第11話
六月二十二日午後八時
『埼玉県で発生している殺害事件、遺体には犬に食べられたような跡が』
『警察の捜査によると虐待関係の犯行と思われています』
どこの記事も今は鷲島達が追っている事件の事で埋め尽くされていた。そしてある記事に大きく見出しが出ていた。
『猟奇殺人鬼イヌ男』
犬に食われたような遺体、臓器を食べる、そういう点のみで解釈した結果だろう。だが、記者にとって見出しというものはとても重要なものであり、見出し次第で読むか読まれないかが分かれるほどらしい。そんな記者にとって語呂がよく分かりやすい名称を考え出すのは記者としての実力を試されている。同時にそのような魅力的な見出しは一瞬で人を惹き付けるため皆必死に考えるのだろう。佐々川は車の中でネット記事を見ながらため息をつく。
「猟奇殺人鬼イヌ男か。勝手なことしてくれるな。殺人犯に面白がってネーミングまでしてくれたとは」
「日常を生きる人達にとって非日常は刺激的ですからね。殺人が自分と同じ世界でしかも日本という自分が住む土地で起きていたら、普通は恐怖が勝ちますが中には好奇心をそそられる人もいるんでしょう。いじめも、虐待も」
鷲島達は先程SNSの投稿板に晒されていたある家の母親の元へ向かっていた。その投稿板の中の写真には他の被害者の自宅近くの防犯カメラにも映っていた犬のマークの宅配業者と思われる尼崎が映っていた。晒されていた家の母親の名前は石井楓。投稿者のアカウントを突き止め、本人に確認して得られた情報だった。ちなみに投稿者は引きこもりの男子高校生で毎日望遠鏡で家の外を眺めるのが最近の楽しみだったそうだ。そのおかげで犯人を捕まえられるかもしれないのは確かだが、やっていることはあまり褒められたことでは無いのでそれに頼るのは少し気が引けたが、犯人を捕まえる為なら今はどんな手を使ってでも追い詰める。少しすると石井楓の自宅が見えてきた。少し離れた場所には既に来ている他の捜査員の車もあった。車を停めると鷲島はその捜査員と言葉を交わす。
「お疲れ様です。石井楓さんは?」
「それが、娘の習い事の迎えに行っているらしくて自宅にはいませんでした。我々はその習い事の方に向かいます」
「わかりました。なら俺達は帰ってくるまで家の前にいます」
「よろしくお願いします」
そう言うと捜査員は車を発進させ、突き当たりの道を曲がっていく。佐々川と顔を見合わせると二人は石井楓の家のインターホンを押す。しばらくしてインターホンのスピーカーから男性の声が聞こえる。
『はい、どちら様でしょうか』
「度々申し訳ありません。埼玉県警の鷲島といいます。石井楓さんの旦那様ですか?」
『そうですけど・・・・・・妻ならさっきの刑事さんにも娘の習い事の迎えに行っていると伝えたはずですが』
「一度外でお話できませんか?少し簡単な確認なのでお時間はとらせません」
鷲島と石井楓の夫の間に割り込むように佐々川がカメラを覗き込む。インターホンの向こうで少し驚くような声が聞こえる。死角にいた佐々川がいきなり映りこんだのだ。インターホンの画面にどんな顔で佐々川が映っているのか想像しながら後ろから話しかける。
「確認だけなのでお願いします」
『・・・わかりました。今行きますね』
インターホンの通話が切れる音がすると、玄関の向こうで明かりがつく。人影が蠢いた後玄関の鍵が開き、扉を男性が開ける。少し髪が長めの眼鏡をかけた男性だった。仕事から帰ってきたばかりなのか作業服の様な仕事着を着ている。暗い玄関先で男性と向き合う。
「すみません、今玄関前の人感センサーのライトが壊れてて・・・それで確認とは?」
「最近、自宅近くでこの様な男性見かけませんでしたか?」
