第17話 仲違い

 矢頭は『特別』に憧れていた。


 ただ、己の理想に明確なヴィジョンがあったわけではない。故にテストで百点を取っても、サッカーの試合で活躍しても、複数の女の子から言い寄られても、彼の欲望はいまいち満たされなかった。


 自分が求める『特別』とは何なのか。

 その『特別』を手に入れるためには何が必要なのか。

 幼いながらも人生に行き詰まりを感じた矢頭は、仮想現実へと手を伸ばす。


 彼が中学二年の時にリリースしたVRMMORPG『エターナル・ファンタジア』。現実世界の枠組みから一歩踏み出した場所なら何か見つかるかもしれないと期待し、矢頭はゲームに没頭し始めた。


 最初に選んだジョブは、比較的ソロで活動しやすい《ナイト》だった。


 中学での部活動を辞め、家に帰ってはひたすらエタファンにのめり込んだ。その甲斐あってか、約一年でレベル八十に到達。これは公式が設定している、魔王討伐のための推奨レベルである。


 すでにクリア者が出ている魔王討伐に用はない。矢頭が目指すのはレベル一〇〇。前人未到の領域。


 とはいえ、ここからがさらに大変なのも事実。残り二十レベルを上げるためには、レベル八十に必要な経験値の二倍は稼がなくてはいけないのだ。大雑把に見積もっても、およそ二年はかかってしまう計算である。


 それでも『特別』な何かを得られるためならばと、矢頭は意気込んだ。

 だが挫折はすぐにやってくる。

 受験。勉強しろという親からの圧力。自分が養われている立場という弊害。


 三ヶ月もログインしなければ、ゲーム廃人と呼ばれる世捨て人に追いつくことはまず不可能になるだろう。今さらレベル一〇〇にしたところで、自分が『特別』になれるわけではない。


 ここにも自分が望む『特別』は……存在しなかった。


 ピタリとエタファンを辞めた矢頭は、受験勉強に専念する。しかし間に合わず。ゲームのせいで失った学力を、受験当日までに取り返すことはできなかった。


 結局、矢頭は他県の公立高校に進学。失望する親から逃げるように、一人暮らしを始めた。


 そこで矢頭は、人生の価値観を覆すような同級生に出会う。

 どこにでもいる平凡な男子生徒。

 彼を弟のように虐げる男勝りな女子生徒。


 彼ら二人は小学校からの幼馴染であり、端からは熟年夫婦のように扱われているらしい。

 二人を見た瞬間、『これだ』と直感した。


 腹を割って何でも話し合える仲。自分はそんな『特別な誰か』が欲しかったのだと、ようやく気づいたのだ。


 だから矢頭は近づいた。どうやったら、そのような信頼関係を築けるのか学ぶために。あわよくば、今のナイトのポジションに自分が収まるために。


 そして一緒にプレイするにあたり、新たに狩人へとジョブチェンジしたのだが……。


 十日前、矢頭の中に眠る黒い感情を呼び覚ますような出来事が起こる。


 なんでも、熟年夫婦の片割れがエタファンで奇妙な体験したらしい。その話を聞いた矢頭の嫉妬心に火が灯った。


 どうして自分じゃなかったのか。

 どうしてナイトにばかり『特別』が寄っていくのか。


 負の原動力を得た矢頭は、その日の部活を休んで直帰する。家に到着するやいなや即座にエタファンを起動し、イース遺跡へと向かった。


 目的の場所には、未だ村人らしきキャラクターがうろついていた。

 この時点で聡い矢頭は気づく。やはりナイトが体験したのは普通のイベントではない。


「こんにちは。一つ訊きたいことがあるんですが、昨夜ここに銀髪の女の子が逃げてきませんでしたか?」


 問うと、村人たちの顔色が一変した。


 今ではプレイヤーと区別がつかなくなるほどAIが優秀になったNPC。しかし『銀髪の女の子』という単語だけで、ここまで多種多様な反応ができるだろうか?


