第5話
鷲島は佐東と二人で歩いていた。公民館で佐東に声をかけられた後、佐々川が自分は先に所に戻っているから鷲島は佐東を家まで送ってやれ、と言ってきた。鷲島はどうしてなのかと聞こうとしたがそれを聞く前にそそくさと佐々川は車に乗って行ってしまった。佐々川の意図が分かりかねた鷲島はとりあえず佐東が持っていた荷物を持って家まで送ることにした。今思えば、佐々川は佐東から何か情報を聞き出せれば聞き出してこい、ということを言っていたのかと思うがならば尚更鷲島一人では心許ないと思うのだが、佐々川は考えなしに動く人では無いので何か根拠があると信じて佐東と歩く。
「佐東さんはどうしてあそこに?」
「あの虐待を無くす会の阿比留さんがよく私のコーヒーを頼んでくれるんです。だから私の方からそちらに持っていきましょうか?って打診してこうして会の集まりの日にコーヒーを出張で淹れているんです」
「そうでしたか・・・ちょっと待ってください。阿比留先生・・・阿比留さんは佐東さんのお店の常連なんですか?」
「えぇ、ここ一年くらい結構来てますよ。そういえば千佳子ちゃんともよく話してました」
まさかのところで繋がった。偶然と言われればそれまでだが、第二の被害者の関係者が第一の被害者のカフェの常連でしかも三船千佳子と面識があった。しかも三船千佳子に執拗に迫っていた尼崎という男は阿比留の虐待を無くす会にも現れていた。これを偶然で片付けてしまっては絶対にいけないと思った鷲島は少し前のめりになりそうだったが、佐々川の落ち着けという声が頭に響き一旦呼吸を整えてから話を続ける。
「虐待を無くす会の会員だった碓氷保さんという男性を知りませんか?東松山市の大学に通う大学生なんですけど・・・」
「碓氷・・・えぇ知ってますよ。よくコーヒーの準備を一緒にしてくれてましたから」
そこまで言うと佐東は少しだけ声のトーンを落として鷲島に聞く。
「あの、今日碓氷さんがいなかったんですけど・・・それに今日も人が殺されたって・・・」
「・・・ご想像の通り、殺害されたのは碓氷保さんです。今日は碓氷さんが虐待を無くす会の会員だったことが分かり、阿比留先生の元へ事情を聞きに行っていたんです」
佐東の問いに慎重に答えながら同時に鷲島と佐々川があの公民館にいた理由を話す。その話を聞いた佐東はそうですか、とだけ言って黙ってしまった。三船千佳子の時ほどではないが知り合いが二人も殺されて平気なわけが無い。鷲島はどう声をかければよいか悩んでいるといつの間にか見覚えのある建物の前についた。佐東のカフェに着いたので帰ろうとしたが荷物も重く多かったので店内まで運ぶことにした。店内に入るとアルバイトの女子高生二人がいつも通りの笑顔で接客をしていた。女子高生は佐東と鷲島を見るとニヤニヤしながら話しかけてきた。
「あれー?佐東さん、公民館にコーヒーを届けるって言ってたのにどうして刑事さんと帰ってきてるんですか?それもいい感じで・・・」
「もしかして・・・そういう関係ですか?」
「ちょ?!二人とも変なこと言わないの!刑事さんにも迷惑でしょ!」
女子高生がピンクな妄想をしてキャーキャー言っているのを佐東が必死に止める。鷲島もどう反応したら良いか分からず変な笑いを浮かべるとそれを否定とは受け取らなかった女子高生は更に妄想を膨らませる。佐東はもう収まりそうにない妄想をする女子高生達から遠ざけるように鷲島を店の奥へと通す。鷲島は変にドキドキしているのを自覚しすぐにその邪念を振り払う。鷲島には妻と子供がいるのだ。愛しているのは家族だけであり、決してそんな気持ちを佐東には抱いていない。昔から誤解されやすいのは変に否定しないせいだからなのだが、その癖はまだ直っていなかった。
「すみません、あの子達ったら変なことばかり・・・」
