第2話 ナイトと幼馴染

 パチッと瞼を開ける音が聞こえるくらい覚醒は唐突だった。


 視覚はちゃんと機能しているが、未だ夢うつつのためか頭が混乱している。見慣れているけど見たことのない風景が目の前に広がっていることだけは理解できた。


 痛む頭を押さえながら、ゆっくりと身体を起こす。


「ここは……」


 薄暗いが、ここは間違いなく自分の部屋だった。


 カーテンの隙間から差し込む朝日。床に放置されたまま電源の落ちているVRゴーグル。そして節々が痛む全身に意識を向けてみれば、否が応でも状況を把握できる。


「寝落ちしてたのか?」


 見知らぬ場所と勘違いするのも当然だ。この部屋が与えられて以来、俺は今まで床の上で寝起きしたことなど一度もないのだから。


 眠気を覚ます意味も込め、鼻の頭を摘まみながら昨夜のことを思い出してみる。


 昨日は確かみんなと一緒にレベル上げをしていたはずだ。トイレへ行ってる間に勝手にパーティを解散され、一人残された俺は歩いて街まで帰ることになった。で、その途中で変な連中を見つけたんだった……。


 記憶が顛末まで至り、俺は顔から血の気が引くのを感じた。


 やっべぇ。結局、街まで戻ってねぇ。イース遺跡でログアウトしたまんまだ。


 慌ててゲームの電源を立ち上げようとする。が、俺の無駄な抵抗は母親の声によって阻まれてしまった。


「ナイト! いつまで寝てるの!? 遅刻するわよ!」


 時計を見ると、いつもの起床時間からすでに十五分も過ぎていた。今からログインしてキャラを移動させている時間なんてない。


「起きてる! 今行くから!」


 返事をしながら急いで立ち上がる。


 まさか寝坊するとはなぁ。って、スマホの電源切ったまんまじゃん。アラームもセットしてないんなら、そりゃ起きれねえわ。とほほ。


 真っ暗な画面のスマホを持ち上げ、電源を入れようとする……が、やめた。どうせ学校に行ったら切らなきゃいけないし、何よりアイツからラインとか来てたらイヤすぎる。朝っぱらから気分悪くなりたくないし。


 ひとまず頭痛は大丈夫そうだ。日常生活に支障が出るほどではない。むしろ凝り固まった身体の方が痛いくらいだ。


 それにしても、昨日の連中は何だったんだろうなぁ。やっぱり何かのイベントだったのだろうか? だとしたらプレイヤーが失神するほどの光量とか出しちゃダメだろ。学校から帰ったらサポートセンターにクレーム入れとくかな。


 などと考えながら、俺は登校の準備を始めた。






 MMORPG。それは第二の人生である。


 そう断言しても過言ではないくらい、『エターナル・ファンタジア』のゲーム内容は充実していた。


 仲間との冒険、数多くのクエスト、壮大なストーリーはもちろんのこと、釣りだったりアイテムの合成だったりカジノだったりと、挙げだしたらキリがないほどプレイヤーを楽しませるためのシステムが用意されているのだ。ゲームの楽しみ方はなにも、武器を取ってモンスターを倒すだけではないのである。


 さらにリリースから数ヶ月後に実施された大型アップデートではNPCのAIが大幅に向上。プレイヤー同士の交流だけでなく、まるで生きている人間と同じようにNPCとコミュニケーションできるようになったため、本当にゲームの中で生活しているような感覚を味わえるのである。そのため定年後の居場所としてエタファンを始めるシニアの方も多いらしい。


 そして何よりエタファンのエンドコンテンツとして知られているのが、ジョブのレベル設定だろう。


 今現在キャラクターが使用できるジョブは十五種類あり、そのすべてが最大一〇〇レベルまで上げられるようになっている。が、そこへ到達するための要求経験値が半端ないのだ。