 間違いない。この村人たちには中身が入っている。

 つまり今までに類を見ない特殊なイベントの可能性が高い。


 心の底でナイトに悪いと思いつつも、もう少し詳しい話を聞こうと口を開きかけたその時、ローブを纏ったキャラが唐突に目の前に現れた。


「貴方たち、バイタルが乱れてるわよ。何かあったのかしら?」


 村人に指示を出していたらしき、件の魔法使いだ。

 彼女がリーダーだと当たりを付けていた矢頭は、丁寧に頭を下げた。


「実は昨日の銀髪の女の子が気になって訪ねてきたんです。何か新しいイベントでも始まるんですか?」

「ふーん?」


 ローブの魔法使いは、まるで品定めでもするような目つきで矢頭を観察していた。


「おかしいわね。昨日の出来事はログを削除したから誰も知らないはずなんだけど?」

「途中で割って入ったプレイヤーに話を聞いたんですよ。友達なもので」

「なるほど。やっぱりアロネが脳にプログラムを刻んだプレイヤーは生きてたわけね」

「?」


 舌なめずりでもしそうな妖しい雰囲気に気圧されながらも、矢頭は彼女からの回答を待つ。


「ま、いいわ。標的はしばらくスマホの電源を入れそうにないし、暇つぶしにお話しでもしましょう」

「あ、ありがとうございます!」


 この時はまだ、矢頭は彼女たちを運営の人間だと思っていた。新しいイベントの真っ最中、もしくは準備でもしているものだと。


 だがローブの女……カレンから聞いた情報は想像以上だったことが判明する。

 ゲームの中に召喚された異世界。

 アロネという名のAI。

 二年も続いている召喚権限の奪い合い。

 そして……カレンの目的。


 国を追われていたカレンは、逃げるようにしてこの世界の召喚に応じたらしい。本来なら召喚者を殺害して第二の人生を謳歌するつもりだったのだが、予想に反して召喚先はゲームの中だった。AIの少女を削除し、残り半分の召喚権限を手に入れれば、現実世界で肉体を得ることも可能になるという。


「そこで相談なんだけど。もし貴方さえよければ、アロネと同じように、その脳にプログラムを刻ませてくれないかしら? あの子がゲームの外に出てしまった今、私も同じことをしないと権限を奪えないでしょうし」


 カレンの懇願に、矢頭は二言返事で承諾した。


 異世界で名を馳せた魔法使いのパートナーになれるなんて、この機を逃せば二度と手に入らない『特別』だろう。正直ワクワクが止まらない。


 そうして仮宿を手に入れたカレンと、『特別』な人間となって人生が一変した矢頭。


 文字通り一蓮托生となった二人は、アロネを削除すべく陰で動き始めたのだが――。

 二人の出会いから十日ほど経った今宵、矢頭は人類史上初となる『特別』な力を得ることとなる。






 深夜二時。多くの人々が眠っているはずだった時刻。

 静まり返る森林公園の一角にて、矢頭は呆然と夜空を見上げていた。


「や、やった……」


 人もいない。灯りもない。完全なる静寂と暗闇の中で、矢頭は小さく歓喜の声を上げる。


 いや、矢頭の耳だけには届いていた。どこからともなく聞こえる拍手の音、そして彼に称賛の言葉を贈る若い女の声が。


『おめでとう、矢頭。ついに召喚魔法をマスターしたわね』


 傍らに佇むカレンを一瞥した後、矢頭は再び夜空を見上げる。

 自分が召喚したエンシェントドラゴンは、もう影も形も無かった。


『おめでたついでに一つ訊いてもいいかしら? どうしてエンシェントドラゴンだったの? もっと魅力的なモンスターはいるでしょ?』

「エンシェントドラゴンは、レベル上限解放のクエストで戦わなきゃいけないモンスターだ。僕は今から召喚魔法を会得して、人間としての限界を突破する。そのための試練として相応しいモンスターだと思ったからだよ」

『へー、意外とロマンチストなのね』

「もちろん打算的な意味もあったさ。もし制御が効かなければ僕が襲われる危険があったし、こうやって任意のタイミングで消せるかどうかも自信が無かったし。常に空を飛んでて、話しかけなければ戦闘にならないエンシェントドラゴンなら、失敗しても大丈夫だと思ってね」


 などと気楽に言う矢頭とは対照的に、カレンには一つの懸念があった。


 夜更け、なおかつ約一分間程度の出来事だったとはいえ、大空を舞うエンシェントドラゴンを誰かに見られたのではないか?


 カレンが住んでいた世界とは違い、この世界は比べ物にならないほど人間が溢れ、夜間に起きている意味も多い。目撃者は確実に存在していると思っておいた方がいいだろう。


 さらに科学による情報伝達速度は、カレンの世界の魔法技術をはるかに凌駕する。もし映像にでも収まっていれば、加速度的に広まっていくはずだ。カレンの見立てでは、二日か三日もしないうちに日本中の人間が目にするだろうと計算していた。


