第4話

 六月二十一日/午前九時半


 署に戻るとすぐに捜査会議が開かれた。まずは三船千佳子の周辺の人間関係については特に恨みを持つ人間などはいなかった。そして話は直ぐに三船と碓氷との関連についての話になった。


「三船千佳子と碓氷保との関連は何かないのか?」


「殺害状況や死因等は一致しているのでこの点に関しては言わずもがな関連はあります。どちらも被害者宅で首を絞めて殺害、浴室で解体、臓器をキッチンで調理して処理したものと思われます。また両被害者の関係者に話を聞きましたが、二人を繋げる接点はありませんでした。他にも無いか現在捜査中です」


 捜査員の返答を聞いて署長は唸り声をあげる。猟奇的な殺害方法は同じなので同一犯で間違いない、この点に関しては関連はあるが知りたいのは被害者同士の接点だった。管理官はしばらく黙っていたが冷静な声で話す。


「この事件に感じられる猟奇性から犯人は、我々常人には理解し難い考えの持ち主である事は間違いないでしょう。そしてこれがもし快楽殺人なら連続性があり動機も想像も出来ないようなことかもしれません。あらゆる可能性を視野に入れて捜査を進めてください」


 解散、と言おうとしたところで鷲島が突然あっ!と声をあげる。周りの視線が鷲島に集中する中、署長が怪訝そうな顔をして鷲島に問いかける。


「どうした?」


「あの、関連といえば関連が無いことは無いと思います・・・」


 自分から声をあげたものの、自信をなくしたのか鷲島は声を小さくして話す。署長は早く言えと言わんばかりに鷲島を睨みつける。鷲島は意を決して話す。


「実は碓氷保の部屋を調べていたら、虐待を無くす会というパンフレットを見つけました。そして三船千佳子に関して、同じカフェで働いていたバイトの女子高生がある人から三船千佳子も結婚相手の連れ子に虐待をしていると言われたらしくて・・・」


「虐待・・・その三船千佳子の虐待の事を女子高生に話したのは誰ですか?」


「それが三船千佳子に執拗に迫っていたカフェの常連の男なのですが、まだ詳細は掴めていません」


 鷲島の話を聞き終わると管理官は再び考えてから指示を出す。


「三船千佳子のカフェの常連の男の所在や素性を調べてください。また虐待という関連についても視野に入れて捜査を進めてください」


 以上、解散!と今度こそ会議室に声が響き捜査員達は捜査を進めるべく走り出す。

 そんな中、鷲島と佐々川は再び検死官の浦部の元へと向かっていた。皆野は別行動となったが、去り際に「何か手伝えることがあったら何でも言ってください!」と元気よく言い残して署の先輩に連れられて行った。

 薄暗い廊下を抜け、遺体が保管されている部屋に入る。いつも通り背中を丸めて書類を作成していた。二人の気配を感じたのか振り返ると軽く挨拶を交わして遺体に掛けられているシートを捲る。

 碓氷保の遺体も切断された箇所を繋げると目立った外傷はなく寝ているようだった。もちろん腹部は縫合されていた。


「今回も膵臓だね。もしかしたら犯人にとって一番食べやすい部分なのかもねぇ」


「そんな軽い感じで言わないでくださいよ・・・」


 浦部の変な調子に惑わされながら特に収穫はないか、と思い部屋を後にしようとすると浦部はそういえば、と二人を呼び止める。


「この前言い忘れてしまったんだが、この遺体の腹部の切開について、これは多分ある程度経験がある人物のやり方だと思うぞ」


「という事は手術経験のある医療関係者、医師の可能性が高いと?」


 佐々川は縫合部分を見ながら言う。浦部は縫合部分をなぞる様に指を指す。


「素人が包丁でやろうとしてもこんなに綺麗には切開出来ないはずだ。だがこの遺体の切開は綺麗に行われている。もちろん完璧ではなく多少粗は見られるがそれでも素人よりは経験がある切開だ。まぁ遺体から分かるのはこれくらいかね」


