19 隠し事
午前三時、先程の苦痛がまるで嘘のように、
穏やかに敬一郎は寝息を立てているのだった。
また、風が強くなったようである。
竹林のざわめきも、雨戸を叩く風の音も、さっきと打って変わって、京子の耳には音楽の軽い調べのように聞こえていた。
目が冴えて眠れそうもないので、パジャマを脱ぎ、
普段着に着替え、乱れた髪を直し黙って座っていると午前三時の空気が身を刺すように冷たい。
京子は台所に行き、大きな鉄瓶に湯を沸かし、ガスコンロで火種をつくり、その火種を黒光りしている大きな長火鉢に移し替え、その長火鉢を一人で敬一郎の寝ている部屋まで、やっとのおもいで運んで来た。
<兄さんは心臓が悪いのではないかしら?
苦痛でもがいている時、両手で心臓を抑えていたわ。確かに違いないわ。兄さんは心臓が悪いのだわ。
今日の様子からすると相当悪いのではないかしら?でも、おかしいわ。自分が大阪から来て半年近くなるというのに、兄さんが病院に治療に行った様子を見た事がないわ。
どうして治療に行かないのかしら?
私の考えが違っていればいいのだけど・・・>
と、思ったりしたものの完全に打ち消す事は出来なかった。
もし.本当に心臓が悪いのなら、これまでの兄の生き方に対して納得出来る訳である。
多分、父母も兄が心臓が悪いことなんて知る由もないだろう。
自分が考えているように、兄さんが病気だったら、
父母はどんなに、嘆き悲しむに違いない。
兄さんの事を一番よく知っていたのは、今は亡き祖母である。
祖母はどうして黙っていたのだろうか?
兄さんの自由勝手な生活を、一時は子供思いの父母でさえ非難したのである。
他人は勿論のこと、親類の人達でさえ、
<あいつは、真からの怠け者だ>と言ってきたのである。でも、どんな事を言われても兄さんは反発しなかった。
ただ黙って人の言葉を聞き流していたのであった。
敬一郎は珍しく怒る事を知らない人間であった。
半年近くも一緒に住んでいて、京子は一度も怒る顔を見た事がなかった。
人間に対してでなく全てに対してであった。
今日の出来事を父母に知らせれば、父母は嘆き悲しむ事は目に見えて明らかである。
知らせないでいることに越した事はないが、京子は知らせないでいるわけにはいかなかった。
京子は報告する義務があった。
その心を力づけるように長火鉢の鉄瓶が
シュン、シュンと白い蒸気を吐き出しているのだった。
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