第3話

 六月二十一日/午前九時


 雨は降っていなかった。昨日からの雨は止んでいたがまだ分厚い雲は残っていた。眩しい朝日が顔を出すことはなく、六月なのに嫌な肌寒さが体温を奪っていく。

 鷲島と佐々川は熊谷市役所近くの公園に来ていた。もちろんプライベートではなく、警察車両から降りると黄色の規制線を潜ると目的の場所に向かう。相変わらず佐々川はやる気のなさそうな顔をしているが、その内にある思いを知っているからか鷲島はいつもみたいに文句を言ったりはしなかった。公園の砂場から鑑識が戻るのを見て鷲島達も現場に向かう。


「またですか・・・しかも市役所近くの公園って・・・」


「何も考えてないのか、挑戦なのか、まだ分からないな」


 砂場にあったのは河川敷で発見された時と同じようにバラバラにされた遺体だった。腹部は切り開かれ、内蔵が大きく損傷していた。詳しく調べられていないので分からないが、三船の事件との関連は明らかだった。熊谷警察署の皆野が駆け寄ってきて報告する。朝でも相変わらず元気だった。


「第一発見者は朝のウォーキングをしていた男性です。周辺の家から見えそうですが、大きな木が公園を囲うように植えられているので見え辛かったそうです」


 皆野の話を聞いて鷲島は周りを見渡す。確かに大きな木が公園を囲うように植えられているが、市役所が近くにあることもあり大きな通りもあるのですぐに見つかりそうだが、一本裏の道に入ると人通りがかなり少なかった。どちらにせよ、犯人が普通の考えをしていないのは明らかだった。


「鷲島さん、佐々川さん!遺体の身元と犯行場所が分かりました」


 皆野が駆け寄ってきて報告する。二人は皆野の報告を聞いてすぐに現場に向かう。

 通報があった場所は熊谷駅から少し離れたマンションの一室だった。三船千佳子の時と同じように隣の住民から異臭がすると通報があり、事件との関連を考えた警察が交番の警察官だけではなく、県警と警察署の刑事を派遣した。マンションの管理人に鍵を開けてもらうように頼むが、既に鍵は開けられていた。普通に考えれば犯人は遺体を部屋で解体した後遺棄しているので鍵が空いているのは当たり前だった。鷲島は部屋の前のプレートに目を向ける。


「碓氷・・・被害者の名前ですね」


「しかし、犯人も大胆なことするよな。周りの部屋に人がいるマンションで解体をしてそのまま放置するなんてな」


「見つかっても問題ない。現場の処理はさほど重要ではないってことですかね」


 佐々川は顔を顰めて部屋に入る。鷲島と皆野もそれに続く。

 玄関に入るとすぐに鼻を突く異臭がした。腐るような臭いではなく、錆びた鉄のような臭い。部屋中に蔓延するくらいなのは、相当な血液が部屋にあるということ。覚悟を決めてまず浴室へ向かう。

 うっ、と三人とも手で口と鼻を抑えた。脱衣所には血を引きずった痕が残っていた。浴室の扉を開けると、洗い場は壁も浴槽内も血で真っ赤に染まっていた。それは解体の際の返り血や出血なのは明らかだった。


「話で聞いて写真で見ても何とか見られましたけど、こう実際に現場に入って見ると耐えられませんね。これが人間のすることですか?」


「あるいは人間じゃない、かもな」


「え?」


 佐々川の言葉に鷲島は耳を疑う。鷲島がどう言うことかと聞こうとしたが、その前に佐々川は忘れろと一言いってリビングに向かう。リビングに入ると目を疑う光景と共に、やはりという感じだった。


「佐々川さん、やっぱり犯人はキッチンで何かしていたようです・・・」


「こっちもだ。食器に血がべっとりだ。考えたくはないがな」


 鷲島は流し台の排水口を見る。排水口のカバーの溝に血が入り込み固まっていたので取り辛かったが少し力を入れるとカポン、という音と共にカバーが外れる。その下には下水管に生ゴミなどが入らないように塞き止めるネットがあった。


