第7話 新たな誓い
風呂から出て二十三時。今日はゲームもやってないし、スマホもずっと電源を切ったままだったので、とても静かに過ごせた。とはいえ時折アロネが話しかけてくれたおかげで、退屈まではしなかったが。
もう一度スマホの電源を確認し、VR用ヘッドセットを準備する。
アロネをエタファンの中へ帰すためにはゲームをプレイする必要がある。ただネットさえ繋がった状態であればタイトル画面からでも移動できるらしく、俺のキャラをログインさせる必要まではない。つまり、おそらくイース遺跡で待ち伏せているカレンたちと顔を合わせることはないのだ。
「本当にいいんだな?」
ゴーグルを装着する前、俺は再度アロネに問いかけた。
『うん。あんまり長く居座ると、ナイトに迷惑がかかっちゃうから』
「奴らに捕まったら、アロネは存在を消されるかもしれないんだろ?」
『そうだね。でも、逃げられるフィールドはまだまだ残ってるからさ。追い詰められるまでに何とかするよ』
カレンはアロネが一度足を踏み入れた場所にしか罠を張れないらしい。確かに逃げ隠れできる所はまだ存在するんだろうが……そんなの、時間稼ぎにしかならないのは明白だった。
『それじゃあナイト。ゴーグルを装着して』
「えっ……あ、ああ……」
考え事をしていたせいか、反応が少し遅れた。
このままずっと俺の頭の中にいろよ。その一言が出なかった。
だが俺が何を言おうとしていたのか、何を迷っているのか、アロネには伝わっているはず。にもかかわらず何も言ってこないということは、アロネは本心から俺に迷惑を掛けたくないと思っているのだろう。ならば俺はその意思を……汲むべきだ。
迷いのある言葉はぐっと飲み込み、俺はアロネに笑いかけた。
「じゃあな、アロネ。元気でな」
『ナイトもね』
ゴーグルを装着。電源を入れると、目の前に『エターナル・ファンタジア』のタイトル文字が現れた。
その瞬間、頭が少しだけ軽くなったような気がした。アロネがゲームの中へ戻ったのだ。
このままログインすると俺もカレンたちに捕まる危険性があるため、即座に電源を消す。
「……アロネ?」
ゴーグルを外して自室を見回す。呼びかけても応答は無かった。
俺の頭の中には今、二度と消えないプログラムが刻まれているだけだ。そこに自由意思を持ったAIは存在しない。ほんの一日前と同じ状態に戻っただけなのに……妙に寂しく感じてしまった。
「それだけアロネが賑やかだったってことだな」
予習もやったし、今日はもう起きてても仕方がないので早めにベッドへと入る。
疲れているせいか、睡魔はすぐにやってきた。
微睡みの中で考えるのは、今日のこと。今後のこと。
たぶん莉愛からめっちゃラインとか来てるだろうなぁ。なんて言い訳しよう。ってか、明日からエタファンどうっすかな。カレンに顔を見られてるし、今まで通り普通にプレイするなんてできないよなぁ。新しいキャラ作り直すとか? バカ言え、今のキャラだってここまで育てるのにどんだけ苦労したと思ってんだ。それにカレンはアカウントと紐づけて俺を特定してくるだろう。キャラだけ変えても意味はない。なら、やっぱ引退が無難かな。そうなると、莉愛への説明がマジで面倒だよなぁ。
己の選択を後悔しないためにも、できるだけアロネのことは考えないようにしていたのだが……今日という印象深い日を振り返らないなんて、できるわけがなかった。
思い出すのは今日一日のアロネの変化。最初は無感情で無機質、淡々とした喋り方は、まるで機械と会話しているようだった。しかしわずか数時間で人の心を学習していったのか、最後には本物の女の子と比べても見分けがつかないくらいに成長していた。
健気で、か弱くて、笑顔が可愛い、ついつい護ってあげたくなる女の子。
それはまさしく、俺の信念が描いていた理想像だ。
そんな少女を危険地帯へと送り返して……本当に良かったのか?