 浦部はそれ以上話すことはなく、鷲島と佐々川は部屋を後にした。鷲島は浦部の話を聞いて少し可能性を見出していた。


「これで犯人は絞り込めましたよね。少なくとも切開の経験がある人物、医師とかそれに関する医療関係者の仕業の可能性が高いってことですよね」


「ほら、焦るな。あくまで可能性だ。完璧ではなく多少粗は見られるって言ってただろ?つまり現役ではなく多少ブランクがあってからの犯行かもしれない。もしかしたら元医師かもしれないし、独学で学んだのかもしれない。だから現時点では現役で医療に従事している者の犯行とは言い切れない。焦りは禁物だ」


 佐々川に宥められて頭を落ち着かせる。三船千佳子の時もこの廊下で諭された。自分はまた同じ過ちを犯そうとしていた事に恥を感じて佐々川を追う。


「これからどうしますか?」


「お前自分でどうするか分かってないのか?やるべき道はさっき自分で示しただろう」


 そう言われて先程の捜査会議での自分の発言を思い出す。鷲島は捜査会議で二人の接点は虐待かもしれない、と言ったばかりだった。自分で言った事に対して全く責任が持てていなかった事にも恥を感じながらも、今度は自分の意思でしっかりと言った。


「虐待を無くす会に行きましょう」


 そう言われた佐々川は強く頷いて鷲島の後を追った。




 鷲島と佐々川は車を降りる。閑静な住宅街の真ん中に大きな公民館があった。普段は自治会の集まりやPTAなどの地域住民の集会などに使われることが多いであろう公民館だが、今日は少し違っていた。建物内に入り、管理人のスタッフに軽く挨拶をして「虐待を無くす会」が行われている部屋を聞く。スタッフの案内で二階の大きな部屋に通される。そこには椅子を円形に並べて座る人々の姿が目に入った。子供から大人まで主婦や会社員、学生など年代も職業もバラバラだった。そして鷲島達と向かい合うように一番奥の椅子に座る老人が静かに話し出す。


「今日は皆さんの素直な気持ちを聞かせてください・・・成宮さん、その後はどうですか?」


 成宮と呼ばれた女性が俯きながらも老人の優しい声に諭されてゆっくり話し出す。


「実は、昨日も少し手を上げてしまって・・・夫への不満や子供が言う事を聞かないからってその怒りを子供にぶつけるのは間違ってるのは分かっているんです。でも、自分の中に溜まっていく何かをどこかにぶつけないとやっていけないんです」


 それを聞いて鷲島は随分身勝手だな、と思う。夫は妻に、妻は夫に不満を持つのは正直当たり前であり、子供に対しても怒りを覚えることはある。だが、自分達の血を分けた大切な子供であり、母親にとっては痛い思いをして産んだ命だ。それを自ら蔑ろにするなんて理解出来なかった。それに精神的にも身体的にも苦しんでいるのは虐待を受けている本人だ。その気持ちも分かろうとしないで何ができるのかと思ってしまう。すると老人は優しい声で語りかける。


「誰か話し相手を作ってください。友人でも、親戚でも、それもいなかったら私が幾らでも聞きましょう。子供が言うことを聞かないのは当たり前ですし、旦那様との問題を子供に怒りとしてぶつけてはいけません。大丈夫、あなたは一人じゃない。私達がついています」


 そう言われた成宮という女性は涙を流しながら深く頭を下げた。その後も老人は一人一人丁寧に話を聞いていった。一通り全員と話終えると、老人が後ろにいた若い男性に声を掛けられこちらに向かってくる。


「お待たせしてしまい申し訳ありません。私虐待を無くす会というNPO法人を運営しております阿比留岩雄と申します」


「埼玉県警の鷲島と佐々川です」


 名刺を渡され、こちらも自己紹介をする。周りに気を使って阿比留にだけ見えるように警察手帳を見せる。それを見て「お気遣いありがとうございます」と一言述べると、後ろにいた若い男性が隣の部屋に案内する。テーブルを挟みお互い向かい合う形で座る。まず最初に話したのは若い男性だった。