 だが、問題ない。どうせ奴らには召喚者を特定するような技術は無いのだから。

 それに……。


『ねえ、矢頭。気分はどう?』

「最高だよ。……って言いたいところだけど、興奮しすぎて感情表現の方が追い付いていないって感じかな。とにかく今は、昨日までの寝不足が一気に吹っ飛んじゃったよ」

『ええ。計り知れないほどの喜びが、私の方にもひしひしと伝わってきているわ』

「そりゃそうだ。だって僕は今、人類史上類を見ない特別な力を手に入れたんだから」


 そう言って、矢頭は大きく息を吐き出した。


「欲を言えば、もっと他の魔法も使えるようになりたいんだけどね。ほら、攻撃魔法とか補助魔法とか回復魔法とか」

『向上心が尽きないわね。もちろん、その気があれば扱えるようになるはずよ』

「本当かい!?」

『召喚魔法が発動できて、その他の魔法が実現できないなんてバカな話はない。ただ召喚魔法とそれ以外の魔法は根本から違うし、何より魔法陣の構築式は世界ごとで異なるみたいなの。だから最初は手探りで始めていくしかないわ』

「えーっと……それって、自分で一から研究しろってことだよね?」

『そういうこと。召喚魔法はエタファンのプログラムを参考にできたから、十日という短い期間で成し遂げられただけの話』

「ちなみにカレンの見立てではどれくらい掛かるの?」

『私もいくつか自分で魔法を開発したけれど、どれもこれも既存の応用なのよね。仮に無から実用できるレベルまで発展させるとしたら……百年くらいはかかるかもしれないわ』

「無理じゃん!」


 まさに一生を懸けて身を粉にしなければ為せない偉業というわけだ。

 大昔、数多の錬金術師が不老不死を求めた理由が身に染みて実感できる一言だった。


『あくまでも最初から始めた場合よ。今の貴方には、召喚魔法という実績があるでしょ?』

「……というと?」

『モンスターを召喚したように、魔法そのものをゲームの中から召喚すればいい』

「なる……ほど?」


 矢頭は興奮の冷めない頭をフル回転させる。


 自分は今、ゲーム内のモンスターを現実世界へと召喚することに成功した。それが魔法に変わるだけだ。確かに魔法もモンスターも同じデータには違いない。理には適っている。


『もちろん普通の魔法と比べればデメリットの方が多いわ。魔法を発動する前に『召喚』という余計な過程が増えるから戦闘には向かないし、『エターナル・ファンタジア』に存在する魔法しか使えない。当然、サービスが終了したらそこで終わり。もっと研究すれば、他のゲームからも召喚できる可能性はあるけれど』

「いいね、やろう!」


 子供のように目を輝かせる矢頭を、カレンは姉のように窘める。


『貴方は自覚ないでしょうけど、少し疲労が溜まっているようだわ。魔法に関しての試みは、またの機会にね』

「ああ、分かったよ」

『ところで矢頭。貴方、私の目的はちゃんと覚えてる?』

「?」


 忘れるわけがない。AIのアロネ、場合によっては宿主であるナイトを殺し、権限を奪う。そしてカレンを現実世界へ召喚すれば契約完了だ。


 彼女が矢頭に召喚魔法を教授したのも、そのためだ。


 現時点でカレンを召喚できれば話は早かったものの、《被召喚者》という楔により、それは叶わなかった。なのでアロネたちを殺すという過程は絶対に省けない。召喚したモンスターを差し向ければ、矢頭自身が手を下すことなく事故として処理できるだろう。


 口に出さなくても伝わるはずなので、矢頭は頭の中で思ったことを反芻する。

 すると意外な答えが返ってきた。


『その後は?』

「その、後? 確か……この世界で第二の人生を送る、とかだったっけ?」


 ここからは雑談の領域だったので、あまり細かいところまでは覚えていない。カレンを召喚した時点で、二人の契約は終わるのだから。


『ええ、最初はそのつもりだったわ。でも、ちょっと考えを改めようと思うの。権限を奪ったら、元の世界に帰ろうかなって』

「それは……」


 言葉に詰まってしまった。


 もちろんカレンの好きにするのが一番いい。だが経緯が経緯なため、心配せずにはいられなかった。


「そもそもカレンって、元の世界を追われる身だったからエタファンの召喚に応じたって言ってたよね? 戻ったところで居場所なんてあるの?」

『居場所は自分で作るわ。世界を滅ぼして』

「……は?」


 今度は言葉に詰まるどころか思考が停止してしまった。


 世界を滅ぼす? なんで? どうやって? 核戦争でも起こすのか? いや、カレンの言う世界とは、彼女が元々住んでいた世界のことだ。核どころか基礎的な科学さえも無いと、本人の口から聞いていた。


 様々な疑問が溢れてくるが、唐突に切り出された告白に戸惑ってしまい言葉が出ない。

 すると愉快そうに口元を歪ませたカレンが、緋色の瞳を向けてきた。


『貴方が召喚魔法を成功させてくれたおかげで、ある事実が判明したのよ。ゲームから何かを召喚する場合、ノーコストで実現できる。きちんとした召喚術式さえ整っていれば、魔力も、体力も、何も消費することはないの。私もまだ理屈まで理解したわけじゃないけど、『データから実物への生成』という特殊な召喚過程がそうしているのかもしれないわね。これが何を意味するのか、貴方には分かるかしら?」


 つまり……無限にモンスターを召喚できるってことか!?