鷲島はSNSの投稿板の写真を見せる。石井楓の自宅前に尼崎が映っていた。男性は眼鏡を掛け直して凝視する。
「いえ、僕は見たことないですけど・・・これこの家ですよね?どこからこんな写真が・・・?」
「実は、今起きている事件が虐待に関連しているものでして・・・ネット上で虐待加害者の個人情報が晒されるという事が起きています。その中でお宅の奥様、石井楓さんが子どもに虐待をしているという投稿があって・・・」
周りの家に聞こえないように少し声を落として話す。しかしそれを聞いて夫は少し声を荒らげて言った。
「そんな・・・!そんな事あるわけないでしょう!楓はとても優しい子ども想いの人なんです。今までだって娘に対して暴力なんて振るったことはありません!」
「すみません、気を悪くされなら謝ります。実は犯人と思われる人物が先程お見せした写真の中に映っていた男性なんです」
「それじゃあ・・・次は楓が狙われると?!楓は無事なんですか!娘は?!」
鷲島に掴みかかる夫を制止するように佐々川が夫の肩に手を置く。そして諭すように静かに語りかける。
「安心してください。今娘さんの習い事先に他の捜査員が向かっています。恐らく今頃奥様も保護されていると思います。捜査員達は優秀ですので必ず奥様と娘さんの安全を確保することをお約束します」
「そうですか・・・」
夫は佐々川の言葉を聞いて安堵の声を挙げる。鷲島は改めて佐々川の人の心に語りかけ、安心させる言葉に感心していた。佐々川はいつでも相手と同じ目線に立とうとして話す。だからこそ相手も納得できるような言葉を選んで語りかける事ができるのだろう。鷲島は夫の心を傷付けないようにゆっくり話す。
「奥様と娘さんは自宅まで必ず送り届けます。なので旦那さんも家で待っててください。犯人は旦那さんにも何かしてくるかもしれません・・・それと先程は不快な思いをさせて申し訳ありませんでした」
「いえ、気にしないでください。私も少し冷静さを失っていました。妻と娘のことをよろしくお願いします」
深々と頭を下げると、夫は静かに家の中に入っていく。鷲島と佐々川はそれを見送ると、隣の家の方を見る。二階の石井楓の家の方にある窓から明かりが漏れていた。
「あそこがその投稿者の男子高校生の部屋ですかね」
「引きこもりで外を見るのが楽しみだからこそ得られた情報だ。あまり褒められた事じゃないが、今に関しては感謝するしかないな」
それでもネットに他人の個人情報を簡単に晒すのはやはり褒められたことではない。しかしそれに頼るしかなかったのも事実。折角来たのだから一言礼を一応言って、同時にあまり褒められた事ではないことを伝えようと試みる。家のインターホンを押すとすぐに母親らしき人物が出てきた。息子の件でと伝えると母親は直ぐに息子を呼んでくる、といい二階に上がっていく。しばらくの沈黙の後、のしのしと息子が降りてくる。少し太り気味の男子高校生だった。引きこもりになる前は少し痩せていたが、引きこもりになってからは動かず暴飲暴食の毎日らしくそのおかげで前の優しい息子の影はもう無い、と母親は嘆いていた。息子は俯きながらもこちらを見て薄気味悪い笑みを浮かべている。
「この度は情報提供ありがとうございます・・・」
「警察は僕の投稿がなかったら証拠が無くて動けなかったんだろ?僕に感謝しろよな」
鷲島は込み上げてくるものを押さえ込んで静かに述べる。
「確かにあなたの投稿が犯人の手がかりになったのは確かです。ただ、やっていることは間違っている」
「はぁ?何言ってるんだよ。それが無かったらお前らは犯人の手がかりすら掴めないって言ってたじゃないか」
