第12話
鷲島と佐々川は一瞬何を言われたのか、何が起きているのか理解出来ないまま間抜けな声を挙げた。数秒かかって段々頭の理解が追いつき始める。今更息子も母親も嘘をつく必要は無い。ましてや佐々川の言葉に涙を流した程だ。そんな息子が嘘をつくとは思えない。では、先程の「今は夫はいない」という答えは何なのか。そして先程石井楓の夫として出てきた男は一体何者なのだろうか。パズルのピースがはまっていくように繋がっていく。
居るはずのない夫。良く考えれば一度も名前を聞いていない。父親なら知っていて当然の娘の名前も。子どもをあまり娘とか息子とは呼ばず名前で呼ぶものだ。もちろん人それぞれだが、一度もその名前が出てこなかったのは不自然だ。
「まさか・・・!」
鷲島は数学の問題で全ての式が揃い、綺麗な解が導き出された時のような衝撃に襲われた。
「くそ!やられた!」
鷲島と佐々川は息子と母親に一礼してから急いで石井楓の家に戻る。石井楓の家の扉を叩く。荒々しく揺れる扉にも家の中の住人は反応しない。単に寝ているだけか、しかしそれならどれほどよかったかと思う。今ある可能性はもう一つしかない。
「尼崎のやつ、先回りしてやがった!」
「写真の尼崎と明らかに雰囲気も顔も違った!でも玄関先は暗かったし、顔を多少隠せる変装さえすれば分かりにくい!」
警察としては不法侵入になってしまうので勝手に家に上がり込むのは良くないのだが、今は人の命がかかっている。警察の一人分の信用が失われるのと叱責さえ受ければいいだけの事であり、人の命と天秤にかければ刑事としてどちらを優先するかは明白だった。埒が明かないので覚悟を決めて扉を思い切り開ける。玄関には靴は無く、家にも人の気配はなかった。
リビングに入ると荒らされた様子はなく、とても整っていた。
「各捜査員、すぐに石井楓の行方を追ってくれ!恐らくまた犬の宅配業者に偽装していると思われる!」
佐々川が後ろで切羽詰まった声で無線で指示を出している。鷲島はテレビ台の上に置かれている家族写真を見つける。
「佐々川さん!これ!」
鷲島に呼ばれた佐々川は無線を繋ぎながら鷲島が持っている写真を覗き込む。写真はピクニックにでも行った時のだろうか。三人の人物がにこやかに笑って写っていた。真ん中に恐らく娘と思われる少女、それを挟むように妻の石井楓と夫であろう男性。鷲島は夫であろう男性を見て歯を食いしばる。
「全く違いますね・・・眼鏡なんてかけてないし、体型も違う。顔の輪郭も何もかも・・・」
「確認取れたぞ。石井楓の夫である石井彬久は現在別居中だそうだ。どうやら石井楓の虐待が原因だそうだ」
「石井楓は虐待加害者・・・?」
少し引っかかる。今までの被害者は皆虐待加害者ではなく、虐待加害者という噂を吹き回された虐待被害者だ。なのに今回は本当の虐待加害者を狙っている。そもそも何故虐待被害者を虐待加害者として嘘をつく必要があるのか。考え出すとキリが無いので今はとにかく石井楓の安全確保と尼崎の確保が先だ。家の外に出て鷲島と佐々川は他の捜査員の車が戻ってくるのを確認する。二人は二手に分かれ、佐々川は他の捜査員と共に車に乗りこみ通りそうな道を探していく。鷲島も車に戻ろうとした時、角から車が勢いよく飛び出して轢かれそうになる。体を仰け反らせ倒れ込むが、その時車のドアに描かれている犬のマークが目に入った。それはまさしく他の被害者の現場近くで目撃された犬の宅配業者だった。
「クソっ!待ちやがれ!」
冷静さを欠いて走って追いそうになるが、すぐに車に戻り、急発進させる。運良くそう離れずに宅配業者の車の後ろにつくことが出来た。バレないように尾行などしていられない。今目の前に連続殺人鬼がいるのだ。鷲島に気が付いたのか、相手も車の速度を上げる。住宅街の道なので四十キロ制限だったが優に速度オーバーする程のスピードは出ていた。鷲島は相手から目を離さずに、そして複雑な路地を猛スピードで走りながら無線に叫ぶ。
