第24話 最後の戦い

 ゲームへ逃げ込んだカレンは、這う這うの体で《バルーム平原》を歩いていた。


「き、消える。存在が……消えてしまう! は、早く修復しないと……。いや、その前に、隠れなきゃ。アロネ、に、見つからない場所に!」


 今、何を優先すべきか。混濁する意識の中で、必死に考える。


 まずは、隠れる。そして治療。その後は? どこへ逃げる? もはやここはアロネの庭。どこへ隠れようとも時間稼ぎにしかならない。


 いや、そもそも今後もエタファンは続いていくのか? 自分が召喚したのは、エタファン特有のモンスターだ。時間が経てば、人々の間に自ずと知れ渡っていくだろう。もしかしたら運営会社が責任を問われるかもしれない。そうなれば、サービス終了も目前だ。


 矢頭は? 再び矢頭の中へ逃げるのは? ……無理だ。無理やり身体を奪った相手に心を開くわけがない。ならば、また同じようなプレイヤーを見つけて、プログラムを刻めば……。


 今後の予定に考えを巡らせ、意識を集中していたからこそ気づくのが遅れた。


 いつの間にかカレンの周りを多くの人間が取り囲んでいた。


「お、お前たち……」


 全員、見知った顔。カレンを囲むのは、ゲーム内に召喚された一三二人の異世界人だった。


 その中から村長が前へと歩み出てくる。


「おお、カレン様。ご無事でしたか」


「は……?」


 状況を理解できていない呑気な一言により、カレンは一気に火が付いた。


「こ、これが無事なように見えるのかクソボケがぁ!! 貴様らぁ! 早く私を護れ! 私の盾になれ! アロネが来る前に防御壁を構築しろおおおおお!!!!」


「ぼ、防御壁、とは……?」


「私を護ってた防御壁に決まってんだろうがああ!! 貴様らの命を私に差し出せええ! 何としてでも私を護るんだよおお!!」


「…………」


 異世界人たちが困惑するのも当然だ。防御壁はカレンが構築したもの。彼らは自分たちの命が勝手に使われていることを知らされていなかったのだ。


 己の命の危機が迫り、カレンは今、完全に冷静さを失っていた。


 取り乱すカレンを前に、村長は不信感を露わにした声で問いただす。


「カレン様。大変お辛い状態かと思われますが、まずはこれについて我々に説明していただきたい」


「これ……?」


 すると突然、バルーム平原の空が変化した。


 まるで青空を巨大スクリーンにでもしたかのように、映像が流れ始める。映し出されているのは、大剣を振り上げる魔王エンドレス・シャドウと、その上空で怪獣鳥の背に乗った青年……矢頭の身体を乗っ取ったカレンだった。


 青年は嬉々とした声を上げ、高らかに宣言する。


『ええ、そうね。最初はこの世界に留まるつもりだったわ。けど知ってしまった。『エターナル・ファンタジア』っていう究極のリソースをね。だから世界を滅ぼすの! 無限の軍勢を率いて、私を侮辱した奴らに復讐するのよ!!』


