9、死のうかと何度も思った

 いよいよ背水の陣である。公務員試験が終わった時点で8月下旬。一緒に公務員試験をがんばっていたバイト先の同期は受かっていた。私は民間就活に返り咲くしかない。ふたたび地獄のはじまり。

 だがしのごのは言っていられない。本当にもう後がないのだ。このままだと路頭に迷うしかなくなる。絶体絶命。焦りが、就活イヤイヤ期の気持ちを上塗りする。


 しかしもうどんな業界に何が残っているのかわからない。

 ここで私はようやく「就活エージェント」なるものにすがる。しかし、一社に登録したら色んなところから電話が来る。もうどうにでもなれ、という気持ちではいはい頷いていたら、いつの間にかスケジュール帳に余白がなくなっている。

 そろそろ卒論も進めないといけないのに……!

 とりあえず焦りで感覚を鈍麻させ、毎日のように違うエージェントと面談。「どんな業界を志望しますか」に「なんでもいいです」と答えては苦笑される日々。

「あなたは本当に仕事にこだわりがないのね。責任感が強い委員長タイプだから、やれと言われたことはちゃんとやれるのはいいところなんだけど、就活ではそれが裏目に出ちゃってるね」

 あるエージェントさんにいわれた言葉。本当その通りすぎて困る。


 大量に出される選択肢を、選り好みはしていられないと、できる限りのみこもうと努力はしていた。

 私に営業が向いていないのは痛いほど身にしみていた。バックオフィス系を希望するも、時期が時期なだけにそれほど残っていない。

 そうなると出てくるのが、「未経験OK」のIT系エンジニアだ。

「お勉強得意な方なんだったら向いてますよ!」とエージェントさんもお墨付きの適職。


 ところがどっこい、私の最大のトラウマたる父親の職が、システムエンジニアであった。


 あの父親と同じ職に就く……? 性的虐待以外のほぼすべての虐待を私に浴びせてきた父親と同じ……? ひょっとしたら仕事で関わるのでは……? そもそも父親と同じ道を辿るって、就職できてもその先で絶対病むのでは……? 無理無理つらい……。


 さすがの背水の陣でもトラウマには敵わなかった。「こんなことで断って、自分勝手で迷惑だろうな、せっかく紹介してくれたのに」と罪悪感に襲われつつ、先方に事情を説明する。

 先方からはその後連絡がつかなくなった。


 それからも就活は続いた。やめてしまおうか、と思うタイミングで、件のスカウトサイトから最高ランクの「プラチナスカウト」が来てしまったり、内定が決まらないままずるずると就活は続いた。卒論の進捗はほぼゼロで止まっている。いろんな焦りが私に襲いかかって来る。なんで就活と卒論がかぶるんだよと憤れば、「そんな時期まで就活してるからだろ」ともう一人の私が言う。


 不動産。製薬。介護。インフラ。金融。製造。

 とにかく手あたりしだいに、勧められるがまま選考を受けた。


 製薬会社を受けた時には、メニエール病の薬がまずかったことを活かし、「おいしい薬づくりをしている患者目線の貴社が云々」と書いた。そうしたら、「病歴があると不安に思われるかも」と消すように言われた。「弱そうな人」だと思われるのはやっぱり厳禁らしかった。


 この頃はコロナへの危機感も薄れつつあって、面接が対面のところも多かった。ほとんどが首都圏にある企業だったので、片田舎に住んでいる苦学生の財布からは、交通費がどんどん溶けていく。証明写真もなくなって取り直す。徒歩2分のビルにたどり着けず、遅刻が怖くてタクシーを使う。お金が消える。生活は苦しくなる。心に余裕がなくなる。


 その時、「来年から就活はじめるんで」と、バイト先の後輩がバイトをやめようとしていると聞いた。

 私は目からウロコだった。そうか、「就活に集中したいから」「就活で忙しくなるから」と、「バイトをやめる」という選択肢を選べる人がいるのか……。

 生活のためにバイトは死んでも休めなかった私には、とても見えていなかった世界だった。世界はかくも不公平なのか。

 思えば、バイトを休んで長期インターンとか、留学とか、ボランティアとか、そういう「就活ウケがいいこと」ができるのも、金銭的に恵まれた人だけだよな……。

 親元を逃れ、自力で生きてきた苦学生、なんて何の武器にもなりはしない。


 その後、小説が本命の新人賞に落ちて、唐突に限界が来た。


 がんばってもがんばっても何一つ報われない。そんな感覚。


 涙がひとりでに出て止まらなかった。気づくとしゃくりあげて泣いていた。ごはんが食べられなかった。時折、呼吸がうまくできなくなった。ずっとお腹がいたかった。布団にうずくまって泣いていることしかできなかった。はじめてバイト先に当欠の連絡をした。苦しくて、辛くて、死にたくてたまらなかった。現実でも、現実を犠牲にした小説でも、どうしてこんなにうまくいかないんだろう。自分は生きる価値がないと何度も思った。何のために生きてるんだろう。どうしてこんな思いをしてまで生きていなくちゃいけないんだろう。沈んで沈んで、戻れなくなりそうだった。


 さすがにこれはまずいと、藁にもすがる思いで、心療内科に電話をした。

 なかなかつながらない。3件目でやっと予約が取れた。1週間、やきもきしながら予約の日を待った。「この程度で来るな」と門前払いされたらどうしよう、とずっと怖かった。


 診断結果。「ストレス性の抑うつ反応」

 不安を和らげる薬が1種類、セロトニンの分泌を促す薬が1種類、出された。

 病名がつかなかったことに、ほっとしているのか、落胆しているのか、なんだかよくわからなかった。

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