第4話:虐待が生む負の産物 ②

 なぜ、日本というのは型にはめられて子供が育ってしまうのだろう?


 私は家系継承型や両親など子育てに関わる人たちのバックグラウンドが強く関係しているように感じる。


 その理由として、自分たちの経験を子供たちに教えてあげたいという自分たちの役割と今まで教えられてきた“常識”とされる“知識”や“教養”を子供に教えなくてはいけないという使命感のようなものがある。


 しかし、このような考え方が先行してしまった結果、子供たちの“体験”や“経験”といった子供たちの人格形成や価値観に必要な要素において悪影響を及ぼすことや自己決断をしたにもかかわらず、その決断を親に否定されてしまう可能性があるなど子供にポジティブな要素がなくなる可能性や子供が親から強要される事で周囲の同級生などに対しても同じような態度を取って良いと受け取ってしまい、思わぬトラブルに発展する可能性も否定出来ない。


 そのうえ、親に虐待を受けていた子供が大人になり、親になった時に無意識のうちに子供に手を上げることや自分の思い通りにならない事で怒鳴りつけるということはいわゆる“パニック状態”かつ“フラッシュバック”が起きている状態であるという事が推測される。


 特に地方などで顕著になっているのが“世間体重視”や“イメージ保持(=維持)”などの“ご近所トラブル”や“地域における人間関係”を気にする傾向だ。


 確かに、地方に行くと都市部と郊外部では価値観や風習、慣例などが大きく違っていることも少なくない。


 そして、昔から住んでいる人にとっては近所に住んでいる人の情報やその家の家系や職業などプライバシーに関わる情報も知っている事が多い。


 そうなると、“悪いイメージを相手に与えたくない”もしくは“悪いイメージを相手に持たれたくない”・“地域の人から揚げ足を取られたくない”などの自己防衛心理が働きやすくなり、これらのイメージが重要になる職業に就いている人がいる家庭にとっては致命傷になりかねない部分でもある。


 これを私は“世間体型虐待”と呼んでいる。


 その理由として、現在は1人1人が“イメージ”や“社会基準”などの決められた基準において評価されている事が多く、相手の家庭事情などを知っている第三者がその家の子供や孫などに対してアンコンシャスバイアスを用いて、印象操作をすることや第三者が型に無理矢理はめようとする風潮は今でも存在している。


 そのため、周囲に対して一般常識や教養の“ジェネレーション・ギャップ”(世代間格差)が顕著に表れることや特定の年齢層における正誤基準が異なっている事などでこのような行為に対して不快感を持つ人も少なくない。


 そのうえ、こういう行為をすることは若い世代においては“パーハラ”(パーソナル・ハラスメント)や“アンハラ”(アンコンシャス・バイアス・ハラスメント)として受け取られる事もあり、ふとしたひと言が侮辱や誹謗中傷といった大きな話題に飛び火する事も十分に考えられるのだ。


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