「いいわけないだろ。バカか俺は」
そうか。そういうことか。今さら気づいた俺は最高の大バカ者だ。
飛び起きてゲームの電源を付ける。今度は迷わずログインした。
ロードが終わり、画面が変わった先はイース遺跡だ。周りにモンスターの影はない。そして想定通り、村人らしきキャラクターが二人、俺の立ち位置を挟むように待ち伏せていた。
村人たちは俺が出現したことに慌てふためいているようだ。
「例の男が来たぞ! カ、カレン様を呼べ!」
「もう来ているわ」
村人たちが踵を返す暇もなく、ローブの女が唐突に姿を現した。
カレンは俺から少し距離を置いたまま、蔑むような態度で言葉を吐いた。
「てっきりゲームの中にはもう戻ってこないと思ってたわ。そのまま外で暮らすものだとね。それとも、貴方は未だアロネの存在を認知していないのかしら?」
「いや、一通りのことは聞いた。でもアロネはここにはいない」
「ふーん。なら先にゲームの中へと戻っていたわけね?」
言葉を切ったカレンが虚空を見回した。
「……罠にはかかっていないようね。ってことは、未踏地域で身を隠してるわけか。まあいいわ。スキャンは後にしましょう。で、貴方は何をしに来たの? あんなことがあった翌日にゲームって、アホなのかしら?」
「話し合いをしに来た」
「話し合い?」
まるで想定していない返答だったのか、カレンの口ぶりは意外そのものだった。
「あんたたちは異世界から無理やりゲームの中に召喚させられた。で、あんたはアロネが持っていた召喚権限の半分を所有している。そうだろ?」
「ええ、その通りね」
「なら、お互い協力し合わないか? 権限を奪うために殺し合うなんて不毛すぎるだろ。死なずに譲渡する方法があればアロネはあんたに譲るし、こっちに渡してくれれば必ず元の世界に帰すと約束するから……」
「信用できないわ」
即答だった。
カレンはわずかに見える口元を綻ばせて言う。
「約束するなんて言われても信じられるわけがない。だってアロネは私たちをこちらの世界へ召喚した張本人だもの。召喚権限を返してしまったら、何されるか分かったもんじゃない。それこそ私たちを存在ごと削除するつもりなのかもしれないし。でしょ?」
カレンが村人たちに問いかける。彼らは躊躇うことなく首肯した。
やはり異世界人たちの信頼を得ることは難しそうだ。
「譲渡する方法を教えるのも同じこと。アロネはゲームの中では万能な存在なのよ。それを逆算して、私から無理やり奪う方法を編み出してしまうかもしれない。危険は冒したくないわ」
「やっぱりあるんだな? 自分が死なずとも、相手に譲渡する方法が」
「さあ、どうかしらね」
嘲笑うかのように、カレンが妖しげな笑い声を上げた。
いや、逆に利用されるのを警戒するくらいだ。間違いなく存在するのだろう。
「どのみちアロネを追い詰めるのも時間の問題。今度は完膚なきまでに削除して、召喚権限をすべて奪ってやるわ。だったら、今さら話し合う意味なんてないでしょう?」
突然、カレンが手にしている杖から閃光が奔った。眩い光は視界を一瞬にして漂白する。
この光は知っている。昨日、アロネが俺の脳にプログラムを刻んだ時の光だ!
反射的に目を瞑る。だが無意味だった。ほとんど厚みのない瞼程度ではカレンの『魔法』を防ぐことなどできず、その効果による異変が身体に現れ始める。
身体が……動かない? 操作キャラがフリーズしているわけじゃない。コントローラーを握る指に力が入らないのだ。それどころか声も出せないし、身じろぎすることも許されない。まるで金縛りに遭ったように、現実にある俺の全身が……麻痺している!?