「ま、まぁあのくらいの年頃はそういう話に花を咲かせるのが楽しいですからね」
荷物を指定された場所に置くと、棚の上に写真があるのを見つけた。写真には佐東ともう一人男性が笑って映っていた。
「これは・・・」
「それは主人です。一年前に病気で亡くなりました」
「そうでしたか・・・それじゃあこのお店はご主人が?」
「はい。主人とは元々カフェで出会ったんです。当時別の仕事を目指して勉強してた私はその勉強場所に主人が働いていたカフェを選んだんです。お店も静かで、コーヒーも美味しくて・・・たまに勉強も見てくれてたんです。全然頼りになりませんでしたけど」
佐東は写真を見ながら寂しそうな顔をして話す。確かに店で見たのは佐東とアルバイトの女子高生二人だけだ。妻が店主としているのなら夫も出てこないはずはないとは思っていた。夫は家事に専念している事も考えられたが、夫婦で店を切り盛りしていけるのならそうするのが普通だ。なのにアルバイトを雇っているのは夫が店に出られない事情があるものだと思っていた。
「その内コーヒーに惹かれて、夫にも惹かれて結婚して独立して店を持った夫と一緒に店を続けていくつもりでした。でも急に癌が見つかって、あっという間でした」
「寂しくないんですか?今まで当たり前のようにいた旦那さんが居なくなって」
「寂しいですよ。だから本当は雇う余裕なんて無いのにアルバイトとか雇ってるんです。昔から度を超えた寂しがり屋なんで」
佐東の顔を見てとんでもない愚問をしてしまったと思う。一人で寂しくないわけがない。そんなの当たり前のはずなのにわざわざ聞いて思い出したくない寂しさを無理やり思い出させてしまった。鷲島はすぐに謝ると佐東は謝る必要なんてない、と笑って言ってくれ、荷物を運んでくれたことや家まで送ってくれたことに感謝を述べた。
「じゃあ俺はこれで失礼します」
「良かったらまた来てください。今度はプライベートで」
「家族で来ます」
簡単に言葉を交わして店を後にしようとするが、ふと阿比留のことを思い出して急いで聞く。
「すみません!阿比留さんについてなんですけど、三船さんとどんな話をしていたかは分かりませんか?例えば尼崎という言葉を聞いたことは?」
「阿比留さんと千佳子ちゃんですか・・・よくは知りませんけど何か虐待関係の話をしていたみたいです。尼崎なんて言葉も聞いたことありませんし、私も知りません」
鷲島はそれを聞くとそこまで重要な情報は得られなかったな、と思いながら佐東と軽く言葉を交わして店を後にする。
鷲島は署に戻りながら虐待を無くす会のことを思い出す。虐待を受けていた人と虐待をしていた人が集まってカウンセリングを受けていた。虐待を無くすには虐待を受けた人達への支援だけではなく虐待をしてしまった人達に対する支援も必要であり、根本的な解決にはどうして虐待に至ってしまったのかを知る必要がある。それをまじまじと見せつけられたような気がした。鷲島は自分の右腕を抑えながら昔のことを思い出す。
鷲島は生まれてすぐに父親を亡くし、母親と弟の三人で暮らしていた。母親は優しい人であり自分よりも優秀だった弟と兄である自分を対等に扱い、女手一つで育ててくれていた。そんな母親が変わったのは弟が不慮の事故で亡くなってからだった。優しかった母親は人が変わったように毎日鬼の形相で鷲島を殴る蹴るを繰り返していた。その度に口にしていたのは『どうして弟なのか、どうせなら出来の悪いお前が死ねばよかったのに』という言葉だった。それを呪詛の様に吐きながら虐待をしていた。その後近所の住民からの通報により鷲島は児童相談所に保護され、母親は永遠に別れることになった。里親はとても優しく痣だらけの鷲島を見て可哀想に思ったのか何不自由ない暮らしをさせてくれて、大学まで行かせてくれた。