第3話 6月

「先輩!そのネックレス、アンチャーテッドのやつですよね!」

「そうなんだ〜♪男物だからちょっと躊躇ったんだけど、やっぱりこれだけは着けたいなぁって我慢できなくってさ」


 六月に入り、梅雨の時期に突入して憂鬱な気分に成りがちな季節。

 先輩は普段あまりアクセサリー類を身につけないのに、目立たないようにネックレスを着けて来たそうです。因みにそのネックレスは映画やゲームの中で主人公がシリーズを通して身につけている重要アイテムらしくて銀の指輪に文字が刻まれたシンプルなデザインで、かの有名なフランシス・ドレイクの遺品って設定だそうです。そう言えば先月一緒にその映画を見た後、ネットでしきりに検索してたなぁ。よっぽど欲しかったんですね、嬉しそうな先輩を見ているとこっちまで憂鬱な気分が晴れていく気がします。

 本来は結構紐が長めなネックレスなのを女性用にチェーンに変えたりして短く詰めて身につけていたそれを、先輩は外して私の首にかけてくれた。

 先輩の綺麗な顔が近くて、鼓動が信じられないくらい速くなってるんですが!なんかすっごい良い匂いするし!こんなの生き地獄ですよぉ…気分は天国ですけど。


「うん、似合ってる!」

「意外と女性が着けてても違和感ないですね」


 私は手鏡で自分の姿を確認しつつ率直な感想を述べた。はたから見ても普通のアクセサリーにしか見えないと思いますし、言われないとコスプレアイテムだとはわからないでしょうね。


「因みになんて書いてあるんですか?」


 指輪に書かれた文字を先輩に尋ねると、よくぞ聞いてくれましたっ!って言いたげに解説してくれました。こういう無邪気な所が先輩の魅力ですよね。


「SIC PARVIS MAGNA。ラテン語で偉業を成すのも小さな一歩からって意味なんだって。良い言葉だよね〜、しんどい時でもそれを見たら頑張れそう!」

「なるほど、それは確かに元気出ますね」


 私はネックレスを外して先輩に返そうとした所、外す手を先輩に止められました。先輩は百合の花の様に可憐な笑顔を浮かべながら、私の髪の毛を優しく撫でてくれました。


「よかったらそれ貰ってくれないかな?」

「え?でもこれ先輩が欲しくて買ったんですよね?」


 私はついきょとんとした表情になってしまいます。先輩の真意が見えません…。


「うん、私が瑠奈につけて欲しくて買ったんだよ」

「どう…して…?」

「最近…というかこないだ映画館で私がらみで迷惑かけた事あったじゃん。それで申し訳ない事したなぁって思ってたのと、最近ちょっと元気無かったでしょ?だから元気になれそうな物ないかなぁってずっと探してたんだよ」

「せんぱぃ…」


 先輩が私のことをそこまで考えてくれてたなんて…、やばいです。感極まりすぎて涙が止まりません。先輩の前では絶対泣きたく無かったのに、我慢できない大粒の涙がぽろぽろと溢れ出てきました。


「もう、これからは辛いことがあったらすぐに言ってね?それ位私にとって瑠奈は大切な存在なんだから」

「せんぱい…ずるいです…。ずるずるです!」

「え、ええ!?」


 私は甘える様に先輩の胸に顔を埋めてみました。離されるかと心配もありましたが、先輩は驚きながらもぎこちなく抱きしめてくれました。


「こんなの嬉しいに決まってるじゃないですかぁ…。いつも貰ってばっかりで、私は先輩に何もお返しできてないのに…」

「もー、私のお節介だから気にしないでっていっつも言ってるでしょー?」


 先輩の優しさが身に染みて感じます。あったかくて包み込んでくれるお姉ちゃん見たいな存在。幸せだなぁ、醜い独占欲は恥ずかしいし先輩にバレたくないけど、ついそう考えてしまう自分がいます。