「申し遅れました。私は阿比留先生の元で臨床心理学を学ばせていただいている南藤と申します。今は先生のお手伝いもしてます」


 丁寧な自己紹介を受け二人もしっかりと頭を下げる。佐々川がとりあえず世間話から切り出す。


「阿比留先生の功績は存じています。臨床心理学の観点から虐待について熱心に研究されていたとか」


 阿比留は白髪を掻きながらゆっくり話す。


「これでもまだ虐待の根本的な解決には至っていません。私は研究者として虐待に関する心理を調べてきましたが、机に一日中向かってるよりもこうして虐待被害者や虐待をしてしまった人と直接接する方が良く、性に合いましてね。もう教授の身は引退しましたが、こうしてNPO法人まで立ち上げてやっている次第です」


「私も虐待問題には関心がありまして、それで阿比留先生の元で学ばせていただきながらこうして当事者とも接していることができています」


 二人の話を聞いて鷲島は先程の光景を思い出す。


「虐待被害者の支援だけじゃないんですね。あの成宮さんという方は虐待をしていた方だった」


「虐待を根本的に無くすには虐待をしてしまう人の心理状態や環境をしっかりと理解し、支援していく必要がありあります。しかし世間では虐待被害者ばかりに目が行き、虐待者は罰するべきという風潮があります。まずはこの考えを正すことが必要なのですが、これが中々・・・そもそも虐待に関心があまりありませんからね。隣の家で虐待が起きていても所詮は他人。わざわざ介入する必要は無いと考えるのでしょう。だからこその保健所だったりするのですがそれもあまり機能していないのが事実です」


 そう言われて鷲島は少し言葉に詰まる。虐待者は罰するべき、その考えは正に今鷲島が抱いていた考えだった。ニュース等で報道されるのは虐待された側とした側の表面だけ。その実態がどうだったのか等はあまり報道されていないような気がした。そして虐待を受ける側もそうだがしてしまう側も何か問題を抱え、その問題が肥大した結果虐待に至るのも多い。その実態が伝えられないまま「虐待者が全て悪い」という認識が広まってしまったのかもしれない。しかし、先程の成宮という女性との会話を見てて支援が必要なのは虐待被害者だけではなく虐待をしてしまう人にも必要なのかもしれないと感じた。そして虐待家庭に介入できない、というのも間違いではなかった。警察にもその手の相談は来るが、結局注意喚起で終わるか保健所任せになる。れっきとした事件にならないと動くことも出来ないのだ。そんなもどかしさに唸っていると佐々川が咳払いをして話を戻す。


「そろそろ本題に入りたいのですが・・・」


「あぁ、そうでしたね。話を逸らして申し訳ない」


 阿比留は改めて鷲島と佐々川に向き直り、佐々川が写真を取り出す。それは碓氷保の写真だった。


「この男性ご存じありませんか?恐らくこの会に所属していたと思うのですが」


「えぇ、碓氷さんですね。週に一回ほど集まりに来ていましたよ。そういえば今日来てませんね・・・」


 阿比留は南藤に確認するように呟くが南藤も知らないという感じで首を横に振った。


「碓氷保さんが、今朝市役所近くの公園で遺体で発見されました」


 それを聞いて阿比留と南藤は一瞬驚くような顔をしたが、すぐに冷静になる。


「それはもしかして、今起きてる猟奇殺人事件ですか?」


「えぇ、手口や状況見ても恐らく今起きてる猟奇殺人事件の犯人と同一犯による犯行でしょう」


「まさか碓氷さんが・・・かわいそうに」


 そう言うと阿比留は黙祷するように静かに目を閉じ、少し俯く。少しすると顔を上げて鷲島と佐々川を見る。鷲島はあまり驚かないのか、と不信がっているとそれが伝わったのか阿比留はにがわらいをしながら話す。


「もしかして知り合いが殺されたのに随分と冷静だな、と思われているでしょう。すみません、どうも昔から悲しみに関しては感情の表出がないのですよ。だからよく冷たい奴だ、と言われてきました」


「あ、いえ、そう感じさせてしまったのならすみません・・・不信ついでに聞きますが、碓氷さんを恨んでいたり、人間関係でトラブルがあったりはしてませんでしたか?」


 鷲島の問いに阿比留と南藤は少し顔を見合わせて考える。そして口を開いたのは南藤だった。


「碓氷さんはとても良い方でしたよ。他の参加者の方とも仲良くしていましたし、お子様を連れてくる方もいるんですが、その子と仲良く遊んでいたりもしていました。とても恨まれるような方とは思えません。ただ・・・」


