第4話 ドラゴンの強襲
「そんじゃ帰りますか」
放課後、交友のあるクラスメイトと別れの挨拶を済ませた俺は一人で校舎から出た。
黒田と矢頭はそれぞれ部活。莉愛は山城さんら女子グループと寄り道。普段から話す友人たちも委員会や部活動などそれぞれ用事があるため、帰宅時の俺はだいたいボッチだ。だからさっきの言葉も独り言だヨ?
俺も一年生の時は部活動をやっていた。というか強制加入だったのだ。そんで柄にもなくハンドボール部に入ったのが間違いだった。中学の頃から運動部だった奴らに敵うはずもなく、数ヶ月後には無事に幽霊部員と化し、部活動所属が強制じゃなくなった二年に上がってすぐに退部したのである。
運動神経そのものはそこまで悪くないと思うけど、楽しさを見出せなかったんだよなぁ。団体競技というやつに。
たった一年で部活を辞めてしまった俺に対し、莉愛は根性無しだと罵った。が、そこは口八丁手八丁で人には得手不得手があるものだと説得。部活の分は勉強で取り返すと約束したことで、莉愛もそれ以上何も言ってこなくなった。実際、一学期中間テストの順位もだいぶ良くなったもんな。夜遅くまでゲームをするための免罪符にもなったし、まさに一石二鳥だ。
「あー……自分の劣等感を自覚してるからこそ、俺は未だに正義のヒーローを諦められないんだろうなぁ」
ふと漏れた言葉は、六月特有の湿った空気の中へと消えていった。
運動神経は悪くないといっても、矢頭や黒田、場合によっては莉愛にすら劣る。成績も順位で矢頭に勝ったことがないし、容姿は矢頭や山城さんに比べりゃモブと同じだ……って、矢頭すごすぎだろ、どんだけパーフェクトなんだ。
秀でてるところはないが、周りより大きく劣ってることもない地味な人間。それが俺。
だからこそ俺は何か一つ自分らしさが欲しくて《ナイト》に固執しているのかもしれない。
「そういえば……」
エタファンのことを考えてて思い出した。莉愛の奴、今朝どんなライン送ったんだろ。
どうせろくでもない内容だと知りつつも、俺は校舎の隅に寄ってスマホを取り出した。
そしてディスプレイにある緑のアイコンを目の当たりにして戦慄した。
通知を表す赤い数字が二十件。よし、見るのやめよう。適当に既読だけ付けたら即座にタスクキルだ。全部に目を通してたら、たぶん精神的に参っちゃうからな!
ついでにエタファンのアプリも起動してみる。予想を裏切ることなく、画面には『キャラクターが非戦闘エリア外にいます。(場所:イース遺跡)』と表示されていた。まあログアウトした場所から移動してたら怖いけどな。
「だから夢じゃないと思うんだけどなぁ」
仮に寝落ちだとしたら、俺のキャラはログアウトせず、ずっとその場に立ちっぱなしだったはずだ。だが起きたらゲームの電源は切れていた。当然、俺にはログアウトも電源を落とした記憶もない。ならば、あの謎の光が俺の意識とゲームを強制シャットダウンさせたと考える方が妥当だろう。
じゃあ謎の光……もといイース遺跡にいた奴らが何なのかという話になるのだが……。
「考えるだけ無駄か」
段取りは変わらない。帰って調べて結果がどうあれ納得するだけだ。
スマホをポケットにしまった俺は、一人帰路につく。
だが夢だったらどんなに良かっただろうか。なんて後悔してしまうことになろうとは、この時は露程も思わなかった。
校舎の角を曲がったそこに――ドラゴンがいた。
「は?」
体長五メートルはあろう巨体。全身を爬虫類が持つような鱗に覆われ、そのすべてが高温で熱した鉄の如く真っ赤に輝いている。異様に発達した後ろ脚は二足歩行を可能にし、さらに飛行すらもできると思わせる巨大な翼が背中を覆っていた。
知っている。俺はコイツを知っている。昨日、何体も倒した。
コイツはイース遺跡周辺の森に生息するモンスター、イースドラゴンだ。
「は?」
足とともに思考も完全に止まっていた。故に自分の目元に触れていたのは無意識だ。が、当然そこにはVRゴーグルなど装着されていない。だってここは学校だし、今まで授業を受けていたのだって夢でもなんでもないんだから。
「あ……」
縦に割れた黄金色の瞳が俺を捉えた。
夕暮れには程遠い、青空を遮る巨大な影が動く。
そして――、
『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』
「――ッ!?」
鼓膜を震わせる咆哮に、俺は思わず両耳を塞いでしまった。
それと同時に、深層心理に刻まれたルーチーンが呼び起こされる。今の咆哮は、イースドラゴンが戦闘体勢に入った時の合図だ。
だからこそ次の行動を予測するのは容易だった。
イースドラゴンは最初にタゲを取った相手に対し、ほぼ確実に爪で攻撃する。そのため俺の生存本能は少しでも距離を取ろうと、後方へたたらを踏むことを選択したのだが……。
ザンッ! と音がして、薙ぎ払われた鉤爪が俺の左腕を引き裂いていった。
「あっ、がっ……」
勢い余って尻もちをつく。
同時に、今まで体験したことのないような激痛が左腕を襲った。
「痛いいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!」
いや、ある。ほんの十数時間前、謎の光を受けた時と同じくらいの痛みだ!
