第8話 今後の計画

 遠くの方で俺の名前を呼ぶ声が聞こえたような気がした。

 いや、気のせいじゃないみたいだ。声はだんだんと近づいてくる。


『ナイト、起きて。朝だよ』


 もう朝かぁ。まだ眠たいなぁ。あと五分だけ寝かせてくれ。


『あと五分だね。分かった』

「そこは素直に聞いちゃダメだろ」


 思わず口に出してツッコんでしまう。瞼を開けると、俺の顔を覗き込みながら『えっ、そうなの?』と意外そうに驚いている銀髪の少女が目に入った。


 にしても、可愛い女の子に起こしてもらえるとか最高の朝だな。欲を言えば、もっと妹感を出してほしかったけれども。


『お兄ちゃん、朝だよ! 遅刻しても知らないんだからね!!』


 うひょー! コレだよコレ! やっぱツンデレ感あってこその妹だよな!

 ……人工知能相手に何やらせてんだ俺は。最低か。


「つーか妹感とかよく分かったな」

『ナイトが自分で考えてたからね』


 なるほど。俺の想像を読み取ったってわけか。だからこそ俺の理想像。なんだそれ、恥ずかしすぎんだろ。朝っぱらから死にたくなったわ。二度寝で永眠すっぞ。


『それでね、ナイト。今後のことを一晩中考えてたんだけど……』

「いやいや、ちょっと待て。まだ寝ぼけてて頭が現実に追いついてない。後にしてくれ」


 眉間を摘まんで昨日の記憶を呼び覚ます。


 俺の頭の中にアロネという名のAIが棲みついた。一度ゲームの中に帰ったけど、紆余曲折あって俺がずっと護ってやると誓い連れ戻した。で、昨日は疲労困憊だったため、そのままベッドへ倒れ込んだんだった。はいオーケー、思い出した。


 スマホは未だ電源を切っているため、壁掛け時計で時間を確認する。いつもの起床時間の十分前か。五分間の二度寝をアロネが許可するのも納得だ。


「じゃなくて。どうやって時間を確認したんだ? 俺と五感を共有してるってんなら、寝てる間はずっと真っ暗だっただろ」

『ナイトの体内時計を参考にしたんだ。十分の誤差は出たみたいだけど』

「マジか。人間の身体ってスゲーんだな」

『そうなのかな? 機械なら一秒の狂いもなく正確に時間を測れると思うよ』

「お、おう……」


 AIに言われると説得力あるなぁ。確かに機械の方が便利だし、はるかに有能だ。


 アロネと雑談をしながら朝の準備を進めていく。同じタイミングで起きてきた両親と朝食を共にし、歯磨きと洗顔を済ます。その後は自室へ戻って制服に着替え、今日の時間割の教科書をカバンの中に詰め込んだ。


『やっぱり人間って大変だよね。一日平均三回の栄養摂取と数時間の睡眠が必要だし、身体のメンテナンスも欠かせない』

「そりゃ生物なまものだからな」

『しかも将来必要になる最低限の知識を九年もかけて学ぶんでしょ? これが機械なら、教科書さえ揃えられれば数分で終わるのに。ホント、人間って効率が悪いよね』

「…………」


 なんで急に人間をディスり始めたんだろう。なんか気に障ったことでもあったのかな?


 ただ、その心配が杞憂だったことはすぐに分かった。視界に映るアロネが、まるで遊園地を訪れた子供のように胸を弾ませていたからだ。


『だからこそ人間は面白いと思う。毎日いろんな変化があって、まったく飽きないよね』

「……そうだな」


 目を輝かせるアロネを見て、俺も口元を綻ばせた。

 初めてだという人間の身体。居心地は悪くなさそうで何よりだ。


「さて。んじゃ、いってきます」


 家を出て、まずは莉愛の有無を確認する。よし、今日はいないみたいだな。まあ普段の遭遇率も五分五分以下だし、待ち伏せさえされてなきゃ大丈夫だろう。これで心置きなくアロネと話せるな。


「悪い、やっと頭が冴えてきた。んで、朝の話って何だったんだ?」

『うん。これからボクたちがやるべきことを一晩中考えてたんだ』

「やるべきこと?」

『まずはスマホの検証かな。こっちが電源を入れてるだけでモンスターを送って来れるのか、それともアプリを起動しないとダメなのか。学校が終わってからでいいから一度実験したい。いつまでも使えないんじゃ、ナイトも不便でしょ』

