いつかなんて待つつもりはありません

「にしても、命中率はともかく強度の調整もそんなに必要なんですか?」

「うーん……」


 今でいうファミレスのような庶民感溢れる食事処で、私はベンジャミンと向かい合っていた。

 本当はもうちょっとお洒落な場所に行きたかったが、少年少女のお財布事情がそれを許さなかった。


「強度の調整は、確かに基本的にはリリーには必要ないかもね。多少の無駄遣いをしても霊力が切れる事はないだろうし。最近霊力の枯渇こかつを感じた事ないでしょ?」

「まあ、そうですね」

「でも、多分リリーでも、そのちょっとした無駄遣いが命取りになる日が来ると思う」


 私はベンジャミンの顔を凝視した。


「それは、憑依人間ひょういにんげん憑依生物ひょういせいぶつとの戦闘だ。あいつらは平気でA級が出てくるし、場合によってはS級、SS級かもしれない。いくら君が強くても、正面からぶつかってはいけない相手はいる。そんな相手に対しては、少しでも霊力使用を効率化しないと勝てない」

「なるほど……」


 確かに、私はまだそんなに強い敵とやりあっていない。おそらく、一番上でB級の霊だ。

 ちょっと調子に乗り過ぎていたかな。


「なんて、これはアンドリューさんからの受け売りなんだけどね」

「司令の?」


 ベンジャミンが頬を掻きながら頷く。


「俺も昔はリリーと同じような事考えていたんだ。だから偉そうな事は言えないんだけど」

「そんな事ありませんよ。先輩は経験も階級も私より先輩じゃないですか」

「経験はそうかもしれないけど、階級は違うよ。リリーだってすぐにB級になれるだろうし、そもそも俺のB級だってリリーのお陰なんだし」

「毎回そう言って下さいますけど、それはあくまで先輩の努力の結果です」

「毎回そう言ってくれるけど、その努力の源になっているのはリリーだから」


 私達は睨み合い、そして同時に吹き出した。


「リリーは頑固だね」

「先輩もですよ」


 自然と笑いが込み上げてくる。

 楽しいな。




 笑いが収まると少し恥ずかしくなったので、私は席を立った。


「ちょっとお花摘んできます」

「うん」


 店員にトイレの場所を聞き、店の奥まで向かう。

 トイレに行きたかったのは本当なので、素早く用を済ませた。


「リリー?」


 トイレを出て手を洗っていると、横から声を掛けられる。


「ああ、スティーブンさん」


 見習いの時に良く世話をしてくれた少年だ。

 私は公式設定では七歳だから、ベンジャミンの一個上の十一歳の彼は、私の四歳年上だ。


「ここで何をしているの?」

「ベン先輩とランチを」

「……ああ。そっか」


 スティーブンが斜め下を向いて頷く。

 これまでの行動、言動やこの反応から見ても、彼は私の事が好きだ。多分。

 だが、残念だけどその気持ちには応えられない。それならきっぱりと牽制けんせいしておくべきだ。


「そういう訳で待たせちゃっているので、私はこれで失礼します。それではまた、スティーブンさん」

「あ、ああ。楽しんでね」

「有難うございます」


 お辞儀をしてその場を去る。




 断り方はこれで良かったのかな、などと考えていると、前から歩いてくる男性とぶつかりそうになった。


「あっ、すみません」

「失礼」


 軽く頭を下げて去っていく。

 顔は見えなかったが……、


「めっちゃイケボじゃん」

「リリー?」


 肩を叩かれる。


「大丈夫?」

「え……わっ⁉」


 振り向くと、立ち上がってこちらを心配するベンジャミンの顔が思ったより近くにあった事に驚き、体勢を崩す。


「ちょっ⁉」


 ベンジャミンの伸ばした腕が身体を支えてくれたため、私は転倒せずに済んだ。


「あ、有難うござ――」


 そこで私は自分の状況を悟った。

 正面から向き合っていたため、ベンジャミンは抱き合うような形で私を助けてくれたのだ。


「わわっ!」


 私は慌てて身体を離した。

 見れば、ベンジャミンの顔も真っ赤だ。


「で、出ましょう」

「そ、そうだね」


 居心地が悪くなり、私達はそそくさと店を出た。