「それに私が瑠奈を独り占めしたいだけだから…」

「…え?」


 先輩、今独り占めって…。聞き間違えかと思って先輩の顔を見上げると、先輩はこつんとおでこをくっつけてくれました。くすぐったいですよ先輩///。照れてるのは私だけかと思ったら先輩の顔もびっくりするくらい真っ赤で、白いすべすべな肌が熱くなっている様です。


「今だけは私だけの瑠奈で居てくれる?」

「仕方ないですねぇ、今だけですよ?」

「えへへ、ありがと」


 先輩が望んでくれるのなら私は一生でも先輩の物になりますよ。とは流石に恥ずかしくて言えなかったので胸の奥にしまっておくのでした。



「そうそう後もうひとつ言わないといけないことがあってね」


 さんざん甘やかしてもらった後、先輩は荷物を片付けながら私に話しかけてきた。


「なんですか?上げて落とす作戦ですか?先輩も中々あくどいです」

「なんでよぅ!もー調子悪いとすぐ茶化すんだから…。めっだからね?」

「ふふっ、はぁい!それで何か用事でもありましたか?」

「えっとね、丁度今日金曜日で明日休みでしょ?だから今夜家に遊びに来ない?」

「んん!?せ、先輩のお家ですか!?」

「瑠奈って一人暮らししてるって言ってたでしょ?それをおばあちゃんに話したら絶対呼んで来なさいって言っててさ。もちろん、瑠奈がよければだけど…」


 私の両親は今ロシアにいるので一人で京都に住んでいるのですが、それを案じてお誘いしてくれてるんですか…。どこまで優しい先輩なんだか。普通ならご迷惑ですし丁重にお断りさせて頂くのが普通だと思うのですが、そんな不安そうな顔されたら断れないじゃないですかっ!

 もーほんとこういう所ずるずるです…。


「じゃ、じゃあお邪魔させて頂いても良いですか…?」

「やったっ!それじゃあ今すぐ行こう!」

「ま、待ってくださいよ〜!」


 ウキウキで図書室を出ていく先輩の後を追いかけて私も駆け出すのでした。日本でお友達の、それも憧れの人のお家に行くのなんて初めてですし、すっごい緊張します。



 先輩のお家はびっくりするくらい立派な建物でした。伝統的な木造建築ではなく、現代的なデザインでシック調なタイルが豪華さを際立てている様です。先輩によるとロの字型になっていて中央は中庭が設けられていて、風通しも良くてとても過ごしやすい雰囲気らしいです。


「こんな大きな家にお婆様と二人暮らしなんですか…?」


 先輩のご両親は建築のお仕事で海外に行っているらしく、普段はお婆様と一緒に暮らされているそうです。両親が海外にいるという点では私と似ているかも知れませんね。


「ううん、流石に二人暮らしには広すぎるよぉ」

「え、じゃあどなたが…?」


 先輩は答えるより先に玄関の扉を開けると、中から明るい声が耳に入ってきた。え、それが答えですか先輩!日本の文化に疎い私でもわかりますよ!そもそもメイドさんなんて世界共通で富裕層のステータスじゃないですか!


「おかえりなさい!芽愛ちゃん!」

「ただいまーお姉ちゃん」

「あ、お姉さんだったんですか?流石にメイドさんではないですよね…」


 私は少し安心して胸を撫で下ろしたのも束の間でした。


「ううん。この人はお手伝いさんだよ?お姉ちゃんのお母さんがうちのお婆ちゃんの昔からの付き人さんで、今では娘のお姉ちゃんと一緒にうちで働いてくれてるの」

「ものすごく裕福じゃないですかぁ。私場違いじゃありません?そもそも綺麗な服でも無くて申し訳ないんですけどぉ」

「大丈夫!瑠奈はどんな格好でも世界一可愛いから!」

「それとこれとは違います!」


 私が先輩に少し文句を言っていたら急に視界が影に覆われました。


「んぇ!?」

「可愛いーーーー!!!」

「んにゃあああああ!?」


 いきなり視界が真っ暗になって驚いた私は思わず悲鳴を上げてしまう。何ですかこれ、すっごく柔らかくてあったかい…?ぁあっ抱きしめられてるんですか私!?

