最初の友達

 最初、クレアにとってリリーは得体のしれない怖さを持った少女だった。


 突然見習いの子が増えるのはいつもの事だが、リリーは最初から見習いにしては桁外れな実力を持っていた。

 その容姿の可愛らしさに先輩の男性陣は色めきだっていたが、クレアにはその少女が自分と同い年だという事は、にわかには信じられなかった。


 クレアと同じような印象を抱いた人も多かったのか、純粋無垢な幼い子達を除いては、様子を見る者が多かった。


 一緒に生活をしてみて、優秀なのは霊術だけではない事を知った。

 頭も良いし、教え方やまとめ方も上手だった。誰かの嫌味も軽く受け流し、場を悪くしない。


 幼い子達はますます懐いたが、クレア達はますますリリーを恐れた。それには、リリーが地下牢に入れられていた、という噂も関係していた。


 そんなリリーの印象が変わったのが、年上の見習い数人に絡まれている時だ。


 クレアの両親がトップを務めるマルティネス商会は、シエラでも有数の商会だ。そうであればこそ、商売敵しょうばいがたきと目の敵にしてくる家もある。

 クレアに絡んでくるのは、主にそういう家の子供だった。


 絡んでくると言っても殴る蹴るなどはしてこず、特に街の路地などの周囲に誰もいない時に陰湿ないじめをしてくるのだが。








 その日は、前日に雨が降った日だった。

 ぬかるむ地面に足を取られないように、でも急いで歩いていたクレアは、前から来る人影に気付いていなかった。

 ――ドンッ。


「わっ」


 突然の横からの衝撃に、クレアは耐えきれずに体勢を崩して尻餅をついた。

 服も、思わず後ろに付いた手も一瞬でドロドロになる。


「あらー、ごめんなさーい」


 甘ったるい声が頭上から響いてくる。

 不本意ながら、その声だけで誰か分かってしまう。


 貴族であるシモンズ家の次女、アレクサ・シモンズ。

 主に貴族を対象に商売をしているが、その貴族客もマルティネス商会に引っ張られがちなため、シモンズの耳に入るマルティネス家の評判は最悪だ。

 もっとも、クレアもそこまでは勘付いていないが。


「泥んこじゃなーい。でもー、マルティネス商会の娘ならお似合いかもー」


 シモンズの言葉に取り巻きが笑う。

 腹は経つが、相手は年上で、仮にも貴族の子供だ。下手に反撃すれば何らかの罪に問われる可能性があるため、クレアは相手をせずに立ち上がろうとした。


 しかし、そこにさらに泥玉が飛んでくる。

 投げたのは取り巻きの中の平民の少年だ。貴族は間違っても泥など触らない。


「お似合いですよー!」


 そう言いながらさらに泥を投げてくる。最近攻撃が激化してきているのは気のせいだろうか。

 クレアはせめて頭に当たらないように、と腕を上げてガードをした。


 しかし、いくら待っても泥は飛んでこず、無意識に瞑っていた目を恐る恐る開ける。

 すると、そこには綺麗な黄色髪を持つ少女、リリーがクレアを守るように立っていた。

 その前には四角い結界が張られており、泥が付着している。


「こんなところで何やってんの?」


 リリーの口から出た言葉は疑問刑だが、口調は詰問するように鋭い。


「あらー、誰かと思えば新入りさんじゃなーい?」


 アレクサが見るからに馬鹿にしたような目線をリリーに向ける。


「地下牢に入れられてた人ですわ」

「ヒーローのふりをして、汚名返上でもしようとしているのかしら?」


 言われていないクレアでも腹が立つような挑発をしている。

 が、それよりもクレアは心配だった。


 もしリリーが本当に地下牢に入れられるような人なら、そんなに挑発して大丈夫なのか、と。


「ねえ」

「は、はい」


 そのリリーに声を掛けられ、どもりながら返事をする。


「貴女、何でこんな事されているの? 彼女達に何かした?」

「い、いえ。親同士が商売敵で、それで……」

「貴女の家の方が上だ、と」


 理解が早い。


「えー? 別にそんなんじゃなくて―。そっちの子の家があくどい商売してるからー、ちょっと注意してあげただけー」

「なるほど。子供を泥まみれにしてもこの子の家は何も変わらない事が分からないほど馬鹿なんだね」


 ……多分、キレてる。


「何ですって?」


 アレクサの表情が怒りに染まる。


「お前、誰にそんな口聞いてんだ!」


 先程クレアに泥を投げてきた少年がリリーを指差して怒鳴るが、リリーは露ほどにも気にしていないようで、続けてアレクサに声を掛ける。


「今後、一切こういう気持ち悪いいじめをしないなら、今回だけは見逃してあげても良いけど」

「はっ、今までやられ放題言われ放題だった奴が何を言うか!」


 リリーに無視されてもなお罵倒し続ける少年は、気味の悪い笑みを浮かべた。


「アレクサ様。この女、やっちゃっていいですか?」

「好きになさい」


 アレクサが頷き、少年が発光した右手をリリーに向ける。

 あれは……《霊刃スピリット・ブレード》⁉