「さ、さっきは、助けて頂き有難うございました」

「ど、どういたしまして」


 お互いにぎこちなく、会話が途切れる。

 今までにこんな事はなかったが、今の私がぎこちない理由は明白。私がベンジャミンを好きだからだ。

 実年齢が十何歳も年下の子を、と最初は戸惑ったが、好きになってしまったものはどうしようもない。


 ……そういえば、ベンジャミンはどうなんだろうか。

 今の彼のぎこちなさは、女性経験の少なさゆえのものであってそれ以上ではないかもしれない。


 そもそも、これまで私は何回も二人でお出かけをしているが、いつも誘うのは私からだし、ついぞ手を出してくる素振りはない。

 という事は――、


「リリー」


 私の思考を断ち切ったのは、その主人公であるベンジャミンだ。


「は、はい」

「さっき、スティーブンさんと何か話してた?」

「ああ、はい」

「何を話していたの?」


 嫉妬?

 いや、それは私の都合の良い解釈か。


「別にそんな大層な事は。先輩といると話したら、楽しんで、と」

「そっか……」


 一度目を閉じて頷いたベンジャミンが、今度は鋭い目線をこちらに向けてくる。


(あっ……)


 私は知っている、この目を。


「リリー」

「はい」

「俺は君と出会ってから、結構良い関係を築けてきたと思っている。今日みたいに二人で出かけるくらいには」


 その着地点が知りたくて、私は黙って先を促した。


「でも今日、君がスティーブンさんと話しているのを見て気付いたんだ。君の事が好きな人なんて他にもいくらでもいるし、そんな人達から見れば君は今フリーだって」


 私は目を見開いた。

 それって、まさか——、


「急な展開になっちゃうけど、今言わないと多分後悔するから。リリー」


 その鋭い目線が私を射抜く。


「俺は君の事が好きだ。君の恋人になりたい」

「あっ……」


 頭が真っ白になる。が、僅かに残った思考力は、正確に今の状況を理解した。

 さっきまでの暗雲はどこへやら、胸がじわじわと熱くなる。


「すぐに返事をくれ、なんてかしはしない。けど、いつか返事は聞かせて――」

「何を言っているんですか」


 私はベンジャミンの言葉をさえぎった。


「え?」

「それだけ待たせておいて無責任な。私はいつかなんて待つつもりはありません」


 ベンジャミンが目を見開く。


「り、リリー。それって……!」

「はい」


 私は気持ちをそのまま表情に乗せて、言った。


「こんな私で良ければ、喜んで」

「リリー……!」


 ベンジャミンに抱き締められる。

 さっきは恥じらいを感じたその温もりに、今度は恥じらい以上に安心感を覚える。


「これだけ待たせた罪は重いですよ、先輩」

「それはごめん」

「ま、良いですけど」


 私は身体を預けながら視線のみを上げ、ベンジャミンの目を見た。


「これから埋め合わせてくれれば」

「……そうだね」


 ベンジャミンがはにかむように笑った。




————————




「はあ……」


 その頃、ベンジャミンとリリーがいた食事処では、一人の少年が溜息を吐いていた。

 スティーブンだ。


『ベン先輩とランチを』


 リリーは言葉少なにそう言い、その後すぐにベンジャミンの元へ戻っていった。

 その行動の意味に気付かないほど、スティーブンは単純ではない。


(思わせぶりなのも嫌なんだろうけど、ああもはっきり牽制されるのも胸が痛いな)


 スティーブンは溜息を吐く。

 が、それは仕方のない事だ。リリーにはベンジャミンがいるし、ベンジャミンもリリーを必要としている。

 割って入る隙が無いのなら、外野でいるしかない。


「いつ頃諦められるかな……」


 そう呟いたスティーブンの目の前の椅子が引かれる。


「ここ、良いかな?」


 帽子を深く被った赤目の男が声を掛けてくる。が、スティーブンはその養子よりも先にとある部分に注意を惹かれた。

 その、男の自分ですら耳あたりの良い声に。

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