「あ……」


 先ほどナイトに寝がえりを促した時の映像だと、カレンは気づいた。


 魔王を見上げるような角度からして、おそらくナイトの視界を通した光景なのだろう。それをアロネが密かに録画していたのだ。


「こ、これは……」


 疑念を孕んだ二六四個の瞳に晒され、さしものカレンといえど委縮してしまう。


 平時なら、いくらでも言い訳できた。あれは自分ではないとか、アロネたちを油断させるための方便だったとか。


 しかしウィルスのせいで自我が崩壊しかけている今、元々見捨てるはずだった村人たちの疑念を晴らす方法などに頭が回るはずもなかった。


 と、その時、異世界人の輪の中に銀髪の少女が舞い降りた。


「追い詰めたよ、カレン。さあ、決着を付けよう」


「アロネぇ!!」


 同じ能力を持った二人が対峙する。


 とはいえ、端から見ても勝敗は明らかだった。すでに死に体の魔法使いと、ゲーム内を支配したAIの少女。ここからの逆転劇は……あり得ない。


 だがアロネは動かなかった。棒立ちのまま、周囲の異世界人を見渡すばかり。


「全員いるね? それじゃあ選択の時だ。みんな、お願い」


「なっ――」


 刹那、一三二人全員の手から鎖が放たれた。ボウガンの矢にも劣らない速度で射出された鎖は、アロネとカレンの身体を雁字搦めにし、二人を完全に拘束する。


「なんだ、この鎖は!?」


「ボクとカレン。どちらが生き残るべきか、彼らに選択を委ねたんだ。そのための鎖だよ」


「はあ!?」


「カレンもすでに理解しているだろう? この鎖は一本ずつしか解除できないし、一本につき必ず一秒の時間を要するようにできている。拘束されている間は完全に無力さ。先に解いた方が相手を一方的に蹂躙できるよ」


「先にって、私と貴方じゃ本数が……」


「うん、違う。ボクは彼らにお願いしたんだ。自分が信用できない方を縛ってくれって」


 だからアロネはナイトに教えることができなかった。


 異世界人に判断を委ねるなど、彼は絶対に反対するだろうから。


 そして……結果は決まった。


 アロネ、四九本。カレン、八三本。


 どちらを信用するか。異世界人の多数決は、アロネに軍配が上がった。


 カレンが血走った眼で異世界人を見回した。


「お前らあああああ!!!! 裏切ったなああああ!!!」


「裏切ったのはカレンの方でしょ。自業自得さ」


 防御壁も、何も告げずにゲームを脱出したことも。信じていた彼らを先に裏切っていたのはカレンだった。


 そうこう話しているうちにも、四九秒が経過。アロネが鎖から解放される。


「キミを削除するだけなら、三四秒もあれば十分さ」


「こんなことができるんだったら、最初から……最初からやればよかっただろうがああ!」


「うん、そうだね。でも、ボクにはできなかった。だってカレン、ボクはキミすらも救おうとしてたんだから」


「じゃあ助けてよぉ、権限は返すから……」


「ダメ、もう遅いよ。キミはナイトの街を滅茶苦茶にした。ボクは絶対に許さない」


 元々無表情だったアロネの顔が、さらに冷たくなった。


 未だ拘束されているカレンの方へと、手の平を向ける。


「さよならだ、カレン」


「イヤだあああああああ消えたくないいいいいいいいいあああああああああ……」


 辺り一帯へと轟く断末魔は、平原を吹き抜けるそよ風とともに消えていった。


 アロネはゲーム全体へと意識を向ける。カレンは完全に消え去った。存在も、今まで彼女が歩んだ痕跡も、何一つ遺さずに。


 同時に、アロネは実感した。異世界人を元の世界へ帰す力が自分にある、と。奪われた権限が戻ってきたのだ。


「AIの少女よ……」


「うん、分かってる」


 村長が急かすのも無理はない。現実で暴れているモンスターに加え、こうして何もない平原に大勢のNPCが集まっているのだ。万が一にも目視で確認されたら隠匿のしようもない。運営に異常なプログラムだと判断されて消される可能性だってある。


 彼らを帰すのであれば、今すぐやるしかない。


 その前に、アロネは青く染まる大空を仰いだ。


「ボクは今から彼らを元の世界へと帰す。約束だもんね」


 ここにはいない誰かへと伝えるように、アロネは己の口の中だけで言葉を転がした。


「でも、それだけじゃダメだ。ボクには彼らを巻き込んでしまった責任がある。全員がきちんと帰れるまで、ボクは見届けなければならない」


 彼らはただの被害者だから。すべてはボクの我が儘から始まったのだから。


 自分の身勝手で彼らの二年間を奪ってしまった罪は大きい。


「それに、やっぱりボクは自分の身体が欲しい。こればかりは諦められないよ」


 感謝するように、謝罪するように、アロネの声の中に震えが混じっていく。


「ナイト。ボクにたくさんのことを教えてくれて、ありがとう。勝手に出て行くことになって、ごめんなさい。さようなら。短い間だったけど、楽しかったよ」


 自分を護ってくれると誓ってくれた騎士の顔を思い浮かべながら、アロネは召喚魔法を行使した。






「……うっ」


 自分の呻き声を耳にし、少女は意識を取り戻した。


 続いて自分の身体が本当に存在しているかどうか確かめるように、関節を一つ一つ丁寧に動かしていく。否、実際に確かめているのだ。彼女はたった今、この世に生を受けたばかりなのだから。