「これは・・・」


 ネットに何か引っかかっている。赤いと言うよりは茶色や黄色、赤黒い塊が小さな山になっていた。そして遺体や現場の状況を見てうわっ、と叫んで仰け反る。恐らく解体して内蔵等を洗っている際に落ちた細かい肉だろう。茶色のは排泄物、黄色のものは脂肪だろうか。もちろん、人の身体の中を見たことないので何とも言えないが。

 皆野が奥の部屋で二人を呼ぶ。鷲島と佐々川が向かうと皆野が部屋にある机の上にあるバッグを開けていた。


「これ、見てください。学生証です」


「碓氷保、東松山の大学に通う大学生か・・・何で学生が殺されるんだ」


「こっちはアルバムですかね」


 鷲島は本棚にある青い冊子を取って中を見る。碓氷保と思われる男性と同い年くらいの女性が満面の笑みで写っていた。二人は付き合っていたのだろう。どのページを見ても笑っている写真しかなかった。何故未来ある学生の命がこんなにも無惨に奪われなければならないのか。どうしてこんなにも理不尽なことをするのか。鷲島は怒りに震えアルバムを掴む手に力が入る。

 そんな鷲島を見て佐々川が軽く肩を叩く。


「そろそろ会議の時間だ。署に戻るぞ」


「・・・はい」


 これ以上ここにいたらまた鷲島が暴走すると察したのか佐々川は外に出るように促す。確かに、このままここにいたら鷲島はまた怒り狂って走り出してしまったかもしれない。刑事としてはこんな感情的になるのは失格なのかもしれないが、佐々川はそう口にはしなかった。みんな心ではきっと犯人に対する怒りと被害者に対する無念でいっぱいなのだろう。表に出なくても思うことは同じだ。それをどうして責めることができるのか。

 アルバムを閉じ本棚に戻してリビングに出る。凄惨な現場から目を背けようとした時、ふとテレビ台に置かれているパンフレットに目が向く。パンフレットを見るとそこには「虐待を無くす会」と書かれていた。


「これは、虐待を受けた人やしてしまった人達に対する支援の団体の事ですかね・・・」


 佐々川は鷲島の背後からパンフレットを覗き込むと、下の方に書いてある人物の名を呟く。


「創会者兼会長、阿比留岩雄・・・この人は確かに臨床心理学の権威だったな。中でも児童虐待の子供や家族の心理状態について研究してた人だ」


「詳しいんですね。もしかしてお知り合いですか?」


「よくニュース番組に出てたぞ。お前ニュースとか見ないのか?」


 そんな事は無いですよ、と言いつつ確かにニュース番組はあまり見ない方だったので図星だった。これでよく刑事続けられるなとか言われそうだが、その時見ないだけで必要とあればちゃんとニュースくらいは見る。とりあえずパンフレットの写真を取って部屋を後にする。

 マンションの外に出ると黄色の規制線が部屋の周りに張られていく。それを見てふと先程のパンフレットの事を思い出す。


「あのパンフレットがあったってことは、碓氷保は虐待児だったんですかね。さすがに大学生で虐待は無いと思いますし・・・」


「いや、虐待っていうのは子供に対することだけじゃないからな。大人に対してだってある。身体的虐待、性的虐待・・・要するに誰にでも虐待ってのは当てはまるってことだ」


 そう言われてぐっと言葉に詰まる。虐待といえば親が子供に対して行うことのようなイメージが強いが、それはそのような事例が多いだけで本来虐待という定義は子供から大人に対して行われるものまで幅広い。子供に対する虐待、つまり児童虐待に関心が向けられるのは虐待を受けた子供は心理的にも身体的にも大きなダメージを負い、その後の人生に大きく影響を与える可能性が強いからだ。しかし、大人は大丈夫なのかと言われるとそうではないのかもしれない。

 車に乗り込み署に向かう。既に碓氷のマンションの周りには野次馬が大勢いたが、去り際にその中に佐東のカフェにいた三船千佳子に執拗に迫っていた男が居たような気がした。急ブレーキをかけて辺りを見回す。佐々川と皆野が「うおっ?!」と声をあげて前のめりになるが気にしないで探してみた。だが男の姿はなかった。気のせいだったのか、と思っていると「何やってるんだ、危ない運転するんじゃねぇ!」と怒られて車を発進させた。

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