14 京子

スッキリした気持ちで裏山を下り、朝食をしている所に大阪の母から電報が届いた。


「ソチラニ キョウコ イツタ タノム」


という内容だった。


敬一郎は、ゴミゴミした都会に嫌気がさして息抜きに遊びに来るのだろうと考え、朝食を急いで済ませ道具を肩に、また、心ウキウキと裏山に登った。


山の頂上に上がると街全体が見下ろせ、敬一郎の心は一段と楽しくなってくるのである。


大きな木の根っこに腰を下ろし、静かな動作でタバコをふかし、眼下の街景色に目を置き、時も忘れて絵を描いた。


どのくらい時が経過したのかは分からなかったが、

キャンバスから目を外し、下の小道に目をやると、

白いブラウスを着た若い女性が手を振りながら

敬一郎の所に向かって上がってくるのである。


敬一郎は一瞬誰だろうと思ったが、朝来た電報を思い出し、


「あぁ、京子が来たのか」


と、呟いて立ち上がって


「そこを上がって来るのは京子なのか?」


と、大きな声で下に言った。


「お兄さん!京子よ!」


と、すぐ返事が返ってきた。


腕時計は夕方の六時を指しているのである。


額に汗を流し、息を弾ませ登ってきた妹の京子を

敬一郎は満面の笑みで迎えた。


「早かったなぁ!」


「ええ、早いでしょう。

朝の五時に起きてきたんですもの」


「まさか、こんなに早く着くとは思わなかったよ。お父さん達はみんな元気か?」


「みんな元気よ」


京子は流れ出る額の汗を拭き、大きく息をし、

敬一郎が今まで腰掛けていた木の根っこに腰を下ろした。


「お兄さん、やっぱりここが一番みたい!

 空気は良いし、自然の景色は満点だし!


 いつも絵をここで描いているの?」


「ここで描くのは時々だよ。

 二日前まで雨が降っていたから、

      梅雨明けの第一日目さぁ。

お前が気に入ったら、いつまでも居るといい」


「京子はお兄さんの弟子になろうかしら。

でも、京子ではダメよね。」


と、京子はイタズラっぽく笑って言った。


「お前なら弟子にしてやってもいい。

俺の弟子になりたい時にはなって、辞めたい時には辞めて、自由にするといい。


ここに居るときぐらいは誰からも束縛されないで

人間らしく過ごすことだ。

都会と違って、ここは正反対のところだから」


「ありがとうお兄さん。京子は本当に嬉しいわ」


と言って、京子は足元に咲いていた小さな草花を

一本優しく手に取り、自分の黒髪に刺した。


汗ばんだその顔には、いいしれぬ可憐さが漂っていた。


しばらくして二人は山を下りた。


その日の夕食を、兄と妹の二人は楽しく語り合って済ませた。


兄、敬一郎は、京子が突然来た事について自分から一言も触れようとしないのである。


若い女性の気まぐれで来たのだと思っているように思えた。


京子と敬一郎は血のつながりのない兄妹だった。


京子は生後間もなく、今の父母から養女として迎え入れられたのであった。


京子は、今の父母に不足があるわけではなかった。

ただ、京子は知りたかった。


生みの親のことを少しでも父母に話をすれば、

嫌な顔をしないで語ってくれるに違いはなかった。


でも、今の父母に対して、私の生みの親のことを話してくださいとは言えなかった。


だから、兄、敬一郎に話を聞きに思いきって来たのである。


兄なら話をしてくれるに違いないと思ったのである。


京子は眼前の敬一郎に思いきって口を開いた。


「お兄さん、私を生んでくれた父母は死んだの?」


「亡くなられたそうだ。

   お前を生んで間もなくねぇ。

五年前死んだおばあさんが俺に語ってくれたよ」


いとも簡単に敬一郎が答えてくれたので、京子の方がニの句も出ない程だった。


敬一郎は、京子の言葉を予期していた。


亡くなった祖母から京子の事を語って聞かされたとき、祖母から念を押されていたのである。


いつの日か必ず京子が大人になって聞きに来た時は、複雑な言葉で京子の心を傷つけない為には、

何事もなかったように簡単明朗にサラリと言って聞かせなければいけないと・・・。


「どんな人だったの?京子を生んでくれた父母は」


「俺みたいな人だったそうだよ」


「お兄さんみたいな?」


「分からないのか?正直な人と言うことさぁ」


「そうなの・・・・」


京子は力抜けした声で言った。


「あまり過ぎ去った事など考えない方がいい。

お前の父母は大阪に居る人だよ。

それ以外の父母はないのだ。

お前が会いたければお墓に連れて行くよ。行くか?

何事も単純に考える事が一番いいよ。

墓には明日連れて行くよ。」


「お墓があったの?」


「骨は入ってないけど、あるにはある」


「良かったわ」


と、京子はホッとした表情で言った。


自分をこの世に送り出してくれた父母の墓が、

まさか、ここにあるなんて思いもよらなかったのである。


そして、お墓参りが出来るなんて言葉に表せない程嬉しかったのである。


お墓参りに行く事ができると思った瞬間、張り詰めていた気持ちがスーツと取り除かれたようで、身体が軽くなっていくのがわかった。


「どうして亡くなったの?」


「病名は知らないが、急に病気になって亡くなられたそうだよ」


「辛かったでしょうね。

赤子の私を残して死んでいくと言うことは」


京子は遠い所を見つめるような声で言った。


「人は皆、亡くなれば極楽だよ。


生きている者から見れば、死んでいく者が辛く悲しい事だろうと思うが、それは生きている者の考えであって、死んだ者の考えではない。


死んでいく者は、この世界から一つ上の位に進むので辛いとか悲しいとは考えないのであろう。

むしろ、喜んでいるに違いないのである。


お前の父母だって今頃はきっと、上の世界で二人で楽しく暮らしているのに相違ないのである。

二人とも、お前の幸福を祈りながらね・・・」


「本当に、そうだと嬉しいわ。

きっと、そうだわ!


お兄さんの言葉の通り、

楽しく暮らしているのだわ」


「そうとも」


と、敬一郎は力強く頷いた。


その夜、二人は仏壇の前で座敷で仲良く布団を並べて就寝した。


床に入ってから、

京子は、なかなか寝付かれなかった。


心の内は、兄、敬一郎が知っている限りの生みの親の事を語って聞かせてくれたので、スッキリ清々としていた。


手の届く所に寝ている兄は、安らかな寝息を立てていた。


兄の横顔は、大阪の母によく似ていた。


京子は思った。


兄は実の子でありながら、あの優しい父母の肌の温もりを知らないで生きてきたのである。


それに引き換え、自分は父母の愛を一身に受けて

何不自由なく育ってきたのである。


今更ながら、自分はワガママであったと恥ずかしい念が起こって来るのであった。


同時に、現在の父母に対して改めて感謝の心がふつふつと湧き上がってきて、いつしか涙が頬をつたって流れ、涙を止める事が出来なかった。


それ故に、今、静かに寝息をたてて眠っている兄、敬一郎に父母から受けた愛を満分の一でも返す事が出来たら、どんなに良いだろうと思ったのである。


それが、父母に対しての感謝の心ではなかろうか?

と・・・。





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