「そりゃそうだけど……それはアプリを消せばいいだけの話だろ?」


 身の安全には代えられないし、別にアプリを削除することに抵抗はない。必要になったら再インストールすればいいだけだしな。


 だがアロネは首を横に振ってやんわりと否定した。


『アプリは残しておいて。あとで詳しく説明するけど、ボク自身がスマホから『エターナル・ファンタジア』の中に移動できるかどうかも試したいんだ』

「なる、ほど……?」


 言葉に詰まったのは、少し疑問を抱いたからだ。


 理屈は分かる。ゲーム側からモンスターのデータを転送できたのなら、アロネもスマホを通してゲームの中へと戻れるのが道理。ただVRゴーグルではなく、スマホから移動する必要性が思いつかなかったのだ。


 問い返そうとも思ったが、まずは黙ってアロネの言葉に耳を傾けることにした。


「分かった。学校が終わったらスマホ関連の検証をしよう」

『うん。そしてボクの目標は昨日も言った通り、ゲームの中に召喚されてしまった人たちを無事に元の世界へと帰してあげることだ。そのためには、残り半分の召喚権限をカレンから返してもらう必要がある』

「昨日の感じだと、話し合いには応じそうになかったけどな。奪い返す算段はあるのか?」


 と、自分で言ってて妙な違和感を覚えた。

 アロネがカレンから、権限を……奪う?


「カレンはアロネを罠に嵌めれば完全に削除できるみたいなこと言ってたけど、逆はどうなるんだ? 例えば、その……言いにくいけど、アロネがカレンを削除するとかさ」

『うん。それは……できるけど、できない』

「できるけど、できない? また奇妙な言い回しだな」

『実を言うと、召喚が起こった初期の頃なら簡単に奪い返せたんだ。でもボクはカレンを含めた異世界人全員を帰すことにこだわってしまった。カレンを削除する以外の方法が見つからないのにもかかわらず。その間、カレンはすごいスピードでプログラムを学んでいった。今ではゲーム内で生まれたボクと大差ないくらい万能になってるはずだよ』

「フィールドに罠を張ってるのも、学習の賜物ってわけか」

『うん。それでカレンは、ボクから存在を削除されないよう自分自身にセキュリティをかけてしまったんだ』

「セキュリティ?」


 問うと、アロネは少しだけ躊躇する素振りを見せてから口を開いた。


『カレンは今、異世界人のデータで何重ものプロテクトがされているんだ』

「なっ!?」


 その言葉だけで理解してしまった。


 例えるなら、主であるカレンの周りを何人もの異世界人が警備しているようなもの。万能なアロネなら突破自体は難しくないのだろうが、すべての異世界人を殺さなければカレンの元へは辿り着けない。おそらくカレンがプログラムしたのだ。


 人の命を壁にするとは……なんて卑劣なやり方なんだ。


「いや、ちょっと待て。それ矛盾してるだろ」

『矛盾?』

「昨日カレンと話した限りじゃ、召喚権限が万全じゃなきゃ自分たちを削除できない、みたいなニュアンスだったぞ。だからこそ権限は渡せないって」

『そうなの?』

「聞いてなかったのか?」

『うん。一度ゲームの中に戻ってログを漁らないと分からないや』


 いや、カレンは間違いなく言った。召喚権限を返したら、自分たちの存在を削除されるかもしれないと警戒していたはずだ。しかしアロネがその気になれば、今の状態でも彼らを削除できるという。


 どういうことだ? カレンはアロネの能力を見誤っているのか?


『そんなはずはないよ。ボクとカレンは同じことができるし、同じことができない。実際ボクも、未踏フィールドをセキュリティに使って時間を稼いでるからね』

「ああ。一度訪れた場所に罠が張られるって、そういう意味だったのか」


 カレンは人命を担保に、アロネは逃げ場所を担保に自分を守ってるってわけか。

 ならば尚更カレンが知らないはずはない。アロネなら簡単に異世界人を削除できることを。


『たぶん異世界の人たちは、自分がカレンの防御壁になってることを知らないんだと思う。だからカレンは不安にさせないように、そう言っただけじゃないかな?』

「なるほどな」


 壁にされている異世界人にとっては、常に銃口を向けられてるようなもんだしな。下手に混乱させないためにも、情報は与えない方が無難だろう。


『ひとまずカレンの思惑は置いておこう。考えても仕方ないからね。話を戻すと、ボクは異世界の人たちを削除してまで権限を取り戻そうとは思ってない。だから削除しなくてもセキュリティを突破できるように、彼らのデータを書き換えることにした』

