第16話 変異する日常

 カレン及び協力者の手掛かりが掴めないまま、さらに三日が経過した。


 相変わらず向こうからのアクションは無し。アロネ曰く、一度もゲームの中にも戻ってきていないらしい。つまり、完全にお手上げ状態だった。


 これだけ平穏な日常が続いてしまうと、ついつい頭の片隅を過ってしまう。

 奴らはこのまま何も手を出してこないんじゃないか、と。


 もちろん、油断し始めた頃が一番危険なのは重々承知している。だが時折カレンの言葉を思い出すのだ。『てっきりそのまま外で暮らすのかと思ってた』という発言は、自分が同じ立場だったら同じことをするからこそ出た言葉なのではないだろうか?


 そうやって自問自答していると、アロネが静かに首を振った。


『ううん。カレンが権限の入手を諦めることはないよ』

「でも自分は帰る気がない、異世界人も帰す気はないんなら、もう召喚権限なんて必要ないんじゃないか? アロネが無理やり奪いに来る可能性ってのも、今みたいに近づかなければ問題ないだろうし」

『そういう訳にはいかないんだと思う。漠然とした感覚しかないけど、ボクには分かるんだ。召喚権限が半分に割れたことで、ボクらは自由を縛られてしまっている』

「自由? それは例えば異世界人を元の世界に帰せない、みたいな?」

『うん。今のままじゃ、カレンも自分の能力を十全に発揮できないんじゃないかな? だから必ず奪いに来ると思う。自らの自由のために』

「仮に肉体を得ていたとしても、どのみちアロネを削除しなきゃならないってわけか」

『今はどうやってボクから権限を奪おうか思案しているのか、もしくはその準備をしている最中なんだと思う。だから、その、あんまりナイトを追い込むようなことは言いたくないけど、警戒は怠らないようにしてほしい』

「大丈夫。こっちから探す手段がない以上、向こうからの接触を待つしかないわけだからな。そん時ゃ返り討ちにしてやるよ」


 怖くないと言えば嘘になる。それに精神状態も先週から快復しているわけではない。

 けど、四の五の言ってられない状況まで差し迫っているのだ。覚悟を決めるしかない。


「ああ、そうだ。アロネ、俺がガチでヤバくなった時はエタファンに逃げてくれよ。スマホの電源は常に入れておくからさ」

『えっ、でも』

「護る護ると口では言ってるけど、結局俺には実力が伴ってないからな。争いになったら普通に負けることも考えとかないと。二人で共倒れになるよりかはマシだろ?」

『…………』


 この時ばかりはアロネも返事をせず、ただただ無言で頷くだけだった。

 そして、アロネとそんな会話をした翌日のことだ。

 朝、いつもの時間に起きてリビングへ降りて行くと、母親がテレビに齧りついていた。


「おはよう。……何してんの?」

「あっ、ナイト。見て見て。これ、家の近くなんだってさ!」

「?」


 促されて俺もテレビを覗き込む。

 チャンネルは毎朝お馴染みのニュース番組。見慣れたニュースキャスターやコメンテーターが議論を交わしているスタジオ……ではなかった。


 ちょうど画面が切り替わり、星の少ない真っ暗な夜空が映し出される。


 どうやら視聴者から提供された映像らしく、随分と手ブレが酷い。たぶんスマホかなんかで慌てて撮影したのだろう。


 そのため肝心の内容を把握するのに少し時間がかかった。

 巨大な何かが……夜空を飛んでいるのか?