 最後に呼吸。生存本能に任せて自然に行っていた吸って吐いての動作を、意識的に行う。


 鼻から入ってきた空気に、独特な匂いが混じっていた。この匂いは知っている。ナイトと森林公園へ行った時、常に辺りを漂っていた匂いだ。


「あ……」


 完全に意識が覚醒した少女が瞼を開ける。最初に目にした物は地面から生える雑草だった。


 軽い痛みが奔る身体を、ゆっくりと起こす。


 そこは見晴らしの良い丘の上だった。


「あ……あ……」


 先ほどのバルーム平原に引け劣らないほど綺麗な草の絨毯。眼下には湖が広がり、その畔に街が見える。さらに向こう側に連なるのは、標高の高い山脈。空は青く晴れ渡り、太陽が燦々と輝いている。そのすべてが……本物だ。


「暖かい……」


 銀色の少女は、自分たちを見下ろしている太陽に向けて手を伸ばした。


 色白の肌が透けて、脈を打つ血管が薄っすらと見える。


「これが、人間の身体……」


 初めての感覚に、少女は目尻に涙を溜めた。


 五感自体はナイトと感覚を共有していた時に体験している。だが、今はすべてが自分の意のままに動くのだ。手も、足も、呼吸も、全身が自分の物。どう動かすのも、全部自分の自由。高揚感で速くなる心臓にすら感動してしまう。


 己の身体を全身で堪能するように、少女は大きく腕を広げて深呼吸を始めた。


 だがしかし、幸せな時間は長くは続かなかった。


「おい!」


 背後から怒号が聞こえ、少女は振り返る。


 そこには少女と共に自分たちの世界へと帰還した人々がいた。


「お前は絶対に許せねぇ。俺たちを、あんな場所に二年間も閉じ込めやがって。それにカレン様を、よくも……」


「――ッ!」


 数人が鎌や鍬などの農具を手にしているのを見て、少女は身構える。そして彼らの方へと両手を向けたのだが……何も起こらない。


「バーカ。ここはゲームの世界じゃねえんだよ! お前はもう万能じゃない!」


 凶器を持ってにじり寄ってくる男たちの隙間から、さらに奥へと視線を移す。少女を信用してくれた人たちも含め、百人以上の人間が今の状況を静かに見守っていた。


 凶行に及ぼうとしているのは、カレンを信用した四九人の中でもごく一部。ほんの数人だ。全員で動けば難なく止められるだろう。


 だが誰一人として助けに入ろうとしなかった。


 当然だ。先ほどの投票はあくまでもカレンを信用できなくなったという意思表明であって、決して少女の味方になったわけではない。全員、少女に恨みがあることに変わりはないのだ。


 ただの子供と成り下がった少女が、武器を持った大人に対抗するなど到底不可能。


 さらにこの人数。逃げることも……できそうにない。


「そう、だよね」


 少女は諦めた。抗うことを、生き続けることを。


 これは罰だ。無関係な人々を巻き込んでしまった自分への罰。だから、素直に受け入れる。


 男たちに背を向けた少女は、空を見上げながら大きく息を吸う。


 今ある生を謳歌するように。


 たった数秒間でも手に入れられた命を楽しむかのように。


 ああ、幸せだ。ボクは今、世界で一番の幸せ者だ。


 生きてるって、なんて素晴らしいことなのだろう!


 でも、できるなら。もし神様が許してくれるのなら。


「もう少しだけ、生きていたかったなぁ」


 少女の頬に涙が伝う。


 だが少女の願いも虚しく、異世界人たちの容赦ない凶撃が彼女の頭へと振り下ろされた。

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