「貴方がアロネの逃げ道だというのなら、この場でその脳を破壊させてもらうわ」
頭の中が不快感で満たされる。混濁し始める意識の中で理解した。
昨日、アロネがやったことと同じだ。脳にプログラムを刻んだように、カレンは視覚神経を通して俺の脳をズタズタに引き裂くつもりだ。
「ぐっ……やめ……」
痙攣が激しくなる。口の端から泡が吹く。もう正気を保っていられない。
そして痛みと不快感がピークに達し、生物としての防衛本能が働いて意識が飛びそうになった寸前……唐突にそれは解かれた。
「ナイト!」
やけに遠くなった耳に届いたのは、今日一日を共にしていた少女の声だった。
辛いながらも横を見る。心配そうに眉を寄せているアロネが、俺の身体を支えていた。
「アロ……ネ?」
助かった。アロネが助けに入らなければ、俺は間違いなく殺されていた。
……いや、ちょっと待て。ここはイース遺跡だぞ? 俺とアロネが出会ったフィールドだ!
俺への攻撃が無効化されたことで一時的に呆けていたカレンだったが、アロネの姿を認めるやいなや、人が変わったような高笑いを上げた。
「ふはははははは! バカが! のこのこと現れやがったな!」
次の瞬間、アロネの足元から何本もの触手が現れた。それらはアロネの小さな身体を雁字搦めにし、一切の行動を封じてしまう。
「アロネ!」
「ナイト。逃げ、て……」
「できるわけないだろ!」
けど、どうすりゃいいんだ。こんな得体の知れない触手、ゲームの中でも見たことない。俺にこれが解けるのか? 俺はゲーム上のシステムに囚われた、ただの一般ユーザーに過ぎないんだぞ!
「ふふふ。隠れ家を守るために捕まっちゃうなんて、ホント滑稽よねぇ。さあ、今のうちにアロネを拘束しなさい」
命令された村人二人が動く。
為す術のない俺は、せめて進路だけでも妨害しようと村人たちの前へと立ちはだかった。
「アロネ! 今のままじゃ俺は動けない。だから……あの言葉を言え!」
「あ、あの言葉?」
「今日一日俺と一緒にいたんだから分かるだろ!?」
「……うん!」
苦しそうな呻き声を上げながらも、アロネは肺一杯に息を吸う。
そして俺の『信念』を呼び覚ます言葉を叫んだ。
「ナイト! ボクを……護って!」
「承知した!」
ずっと待っていた言葉を耳にした俺は、躊躇うことなく剣を抜いた。
アロネは俺に迷惑をかけたことを謝るばかりで、決して助けを求めようとはしなかった。だから俺は促されるまま彼女を簡単に手放してしまったのだ。
しかし今、はっきりとアロネは願った。ボクを護って、と。
なら『騎士』として動かないわけにはいかない。ここは何としてでもアロネを護る!
とはいえ、どうすれば助けられるのか見当がつかないのも事実。故に俺は少しでも時間稼ぎができればと思い、雄叫びを上げながら村人たちの元へと突撃した。
「臆するな! 相手はただのプレイヤー。お前たちに直接攻撃などできや……」
しない。そう続けようとしたカレンが絶句した。
攻撃ボタンを押し、振り下ろされた俺の剣が村人二人を薙ぎ払ったのだ。
「なっ、に……?」
ゲームのレーティング上、血が吹き出たり身体の一部が切断されたりなどのグロテスクな描写はない。だが斬り伏せられた村人は、明らかにダメージを負っているようだった。
「まさか……『敵属性付与』か!」
なるほどな。その一言でゲーマーの俺は今の現象を即座に理解した。
プレイヤーは他のプレイヤーを攻撃することはできない。だがモンスターなら別だ。つまりモンスターと同じ属性である『敵性』を付与することによって攻撃を可能とした。罠に拘束されながらも、アロネがプログラムを改変させたのだ!
村人はもう十分だ。起き上がってくる様子はないし、これ以上の追撃は殺してしまう。
俺は残る敵……カレンに向けて突進した。
「うおおおおおおおお!!!」
「くっ」
ローブの上からでも分かる。カレンはもう俺を見ていない。『敵属性』を解除しようと、必死でデータを精査しているに違いない。
だが見誤ったな。『敵属性』を付与されたのはお前じゃない。俺の方だ!
