8、メニエール病から公務員試験へ

 耳の聞こえ方がおかしい。左耳から聞こえる音が、全部二重に聞こえる。人の声はボイスチェンジャーを使っているか、宇宙人の声みたい。その日はそのままバイトに行くが、気持ち悪いことこの上ない。ストレスが溜まる。

 聞こえ方は何日経っても直らなかった。耳鼻科に行って検査をする。左耳の聴力が著しく落ちている。薬を出されるも、治らず。二回目の診察で、「メニエール病かもしれません」と言われた。

 メニエール病は、若い女性に多い病気らしい。自律神経に影響が出ればめまい等の症状が出て、耳の方に影響が出れば聞こえ方がおかしくなる。

 原因はストレス、疲れ、不眠など。

「心当たりがありますか?」とお医者さんに訊かれ、「就活中です」と答えると、「ああ……」という顔をされた。


 メニエール病だとわかってから、民間就活からはいったん退いた。薬剤師さんお墨付きの不味い薬を飲み続けること数日、やっと聴力がもとに戻る。それからも再発防止のためにお薬は飲み続ける。毎食、おいしくないシロップ薬を無理やり飲み込む。


 ここで私は方向転換をすることにした。民間就活は私には無理だったんだ。だけど、公務員試験なら。「お勉強」は苦手ではなかった私だ。「お金儲け」に傾倒する価値観が苦手だった私だ。選考に教養試験が課され、公共性をより重んじる公務員なら、もしかしたら。

 わずかな希望にすがって、情報を集め始める。

 とはいえ、遅すぎるスタートである。同じく公務員志望の友人は、3年生の頃から勉強を始めていた。

 公務員試験には教養試験と専門試験とがある。当時4月。地方上級(自治体職員)の試験は6月20日(2021年の場合)。専門試験まで完成させるには、とても時間が足りない。

 しかし、教養試験のみで受験できる自治体も存在している。地方上級の試験は同日に実施されるため、併願は難しい。日程がずれているところはどこも直近過ぎたり、地方単位で離れていたり、難易度の高い「国立国会図書館」や「国家公務員総合職」だったり。キャパと相談をした結果、ひとつの自治体に単願という危ない橋を渡ることになる。


 教養試験の勉強は楽しかった。中学・高校レベルの5教科の知識は、忘れている部分も多い。基礎から5教科をやり直しつつ、苦手な数的処理も練習する。高校理科の範囲は、理系の知人に解説をしてもらったり。知識が増えていくのは楽しかった。受験生時代は苦手だった理系科目や英語も、必要に迫られていると割り切れば、それほど苦にはならなかった。

 就活より何倍もマシだった。就活よりよっぽど楽しかった。


 途中で嫌になったりしながらも「就活よりマシ」と言い聞かせながら勉強を進め、一次試験の教養試験は無事合格。二次試験の論述と適性検査・面談は、面談でやらかした気しかしなかったが、論述でカバーできたのか、これも合格。

 そしていよいよ三次試験、最終面接。気づけば八月上旬である。夏期講習の前半日程終了後、そのまま電車に乗り、前泊(同じ地方内とはいえ少し離れた自治体だった)。そして黒スーツ上下とストッキング。ボタンは一番上までとめ、うでまくりも跡が残るためせず、帽子もかぶらず炎天下を歩く。クールビズ可のためジャケットは着ていないが、それでも照り返しがきつく、倒れそうな暑さである。

 へろへろになりながら面接会場につく。ここまで来たんだ。きっと大丈夫。震えおののく自分を奮い立たせ、ついに、名前が呼ばれる。


 面接の要領は忌むべき就活とさほど変わらない。聞かれることも質問の意図もだいたい一緒だ。

 いざ。

 3回ノックのち、「失礼します」。後ろ手でドアを閉め、一礼。はきはきと自己紹介。着席を促されるまでは座らない。

 脳内シミュレーションの通りにぎくしゃくと手足を動かす。……が、部屋に入り、挨拶をし、椅子に近づこうとしたところで既に1ミス。

「すみません、ドアちゃんと閉めてください」と面接官。

 ドアを閉めたつもりで、閉まり切っていなかったようだ。平謝りをしながらドアを閉めにいく。ああ、終わった……。この時点で諦念がつのる。


 出だして躓いた面接はさんざんだった。「どのようにストレス発散をしますか」と訊かれ「お風呂にゆっくり入ります」と答えたら、「みんなでやる趣味とかないの?」と返されて焦ったり。「どうして我が自治体を?」という問いに用意しておいた通りに答えたら、「熱意が伝わらない」と言われ咄嗟に当たり障りのないことを重ねたり。

「それってうちの自治体じゃなくてもいいですよね?」

 ご名答。その通りです。働けたらどこでもいいという本音は、思った以上に見透かされる。

 面接をした後はいつも後悔で頭がいっぱいになる。かすかな希望にしがみつきながら発表までの日々をやり過ごし、結果発表当日。


 私の番号はなかった。

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