養子 ―前編―

「今日は貸し切りだ。そんなにかしこまらなくて構わない」


 マテオ・ホワイトはそう言ったが、目の前の人間達の緊張は少ししかほぐれない。

 まあ仕方がないか、とマテオは切り替えた。

 ここは確かに身を固くしてしまうような高級料理店だが、時間が経てば慣れてくるだろう。


 目の前にいる人物は、全部で四人。

 左から、ジャック・ベーカー、その妻のエマ、今回の主役のリリー・ブラウン、護衛役のグレイス・キャンベル。

 そして、マテオの両脇には、マテオの妻のヴィクトリアとヴィクトリアとの間の子供、ソフィアが座っている。




 こんなメンバーで貸し切りの高級料理店にいる理由は、今から十日前までさかのぼる。


 今から十日前のその日、役所勤めのマテオとヴィクトリアは娘であるソフィアをミネスの市場に連れて行こうとしたが、急な仕事が入ってしまい、連れて行けなくなった。

 すると、その事を知った時に一緒にいたジャックが、自分達は何も予定がないからソフィアを連れて行こうか、と提案してきた。


 古くからの友人であり隣の家に引っ越してきたジャックは信頼していたし、そのジャックや妻のエマに懐いているソフィアも乗り気だったので、マテオ達は娘を友人夫婦に預けた。


 しかし、マテオ達は失念していた。

 この友人夫婦が、極度の方向音痴だった事を。


 そして、その方向音痴によって変な輩に絡まれた友人夫婦と娘を助けたのが、今日の主役であるリリーだ。


 そしてさらにその三日後、今から一週間前、今度はマテオがリリーに助けられた。

 その日、何気なく立ち寄った情報媒体メディア専門店で強盗が発生した。


 その時に真っ先に二人組の強盗を追いかけたのが、リリーとその同僚のベンジャミンだった。

 その時はまだ追いかけている少女がリリーだとは気付かなかったが、その優秀さは判断の早さから見てとれた。


 そして、優秀なこの子なら必ず犯人を追い込むであろう場所に先回りしていると、果たして犯人はやってきた。


 格闘技の心得があるマテオもナイフを持った男との戦闘には苦戦したが、そこに現れたのがリリーだ。

 治安を守るのは自分達の役目だ、と言い切った彼女は、苦戦しつつも見事に犯人を捕らえてみせた。


 特に、無防備に突っ込んでくる相手の足元に《聖域セイクリッド・スフィア》を生成して転ばせたのは見事という他ない。


 その活躍とジャックから聞いていた容姿で、その少女がリリーであると確信した。

 念のため本人に確かめてみると、やはりその少女はリリーだった。


 ただ、流石にホワイト家とリリーだけだと恐縮してしまうと思い、すっかりリリーと仲良くなったというジャックとエマ、そして護衛兼リリーの親しい人間枠でグレイスが選ばれた、という訳だ。