 ブーメランの形で切れ味の鋭い技。

 リリーも《霊壁スピリット・ウォール》は使えるようだが、そもそもの技の格は《霊刃》の方が高い。まともにくらえば大怪我をする。


「リ、リリーさん!」


 咄嗟にその名を呼ぶが、リリーは好戦的な笑みを浮かべるのみで逃げようとしない。


「へっ、格好つけやがって!」


 少年が《霊刃》を放つ。

 だがそれは、リリーが周囲に張った《聖域セイクリッド・スフィア》によりあっさりと防がれた。


「なっ!」

「格好つけているのはどっちよ」


 リリーが溜息を吐きながら少年に向かって歩き出す。

 少年はその威圧に気圧されて後ずさりするが、何かに引っ掛かったように体勢を崩し、先程のクレアのようにお尻からぬかるんでいる地面に落下した。


 その何かは。小さな《聖域》だ。誰が生成したものかなど、聞くまでもない。


「さて」


 リリーがアレクサに視線を戻す。


「随分物騒な友達を連れているみたいだね。勝手に私に向かってきたりしてさ。で、どうする? 今ならまだ見逃してあげるけど」


 それは、紛れもない最後通告。


「……ふん! 平民風情が調子に乗らないで下さいます? その気になれば、貴女の家を潰す事くらい訳ないんですから!」


 そう言って逃げ出そうとしたアレクサが、目の前に生成された《霊壁》に衝突した。


「なっ⁉」

「ごめん。一つ忘れていたけど忠告しといてあげる」


 リリーの手が発光し、巨大な霊力の塊が生成される。


「ひっ!」


 それを向けられたアレクサ達は、情けない悲鳴を上げた。


「次はないから」


 そのリリーの低い声に、アレクサ達は何も言わずに尻尾を巻いて逃げていった。


「ふう」


 一息吐いたリリーの目がこちらを向く。


「あの、助けて頂き有難うございました!」


 何かを言われる前にお礼を言って頭を下げる。

 助けてくれはしたし、悪い人ではないような気もしたが、やはりまだ怖かったからだ。


「そんな畏まらないで。私はリリー・ブラウン。貴女は?」

「あ、えっと、クレア・マルティネスです」

「クレアさんね。歳は?」

「な、七歳です」

「あら、同じじゃん! ねえ、クレアって呼んでいい?」


 リリーがずい、と顔を近づけてくる。


「え? ああ、はい。構いませんが」

「やった! じゃあ敬語もなしで、私の事はリリーって呼んで!」

「え、い、良いんですか?」

「じゃなくて?」

「い……良いの?」

「勿論!」


 リリーが笑顔で頷く。可愛い。




————————




 それからリリーはクレアのために服を買ってきてくれ、色々話をした。

 リリーは機嫌が良く終始物腰も柔らかで、クレアも次第に会話に楽しみを覚えていた。


 しかし、やはり地下牢の噂が頭をよぎって、一歩踏み込めない。


 なんだか申し訳ない気持ちになり、無意識のうちに下を向いてしまう。


「地下牢」

「えっ?」


 リリーの放った一言に、勢いよく顔を上げてしまう。


「あっ……」


 自分の失態に気付くが、今更どうしようもない。

 恐る恐るリリーを見れば、彼女は静かに微笑んでいた。


「よく聞く噂だよね。私が地下牢に入れられてたっていうの」

「え、えっと」

「あれ、事実よ」

「えっ?」


 クレアはリリーの顔を凝視した。


「記憶喪失の状態で軍に発見されて、地下牢に入れられていたのよ。これは、上の人達に確認してもらっても構わないわ」

「あ、いや、信じるけど……何で記憶喪失で地下牢?」

「私が霊術を人並み以上に使えちゃったからかな。私が記憶喪失だとする証拠はないし、軍としてはそうするしかなかったと思う」

「なるほど。確かに」


 言われてみればその通りだ。


「で、あのアレクサとかいう子とその取り巻きに、地下牢にいる時に姿を見られたのよ」

「え? じゃあ、噂の発信源って……」

「まああの子達でしょう。私にちょっかいをかけてくるだけなら好きにさせていたけど、他の人に手を出すのは流石にっていう事で、今日は日頃の鬱憤うっぷんも含めて忠告したのよ」

「あの時のリリー、凄い怖かったよ」

「それは先入観よ。司令なんてもっと凄いから、おしっこちびりそうだったもん」

「えー、そんなに?」


 その時、クレアはリリーといて初めて心の底から笑った。




————————




 それ以降は順調に親交を深め、今は同年代で一番気の置けない存在かもしれない。


 地下牢の事はあまり自分からは広めたくないとの事だったので、未だにリリーを警戒している者も多いが、最近では少しずつ皆もリリーを受け入れだしている。

 先程も先輩隊員と仲睦なかむつまじげだったし、良い傾向だ。


 ……それにしても、あの二人はなんとなくお似合いだったな。

 友人の恋路を考えてムフフ、と笑いながら、クレアは眠りに落ちていった。

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