「そんなことができるのか?」

『うん、できる。ただし今まではハッキング中に逆探知されて捕まっちゃう危険性があったんだ。だから実行に移せなかった』

「あっ、そこで俺の出番ってわけか」

『そういうこと。一人のデータを書き換えたら、すぐにナイトの中に逃げ込んでログアウト。時間を置いて、また次の人のデータを書き換えたらログアウト。それを繰り返すんだ』

「ヒット・アンド・アウェイってことだな」


 昨日、アロネが罠に捕らえられた時のことを思い出す。


 罠を解除した後、次の罠がアロネを拘束するまで少しだけラグがあった。その一瞬の隙を縫って、アロネは奴らの手が届かない俺の頭に逃げ込むという算段だ。


『ボクならナイトのキャラの位置情報を変更できるから、異世界人の側でログインすることも可能だよ。ログインしてデータを書き換えてログアウトする。一回十秒もかからないと思う』

「その異世界人って何人くらいいるんだ?」

『一三二人。ただカレンが隠匿してる可能性もあるから、この数値は最低人数だね』


 意外と少ないんだな。あ、アロネは確か異世界の一部って言ってたっけ。おそらく村一つ、街一つ程度の規模だったのだろう。


『注意しなきゃいけないのは、他のプレイヤーに目撃されることかな。チートを疑われてGMとかに通報されたら厄介だ。それにカレンはすぐに対策してくると思うから、その都度攻略方法を考えなくちゃならないだろうね』


 カレンは必ず対策してくるだろう。というか最初からセキュリティを破られた時のセカンドプランがあるに違いない。なぜなら異世界人の肉壁は、倫理観を失くしたアロネの前では脆すぎるのだから。


「オーケー、理解した。だからスマホアプリは削除しない方がいいんだな」

『うん。逃げ道は多いに越したことはないからね。念のためだよ』


 光明が見えてきたな。


 カレンの持つ権限を取り戻すためには、一三二人分のセキュリティを無効化させる必要がある。俺はアロネの逃げ道として常に側にいればいいってわけか。


 ただ、この作戦には大きな穴がある。アロネもそれを考えていないはずはない。


「最後はどうする? カレンを削除しなくちゃ権限は取り返せないんだろ?」

『うん。追い詰めたら自発的に返してくれることを期待しているけど、もしそれでも返さない場合は……ボクも覚悟を決めなくちゃならない』

「……そっか」


 カレンを殺す。全員無事を信条としていたアロネには辛い選択肢だろう。

 だがカレン一人と百人以上の異世界人を天秤に掛ければ仕方のないことだ。


『ま、それはその時に考えるよ』

「分かった」


 俺はアロネの騎士として、どんな選択でも尊重するだけだ。


 とにもかくにも、一応の作戦会議はこれで終わりだ。アロネのためにも、帰宅したら早速実践してみようと思う。


 でも、その前に……。


『学校!』


 隣を歩くアロネが意気揚々と声を上げた。

 そう。俺には俺自身の人生もある。アロネと自分、両方守れなきゃ意味が無いんだ。


「にしても、やけに元気だな。学校だぞ、学校。遊びに行くんじゃないんだぞ?」

『分かってるよ。でも楽しいんだ。遊ぶのも、学ぶのも。ううん、それだけじゃない。食べるのも、触れるのも、まともに会話するのだってナイトが初めてだもの。ボクにとっては何もかもが未知の体験で、どうしようもなく気分が高揚しちゃうんだ』

「……そっか」


 楽しそうにしているアロネを見ていると、ついつい俺も表情が緩んでしまう。


 何だろうなぁ、この気持ち。妹がいる全国の男どもは、常にこんな心穏やかな気分になってるのかなぁ。いいなぁ。俺の両親、今からでも頑張ってくれないかなぁ。


 冗談はさておき、俺は自分の足取りが心なしか軽くなっていることに気づいた。

 アロネと一緒なら、退屈極まりない学校も少しは楽しめそうだな!