 私は頭をがっちりメイドさんにホールドされ、先輩以上に身長差があるメイドさんに成すすべ無く良いように弄ばれる。…あ、これだめなやつです。気持ちよくて頭が考えるのをやめてしまいそうです。


「ちょっとお姉ちゃん!瑠奈が困っちゃうでしょ!」

「だってこの子めちゃくちゃ可愛いんだもん〜♪何がどうなったらこんな天使みたいな子が生まれるの?」

「むむぅ…」


 私は先輩に引き剥がされて、メイドさんから守るようにまた抱きしめられました。暖かいお日様のような香りから花のような甘い香りが鼻腔を突き抜けて、頭がおかしくなりそうです。…というか天国ですかここは。


「あ、改めまして…保田瑠奈です。先輩の一個下の高校二年生です。あの、えっと…お姉様?」


 メイドさんのお名前を伺って無かったので先輩に合わせて呼んでみたのですが、悪手だったかもです…。すっごい満たされた様に嬉しそうな笑顔浮かべてますこの人。


「新しく妹が出来たみたい!最高〜♪」

「お姉ちゃん!」

「あ、ごめんごめん。えっと黒木沙彩です。芽愛ちゃんの二つ上の大学二年生だよ〜。お姉ちゃんって呼んでくれて良いからね!」

「よ、よろしくお願いします」


 沙彩さんは先輩と同じ綺麗な黒髪ですが、ショートカットに切り揃えた上でポニーテールに結び、より快活な印象を受けます。それにあの大きな胸…どうやったらあんな大きくなるんですか…。でも私は自分が大きくなるより抱きしめてもらう方が好きかもしれません。だってあの包容力ですよ?天国ですよ天国。


「もー良い加減瑠奈を上げてもいーい?」

「そうだった!ごめんね瑠奈ちゃん。ど〜ぞ〜♪」

「お、お邪魔します…」


私は先輩と紗彩さんに連れられてリビングに通されまして、そこには先輩のお祖母様と紗彩さんのお母さんも居られました。


「お邪魔します。えっと、先輩のひとつ下の保田瑠奈と申します。お招き頂きありがとうございます」

「まぁまぁご丁寧にありがとねぇ」


物腰の柔らかいお祖母様で優しそうな雰囲気が見ただけで伝わってきます。

しばらくすると紗彩さんがお茶を持ってきてくれて、よく冷えた麦茶で乾いていた喉を潤しました。生き返った心地です…。


「瑠奈さんの事は芽愛ちゃんから良く聞いてるよ。とっても可愛い子だって。本当にお人形さん見たいねぇ」

「そんなっ!先輩の方が何倍も綺麗ですよ!」

「ふふっ、美弥さんご飯の用意頼める?」

「瑠奈さんの分までご用意する予定ですよ」


紗彩さんのお母さんは美弥さんと言うらしく、明るい紗彩さんとは対照的に落ち着いた声音でお淑やかな印象を受けます。


「わ、私もご馳走になっていいんですか?」

「もちろん。瑠奈さんは何か苦手な物はありますか?外国の方に日本食は合うかしら」

「母が日本人なので昔から日本食は良く食べてたので大丈夫です」

「いいお母様だったのですね」

「はいっ!自慢のお母さんです!」


不意にお母さんを褒めてくれて私も嬉しくなっちゃいました。


「じゃあご飯まで芽愛ちゃんの部屋ででもくつろいどいで〜」


紗彩さんにそう促され、私と先輩はリビングを離れました。おおよそリビングの対極にある和室に先輩は暮らしている様で、部屋の前に立った私の心臓の鼓動が物凄く煩いです…。恐らく高校で先輩の部屋に入ったのは私が初めて…、先輩の初めてを貰えるんですね。ううん、変な事考えちゃダメ!でも意識するなって言う方が無理だと思いませんか!?憧れの人のお部屋ですよ!?


