第6話:虐待が生む負の産物 ③-1

 そして、そのような社会に時代の価値観に合わせて社会が変化することは必要だが、過剰に変化させることや歪曲させることは労働人口の混乱や孤立などを招く可能性もあるため、いかなる目的があったとしても即効性を持つような発信をするべきではないと思う。


 現在は“個別能力主義”やポテンシャル採用“などその人の学歴ではなく、その人の可能性を重視して採用するという採用方式が主流になっているということを耳に挟むが、仮にこの採用方式が主流になっているのなら未就業や長期離職者などが増加することも正社員などの不自然な異動や不自然な退職者の増加や非正規雇用者の短期契約終了が起きる事も正当な理由がない限り考えにくい。


 しかし、潜在的にこのような状況が発生していることで本人たちは社会に対する不信感が強くなっていくことになり、不信感が先行することで周囲に頼る事も出来なくなるため、次第に神経が過敏になり、ちょっとの家族からの言葉でも、友人からのエールであっても敏感になってしまう事が想定される。


 そして、失う事が増えると今度は何も失っていない人たちを巻き込んで、同じ事を体験・経験させてやりたいなどと言った理由で拡大殺人や自殺などの第三者を巻き込む行為や子供や両親など自分の周囲を巻き込んだ無理心中を図ろうとする事も十分に考えられる行為であり、これらの行為により何の罪もない子供たちや第三者が突然巻き込まれるという理不尽な結果を招くことになる。


 これを私は“親権者主観型虐待”と呼ぶ。


 今はこのような形の虐待は表面化していないだけで、かなり多発しているような印象を受ける。


 その理由として、子供たちの習い事への時間配分が以前に比べると長時間化しており、この背景にあるのが“学歴社会”や“ブランド社会”と言われた時代を体験し、その重要性を経験した親世代やその親世代と繋がっている周辺世代に与える価値観もあるかと思う。


 ただ、親が子供の意見を尊重することは必要な事なのだが、全体を見ていると“子供主導”ではなく、“大人主導”になっているケースも少なくないように感じる。


 例えば、保育園や幼稚園から受験をしていた子供の場合、公立の小学校に行くと不安になる子供が多いといわれている。


 なぜなら、今まで受験という形だったこともあり、“自分をきちんと表現しなくてはいけない”という使命感のような物があり、他の子よりも良いイメージを相手に与えなくてはいけないというちょっとした感情がぶつかっていたこともあるだろう。


 しかし、公立の小学校に入学するには特段試験や面接などは行われない。


 そのため、今まで試験に慣れていた子供たちは「なんで競争しないのだろう?」という疑問符が付くことも少なくない。


 このような背景もあるのか、公立小学校でも子供間のカースト状態に陥るケースや環境適応が上手くいかずに孤立していく子供など以前と比べると子供の“自立心”が不安定になっているケースも少なくない。


 そして、普段は個人の成績を重視に考えているため、大きなトラブルは学校内やクラス内では起きないが、家庭で起きている事が多い。


 それは“親からの優劣評価”や“固定概念に基づくアンコンシャスバイアス”など子供が親の理想型に付き合わされることも十分に考えられるのだ。


 そのため、子供たちは常に親を含めた周囲のプレッシャーとの戦いを強いられ、“科目で良い成績を取らないといけない“や”模試で良い成績を取らないといけない“など子供たちのストレスが高頻度で滞留していってしまい、そのストレスを家では親などに反抗出来ないため発散出来ない。


その反動から学校でストレスを発散することや自分よりも立場の弱い同級生や下級生に対して理不尽な理由をつけていじめをしてしまうといった“親に対しての間接反抗”を無関係の人たちを巻き込む形で実行するという心理が働きやすくなり、親に対する不信感や対立に至る部分が表面化していってしまう事になる。


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