことを思い出してハッとした。

(エルのおかげで体が軽いからすっかり忘れてた……)

シオは肩に立てかけたエル・エウロパの柄を両手で握った。

(大丈夫よシオ、これからは私がついてるから)

(う、うん……)


「ではこれより配給の準備に取り掛かる!」

「サー! イェッサー!」

 五十人揃ったエメラルド隊に圧倒されつつ、シオはサファイア隊の新兵として配給用のプレート皿を取り出し、袋から出して十枚ごとにシールが付いているか目視で確認していく。

「お皿配る時、シールのところに来たらタブレットでチェック付けていって」

「はい」

アリザの横でシオが黙々と作業を続ける中、彼女らの背後では袋入りのプレート皿を箱から取り出しながらシオに熱い視線を向けているトルマリン隊の新兵たちがいた。

青年たちは上官の目を盗んでは私語を挟む。

「女の子いいよな〜! いくつだろ!?」

「現場生え抜きの新人で女の子だろ? よっぽどの特技でもあるんじゃないのか?」

「くだらない……」

トルマリン隊の新芽の一人、ロニーは溜め息をついく。そんな彼を肘で突くのは、ロニーの幼馴染のヴィンスだ。

「んなこと言って〜。ロンも興味あるんだろ?」

「ない」

「またまた〜。俺は興味あるなー。絶対可愛いって」

「顔なんか分からないだろ」


 配給目当ての人々が現れ始めると、三隊は忙しく動き始める。

「どうぞ。こんにちは」

「どうぞ。一人一枚です」

新兵たちは上司や先輩に挟まれながらプレートを配り、心身ともに消耗した人々が目の前を通り過ぎるのを見つめる。まだ喋り出して間もないような子供を抱いた父親や年老いた父母を何とか押して歩かせている女性などを見て、シオは哀れみを向けると同時に今までの生活が夢の中での出来事だったかのように思える。

(私、本当に何も知らないだけだったんだ……)

保護区の外、塀の向こう側を知ったシオは強烈なこの現実を胸に刻み、プレート皿を一つ一つ大切に配った。


「では解散!」

「サー、イェッサー!」

 エメラルド隊は引き続きD-5地区へ配給へ向かうためその場で他の二隊とは解散。見回り組の指揮権はサファイア隊隊長オーガスタスへ移り、サファイア隊四人を先頭にトルマリン隊が続く。


 荒れたコンクリートの街並みを歩きながら、トルマリン隊の新兵たちは個人チャットを駆使してなおもシオの噂をしていた。

「なー! どこかで話しかけようぜ!」

「そんな隙ないだろ」

「ロンはこういう時本当にノリ悪いよなぁ」

「いやいや、ロンは照れてるんだよ。女の子に耐性ないから」

「ヴィンス!」

「だって本当だし?」

彼らの遥か前を歩くシオはアリザの袖を引っ張る。

「なに?」

「サファイア隊はトルマリン隊の援護じゃなかったでしたっけ……」

「そうよ。八月さんの隊、つまり私たちは他の隊と質が違うの。基本は援護。いざと言う時の保険ね」

「……ん?」

「サファイア隊は少数精鋭の部隊だ。一人一人が他の隊の分隊一つ分の働きをする」

「分隊……ええと」

「人数の多い小隊、さっきのエメラルド隊みたいな五十人一塊をさらに班ごとに分けたのが分隊よ。一番最初に戦闘に出る班、その補助班、物資補給班、医療班って感じで役割分担してるの」

「新兵は基本、補助班か補給班から入り前線へ出れるよう隊の中で序列が上がっていく」

「な、なるほど」

「……サファイア隊は関東D地区の兵で実力の高い者、今までなら三人でまとめていたところにお前が来ている」

「え?」

「頑張ってね、期待の新人♪」

アリザは楽しげにシオの肩を抱いた。

(なんてこった……!)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る