アロネの騎士

秋山 楓

第1話 銀色の少女

 男に生まれたからには命を懸けてでも誰かを護れるような人間になれ。


 物心つく前から親父に口酸っぱく言われていた言葉だ。


 今にして思えば典型的なジェンダーバイアス丸出しの発言だが、知識も常識も無かった当時の俺には人格を形成する上での大きな指標となっていた。だって子供にとって父親なんてのは絶対的な存在だもの。それが疑う余地もなく正しいものだと信じちゃうさ。無駄に反抗して拳骨が落ちるのも怖かったしね。


 親父が俺に対してそういった教育を施していた理由までは知らない。ただ自分の息子に『騎士ナイト』なんて名前を付けるくらいだ。若い頃に何かあったのだろう。いちいち詮索はしないけれども。


 ただ俺も、その名に恥じないよう男らしく振舞っていた時期があった。弟も妹もいなかったため、幼稚園や小学校低学年の頃には友達相手に正義のヒーローぶっていた記憶がある。ま、結局は何かのごっこ遊びと勘違いされて普通に戯れていただけだけど。


 そして現在、高校生になった今では当然のように中二病チックな正義感は卒業。俺も自分の考えを持って行動できる年齢になったためか、親父も数年前から何も言ってこなくなった。


 が、幼少期に植え付けられた信念はそうそう簡単に曲げられるものではない。現実で痛々しい行動をすることはほとんど無くなったとはいえ、俺の心の中では今でも誰かを護らなきゃという使命感に満たされていた。


 ただし、その使命感がどこで発揮されているのかといえば――、


「ぎゃああああああああ!! 熱い! 死ぬ、死ぬってば!」


 巨大なドラゴンから吐き出された灼熱の炎を一身に浴び、戦士は苦悶の悲鳴を上げた。HPゲージが緑から黄色、さらに赤色へと一気に減っていく。もうあとワンパン食らっただけでも死亡確定だろう。はは、ウケるぅ。


「『女神の祝福・大キュアレスト』!」


 慌てた白魔導士が最上級回復魔法を唱えた。瀕死だった戦士が一瞬にして再起する。だがこれで持ち直したかといえば、そんなことはない。今度は回復魔法を放った白魔導士の方へとドラゴンの牙が向いた。


 回復魔法はモンスターへのヘイト値が溜まりやすい。瀕死から一気に全回復できるような大魔法なら尚更だ。


「ナイト! しっかりタゲ取っといてよね!」


「ああ、悪い悪い」


 戦士の一喝により、俺は自分の仕事を思い出した。


 下級白魔法による自己回復、及び《挑発》スキルを駆使して俺は自らのヘイト値を上げる。するとドラゴンは後衛へと向かう足を止め、再び俺の方へと向き直った。


 薙ぎ払われる巨大な爪を盾で防ぎつつ、俺はタゲを固定することに専念する。その間にも戦士と狩人が物理攻撃、後衛の黒魔導士が氷属性魔法を放つことで、一人の犠牲も出すことなくドラゴンを倒すことができた。


「ふぅ~」


 討伐したドラゴンの死体が消えるのとともに、戦闘のBGMが止まる。フィールドの静かな環境音だけが残ったためか、誰かの安堵するため息が濁りなく耳に入ってきた。


「今のはヤバかったね。ってかナイト、動き鈍すぎ」


「すまん。ちょっと眠気が来た」


「頼むよ。ナイトが寝落ちしたら一気にパーティ壊滅するんだから」


「気をつけるよ」


 俺が操作するキャラの職業は《ナイト》。全ジョブの中でもトップクラスの防御力を誇り、なおかつ自己回復魔法と高いHPを持つ。モンスターの注意を引き付けるタンク役にはうってつけのジョブなのだ。


 そのためモンスターへのヘイト管理が非常に重要になってくる。


 ナイトの立ち回りは、回復魔法やスキルを駆使して常にモンスターのタゲを自分に固定することにある。ナイトが敵の猛攻に耐えている間、他のアタッカージョブが相手のHPを削っていくのだ。先ほどのように他の前衛や後衛にタゲが移ってしまっては、パーティはすぐに瓦解してしまうだろう。


