第12話 カレンの協力者

 時間は少しだけ遡る。


 芝が広がる森林公園の一角。大きな樹の幹に背を預けるようにして立っていた青年が、手にしているスマホの電源を切った。


「追わなくていいのかい?」

『ええ、構わないわ。今は貴方の正体が露見することこそ一番の不都合ですもの』


 どこからともなく聞こえてくる女性の声に頷きつつも、青年は樹の陰から後方を窺った。

 散歩道を一目散に走っていく一組の男女が見える。


「ここで始末しないんなら、何のためにモンスターを襲わせたんだ? キミがゲームの外へ出てきたって知らしめたようなものだろう?」

『むしろそれが目的なのよ』

「というと?」

『アロネなら、一度ゲームの中に戻って私の不在を確かめるでしょうね。だからメッセージを残してきたわ。全プレイヤーを人質に取ったとでも言えば、アロネは否が応でもゲームに意識を割かなくちゃいけなくなる。その間、私は貴方と共にこの世界の常識を学ぶことにするわ』

「なるほど」

『それにイースドラゴンが倒された時点で彼らを屠る手段はもう無かったでしょ? だって魔王城のモンスターは、奴らがこちらへ来ないようにするための壁でしかなかったんですもの。貴方、スマホの電源を切るのがもう少し遅かったら殺されてたかもしれないわ』

「はは、冗談きついね」


 青年は笑うが、女の言うことは決して間違いではなかった。


 何故イースドラゴンは遠く離れたナイトを攻撃対象としたのか。その理由は、あのイースドラゴンが昨日ナイトを襲ったデータの残滓だったため、彼に対するヘイト値もそのまま残っていたからである。故に側にいたはずの青年には目もくれなかったのだ。


 だが魔王城のモンスターは違う。ヘイト値がフラットな状態ならば、最初にタゲが向くのは最も近くにいるキャラクターだ。つまりあのままスマホの電源を切らなければ、モンスターの軍勢に標的にされていたのは青年の方だった。


「そういうことは先に言っといてほしいね。てっきり何か工作しているものだと思ってたよ」

『ええ、その辺に抜かりはないわ。切羽詰まっていたアロネとは違って、私が貴方の脳にプログラムを刻んだ時は余裕があった。だから少し仕様を追加させてもらったのよ』

「仕様を?」

『簡単に言うと、通信を任意のタイミングで切り替えられるスイッチ機能を加えたの。オフにすれば『エターナル・ファンタジア』との通信は切れて、完全なスタンドアローン状態を実現できる』

「じゃあスマホの電源を切らなくても、キミがスイッチをオフにすれば、さっきのモンスターはボクに干渉できなくなるわけだ」

『そういうこと』

「なんていうか……キミは意地悪だね。他人が狼狽するのを楽しんでいるようだ」


 わざわざ説明を後回しにしてまで、一歩間違えれば死んでいたと脅してきたのだ。

 女のサディスティックな一面を見せつけられ、青年はやれやれと肩を落とした。


「で? キミがここにいてアロネっていうAIがゲームに戻るのなら、他の異世界人が危険に晒されるんじゃないかい? 彼らには何の能力もないんだろ?」

『いいえ、その心配は要らないわ。彼らを元の世界へ帰そうとしているアロネの意志は本物。それはこの二年間の追いかけっこが証明している。だって防御壁にしている彼らを一向に削除しようとしなかったんですもの。中身が空っぽなのに、今さらあの子が壁を破壊するとは思えないわ。それに……』


 悪戯っぽく笑う女の声に、わずかながら悪意が含まれた。


『そもそも彼らがどうなろうと、私は知ったこっちゃないもの』

「ふーん」


 女の回答は想定通りであり、青年にとっても異世界人の命などさして興味は無かった。

 ただ『アロネの意志に疑いようがないのであれば、奪った権限を返せば元の世界に帰してくれるんじゃないか?』という疑問は残る。


 しかしダメなのだ。嘘か真か計る術はないものの、女の目的を青年はすでに耳にしていた。そしてそれに賛同したからこそ、一時的な隠れ蓑として自らの脳を提供したのである。そのためアロネに権限を返すという選択肢はない。あるのは、こちらが全権を得ることのみ。


「って、そうそう。今まで当たり前のように《召喚権限》って単語を使ってたけどさ、結局それって何なの? コンピュータ用語の管理者権限みたいな感じで認識してたけど、微妙にニュアンスが違うみたいだしさ」

