21 涙の再会

力一杯抱きしめながら、京子は兄が死んだなんて

思いたくなかった。


涙が敬一郎の顔に滴り落ちた。


まるで、昨夜の苦痛などなかったように豊かな表情で眠りに入っているのである。


幾度も、幾度も力を込めて抱きしめるのだが反応は返ってこない。


ただ、京子の胸に返ってくるのは、今まで生きていた証である身体の温もりだけだった。


泣きじゃくりながら、優しく床に寝かせ、髪を優しくすき、外れたボタンを直し、両手を胸の上に組ませ、永久に眠ってしまった敬一郎の横で、京子は放心したように、じっと座り続けた。


時間がどの位経過したのか分からなかった。


表で自動車の止まる音がした。

しばらくすると、立て付けの悪い玄関を開けて、

ドヤドヤ人が入って来た。


敬一郎が死の直前に笑って会いたいと言っていた、

父母と弟の三人だった。


力なくよろよろと立ち上がり、京子は


「お兄さんが、お兄さんが・・」


と言って、母の胸に駆け込んだ。


次の言葉が口から出ないのであった。

お兄さんが、お兄さんがと言って繰り返すだけだった。


京子の様子を察して、父と敬ニは顔色を変えて座敷に駆け込んだ。


母は京子と共に、その場にヘナヘナと座り込むのであった。


我が子、敬一郎は眠っていた。


四人は敬一郎を囲んだ。

悲しい五年振りの対面だった。


父母には信じられなかった。

まさか、自分達親よりも敬一郎が先にいくなんて、これが悪夢でなくて何であろう。


父は目を真っ赤にし、無言で組み合わされた敬一郎の手を自分の両手で包み込んだ。


敬一郎の手は優しく、冷たかった。


敬一郎の冷たい手は、父の心を貫いた。

堪えていた真っ赤な瞳から、ドッと涙が溢れ出た。


敬ニも泣いていた。


母も京子も泣いた。


優しく敬一郎の頭を撫でていた母は、突然、

狂乱でも起こしたかのように、敬一郎の上半身を抱き上げて、


「ほら、母さんだよ!敬一郎、答えておくれ!

母さんがお前に会いに来たんだよ!!


何故、お前は返事をしないの?


父さんも母さんも、それに、弟の敬ニも帰って来たんだよ!!


頼むから答えておくれ!!


ねぇ、敬一郎!敬一郎!」


力の限り叫び、永遠に帰ってこない敬一郎の身体を強く強く揺さぶるのであった。


人の死は、老若男女を問わず悲しい。


家族の者、周りの者を不幸のドン底に落とし込む。

増して、それが若い人だったら、尚更の事である。


残された者は、死んだ者が幸福なのか不幸なのか分かるはずもない。


一番不幸な事は、子が親よりも先に死ぬ事である。


死んだ者は残された者の事を考えるという事は決してない。


でも、子が先に死に、残された親は、いつまでも死んだ子供の事を思い、涙を流すのである。


三〇才の若さで人に惜しまれ敬一郎は世を去った、


父母は、敬一郎が心臓が悪いという事を知らなかった。


敬一郎の死は、持って生まれた運命であったかもしれない。


が、しかし、自分達にも死に対して大半の責任があるのである。


父母は、そう思った。


親子揃って暮らしていれば、死に至らしめずに済んだかもしれないのである。


家族の味も知る事なく、敬一郎は人生の幕を閉じた。


人生を楽しむ事なく。


孤独だったに相違ない。


誰にも自分の心を叩きつける事なく、奥深く自己心を置いたまま終わったのである。


我が子、敬一郎の死によって、いつまでも悔いの残る教訓は、どんな事情があるにせよ子供は決して親元から手放してはならないという事であった。


父母のたった一つの救いは、敬一郎の死に顔が、

豊かに安らかなことであった。


もし敬一郎が生きていたら、ニコニコ顔で父母に語りかけるだろう。


<死は不幸の代名詞のように使われているが、それは間違っているのではなかろうかと。


人間の死は、人間社会の卒業を意味するものである。


だから、死は不幸ではない。


そして、また、悲しむ性質のものではない>と。




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