4、「当然」に疑問を持てば死ぬ

 私は哲学科の学生であった。哲学の根幹は「当然を疑うこと」にある(私見)。言葉の定義ですら厳密に吟味し、今まで当然とされてきた価値観を再検討したり、別の言葉で定義しなおしたり、人々が当然とするものに名前をつけて体系化したり。時代ごとに移り変わる「思考」「思想」という形のないものを、言葉をつかって可視化したり、批判したりすることこそ、哲学の醍醐味である(と思っている)。

 さて、世間様から「役に立たない学問」として矢面に立たされるランキングおそらく1位の哲学である。インド思想史の授業で先生が「東洋思想をやっていた奴は役に立たない」「すぐ働く意味とか考え始める」と某ネット掲示板で書かれていた悪口を見せてきたこともある。(えっみんな「働く意味」って考えないんですか?と私は思うが、そういう奴から脱落していく)

 それもそのはず。「当たり前を疑う」ということをされては、世間様にとっては面倒きわまりない。欲されているのは、なんであれとりあえず「そういうもの」として無思考に従う人間だ。


 そうして世間様の体現たる「就活」は、「そういうもの」の塊であると言っても過言ではない。

 平服と言われてもスーツで行くのが当然。メイクはナチュラルメイクが必須。ヒールは低すぎず高すぎず。ストッキングは常備すること。表情は明るく(暗い人間だと思われてしまいます!)。前向きでハキハキときらきらとした人間であること。仕事がマズローの「生理的欲求」「安全欲求」を担保するものではなく、最高位の「自己実現欲求」となるものであること。周りの人に貢献することで幸せを覚えること。人生の全てのエピソードやスキルが「就職のため」に還元されること。とりあえず結婚して子供を持ちできるだけ長生きするのが目指すべき将来像であること。何十社と応募して何十社と落ちること。大量のエントリーシートを、このパソコン時代に、手書きで書くこと。オンライン面接でも下半身にもスーツを着ること。お辞儀の角度は何度。ノックは3回。こういう質問をされたらこう答えること。なぜなら「そういうもの」だから。

 社会性の無い人間を振るい落とすのに、これほど効率的な仕組みもない。「当たり前」を疑った人間は、従えない人間は、容赦なく脱落していく。「当たり前だから」「そういうものだから」と無批判に受け入れるか、疑問を持っていても持たないふりをして擬態するかしか、生き残る術はない。

 ファッキンクソッタレ就活とは思っているが、その合理性には感嘆すら覚える。私のような偏屈な社会不適合人間をみごとに選別してのけた。さすがだね、就活。

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