「何かあったんですか?」


 南藤が言葉を濁したので聞き逃すまいと少し食い気味に聞く。南藤は隣の部屋に聞こえないように少し声のトーンを落として話す。


「碓氷さん、付き合っている女性がいるみたいなんですけど、その方に暴力を振るっているという話を聞いた事がありまして。一度その女性も一緒に来たことがあったんですが、腕に痣があるのを見たことがあります」


「ちょっと待ってください、という事は碓氷さんは虐待被害者ではなく虐待者としてここに来てたんですか?」


「いや、その両方ですよ。碓氷さんは児童虐待が被害者であり、虐待者でもあった。そういう方は少なくありません」


 南藤の話に補足するように阿比留が答える。確かにアルバムからも女性と一緒に写っている写真があったので彼女がいた事は明らかだった。ただ虐待、暴力に関しては写真を見ただけでは想像が出来なかった。彼女にそのことも聞く必要があるな、と思った。すると佐々川がもう一枚写真を取り出して二人に見せる。鷲島がなんの写真かと思ったら覗き込むとそれは三船千佳子のカフェの常連の男の写真だった。いつの間に撮ったのか、という顔をする鷲島を無視して佐々川は話を続ける。


「こちらの男性に見覚えは?」


「この人は・・・・・・一度だけ来たことあります。人を探してるとかで」


「名前とか分かりませんかね?職業とかどこに住んでるとか」


「えっと・・・」


 阿比留が思い出そうと頭を抱えていると、南藤が思い出したという顔をして話す。


「確か尼崎さん、っていう方だったような・・・ちょっと聞き慣れない苗字だったんで覚えてます。職業は確か・・・市内の動物病院で働いているって言ってました。あとは誰か探しているっていうのは具体的な名前は聞きませんでした」


「市内の動物病院ですか・・・貴重な情報ありがとうございます・・・また何かありましたらお願いします」


「えぇ、いつでも」


 鷲島と佐々川は席を立ち、二人に軽く挨拶をしてから部屋を後にする。先程阿比留がカウンセリングをしていた部屋では談笑の声で溢れていた。この集まりが虐待による集まりなのだから不思議だ。警察や保健所では出来なかったことが阿比留にはできる。だからといって任せ切りではいけないのだが、警察なども虐待に対して動けていないのは事実だ。せめて自分一人でも何か出来ることはないのか。そう悶々と考えていると佐々川が強く肩を叩いた。


「鷲島!どうした?」


「あ、すみません。少し考え事をしてまして・・・」


 公民館の静かな廊下に二人の足音が木霊する。佐々川は鷲島の心の内を探るように話を切り出す。


「鷲島お前、この事件が虐待絡みだと知ってから随分前のめりだな。何か思うところがあるのか?・・・俺だって何も思わない訳じゃないが、今回のお前はかなり焦ってるみたいだからな」


 佐々川にそう言われ少し言葉に詰まる。鷲島の行動の変化から心理状態を見抜かれ、痛いところを突かれてしまった。確かに今回の事件が虐待に関係しているかもしれないと知ってから無意識の内に感情の制御が出来ず行動に現れてしまっていた。鷲島はそれが刑事にとって有るまじき事であること、冷静に事件を捉えることが早期解決に繋がる事を考え、心の内を話してしまおうと考えた。


「俺も実はあの人達の側に居たのかも知れません。いや、本来なら今も居るべきだったのかも知れません」


 佐々川は鷲島の言っていることにが少し理解出来なかったが、あの人達が先程のカウンセリングを受けていた虐待被害者、虐待をしていた人達を指している事を理解し鷲島が言おうとしている事を察した。


「お前、もしかして・・・」


 そこで佐々川は口をつぐむ。これから先は言ってはいけない気がしたからだ。そんな気遣いを察した鷲島は苦笑いしながら軽い口調で言う。


「そんな気にしないでください。俺も別に触れられたくない過去とかじゃありませんから」


 どう話そうか少し悩んでいると後ろから聞き覚えのある声で声を掛けられる。鷲島と佐々川は声の方をする方に顔を向けると相手も意外そうな顔でこちらを見ていた。


「あれ、佐東さん?どうしてここに?」


「刑事さんこそどうして・・・?」

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