くそっ、いったい何だってんだよ! 昨日乱獲したイースドラゴンたちの怨念なのか!? お礼参り!? 謎の光といい、エタファンは俺に何か恨みでもあるのかよ!? それともゲームのやりすぎで現実と妄想がごっちゃになってるのか!? これがゲーム脳ってやつなのか!? ダメだ、左腕が痛すぎて頭が混乱してやがる!
だがいくらこちらが混乱中だろうと、イースドラゴンは待ってはくれない。
イースドラゴンの息に炎が混じり始める。大技のファイアブレスが来る予兆だ。
脳裏に過るのは、直に焼かれた莉愛のキャラ。ほぼ満タンだったHPが、一気に八割も減らされた。あんなもの食らったら間違いなく死ぬって!
対応策は二つだ。魔法で火属性耐性を上げるなど、バフを盛りに盛った圧倒的防御力で攻撃を凌ぐ。ナイトは基本コレだが、この状況でそんな選択肢を選べるわけがない。俺はゲームのキャラクターじゃないからな!
もう一つは回避だ。イースドラゴンのファイアブレスは直線上にいるすべての敵を焼く代わりに範囲が狭い。故にナイト以外のタンク役は、ファイアブレスが放たれるタイミングを完璧に見極めるというプレイヤースキルが必須になってくるのだ。
ブレスに耐えられないのなら、回避するしかない。
幾度となく見たイースドラゴンの動作を一瞬で見定め、俺は混乱で硬直している身体を無理やり駆動させた。
「うおおおおおおおおおお!!!」
決死の覚悟でイースドラゴンに向けて突進する。大丈夫だ。ゲームと同じなら、炎を吐き終わるまでは次の行動に移らないはず!
死に物狂いで次の塁を狙うランナーのように、俺はイースドラゴンの脇へと飛び込んだ。頭を庇いながら、そのままドラゴンの背後へと転がっていく。刹那、ほんの二秒前まで俺がいた場所が灼熱の炎に包まれた。
熱気が顔を焼く。動かなければ確実に死んでいた。
否定しようのない現実を突きつけられ、頭の中が真っ白になってしまった。だが悠長に呆けている暇はない。ファイアブレスを吐き終わったイースドラゴンが、再び俺の方へと殺意の視線を寄こした。
「くそったれ!」
ファイアブレスを二回連続で撃ってくることはない。
無意識下で判断した俺は、無防備な背中を晒して一目散に駆け出した。戦うという選択肢がない以上、自分の命を守るためには逃げるしかない!
「ど、どうすりゃ……」
一瞬で酸欠になる。日頃の運動不足が祟ったみたいだ。
足がもつれ始めた。ダメだ、追い付かれる。逃げられない。このままじゃ……死ぬ!
諦めかけたその時、ふと前方に希望の光が見えた。校門だ。
絡んできたモンスターを撒く手段はいくつかあるが、魔法やアイテムを使わない場合、もっとも効率的とされているのがエリアチェンジだ。モンスターはエリアを越えてプレイヤーを追って来れないのである。
ゲーム脳ここに極まれり。現実とゲームを同一視してしまっている今の俺には、学校の敷地から出れば助かるものだと思い込んでいた。
いつ背中を引き裂かれるかも分からない恐怖と戦いながら、アスファルトを蹴る。
だがしかし、あと一歩のところで校門には届かなかった。
背後から突風。元より不安定だった俺の足腰が風圧に負けて地面から離れた。そのまま無様にもすっ転んでしまう。ポケットに入ってる物が辺りに散乱したが、今は気にしている余裕はない。低空飛行で追ってきたドラゴンが、今まさに足元へと降り立ったのだから!