 俺の認識を補足するように、テレビから『昨夜未明、閑静な住宅街の上空に謎の飛行物体が現れ、約一分ほど旋回した後、突如として行方をくらませました』という冷静なナレーションが届いた。


 映像はわずか数秒なのか、同じカットが何度もスローで再生され始める。

 テレビから離れた母親の目は、興奮気味に輝いていた。


「ねえ、ナイト! これ、何だと思う!?」

「知らねえよ。どうせCGとかじゃないの?」

「複数人が目撃してたから違うってさ!」

「ふーん」


 正直、あんまり興味はなかった。


 はっきり言っちゃうと、テレビって信じてないんだよな。視聴率を取りたくて普通に捏造とかするし、今じゃ映像の加工とか簡単にできちゃうし。だからUMAだろうが心霊写真だろうが、まずは疑ってかかることにしている。


 というわけで、たとえ近所の出来事であっても我関せずを貫こうとしたのだが。

 次の瞬間、出かかっていた欠伸を思わず飲み込んでしまった。


 母親が言った通り、目撃者は一人ではなかったのだろう。先ほどとは別の角度から謎の飛行物体が映し出される。一瞬だけ、そのシルエットがはっきり見えたのだ。


『ねえ、ナイト。あれって……』

「あ、ああ」


 俺と同じく、アロネも絶句しているようだった。


 テレビでは謎の飛行物体とぼかしているが、あれはどう見ても一般的に『ドラゴン』と呼ばれている空想上の生物だった。


 さらには、とても空など飛べそうにない恰幅の良い腹部と、特徴的な形の翼。そのシルエットは、エタファン内で登場する《ゲルビア山》のエンシェントドラゴンと酷似していた。


『ナイト、スマホは持ってる? ちょっとゲーム内のデータを解析してくる』

「分かった」


 スマホを操作すると、アロネの姿が見えなくなった。


 ついでにSNSや掲示板も確認してみる。まだ数は少ないものの、朝のニュース番組を観ていた人たちが話題にしていた。中には、俺と同じくエンシェントドラゴンに似ていると指摘している人もいる。


 ゲルビア山のエンシェントドラゴン。コイツはいわゆるクエスト専用モンスターである。


 しかも普通のクエストではない。レベル上限解放クエストといって、ジョブレベルが五十になると受けることができ、クリアすることでさらなる高みを目指せるのだ。レベル五十一以上のプレイヤーは必ず一度は討伐しているはずなので、それなりに知名度も高い。


 エタファン内でも一体しか存在せず、普段はゲルビア山の山頂上空で常に旋回飛行を続けているのだが……。


 何で急にエンシェントドラゴンなんて現れたんだ?


 俺以外の人間にも視えてるってことは、あれはエタファンから送られてきているデータではない。ちゃんと実体があるということだ。


 実体? 何で? ガチで現実にモンスターが出てきちゃったってこと?

 目の前で起こっている現象を許容することができず、頭が混乱する。

 すると突然、隣にアロネが現れた。その顔に、困惑の表情を引っ提げて。


『やっぱりだ。昨夜、一分間だけエンシェントドラゴンがゲームから消失してたみたい』

「はあ!?」

「えっ、なに? ビックリした」


 俺の狼狽で母親が驚いたため、慌ててくしゃみで誤魔化しておいた。

 番組のコーナーが変わり、立ち上がった母親が台所へ朝食を作りに行く。


 その際、「何か縁起でもないことが起きなきゃいいんだけどねぇ」と何気なく呟かれたその言葉が、妙に耳に残った。






 学校に到着するまでアロネと協議した結果、誰かがエタファンの中からエンシェントドラゴンを召喚したという結論に落ち着いた。誰か、なんて言ったが、そんなものは決まっている。カレンとその協力者以外にあり得るわけがない。


 では、どうやって召喚したのか。そんなことが可能なのか。


 愚問だ。ゲームの中に異世界が召喚された時点で、俺たちの常識の範疇を越えているのだ。『魔法』に関しては何でもアリと思った方がいい。


 問題は、エンシェントドラゴンの召喚にどのような意図があったか。


 一分間という短時間だったことを加味し、アロネはゲームのモンスターを本当に召喚できるかどうかを試しただけ、という意見を出した。それには俺も同意。もしくは何らかの原因で一分程度しか召喚を継続できなかったか。


 どのみち予断を許さない状況であることに違いはない。


 もしエンシェントドラゴンが街中に降り立って暴れだしたら? この世界には勇者も冒険者もモンスターを狩ることを生業にしているハンターもいないのだ。現代兵器で鎮圧するまで、どれだけの被害が出るのか想像もできなかった。