 ……と、思っていた時期が俺にもありました。


「なーんでうちのライン無視するのかなぁ?」


 正面で仁王立ちする莉愛の小言が俺の頭に突き刺さった。


 うん。まあ、こうなることは十分予想できてたよ? でも、だからって自分の席に着いて即お説教はなくない? 通学路、がんばって歩いてきたんだよ? もう少し落ち着いた後でもよかったんじゃないかなぁ。


『こ、これが修羅場ってやつ?』


 アロネよ、後生だから今だけは黙っといてくれ。


 とは言ったものの、この鬼を納得させられる言い訳なんて思いつくわけないんだよなぁ。ここは誰かが仲裁に入ってくれるのを期待して……あ、ダメそうだわ。クラスメイトたち、『また夫婦が痴話喧嘩してるよ』みたいな感じで誰も気に留めていない。だから俺たちは夫婦じゃねえっての。ただの幼馴染じゃ!


「ス、スマホを見れない事情があってだな……」

「へえ? そりゃどんな事情よ。いいよ、聞いたげる。言ってみ?」


 ま、そうなるよね。

 さて、アロネさん。ここで相談です。今までの経緯って莉愛に話しても大丈夫かな?


『もう! 黙ってろって言ったり相談に乗ってくれって言ったり、どっちなのさ!』


 ごめんなさい。後で甘い物を食べるんで許してください。


『ナイトの自由にしていいよ。莉愛ちゃんが信じてくれるかどうかは知らないけど』


 やっぱそこがネックだよなぁ。ゲームの中に異世界が召喚されたとか、どう考えても信じてくれるわけがない。しかも莉愛にはアロネの姿が見えていないのだ。荒唐無稽な話を根拠ゼロで信じ込ませるなど、もはや魔法の領域だろ。


 無駄を承知で素直に話すか、それともお仕置き覚悟で誤魔化すか。


 ……どうやらタイムアップだったらしい。長すぎる沈黙を割るように、莉愛が机を思いきり叩いた。


「もしかして、一昨日のイジメでうちのこと嫌いになっちゃった?」

「いや……」


 その場でしゃがみ込んだ莉愛が、消沈気味な上目遣いで俺を見上げてきた。


 ズルいなぁ。キレたかと思えば、急にしおらしくなるんだもん。こんな可愛らしい仕草をされちゃ、たとえこっちが不機嫌だったとしても許しちゃうよ。


 というわけで、莉愛の反則級の攻撃を受けた俺は素直に降参することにした。


「分かった、何があったか話すよ。ただ長くなると思うから放課後でいいか?」

「いいよ。ちゃんと話してくれればね」

「ああ、俺は約束を反故になんかしたりしないさ」

「よし。じゃあこの件は放課後まで不問にしましょう」


 ようやく解放されてホッと一安心。マジで生きた心地がしなかった。

 だが同時に、緊張が解れた俺の頭は莉愛の気になる一言を拾い上げてしまう。

 この件は?

 すると突然、俺の頬を両手で抓った莉愛が悪魔の微笑みを浮かべてきた。


「スイーーーーーツ」

「ふぉあ!?」


 動揺のあまり心臓が跳ね上がったのは言うまでもない。


 ちょっと待て。なんで莉愛が昨日のスイーツ豪遊を知ってるんだ? まさかファミレスにいた? いやいや、あり得ない。俺はおひとり様だったんだぞ? コイツなら絶対に声を掛けてくるはずだ。


 青い顔して目を泳がせていると、手を放した莉愛が嬉々としてスマホを見せてきた。


 画面には『ウチの生徒らしきスイーツ男爵を発見! 超ウケる(笑)。ってゆうかこの人、莉愛の幼馴染だよね?』というメッセージに添えられて、六つものデザートを前にげんなりしている一人の男子生徒が映し出されていた。


「うちの友達が報告してくれたのでした!」

「盗撮じゃねえか!」


 今時のJKの倫理観ってどうなってるんだよ!


「まったく、ナイトのくせにうちの許可もなく贅沢するなんてさ」

「なんでお前の許可が必要なんだ」

「うちを誘わなかった罰として、放課後に何か奢りなさい!」

「会話が成り立ってないし、お前に奢らなきゃいけない理由にもなってねえ」

「えー、そんなこと言っちゃっていいのかなぁ。おばさんにチクっちゃうぞ」

「脅迫じゃねえか!」


 倫理観がバグってるのはコイツの影響だな! 間違いない!


 心の中で狼狽していると、莉愛は『じゃあ、よろしくね』と可愛らしい声を出して早々に離れていった。どうやら朝のホームルームが始まるらしい。こっちの気分は朝からブラックホールだっつーのに。


 ってか、ごめんなアロネ。今日は直帰できそうにない。

 ……アロネ? 俺の正面で何してんだ?


『ボクもナイトのほっぺを抓ってみたいなって思って』


 いや、それは無理だろ。

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