「おっ、また近くで湧いたみたいだね。釣ってくる」


 魔導士たちのMPがあらかた回復したと判断した狩人が言った。


 ここ《イース遺跡》は古代文明が滅んだ跡のようなフィールドである。朽ち果てた石柱が並び、割れた石畳の間からは背の高い雑草が伸びている。石壁などの障害物も多いため、現実にあったらサバゲーにはもってこいの土地だ。


 ゲーム上での特徴としては、戦闘フィールドにもかかわらずノンアクティブモンスター(こちらから攻撃を加えない限り襲って来ないモンスター)しかポップしないこと。さらに深い森が隣接しており、そこから一匹ずつおびき寄せて戦うことが可能なため、プレイヤーの間では安全にレベル上げを行えるエリアとして有名な場所だった。


 狩人は《索敵》スキルを使用して、新たなドラゴンが湧いたことを察知したのだろう。が、俺は森に向かおうとする狩人を強引に引き留めた。


「ちょっと待った。……トイレ行ってきていい?」


「はいぃ? MP回復中に行っとけばよかったじゃん!」


 お前が俺の怠慢を咎めるからタイミング逃したんだよ、とはさすがに言えなかった。


 他のメンバーからも許可が出たため、多数決にて少しばかりの休憩へ。キャラクターを離席状態にして、俺はVRゴーグルを外した。


 眠気で重くなった瞼を瞬かせながら、軽く周囲を見回してみる。当然ここはファンタジー世界などではない。少々ゲーム好きな男子高校生が寝起きしたり勉学に励んだりする、一般的な家庭の自室だった。


 俺がプレイしているゲームの名は『エターナル・ファンタジア』。通称エタファン。三年前にリリースした、いま流行りのVRMMORPGである。


 とはいっても、創作によくあるような意識が仮想空間の中に入って遊べるSFチックな代物ではない。視覚と聴覚はVRのヘッドセットで補えるものの、キャラを操るのは据え置きゲームのコントローラーだ。脳波でコントロールしたりはしない。完全ダイブ型のオンラインゲームなんて、本当に実現するのかねぇ。俺が生きている間にゃ無理だろうなぁ。


 で、ここで最初の話題に戻るわけだ。俺が如何にして自分の信念を貫いているのか。


 ここだ。ここ『エターナル・ファンタジア』の中こそが、誰かを護りたいと願う俺の使命感が活かされる場所だった。


 仲間と一緒に広大なフィールドを駆け回ったり、活動可能エリアを広げるためにレベル上げに勤しんだり、NPCから受けられるクエストをこなしたり、北の大地に君臨する魔王を倒すため、俺はパーティを護るべくタンク役の《ナイト》として活躍しているのである!


 親父よ、こんな志の低い息子でごめーんね。


「さて、トイレトイレっと……つーか、もうこんな時間なのか」


 熱中しすぎていたせいか、いつの間にか二十三時を回っていた。


 明日も学校だし、言わないだけでアイツらも眠たいだろう。こりゃ戻ってもあと二戦三戦くらいで終わりかな。


 などと思いつつ用を済ませ、眠気覚ましに軽く顔を洗ってからVRゴーグルを再度装着したところで――絶句してしまった。


「……は?」


 パーティメンバーが誰もいなかったのだ。それどころかパーティが解散してやがる。


 何が起こった? まさか眠気に負けるナイトはクビってこと? 最近流行りの追放もの小説ってやつ? んで新しく雇ったタンク役が役立たずで、突如として秘めたるパワーに目覚めた俺が奴らを見返すってパターンか!? いや、何を考えてんだ俺は。


 ふと、メニュー画面にメッセージが届いていることに気づいた。


 差出人はさっきの戦士だ。


『時間も時間だから解散することにしまっした! ちゃんと街中でログアウトしなきゃ、明日死刑だから!!』


「マジか……」


 アイツの死刑は痛いからなぁ。


 それはさておき、今がけっこう絶望的な状況であることに頭を抱えてしまう。端的に言えば街へと帰る手段が無いのだ。


 おそらくみんなは白魔導士のテレポート魔法で街の近くまで飛んだのだろう。が、当然ナイトにはそのようなスキルなど備わっていない。できるのは下級回復魔法と攻撃系の聖属性魔法だけだ。


 周囲で闊歩しているモンスターに特攻して戦闘不能になれば一瞬で街に戻れるものの、ペナルティでロストする経験値量が痛いんだよなぁ。それこそ今日のレベル上げがほとんど無意味になってしまうくらいには。