 アロネと様々な意見を交換しながら、教室に入る。

 クラスメイトの話題は、すでに今朝のニュースで持ち切りだった。


「おお、ナイト! 朝のニュース見た!?」

「謎の飛行物体ってやつだろ? 見たよ」

「アレ、ぜってードラゴンだよな!?」


 能天気な黒田が童心に返ったような笑顔を向けてくる。


 実際に被害は出てないようだから、深刻になれって方が難しいんだろうけどさ。ドラゴンの出現って聞いて、ここまで危機感なくていいもんなのかね。ま、俺も事情を知らなかったら同じようにはしゃいでいた自信があるけど。


 適当に話を合わせているうちにも、莉愛が登校してきた。


「おっすー。あれ、ナイトだ。今日は早いんだね」

「……お前が冷静なのが逆に驚きだよ」

「えっ、なになに? なんかあった? 話題の芸能人が結婚したとか?」


 なるほど。朝はテレビとか見ないタイプか。


「ネットでニュースを見てみろよ。ああいや、全国的な話題じゃないからSNSの方がいいかもな」

「うん?」


 不思議そうに首を傾げた莉愛がスマホに目を通す。

 その顔が、徐々に曇っていった。


「ナイト。これって……」

「分かってる。俺もさっきまでアロネと話し合ってた」


 情報共有したいのは山々だけど、俺たちだけ深刻な顔してたら周りから変な目で見られるだろ。まーた夫婦だのなんだのって揶揄されるぞ。


「後でな」

「うん、分かった」


 それから数分ほどしてホームルームが始まる。

 担任が来る頃には、話題の熱も収まりつつあった。


「んじゃあ出席とるぞ。……休みは矢頭だけだな」

「矢頭が……欠席?」


 そういえば顔を見た覚えがないな。

 何人かがそうしているように、俺も倣って首を回す。クラスの清涼剤的さわやかイケメン男子の席は空だった。


『ねえ、ナイト。矢頭君ってさ、カレンが協力者を得たと思われる翌日も欠席してたよね?』


 ん?

 アロネの問いかけを耳にして、記憶の引き出しが無理やりこじ開けられる。

 確か……そうだったような気がする。


『で、街の上空でドラゴンが現れて大騒ぎになった今日も欠席だ』


 ここまで聞けば、鈍感な俺でもアロネの言わんとしていることが理解できた。

 思案顔のまま隣に佇んでいるアロネを一瞥しながら、俺は心の中で反論する。


 言いたいことは分かる。でも、さすがに偶然じゃないか? 別に今まで皆勤だったってわけでもないみたいだし。それに何かあった日の翌日に休むって、疑ってくださいって言ってるようなもんだろ。


『うん、そうかもしれない。けど、ボクらは今まで協力者の手掛かりを何一つ掴んでいないんだ。ナイトと莉愛ちゃん以外の人間は、どんな些細なことでも疑っていかないと』


 そりゃそうだが……魔法もモンスターも試したけど、アイツまったく反応しなかったぞ。身構えるどころか、視線すら向けなかったのはアロネも確認しただろ?


『友達を疑いたくない気持ちは分かるよ。けど、ごめんね。こうやって人間みたいに振舞っているけれど、ボクはどこまで行ってもただのプログラムでしかないんだ。不確かな情報を不確かなまま放置したり、調べれば解決できる問題を見て見ぬ振りはできない。だから……ナイトの友達を疑うことを許してほしい』


 アロネの言う通りだ。矢頭の嫌疑を晴らすためにも、俺が動かないと。


 にしても、俺もホント成長しないなぁ。子供に謝られるなんて、どんだけ醜態を晒せば気が済むんだ。俺の方こそ、分からず屋でごめんな。


『ううん。ボクの方こそ無理言ってごめん。そしてありがとう、ナイト。やっぱりナイトに頼って本当に良かったよ』


 そう言って、アロネはここ一番の笑顔を見せてくれたのだった。

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