「さすがね。その通りよ。新しい世界で新しい人生を歩むのも悪くないと思ってたけど、膨大な力の在処を知ってしまったら復讐心に火が付いたわ。もうこの感情を抑えることはできそうにない。英雄であるこの私を粗末に扱った人間どもに罰を与えるの」

『…………』


 否定も批判もしなかったが、矢頭の頭の中は嫌悪感で満たされた。


 自分とは一切関わりのない世界がどうなろうが知ったこっちゃない。だがカレンのやろうとしていることは魔王と同じ……いや、いくら相手方に非があるとはいえ、同族を滅ぼそうなどと考えるのは余計にタチが悪い。


 故の嫌悪感。十日間ほど共に過ごしてきた女性の正体が急に見えなくなり、矢頭は本能的に忌避しようとしていた。


「やっぱり甘ちゃんね。なら、私がやろうとしていることも貴方は非難するでしょう?」

『――ッ!?』


 カレンの言わんとしていることが鮮明に頭を過り、矢頭は息を呑んだ。

 それはダメだ! そんなことは許さない!


 彼女の企みを阻止しようと声を出す。が、何故か口が開かなかった。いや、そもそもカレンは何も言っていないのだ。なのに、どうして彼女の考えが手に取るように理解できたんだ?


「あら、今ごろ気づいたの? まあ、痛みを伴わないのは私も意外だったけど」


 ま、さか……。

 身体が自由に動かない。それどころか、自分の意図しない部位が意図しない方向へと勝手に動く。五感はそのままなのに。


「おバカね。脳は人間にとって一番重要な器官。見ず知らずの女に預けちゃダメじゃない」


 気持ち悪い。自分の声で自分が思っていない言葉を聞くのが気持ち悪い。


「安心して。貴方は殺さない。というか殺せないわ。殺してしまったら、召喚魔法を実現するための媒体が無くなってしまうもの。アロネから権限を奪うまで、貴方は無事でいてくれなくちゃ私が困るわ」


 僕の身体を返せ!


「ええ、もちろん。私は貴方の脳を完全に支配したわけではなくて、プログラム領域を拡大しただけ。私が自分自身の召喚に成功したり、『エターナル・ファンタジア』の中へ移動したときは必然的に身体の所有権を返すことになるわ。でも、今はダメ。甘ちゃんの貴方は、いざ友人を殺害するとなった時に二の足を踏んでしまうかもしれない。だから一時的に身体を貸しなさいな。私が代わりにやってあげる」


 ふざけるな! 僕は約束を違えたりはしない!


 いや、それよりも、キミがやろうとしていることは決して認めない! その行為に何の意味があるっていうんだ!


「意味? 意味ならさっき言ったでしょ? というか貴方の声、酷く耳障りだわ。少し黙っててくれないかしら?」


 頭の中で一方的に通信を遮断する。これで矢頭との意思疎通はできなくなった。


 夜の静寂に包まれたカレンは、約二年ぶりの実体ある身体を堪能するように大きく深呼吸をする。そのまま数秒ほど大空を眺めた後、矢頭の身体をくまなく観察し始めた。


「男の身体だというのに、酷く脆弱ね。身体能力は全盛期の私の五分の一以下ってところかしら。これでもこの世界では平均以上ってのが驚きよね」


 一通り見回した後、カレンは自虐的な笑みを漏らした。


「メリットは若返ったことくらいかぁ。ま、いいわ。どうせ元の肉体を手に入れるまでの借り物。ひと時くらいは我慢しましょう」


 アロネを削除し、権限を得て、肉体を取り戻し、元の世界へ帰る。

 そして『エターナル・ファンタジア』から召喚した無限の軍勢を引き連れて、自分を侮辱した人間たちを蹂躙するのだ。


「うふふ。召喚先がゲームの中だったのは災難だったけど、思わぬところで幸運が舞い込んできたわ。データなんて召喚リソース、他の世界じゃ見つからないもの。この国のことわざで言うなら、怪我の功名ってやつかしら。ねえ、合ってる? ……ああ、そういえば通信を切っていたんだったわね」


 ほとんど独り言になってしまったが気にしない。

 カレンの頭の中にあるのは、元の世界の人間たちに向ける復讐の心だけだった。

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