 もちろん、この場でログアウトすることも可能だ。ただ街中でログアウトすることにより受けられる恩恵があるし、何より死刑になるのはイヤだ。


 え、ってかマジで手段無くない? ここから徒歩で帰るしかないのか? いったい何分かかると思ってんだよ。三十分? 四十分? 下手したら一時間? おいおい日付変わるぞ。


「にしてもトイレ行ってる間に解散とかないわー。最低限、俺のキャラも一緒にテレポさせとくってのが筋ってもんだろ。いや、あえてしなかったんだろうな。あの女はそういう奴だ。たぶん他のみんなも逆らえなかったんだろ。そうだ、そうに違いない。悪いのは全部あの女だ。明日会ったら恨み拳で肩パンしてやる」


 できないけども。そんな度胸あるはずもないけども!


 何はともあれ泣き言を言ってても始まらないので、ひとまず足(正確にはコントローラーのスティックを倒す指)を動かす。幸いスニークアイテムは持ってきているため、モンスターに襲われずに帰れるだろう。あとは地道に距離を稼いでいくしかない。


「……なんだ?」


 イース遺跡と隣接する森の境まで移動し、いざスニークアイテムを使おうとしたその時、遠くの方で女性らしき悲鳴が聞こえたような気がした。


 もちろん、それ自体は何ら不思議ではない。イース遺跡はレベル上げに適したフィールド。見えない場所で他のパーティがモンスターを狩っているのかもしれないし、事実うちの戦士もドラゴンの炎を浴びて叫んでたからな。


 だからこそ、悲鳴の下で何が起こってるのか容易に想像できてしまう。


「…………」


 理性はこのまま帰れと命令してくる。


 けど気になってしょうがない。さっきの俺みたいにタンク役がへましたのか、釣り役が失敗して一度に大量のモンスターをおびき寄せてしまったか。どちらにせよ、パーティが何かしらの打撃を受けているのは間違いないだろう。


 もちろん、野良ナイトが一人応援に駆け付けたところで「これで勝つる!」なんて状況にはならないと思うが……そもそもの話、俺の信念がここで無視するという選択肢を選ぶはずがなかった。


「ええい、ままよ。明日は寝不足確定だな!」


 覚悟を決めた俺は、踵を返してイース遺跡の中心部へと向かった。


 朽ちかけた石柱の間から、悲鳴があったであろう場所を窺う。誰もいない。全員逃げて、今もモンスターに追われている最中なのか? こんな時、狩人の《索敵》スキルがあればな。


 と、再び奥の方から叫び声が聞こえた。


「……近いな」


 ただし今度は男の声だ。しかも「あっちだ、追え!」「逃がすな!」と複数人いる様子。


 だが妙だ。プレイヤーを攻撃しないモンスターはいても、プレイヤーから積極的に逃げるモンスターなどいないはず。彼らはいったい何を追っているんだ?


 同時に、さっきの女性の悲鳴が脳裏を過った。嫌な予感がする。


 俺は男たちの声がした方へと足を速めた。


 少しキャラを走らせたところで、ようやく件の連中を発見した。瓦礫に囲まれた袋小路にいたのは五人。壁際に追い詰められた少女が一人と、じりじりとにじり寄っていく男が三人。そして彼らの背後で状況を見守っているフードのキャラが一人だ。


 なんなんだ、この状況。ってか、こいつらは本当にプレイヤーなのか?


 フードのキャラはまあいい。魔導士専用でああいう見た目の装備は存在する。けど男たちの方は異常だ。なんせ普通の村人NPCが着ているような、防御力皆無の軽装だったのだから。とてもじゃないが、最寄りの街からも遠く離れたイース遺跡に来るような装備ではない。


 そして彼らが囲んでいる少女の姿も異様だった。


 年の頃は、ようやく二桁に届いたといったところだろうか。着ている物は真っ白な薄手のワンピース一枚のみ。武器どころか靴も履いていない。何より目を惹くのが、とてもゲームのアバターには見えないほど繊細な、銀色に輝く長い髪だった。


 アバター? ああそうか。たったいま理解した。こいつらはプレイヤーじゃない、NPCだ。おそらく何かのイベントの真っ最中なのだろう。俺が意図せずフラグを踏んでしまったのか、それとも不定期で発生するゲリライベントなのか……。


 ともあれ、このまま見て見ぬふりをするのも寝覚めが悪い。薄幸の美少女を救うためにも、俺は意を決して物陰から歩み出た。


「おい、あんたたち。何してんだ?」


「――ッ!?」


 少女は目を剥き、男たちは慌ててこちらを振り返る。だがフードのキャラだけは、まるで俺がここにいたことを最初から知っていたかのように落ち着いていた。


「気にするな。ただのプレイヤーだ」


 フードの下から漏れる女の声が男たちを諭す。


 ってかプレイヤー? こいつ今プレイヤーって言ったか?