「『シールドバッシュ』!」
「くかっ」
攻撃可能範囲に入った瞬間、スキル『シールドバッシュ』を発動。盾によるすさまじい衝撃を胸に叩きつけられたカレンは、為す術もなく吹っ飛ばされていった。
距離ができた。チャンスだ!
稼いだこの短時間で何か解決案がないものかと、俺はアロネの方へと振り返った。
「アロネ!」
「うん! 今ハッキングが終わったよ!」
見れば、アロネの身体を拘束していた触手がモンスターを倒した時のように消滅していた。
なんだ、自力で脱出できるんじゃないか。と安堵するのはまだ早い。これくらいで解除できるのであれば、いずれは逃げ場を失うなどと言わないだろう。どうしてもアロネを捕らえたいカレンだって、そんな生易しい罠など張らないはずだ。
そして予想通り、消滅するのと同時に新たな触手が地面から生えた。捕まったら最後、再び身体の自由を奪われ、解除のためのハッキングも同じくらいの時間がかかるに違いない。
判断は一瞬だ。
「アロネ! 俺の中に来い!」
「……うん!」
「させるか!」
地面に伏せたまま、カレンが杖を掲げた。
先端から光線が奔る。先ほど俺の身体の自由を奪った魔法だ。
アロネに解除してもらう以外に抗う方法は無い。だからこそ俺は、光線が視界を完全に覆う前に――VRゴーグルを投げ捨てた。
目の前に平穏な自室が広がる。だが、まだ油断はできない。
息をつく暇もなく、俺は急いで電源コンセントやLANケーブルなどの線を引っこ抜いた。これで俺はネットの世界から完全に断絶された……はず!
まるで全速力で走った直後のように、俺は肩で息をしながらベッドの縁に背を預けた。
「……アロネ?」
虚空へ向けて問いかける。
するとすぐ隣に銀色の少女が現れた。だが間に合って良かったと安堵する俺とは対照的に、アロネは浮かない顔をしているようだった。
『ナイト。本当によかったの?』
「いいに決まってるだろ。お前はしっかりと言葉にして俺に助けを求めてくれた。なら俺は何が何でもそれに応えるだけだ」
『……うん』
俯いたアロネの表情は、喜んでいるのが手に取るように分かるほど綻んでいた。
あーチクショウ。可愛いな。その顔を見れただけでも助けた甲斐があるってもんだ。
「ただ一つだけ言わせてくれ。お前、嘘ついてただろ」
『えっ?』
「偶然通りかかった俺を隠れ蓑にしたってとこだよ。前々から俺のこと知ってたんだろ?」
カレンたちから逃げ続けていたこの二年間、俺以外に目撃者がいなかったとは考えにくい。その都度ゲームの外に逃げるチャンスはあったはずだ。にもかかわらず、どうしてアロネは俺を選んだのか。その答えはアロネの容姿にあった。
俺の庇護欲が最もそそられる外見。加えて山城さんの雰囲気を参考にしたという。
「つまりアロネは、何百万人もいるユーザーの中から自分の味方になってくれそうな人間を選別していた。で、結果的に俺に白羽の矢が立ったってわけだ」
俺の性格や言動などを観察して『この人なら協力してくれる!』と思ったに違いない。そして昨日、一人になった俺に接触しようとしたところ、カレンに見つかってしまったのだ。
どうやら推理は的中していたらしく、アロネが降参したように頷いた。
『うん、その通りだよ。一人で逃げ切るのは無理だと判断したから、誰かに護ってほしかったんだ。だから、その……ごめんなさい』
「そんな暗い顔すんなって。別に巻き込まれたからって怒ってるわけじゃない。むしろ俺を頼ってくれて嬉しいよ。ま、しっかり言葉にしてくれなきゃ分からないけどな」
『ボクはナイトに護ってほしい。ナイトはボクを……護ってくれる?』
「ああ、もちろんだ。任せとけ」
『ありがとう、ナイト』
二度と手放さないと誓いながら、縋るように密着してくるアロネの頭を、俺は自分の胸に優しく抱き寄せたのだった。
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