息子は声を荒らげて言う。少し息が荒くなり明らかに興奮しているのが目に見えた。鷲島はこれ以上刺激しない方が良いか、と考えたが言うべきことは言う、でないとこの息子はいつまで経っても立ち直れないし、息子の為にもならないと考えた鷲島は強い口調で言う。
「他人の顔を自分の顔も名前も出さずに晒して、いい事した気分に浸らないでください。今回はたまたまあなたの投稿にそういう証拠が載っていただけでそうでなければ本来はあなたは個人情報保護法違反で罰せられるんですよ?」
それを聞いた息子は何かが切れたのか棚を蹴りながら声を張り上げる。
「うるせぇんだよ!綺麗事ばっかりいいやがって!俺は良い事をしたんだよ!あの虐待親を罰するために晒してやったんだよ!他のやつだってやってるだろ?!あんな屑を罰するため動いて何が悪いんだよ!」
「ふざけるな!罰するのはお前じゃない、司法だ!虐待をして人を傷つける、世間に個人を晒してその人荷車消えない傷を刻む!やっていることはお前もその屑と変わらない!」
佐々川が息子の言い分を抑え込むように叫ぶ。いつもは全くと言っていいほど怒りという感情を表さない佐々川が珍しく声を張り上げる。佐々川の気迫に押されたのか息子はびくりと肩を震わせて口を噤む。佐々川はそれを見て静かに語りかける。
「クラスの人に虐められたのが引きこもりの原因だって聞いた。だからこそ誰かを暴力で傷つける人が許せないんだよな?」
「・・・・・・俺は何もしてない。なのに、生理的に無理とか、キモイとか、死ねとかいきなり言われだして・・・理不尽な暴力をしてるやつを見てると虫唾が走るんだよ・・・」
母親の言葉を思い出す。昔の優しい息子の見る影はない、優しい子なのは本当だったのだろう。何かを助けるために行動するような優しい子だったのだろう。それが虐めによって歪められた。ただ、その誰かを助けたいという行動原理は変わっていなかった。虐待されている子どもを助けたい、でも自分の顔や名前を出して言い出すのは怖かった。だから匿名で投稿板に載せた。SNSは今や虐待加害者を罰する猟奇殺人鬼イヌ男で持ち上がりだ。それに便乗したのだろう。
「想いは間違っていない。ただ、選んだ方法は間違っている。大丈夫、まだ反省してやり直せるだけの時間はある。ゆっくり考えてくれ。虐めも辛かったよな。出来ることは協力する。だからもう一人で抱え込むな」
佐々川の言葉に息子は俯いて涙を流していた。やはり佐々川の心に語りかける話はすごいと感心する。佐々川は相手と同じ目線に立って自分も同じ気持ちになれば誰だって出来る、と言っていたがそんな簡単な話ではないだろう。相手と同じ目線に立つ、それがどれだけ難しいか。人間は本来他人の事なんて考えている余裕はなく、常に自分のことしか考えない生き物だ。それが人としての本能だと思う。だからこそそれを逸脱して本気で相手と同じ目線に立とうとする佐々川を素直に尊敬していた。鷲島は息子を見ながら隣の石井楓の家について聞く。
「先程隣の石井楓さんの旦那さんに話を聞いてきたんですが、息子さんも他に誰か怪しい人物を見たりしませんでしたか?」
「え・・・」
その話を聞いて息子と母親は素っ頓狂な声を挙げる。鷲島は何か変な事を言ったのかと思い佐々川を見るが、佐々川も何が何だか分からない、鷲島は変な事は言っていない、と言うように首を振る。二人の真意を確かめるべく鷲島は苦笑いしながら同じ質問を繰り返す。
「誰か怪しい人はいませんでしたか?」
息子と母親は顔を見合わせると、息子が恐る恐る話し出す。
「あの、怪しい人はその男の人だけですけど・・・」
息子も何が何だか分からないと言うような様子で話す。
「隣の家、今は夫は居ないはずですけど・・・」
「は?」
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