 あるSNSの情報によれば、メンテ以外でログアウトをしたことのないゲーム廃人が、リリース直後から始めて先日ようやく一つのジョブをレベル一〇〇にできたんだとか。つまりチートでも使わない限りレベル一〇〇までは三年かかり、十五のジョブをカンストさせるためには軽く四十年以上は必要という計算になる。まだ十六年やそこらしか生きていない俺にとっては途方もない時間だ。まさに『エターナル』の名に恥じない鬼畜っぷりだろう。


 もちろん、学生である俺たちがそこまで膨大な時間を費やせられるわけがない。俺がメインで使っているナイトも、やっとこさレベル六〇に到達したばかり。いつも一緒に遊んでいる仲間たちもだいたい同じくらいだ。これでもゲームは十分楽しめるのである。


 ちなみに昨日レベル上げに励んでいたパーティメンバーは全員クラスメイトだった。


 そのうちの一人が小学校から付き合いのある幼馴染であり、そいつの勧めで俺はエタファンを始めた。お互い高校受験時にはゲームを取り上げられていたためプレイできなかったけど、無事志望校に合格できてからは今みたいにゲーム三昧さ。はは。


 まあ察しはついてるかと思うが、昨日の戦士がその幼馴染だ。


 去り際に残されたメッセージからも分かる通り、俺に対して容赦がないんだよなぁ。親しき仲にも礼儀ありという言葉をドブに捨てた勢いで、いつも辛辣な言葉を刺してくる。本音を言い合える相手として認めてくれているのは嬉しいんだけど、もうちょっと柔らかくならないもんかね。俺のメンタルも無限じゃないしさ。


 あっ、言っておくけど女の子な。だからといって甘酸っぱいエピソードとかはないヨ。


「さて……」


 寝坊を理由に、俺はいつもより少し遅めに家を出た。


 なんでかって? そりゃ幼馴染の死刑執行猶予を作るために決まってるだろ。学校でのアイツは二人きりの時よりも幾分か大人しいからな。特に待ち合わせてるわけでもないし、できればこのまま出会わずに登校したい。


 が、人生そんなに甘くないのは世の常である。


 背後に……殺気!


「おはよう、ナ・イ・ト・君」


「ひぃ!?」


 情けない声が出たのは勘弁してくれ。いきなり耳元に息を吹きかけられたら誰だってビックリするだろ?


 くすぐったさと恐怖心、二つの意味で全身に鳥肌を立てた俺は反射的に跳び退いた。そのまま逃走したい欲望を無理やり抑え、恐る恐る振り返る。


 そこには執行人が立っていた。


 平均的な女子高生の身長……のはずだが、猛々しい態度のせいか一回り大きく見える。別に俺が委縮しているからではない。お淑やかさとは無縁の堂々とした佇まいは、それだけで存在感を大きくしてしまうものだ。ホント、セーラー服と意外と自己主張の強い胸元がなければ美少年に見えなくもないんだよなコイツ。


 この男勝りな幼馴染の名前は紅葉もみじ莉愛りあ。もう八年近くの付き合いになる。


 はっきり言おう。俺はコイツと出会って人生が激変した。なんせ誰かを護ろうという信念を表に出さなくなったのはコイツが原因だからな。


 自信満々な笑み。何者にも屈しそうにないギラギラと輝く眼光。整った顔立ち。


 弱気を助け強気を挫くを体現した破天荒な振る舞いを目の当たりにし、俺は幼いながらも思い知らされたわけだ。俺には無い物ばかりを持っているコイツこそが、勇者とか騎士に相応しいんじゃないか、と。


 だが騙されてはいけない。他人には勇者的であっても、俺にとっては悪魔そのものだから。


 あれは中学に入る前だったか。俺とコイツの間に、姉と弟のような関係性が定着してしまった頃……。


「独白が長すぎる」


「痛った!」


 伊達に人生の半分も一緒に過ごしていないせいか、俺が現実逃避しようとしていることも簡単に見抜かれてしまった。てか痛い痛い痛いってば! 執拗にふくらはぎを蹴るのはやめろせめて靴を脱げ!