『《召喚権限》とは、召喚魔法を行った者が持つ権利のことよ。召喚者と被召喚者との間で結ばれる契約内容によって細かな部分は変わってくるけれど、大まかなところはどの世界でもだいたい同じ』


 そう言って、女は滔々と語りだした。


『その一、被召喚者は召喚者の許可なくして元の世界に帰ることはできない。ただし召喚者が死亡した場合は、その限りではない。その二、被召喚者は新たに召喚魔法を使うことができない。《被召喚者》という楔が、召喚魔法そのものを縛ってしまうみたいなの』

「ふむふむ」

『その三、召喚者は任意のタイミングで被召喚者を送り返すことができる。被召喚者に帰還の意思がなくともね。その四、被召喚者は召喚者との契約が完了するまで別の場所に召喚されることはない。……ま、こんなところかしら』

「つまり言い換えるなら、『召喚した側が召喚された側に対して持つ特権』ってとこか」

『そうね。私はこの世界に召喚された際、すぐにアロネを殺して権限を奪おうとしたわ。召喚者を害してはならないという契約が無かったから。でも、結局は半分しか奪えなかった。そのため二人とも、召喚者が持つべき権利と被召喚者が課せられる楔が混ざった状態になってしまったのよ。召喚された人々を帰すことも、別の世界から新たに召喚することも、何もかもができなくなってしまった』

「へー。言っちゃ悪いけど、異世界で名を馳せた大魔法使い様でもAIには敵わなかったってことか」

『仕方ないじゃない。召喚された場所が、まさかゲームの中だとは思わないでしょ!? 少々戸惑ってしまったのよ』


 ここまで平坦な口調で語っていた女が、初めて感情らしい感情を露わにした。

 憤慨。権限を譲らなかったAIの少女に対して、女は呪詛のような小言を漏らした。


『とにもかくにも、アロネから権限を奪わなければ何も始まらないわ。ねえ、貴方。アロネの宿主になってる男を郊外にでも誘いだして殺せないの? アロネが入ってる状態なら、それで事足りるのに』

「無茶言うな。そんなことしたら殺人罪で捕まっちゃうよ。キミが権限を奪った後のことも考えて、僕の身は自由にしておかなきゃ」

『何も街中で殺せと言ってるわけじゃないわ。森とか山とか、いくらでもあるでしょう? 友達だというなら、怪しまれずに呼び出せるんじゃないかしら?』

「それでも無理なんだってば。たとえ人の住んでない土地であろうと、人を殺せば確実に捕まっちゃうよ。日本の警察は優秀だからね」

『ふーん。私が住んでいた世界とは、まったく常識が違うのね』

「そうなのかい?」


 問い返す青年の声は、どことなく弾んでいた。


『街中で人を殺せば憲兵に捕まるでしょう。けど、街の外ならすべては自己責任よ。誰に殺されようが文句は言えないし、どこで死んでも誰も気にも留めない。モンスターが徘徊するフィールドに足を踏み入れるということは、そういうことなのよ』

「へえ」


 彼女が住んでいた世界の話は少しだけ聞いていた。


 普遍的に魔法が扱われ、街の外ではモンスターが闊歩し、世界各地には未踏の迷宮があり、かつては魔王も君臨していたという。ゲームのようなファンタジックな世界に思いを馳せ、青年は無意識のうちに心を躍らせていた。


『ま、いいわ。貴方という隠れ蓑を確保できた今なら、いくらでもやりようはある。まずは私たちがこの世界でできること、できないことを検証していきましょう』

「ああ、分かった。っと、その前に訊きたいんだけど、僕の脳にキミがいるってことはナイト君に露見しないよね?」

『ええ、もちろん。そのためのスイッチ機能ですもの。オフにしている限り、『エターナル・ファンタジア』と通信することはない。たとえアロネが宿主のスマホからモンスターを呼び出したとしても、貴方には一切認識することはできないわ。だから貴方が不用意に私の名前を呼んだり、おかしな挙動でもしない限り、あちら側に知れることはない』

「そっか、なら安心だ。心置きなく日常生活を送れるよ」


 そう言って、青年は隣の何もない空間へと視線を向けた。


 否。青年にだけは見えていた。妖しげな笑みを浮かべ、緋色の瞳で青年を見つめているローブの女が。


 そして二人は改めて挨拶を交わす。


「それじゃあ、これからよろしくね。カレン」

『ええ、頼りにしているわよ。矢頭』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る