そんな暮らしをしていく中でふと母親のことを思い出す時があった。その時は自分は悪くないのに一方的に暴力を振るわれた恨みしかなかったが、今思えば女手一つで育てる大変さ、ストレスの捌け口、誰にも言えない辛さ、母親には逃げ道がなかったのかもしれない。結局、母親を支えていたのは優秀な弟を持つプライドだけだったのかもしれない。出来の悪い兄にも優しかったのはそのプライドのお零れだったのかもしれない。今ではもう分からないが虐待は虐待を受ける側だけの問題ではないという事を今日の虐待を無くす会の阿比留のカウンセリングで見たような気がした。そんな昔の記憶に浸っている内に署に着いた。鷲島はそのまま捜査本部の会議室に向かうと佐々川を見つけて駆け寄る。
「佐々川さん。佐東さんを送ってきましたよ」
「おう、おかえり。何か情報は得られたか?」
「それが目的なら最初からそう言って下さいよ・・・虐待を無くす会の阿比留先生は佐東さんのカフェの常連でした。しかも碓氷保はもちろん三船千佳子とも面識があり仲は良かったそうです」
鷲島の話を聞いて佐々川はホワイトボードを見る。ホワイトボードには凄惨な現場の写真が貼りており目を背けたくなるような写真ばかりだった。
「ここまで来ると阿比留先生が事件には関係ない、とは言えなくなってきたな。何せあの事件の当事者だもんなぁ・・・まさか地元で虐待を無くす会というNPO法人を立ち上げていたとは」
「あの事件・・・?何ですか?」
「なんだ、お前知らないのか。まぁ十年以上前の事件だからな。凄惨な事件だったから内容聞けば思い出すかもな」
鷲島は佐々川のあの事件という言葉に引っかかり怪訝そうな顔をして聞く。意外そうな顔をした佐々川は奥にあった段ボールをいくつか退け、一番下の段ボールを漁る。しばらくしてから佐々川はこれだ、と一つの黒表紙の捜査資料を鷲島に渡す。
「鴻巣市母親殺人事件・・・」
「今から十五年前、鴻巣市に住む母親が自宅マンションで殺害された。その場で犯人は逮捕されたがその犯人は当時十歳の娘だった。母親は前の夫と離婚後、夜の街で遊び歩いては男を作り家と娘を放ったらかしにして遊んでいたそうだ。そしてたまに帰れば娘には虐待の日々。保護時には娘の体には数十の痣と切り傷があったそうだ」
佐々川の話を聞きながら資料の見ていく。写真には血だらけの浴室、部屋、そして返り血を浴びた娘の姿が映っていた。顔は髪で隠れていてよく分からない。
「そしてこの事件が当時日本を震撼させた。その理由が『娘が母親の肉を食べて生き延びていた』からだ」
「母親の肉を食べていた・・・?それって・・・」
今回の事件と似ている、と言いそうになったが何も根拠は無いので口を閉じる。
「母親の身体は内蔵を大きく損傷しており、娘は内蔵を加熱処理して食べていた。娘は精神鑑定を受けることになり、結果は愛着障害という判定を受け、精神に異常があったとされ医療少年院に送られた。十歳という若さでの殺人や、その殺人の動機、生きるためにやむを得なかったと判断され刑罰は降りなかった。この事件は当時の日本人にかなりの印象を刻んだはずだ」
「はぁ・・・でもこの事件が今回の事件と何か関係が?」
この少女が今回の事件と関係しているかも、とは中々言えなかった。何せ十五年前であり今更こんな事件を起こす理由が分からなかった。佐々川は鷲島の問いに答えるように資料のある部分を指さす。
「母親の名前、見てみろ」
「逢坂瑠璃、旧姓は阿比留瑠璃・・・阿比留って・・・」
まさかと思い逢坂瑠璃の関係者のページの中の親族の欄を見る。
「母親は阿比留恵子、父親は阿比留岩雄・・・まさか殺された母親は・・・」
「そうだ。殺された母親である逢坂瑠璃の父親は阿比留岩雄、今日会った臨床心理学の権威だ」