「佐々川さん!見つけました!犯人の車は石井楓の自宅から妻沼方面に逃走中!ナンバーは熊谷せ11-16!」
『すぐに向かう!お前の車と位置情報を共有して、挟み込めるように回り込む!絶対に目を離すな!』
「はい!」
無線を繋いだまま複雑な路地を猛スピードで走る。ブレーキの音やカーブでタイヤが擦れる高い音を立てながら車体を横に揺らす。時折家の兵にぶつかりそうになる場面もあり、相手の車も実際擦っていた。しばらくすると大きな道路に出る。あまり車が通っていなかったが、相手の車と鷲島の車は猛スピードでカーチェイスを繰り広げる。そしてまた一本裏の道に入り、比較的広い道だが車通りが少ない道に出る。曲がる時にお互いの車が接触し、火花を散らしながら曲がる。相手の車は曲がりきれなかったのか、中央分離帯のポールをなぎ倒して反対車線を走る。鷲島もポールを挟んで左側を走る。前と横を気にしながら猛スピードで走る。速度は八十キロを超えていた。少し走ると電車の線路下を走るトンネルに入る。橙色のライトが二台を照らす。すると相手の車が急に鷲島の車に体当たりしてくる。強い衝撃と共に鷲島の車は左に大きく逸れる。鷲島の車を左の壁と車で挟みこもうとしていた。
「ふざけやがって・・・!」
鷲島は負けじとハンドルを思い切り右にきる。車体が大きく右に逸れ、相手の車に当たる。大きく火花を散らしながら相手の車はポールをなぎ倒して反対車線に押し出される。裏道だからか全く車はなく、今いるのは火花を散らすこの二台だけだった。しばらくすると道がトンネル内で壁に中心に二股に分かれ、鷲島と相手の車は離れてしまう。
「クソっ!」
思い切りハンドルを殴る。クラクションが短く鳴るが、今はとにかく通ると予想される道を探していくしかない。ナビを見ながら道の先がどこに繋がっているのかを確認する。トンネルを出たところで無線から佐々川の声が聞こえる。
『お前の車の位置と正面の道に出た。犯人の車を挟みこめるぞ』
「待ってください!今犯人の車と分かれてしまって・・・でも道は分かっているのですぐに・・・?!」
そこまで言ったところでで右から強い光が鷲島を襲う。眩しさに目を眩ませた後、強い衝撃が鷲島を襲う。交差点に差し掛かった鷲島の車に右から車が突っ込んだのだ。鷲島の車は歩道の縁石に乗り上げ車がひっくり返ってしまった。クッションが鷲島を守る為に勢いよく飛び出す。鷲島は頭を大きく揺らされ、意識が朦朧とする。しかし犯人が目の前にいることだけは認識できた。犯人を捕まえるべく、痛む体に鞭を打ちながらひっくり返った車体のドアを開けて外に出る。激痛が走り、立ち上がれない。道路の真ん中に出た鷲島を眩しいライトが照らす。鷲島は首を持ち上げて車を見上げる。車のドアが開き、一人の人物が降りてくる。ライトを背にしている為、顔の部分が影になってよく見えなかった。それでも鷲島はゆっくり歩いてくるその人物の名前を叫ぶ。
「あま・・・ざき・・・・・・尼崎ぃぃぃぃ!!!」
尼崎と呼ばれた人物は鷲島の叫びに返事もせず、見下ろす。鷲島はその人物の足を強く掴むが、顔を思い切り蹴られ頭を揺らされる。揺れる視界の中で、その人物は車に乗り込み、鷲島が転がる道の脇の間を通り過ぎる。その後すぐにもう一台の車が音を立てて止まる。降りてきた人物が鷲島に駆け寄り耳元で叫ぶ。
「鷲島!しっかりしろ!お前らはすぐにあの車を追え!・・・鷲島!鷲島ぁ!」
佐々川の叫びが遠くなる。鷲島の意識は佐々川の叫びも虚しく、闇に落ちていった。
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