 ただ、このグレイスに関しては他の思惑もあるのだが、それを実行するかは分からないと言っていたし、まずは純粋に料理を楽しんでいただこう。




「これおいしいですね。なんていう料理ですか?」

「それはね――」


 リリーとヴィクトリアが談笑している。

 この食事会が始まって一時間、七人は大いに打ち解けていた。


 マテオ自身もジャック達とゆっくり食事をするのは久しぶりだったし、リリーとの会話も楽しんでいた。

 リリーは年齢に良い意味でそぐわず落ち着きがあり、よく周りを見ている。


 そんな人柄にマテオもヴィクトリアも好感を持ったし、ソフィアもすっかりリリーを気に入ったようで、お腹いっぱいになったソフィアの定位置はリリーの膝の上だ。


 一度場が静かになったところで、マテオは居住まいを正した。


「リリーさん」

「はい」


 ソフィアの頭を撫でていたリリーの表情も引き締まる。


「この度は、改めてお礼を言う。娘や私を助けてくれて本当に有難う」

「本当に感謝しているわ」


 マテオはヴィクトリアと共に頭を下げた。

 見れば、ジャックとエマも頭を下げている。


「私は」


 リリーがゆっくりと話し始めた。


「自分のした行為はあくまで任務の範囲内で、当然の事だと思っています。ですが」


 その目が細くなる。


「その行為でこんなにも皆さんに感謝して頂けるなら、それは職業冥利みょうりに尽きるというものです。こちらこそ有難うございます」


 そう言ってリリーは綺麗に微笑んだ。


「ふっ……」


 自然と笑いが洩れる。

 そんな顔でそんな事を言われたら、もうこちらは降参するしかない。


「ねえ、デザートまだかな⁉」


 しんみりとした空気になった中、つつ抜けた明るい声が響いた。

 先程とは違った意味の笑いが洩れる。


 最も、どちらもプラスの感情だという意味では同じだが。


「ソフィー、まだ食べられる?」

「うん!」


 リリーが会話をつなげて、一気にその場は賑やかになった。

 子供の力とは偉大なものだ。








 それから三十分ほど時間が流れた後、ついにその時がやってきた。


「ちょっとお手洗いに行っても宜しいですか?」

「あっ、私もそうしよう」


 リリーに続いてグレイスも立ち上がり、二人は並んでトイレに向かった。


 それから五分ほど経つが、二人は帰ってこない。


「迷子かしら?」

「エマじゃないんだから」

「お前もだろ? ジャック」

「リリーまだかなー」


 なんて話していると、二人が帰ってくる。

 リリーの半歩後ろを歩くグレイスに目を向ければ、彼女は一つ頷いた。


 リリーとグレイスがそれぞれ自分の椅子に座ると、グレイスが口を開いた。


「話がある」


 妙な緊張感に包まれた中、グレイスは話し始めた。


「概要はすでに話してあると思うが――」








 グレイスの話を要約すると、


『ジャックとエマがリリーを養子にする』


 という事だった。

 すでに養子を取る可能性、養子になる可能性については話していたらしい。


 そして、先程トイレでリリーに、彼女の記憶喪失や家族について話して良いという許可を取り、今に至るのだそうだ。


「さっきは驚きましたよ」


 真っ先に口を開いたのはリリーだ。


「グレイスさんがいきなり養子について話してきた時から具体的な話があるのだろうとは思っていましたが、まさかジャックさん達だとは」

「俺達も、まさかリリーちゃんだとは思わなかったよ」

「ええ、本当に」


 ジャックとエマが息を吐く。

 知るタイミングが早かった分、リリーの方が落ち着いているようだ。


「私はここの生活がとても気に入っていますし、実の親がどうとかは全くありません。なので、凄く上から目線になってしまうのですが……ジャックさん達にお任せしたい、というのが本音です」


 リリーが言葉を選びながら言った。


 一方のジャックとエマは唸り声を上げている。

 この状況を作ったグレイスは打つ手がないようなので、マテオは初めてこの会話に参加した。


「いきなりの事で今ここで決めろ、というのは難しいだろうから、ゆっくり考えてから決めれば良いんじゃないか? 急ぐ事でもないだろうし」

「ああ、そうさせてもらおうかな」


 真っ先にジャックが頷き、エマとリリーも首を縦に振った。


「なんだか、微妙な空気にしてしまって申し訳ないな」

「いえいえ、そんな」


 視線を下げるグレイスにリリーが首を振る。


「私達の事を考えて下さったのですから、謝る事は何もないですよ」

「リリーちゃんの言う通りよ」


 エマも同調する。


「大事な話だからじっくり考えたいだけ。気持ちは感謝しているわ」

「そう言ってくれると助かる」


 グレイスが笑顔を見せ、その場の空気は軽くなった。




————————




「じゃあ」

「それではお休みなさい。本日は有難うございました」


 それぞれの性格が存分に出た挨拶をして、グレイスとリリーは去っていった。

 二人ともマテオ達を送り届けてくれたのだ。


「来るか?」


 言葉少なにジャックとエマに聞けば、二人は頷いた。

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