「ひっ!」
万事休す。というか、もうダメそうだった。助かる手段は無い。終わりだ。
確実に訪れるであろう『死』という現実から目を背けるように瞼を閉じる。真っ暗闇の中に走馬灯が過り始めた……その時だ。
『スマホの電源を切って!』
突然、頭の中に女の子の声が響いた。
反射的に目を開ける。暗転したからといって夢から覚めるわけもなく、目の前のイースドラゴンは俺の命を屠ろうと鋭い鉤爪を振り上げていた。
『スマホの電源を切って!』
再び同じ声。しかも今度ははっきりと内容が聞き取れた。というか、やっぱり耳で音を拾っているわけではない。頭の中から直接響いてくる。
「なんだっつーんだよ!」
訳も分からないまま、俺は先ほどアスファルトに落ちたスマホに手を伸ばした。
拾い上げ、電源ボタンを長押し三秒。長い、長すぎる。命の危機が迫った三秒間が、これほどまでに長く感じられるとは!
当然、イースドラゴンは待ってくれない。獲物に向けて確殺の一撃を放つのみ。
振り下ろされる鉤爪など、俺はもう見ていない。ただこれが生き残るための唯一の方法だと信じて、スマホの画面を凝視する。
今まで生きてきた人生の中で一番長い三秒間。
切り替わった画面を人差し指でスライドさせた瞬間――イースドラゴンの巨体が一瞬にして消えてしまった。
「…………は?」
唐突に訪れた平穏に頭が付いていけなくなる。
本当に一瞬で目の前からいなくなってしまったのだ。まるで瞬間移動したかのように、あるいは存在を消されてしまったかのように。
現実味のない一連の出来事に放心していると、次第に周りの状況が見えてきた。
帰路へと向かう何人かの生徒たちが俺の脇を通り過ぎていく。クスクスと声を押し殺して笑っていたり、蔑んだ視線を容赦なく突き刺してきたり。反応は様々だが、皆一様に俺のことを嘲っているようだった。
そりゃ往来のど真ん中で無様にずっこけていたら普通は笑うだろうけど……いやいや待て待て待て。お前らだって巨大なドラゴンを見ただろ? なんでそんな冷静でいられるんだ!? それにほら、引き裂かれた左腕がヤバいことになってるから早く救急車を呼んで……。
「あれ? なんともなってない……」
激痛は未だ健在だが、左腕に異変は見当たらなかった。傷一つ付いていない。
さらに全身を念入りに観察し、制服に砂埃が被っている以外の変化がないことを確認したところで、とある可能性に思い至った。
まさか……今の全部俺の妄想!? 幻覚!? 白昼夢!? ウソだろ!? あんなにはっきり見えてたのに!?
尻もちをついたまましばらく警戒してみたが、残念ながら再びドラゴンが現れる気配はなかった。いや、別に残念じゃないけど。残念じゃないけど!
だがこれで確定した。なんにせよ、今の出来事は俺にしか見えていなかったわけだ。
「はは……」
真実が発覚した途端、急に羞恥心が芽生えてきた。は、恥ずかしー。妄想のドラゴンに襲われてすってんころりんとか、卒業まで語られる笑い種だろ。というか知り合いはいなかったよな? よし、ならば俺が何年何組の誰かまでは分かるまい!
「にしても、あの声は何だったんだ?」
スマホの電源を切れと命令してきた、脳に直接響いた女の子の声。ドラゴンが俺の妄想だったんだから、その声も幻聴だと判断するのが妥当なんだろうけど……どうも聞いたことのある声だったんだよな。
そう。あれはほぼ間違いなく、昨夜俺の耳元で『ごめんなさい』と謝った銀髪の少女と同じ声だった。
『ボクのこと、だよね?』
「――ッ!?」
驚きのあまり心臓から口が飛び出るかと思った。いや逆か。でも、それほどの驚愕だった。
今まさに脳内で姿を思い描こうとしていた少女が、いきなり目の前に現れたからだ。何の前触れもなく、本当に唐突に。それこそドラゴンが消え去ったのと同じく、現実のチャンネルを切り替えたように。
少女の身なりは昨日と同じだった。純白のワンピースから伸びる手足は雪のように白く、触れるだけで脆く崩れてしまいそうなほど細い。にもかかわらず身を包む装備は脆弱で、下着はおろか履物すら身に着けていないようだった。
また、虹彩を刺激する鮮やかな銀髪も健在だ。腰の辺りまで伸びる髪は風もないのに揺らめくほど軽く、星くずを散りばめたように光り輝いている。まさに天使。アニメや西洋の絵画などの固定観念さえ無ければ、俺は少女を一目見て天使だと断言していたに違いない。
だが神々しい全体像とは裏腹に、少女の顔は天使らしさとまるで正反対だった。どころか、とても十歳くらいの女の子が浮かべる表情ではない。
無機質で無感情。人形のように綺麗なのに、人形のように生気がない。
あまりの虚無感に、俺は畏怖の念すら覚えてしまった。
「えっと……キミは?」
しばらく待っても反応がないため、俺は恐る恐る声を掛ける。
だが少女は問いかけに答えることはせず、俺の顔をじっと見据えたまま、昨日と同じように『ごめんなさい』と呟くだけだった。
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