「どうしたの?あんまり綺麗じゃないけど入っちゃって」

「あ、はいっ!」


思わず声が裏返った私に先輩はくすくすと笑ってみせる。文句の1つでも言いたいですけど、可愛いので許します。


「先輩の部屋から中庭直接見れるんですね〜。すっごい綺麗です」

「でしょ?毎日窓を開けて夜風に当たりながら本を読むのが好きなんだ」

「確かにこれは癒される気がします」


私は縁側に座り、中庭から吹き抜けていく涼しい風に身を任せる。鬱屈とした梅雨の雨は今も振り続けていますが、ひんやりとした空気や雨が打ち付ける音はそれを打ち消すほど魅力があります。


「気に入ってくれた?」

「はい!」


先輩は私の隣に腰を下ろし、二人して中庭の風景を見つめている。肩が触れ合いそうな距離で座っているのは何かむず痒い気がしてきます。いつもの様に触れ合っているより緊張させられます。


「先輩。」

「ん?ちょ、瑠奈!?」


その微妙な空気に耐えられなくなった私は先輩を抱き寄せて私の膝で膝枕をする形に引き寄せました。


「瑠奈っ!?あ、あのこういうのは普通逆じゃない?」


焦って頬を紅く染める先輩はすっごく可愛いです。私は先輩のサラサラな黒髪を梳くように撫でると、ふわっと花の香りが広がってきて鼻腔をくすぐってきました。


「私、小説は読むだけじゃなくて書くのも好きなんです」

「え、瑠奈小説書けるの!?」

「素人レベルですけどね」


私が小説を書き始めたのは2年前くらいの事です。訳あって学校に行けずに家に居た時に読む小説が無くて、なくなく自分で書き始めたらすっごく楽しかったってパターンです。


「今日感じた事は小説のいいネタになりそうです」

「私も書けるようになるかな」

「先輩なら余裕ですよ。私でも出来るんですから」

「瑠奈は私を買い被りすぎだよぉ。私だって出来ないことの方が多いんだからね?」

「先輩は私の憧れなんですから。寧ろ出来てもらわないと困ります」

「あはは、ひどい押しつけもあったもんだ」


私は膝の上に乗せている先輩の顔に自分の顔をおもむろに近づける。

そうしておでこ同士をくっつけるとお互いの体温が直に分かる気がします。


「ちょっと恥ずかしいね」

「今だけは先輩を独り占めですっ。他の誰にも渡しません」

「なんなのそれ〜」


先輩は笑って冗談めかしますが、私にとって重要な事です。だってですよ?先輩はただでさえ人気があるんですもん。いつどんな人が現れて、今の私のポジションを奪っていくかなんて分かったもんじゃありません。


「瑠奈って結構独占欲強めだよね」

「…ダメですか?」

「ふふっ、私にだけ向けてくれるならダメじゃないよ」

「そんな言い方されたら本気にしちゃいますよ」


ずるいです。私はこんなに惑わされてるのに先輩はいつもこの笑顔を向けてくるばっかりです。


「………も……だよ」

「え?なんて言ったんですか?」

「なーいしょっ!」

「なんて言ったんですかぁ!気になる言い方しないでくださいよ!」

「あははははっ、怒った瑠奈もかーいいねぇ」

「もーーーー!!!」

「あ、こら!あはははははっ!くすぐりは卑怯だよ瑠奈ぁ!」


結局先輩がなんて言ったのか分からずじまいでした。

絶対大切な事を言ってた気がするんですっ!だってそんな感じの顔でしたから!


……先輩が心の内を教えてくれる日は来るのでしょうか。

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