「つーか、なんでお前ここにいるんだよ。いつもなら先に行ってる時間だろ?」


「朝ライン送ったのに既読が付かない。何か疚しいことがあってスマホ見てないんなら、うちと出くわさないようにするのが自然じゃない? だから待ち伏せていたのだ」


「う~ん、名推理!」


 完全に俺の思考を読んでやがる。熟年夫婦かよ。


 と、莉愛が身体をゆっくりと左右に揺らしながら顔を近づけてきた。


「で、なーんでうちのライン無視するのかなぁ」


 怖い怖い笑顔が怖い! これ、絶対内心ブチギレてるやつじゃん!


「ま、まあ待て。これには事情があるんだよ」


「事情? あの後、街まで戻らずにその場でログアウトしちゃったとか?」


「…………」


 いかん、言葉に詰まってしまった。察し良すぎだろコイツ。


「よーし、死刑執行だ。そこに直れ」


 まるで見えないサッカーボールでも蹴るかのように、莉愛が片脚で素振りを始める。どうやら俺にケツを出せと言っているらしい。この世には女子高生の健康的な生足で蹴られることに快感を覚える奴もいるんだろうけど……俺は絶対イヤだからな!


「こんな道端で戯れてたらご近所様に迷惑だろ。てか元はといえばお前が勝手にパーティ解散させたからじゃん。なんであんなことしたんだよ」


「えっ、普通にナイトを虐めたかったからだけど?」


 コイツぅ。でも特に意味もない悪戯がいかにもコイツらしくて逆に安心する。


「はあーあ、まさか信頼していた弟が約束も守れない愚図だったとはねぇ」


「弟じゃねえし約束もしてねえ」


「でもま、近所迷惑になるってのは一理あるし、死刑は保留にしといてあげる」


「はは~、ありがたき幸せ」


「そん代わり、アンタの報酬は少なめにしておくから。九個でいいよね?」


「はいはい、勝手にやっといてくれ」


 話がまとまるやいなや、莉愛が唐突に踵を返した。早くついて来いと言わんばかりに、背中を向けたままハンドサインを示す。その仕草がいちいちカッコいいんだよなぁ。


 意外と時間に余裕がないことを思い出した俺も、速足で莉愛の隣に並んだ。


「そういえばイース遺跡でイベントって無いよな?」


「イベント? どんな?」


「銀髪の女の子が、村人? に襲われそうになってるやつ」


「んー……女の子を助けるイベントはいくつかあるけど、イース遺跡には無かったような気がするなぁ」


「だよな」


 俺は歩きながら昨日あったことを莉愛に話した。


 やっぱり違和感しかない。フードの女キャラは俺をプレイヤーだと言っていたし、GMのことも認識していた。つまり間違いなく人間が操作しているキャラクターのはずだ。ってことはアレは奴が起こしたイベントだったのか? でも、まるで村人たちを従えているような感じだったしなぁ。


 もしくはそういうメタ的なイベントだったのかも。なら発生条件は何だったんだろう。先人が攻略法をネットに流しててもおかしくはないし……。


「パーティを組まずにイース遺跡に行くことが発生条件とか? えげつねぇな」


「一人なんだからえげつなくはないだろ」


 すぐ漫画のセリフを使いたがるところは俺たちの悪い癖だ。


「にしても、AIの性能が高すぎてプレイヤーかNPCか見分けが付かないのは弊害だよね。親しくなった相手が実は存在しない人間でしたーって、想像しただけで虚無りそう。ま、どのみち健康に害のあるイベントなら炎上するでしょ。うちも掲示板とか監視してみるわ」


「ああ、頼んだ。俺も帰ったら攻略サイトとか調べてみるよ」


 とはいえ今から学校である。親の金でゲームをしている身としては、ちゃんと勉学にも励まなければいけない。エタファンの話題は一旦頭から離そう。


「……?」


 ふと、俺は無意識のうちに足を止めていた。


 周囲を見回してみる。いつもと変わらぬ通学路の風景なのだが……。


「どうしたの?」


「いや……」


 適当にはぐらかし、再び莉愛の横に並んだ。


 人の気配を感じたのだが、素直に言えるわけがない。だって昨日ゲームの中で見た銀髪の女の子が視界の端を横切ったような気がしたとか言ったら、絶対バカにされるだろ?

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