またとんでもない繋がり方をした、と思う。十五年前の事件の被害者の父親が阿比留岩雄であり、事件の内容も殺した人間の肉を食べるという今回の事件と非常に類似している。こうも今回の事件と繋がりがあるとさすがに偶然とは思えなかった。
「阿比留岩雄は娘を孫に殺されたって事ですか・・・」
「何もと救いがない事件だよな。阿比留岩雄はこの事件以降、それまで出ていた公の場から姿を消し、研究に没頭していた。そして数年前突然大学を辞め消息を絶っていたがまさか地元でNPO法人を立ち上げていたとはな」
資料に目を落とす。娘の名前は逢坂菜摘、母親が離婚して旧姓に戻ったとなれば阿比留菜摘か。娘はその後医療少年院に送られた後の消息が不明となっている。いくら不可抗力とはいえ母親を殺害し、その肉まで食べるという行為をしたのだから医療少年院に送られたところで更生は難しいかもしれないし出来たとしても事件の記憶が強すぎて社会では生きていけないだろう。何度も改名して今もどこかで生きているのかもしれない。とにかく今回の事件とかなり似ている点や関係者も共通していることから何らかの関係がある、もしくはこの事件がきっかけかもしれないと思う。
「あ、佐々川さんの方は何か分かったんですか?」
「あぁ、俺はあの後三船のカフェの常連だった尼崎という男を調べていたんだが、今日は職場の動物病院を無断欠勤していた。確かに獣医師として勤務しており仕事ぶりも真面目だったそうだがな」
「このタイミングで無断欠勤とは、何か分かりやすいですね・・・とにかくこの尼崎という男を追いましょう」
鷲島は荷物を抱えて走り出す。佐々川はしばらくホワイトボードを見つめていた。何か引っかかることがあるのか、佐々川が人の声に耳を貸さずに考え込む時は大体何か引っかかっている時だ。
「しかし不思議なことに三船千佳子も碓氷保も虐待をしていたという噂は聞くが虐待をした痕跡はないんだよなぁ」
佐々川さん!と鷲島の呼び声に我に返り急いで鷲島の後を追う。
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「悪いが、もう君には付き合いきれない。君とは金輪際会わない。帰ってくれ」
そう話すのは阿比留岩雄、臨床心理学の権威であり、虐待を無くす会の会長であり、そして十五年前の凄惨な事件の被害者だ。阿比留は自宅のリビングで誰かと話している。相手は俯くままで顔をあげようとはしない。しかし、阿比留の常連もう会わないという言葉で肩を震わせ息を荒くする。阿比留はそれを見ても構わず話し続ける。
「そういう反応もやめてくれ。これだから異常者は・・・っ?!」
阿比留の言葉が突然途切れ、言葉にならない呻き声をあげる。首には電気ポットを使用するための延長コードが巻かれていた。延長コードは首に深く食い込み、阿比留の肉を締め上げ気道を塞ぐ。呼吸を止められた阿比留は呼吸をしようと息を吸うが空気が入らない。ミシミシと音を立てて骨が軋み、そして枝が折れるような軽い音を立てて阿比留の首の骨が折れる。それを最後に阿比留の意識はふっと闇に落ちた。
力が抜けた阿比留の身体を見てまだ息を荒くしているその人はしばらく遺体を見つめ、ふと遺体に抱きつく。罪悪感からか嗚咽を漏らしながら鳴き声をあげる。そしてその人は遺体を浴室に運び出す。そしてキッチンから包丁を取り出して遺体の服を脱がせ、腹部に突き立てる。
「食べなくちゃ・・・・・・寂しくないように・・・食べなくちゃ」
包丁が皮膚を破り筋肉を抉り、血が吹き出す。その夜、阿比留の家では肉を切る生々しい音と何とも言えない匂いで満たされていた。
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