③ 久々の再会
私は一人で暮らしています。
定まった仕事は持っていません。
両親も弟妹もいますが、滅多に会う事はありません。私は9歳の時から祖母に育てられました。
戦後、父は復員してから暫く祖母の農業を母と二人で手伝っていたのですが、戦後の復興が出始めた頃を見計らって、父は母と弟妹二人を伴って大阪に働きに行ったのでした。
父は、祖母と私も一緒に連れて行くはずだったのですが、祖母としてみれば長年住み慣れた郷里の土地を離れる事が出来なかったのでした。
父母は考えあぐねた末、私を祖母の所に残したのです。
祖母と私は田園風景に囲まれた豊かで静かな愛する土地で仲良く16年間暮らしたのです。
私が25歳の春、祖母は静かに亡くなりました。
亡くなる一週間前、祖母は言いました。
「敬一郎、お前がいたので寂しい思いをせず楽しく暮らす事ができた。本当にありがとうよ。
ばあちゃんが死んだら両親が待っている大阪に行きなさい。お前が両親の所に帰ったら、父さんも母さんも、どんなに喜ぶかしれはしない。
この家や田畑はお前の好きなようにしなさい。
売りたければ売ってお金に替えても良いからね。
それから、ばあちゃんが一番心配なのはお前の身体の事なんだよ。
両親とよく相談するんですよ」と、涙を流して言い残したのです。
葬儀には親子全員揃いました。
父母達が大阪に行って初めてのことでした。
初七日が済むと、
「今度こそお前も一緒に大阪に来るだろう。
お前が私達と一緒に暮らせば、死んだばあちゃんだって喜ぶに違いない。
何にも考えることはないのだ。
お前の私とは親子でないか、一緒に暮らすのが当然のことなんだよ。」と、
父は頼み込むように言いましたが、私は同意しませんでした。
今さら大阪に行ってみたって、どうしようもないと思ったのです。
父母の気持ちは解理すぎるくらい解ります。
でも私は、祖母と一緒に暮らした懐かしい、そして愛しい土地をなんで離れる事が出来ましょう。
子として生まれた以上、親の意に背くということはあまり関心しないのですが、私の場合は仕方がないと言って父母は許してくれたのです。
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