第7話:虐待が生む負の産物 ⑤
これは年齢が上がるにつれて学校内などの限定的な場所での有事ではなく、第三者を巻き込む形の有事になり、拡大自殺などのように繋がる可能性も秘めている。社会を巻き込む形でストレスの矛先を向けることも十分に考えられ、直近でも高校生が第三者を切りつける事件が起きているなど社会問題化する予備軍のような状態になりつつある。
私がこの事件を情報から分析して見たが、はっきりとした動機が見えてこなかった。
ただ、情報を集めて、分析していく段階で分かったことも多い。
例えば、加害者の通っている(た)学校で“志望校合格は難しい”と言われたことで本人としては“ピンチ”と“パニック状態”が同時に起きていたことで選択肢が固定化されてしまい、他の選択肢を失っていた可能性があるという事だ。
なぜなら、幼少期から“○○になりなさい”といった親から子に対して進路を強要していた可能性や家柄などから周囲が特定の職業や進路を強要していた可能性などを推測すると、主権者主観型と世間体型のミックス・ハイブリッドが起きていた可能性があると思われる。
また、本人に関しても“~でなくてはいけない”や“~しかない”といった先入観を植え付けられていたことで精神的に追い詰められる可能性がある事や他者比較が行われたことで“自分は○○よりも~”というネガティブな比較心理が働きやすくなり、自分の目標を邪魔する人を敵視することで自分の精神状態を保つことで一線を越えないように抑制しているのだろう。
日本というのはこのような部分がいつの時代においても問題視されるが、最近は更に悪化の一途を辿っているように感じる。
これらの事象は特に、小学生から高校生までの年代の子供たちに顕著に表れているような気がする。
今はネット社会という事もあり、就職するにしても個人で活動するにしても本人に対して良いイメージやネームバリュー等のWin-Winな相対評価を求められる場面が増えていく。
そして、幼少期においては大人たちがメディアやネットなどで印象が良い人を見つけると、子供たちに対して同じようになるように一生懸命その人の生い立ちや習い事などを調べるなどして自分の子供にも同じように接してしまう。
この事を親から言われると、子供たちは“親を悲しませたくない”という心理が一定年齢を超えると芽生えてくるため、親の期待に応えたいという気持ちも次第に大きくなっていく。
ただ、これは“虐待”なのか“いやがらせ”なのかという線引きが難しくなり、やがて判断が難しくなったときに親が子供を攻撃してしまう傾向がある。
これは親からは“虐待”という認識ではなく、親からの“提案”という認識だという人が多い。
つまり、理想の子供像を親が子供に投げかけることは親にとっては虐待ではなく、親の立場からの提案だという子供との意思共有が出来ていない可能性があるということになる。
今は子供の第一次親離れが低年齢化しており、価値観の構築も以前に比べるとかなり早くなっている印象が強い。
なぜ子供たちが早期から価値観を形成するようになったのか?
理由として“家庭環境”や“デジタル化”など家庭における子供たちの情報習得機会が増加したこともあり、人と会わなくても多角的な情報に触れることが可能となったことではないだろうか?
また、家庭における家庭内教育観の変化もこれらの基準を変えた部分であると感じている。
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