 普通のNPCならプレイヤーなんて単語は使わない。ゲームの雰囲気を壊さないためにも、冒険者と言うはずだ。つまり少なくともフードの女は人間が操ってるってことなのか?


 いまいち状況が把握できないため、俺はあえて全員プレイヤーだという前提で責め立てた。


「そうやって一人の女の子を執拗に追い回すようなマネはやめろよ。一部がモラルに反するプレイしてると、俺たちみたいな普通のプレイヤーにも迷惑かかるんだからな」


 もちろんネカマの可能性も否定できないけどな!


 なんてセルフツッコミしていると、さすがに糾弾されてまで無視できないと思ったのか、フードの女は俺の方に向き直り、喉を鳴らすような笑い声を漏らした。


「ほう? では、どうするつもりだ?」


「どうするって……」


 言われてから違和感に気づいた。


 こいつらは、あの少女を追い詰めて何をするつもりだったのだ?


 エタファンではプレイヤーが他のプレイヤーを直接攻撃できる、いわばPvPの機能は備わっていない。こうやって追い回して嫌がらせする程度のことは可能だが、相手からアイテムを強奪したりプレイヤーキルすることはできないのだ。


 つまり袋小路に追い詰めた時点で終了。こいつらはこれ以上、少女に何もできないはず。


 迷った末、俺は最も現実的な解決方法を口にした。


「ジ、GMに通報するぞ」


 GMとはゲームマスターの略であり、その名の通りゲームを運営する側の人間が操作するキャラクターのことである。システム上あらゆる権限を持っており、彼らが悪質な迷惑行為だと判断すれば、操作一つで垢バンだってできるのだ。平たく言えば、ゲーム内の警察みたいな存在である。


 ただ俺は今まで一度もGMを呼んだことはない。「どうぞご勝手に」と言われたら戸惑っちまうだろうなと思いつつ返答を待っていると、フードの女が怪しげに笑った。


「ふふふ。そいつは困るな。まあGMを呼ばれたところで、到着するまでにはすべて終わってると思うけどね。また逃げるつもりでしょ? ねえ、アロネ」


「…………」


 ローブの女が問いかけると、銀色の少女が目を細めた。


 ふと、急に空気が弛緩したことが分かった。少女を囲む男たちが気を緩めたのだ。


 追い詰めたから油断した? いや、違う。この感覚は諦めだ。追い詰めた側であるはずの彼らが、何故か少女を捕らえることを諦めたのだ。まるでこの後、行き場を失った少女が煙のように消えてしまうことを最初から知っていたかのように。


 とそこで、少女が初めて口を開いた。


「うん、ボクは逃げるよ。今度はキミたちの手が届かない所へ」


「この世界にいる限り、貴方にとって安全な場所などないわ。時間さえあれば、どこに隠れようとも必ず見つけ出す」


「そうだね。ボクに安全な場所はない。でもそれは、この世界の中での話でしょ?」


「は?」


 意味を解さず、ローブの女は間抜けな声を上げる。


 だが次の瞬間には言葉の断片が一本の糸で繋がったようだ。苦虫を嚙み潰したような顔をして、咄嗟に俺の方を振り返った。


「まさか……」


 ローブの奥にある緋色の瞳が俺の視線と絡んだ、まさにその時だ。


 銀色の少女の全身が、突如として発光し始めた。


「なっ――」


 瞬時にして視界が真っ白に染まる。俺も多少はFPSをプレイするので分かるが、これはまるで敵のスタングレネードを食らった時のような……いや、それ以上か? 光はいつまで経っても治まらない。それどころか眼球を貫通して、光の針が頭を突き刺しているような……い、痛い痛い痛い! 頭が痛い! 割れる、頭が割れる!!!! 痛い痛い痛い痛痛痛痛痛いいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!


「ごめんなさい」


 少女の謝罪が耳元で聞こえた。


 それと同時に、俺の意識はこの世界から消え去ってしまった。

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