― 第27話 ― 売られた喧嘩は高値で買います

 盛大な拍手を受けながらゆっくりと身を起こしてもらい、ドレスの裾を広げて簡易的な礼を取る。


「……殿下、さすがに少し喉が渇きましたので、侍女と飲み物を取りに行ってまいります」

「あぁ。俺は公務のため少し外す」

「承知しました。行ってらっしゃいませ」


 あえて周囲に聞こえるようにそう言い合うと、フロアの中央から少しだけ避け、他の観客と同じように拍手を送ってくれていたシルフィを呼んだ。

 そのまま飲み物を取りに行く間に、イシュトヴァルトは難無く会場から姿を消したようであった。


(……まぁ、気配を消すのは得意ですものね)


 会場から出るなといわれたルカは、さてどうしたものかと少々思案した後に、シルフィに話しかける。


「シルフィ、殿下は少し席を外すそうなの。今のうちにシルフィのご両親に挨拶させたいただきたいのだけれど」

「はい、先程入口の近くにいたようですので、ご案内します」


 移動中話しかけてくる他の参加者には後ほどと伝えながら、シルフィの先導で会場を移動し、入口近くでご両親と対面することができた。


「はじめまして、ルカさま。シルフィーゼの父でコンラッド・リルアートと申します。こちらは妻のアイシャです。ルカさまには、娘が大変お世話になっております」

「いえ、こちらこそ。シルフィにはとてもよくしていだいています。侍女として仕えてくれてはいますが、まだヴァルティアに来て日も浅い私の、初めての友人なのです」

「そうですか。それは嬉しいお話です」


 シルフィの両親はルカに穏やかな顔で微笑みながらまずお礼を述べ、娘の事を頼みますと願い、優しく娘の頭を撫でる。

 それを眺めながら、こんなにも羨ましいと思う日が来るとは思っていなかったなどと考えてしまった。ルカには手が届かないところにあるその様子には、どうしても思うところが出てしまう。

 温かな優しい家族の輪は眺めているだけで幸せになれるような光景で、少しだけ寂しさを感じながら、ルカも一緒になって微笑んだ。


「あまりルカさまのお時間を割いていただくわけにも参りませんね。我々はこのあたりで失礼させていただきます」

「シルフィ、お務め頑張るのよ」

「はい、お父さま、お母さま」


 品よく一礼して去っていくその背に、ほんの少しの名残惜しさを感じながら、シルフィに顔を向ける。


「ありがとうシルフィ。無理を言ったわね。もう挨拶もできたから、侍女の控室に行っていても……」


 そろそろシルフィを会場から解放してあげようと思ったものの、そういいかけて、ちょっと遅かったかと歯噛みした。

 途端にまとわりつく、幸せな空気が霧散したあとの、毒のある空気感。

 ドロっと息の詰まるようなそれに、決して気分がいいとはいえない場所にいるのを再び実感し、ルカは溜め息をついた。


 くすくす、くすくすと、聴こえるかどうかの距離で嘲笑う声がする。

 その矛先がルカなのか、シルフィなのか、あるいは両方なのかはハッキリとしないが、イシュトヴァルトがいない今、狙い目と判断されたのは嫌というほどよく理解できた。


(ここは、対応しないわけにはいかない……)


 タイミングを見計らっていたらしい令嬢が二人、ルカの方へ歩み寄ってくる。


「まぁ、ルカさまお一人ですの? 少しお話させていただけませんかしら」

「侍女がおりますので、一人ではありません。ですが、お話はできますよ」

「よかったら外の空気にあたりながらにしませんこと? 会場は熱気が過ぎますもの」


 体よく人の少ない場所に誘導されるとは、ありがちなことだ。

 イシュトヴァルトから会場から出るなといわれたものの、この状況でそれが守れるかと問われれば、なかなか難易度が高い。

 断ったところできっと余計に状況は悪くなるのが目に見えている。

 まだイシュトヴァルトが戻らないのをざっと見回して確認すると、ルカは仕方ないと諦めて頷いた。


「シルフィ……きっと嫌な思いをすると思うから、今のうちに謝っておくわ」

「いいえ、ルカさま。ルカさまのせいではありませんし、気にしないでください」


 庭園に続く渡り廊下を令嬢方に付いて歩きながら、ルカはこっそりシルフィにだけ届くような声量で話しかける。

 心の優しい侍女は、不安そうな表情を浮かべながらも気丈に振る舞っているので、ルカの方も頼りない様子は見せてはいられない。


(気合を入れなくては……ただやられるばかりは性に合いません)


 渡り廊下の先から、甘ったるい香りがわずかに漂ってくるのを感じながら、ルカは薄暗い通路の先に目を凝らす。


「何をコソコソ話していらっしゃるのかしら」

「いえ、どこまで移動するのかと思いまして。あまり会場から離れぬように殿下からいわれておりますので」

「もう着きますわ」


 案内されたガセボには、もうひとり先客がいた。


「お待ちしてましたのよルカさま。先程はあまりお話できませんでしたもの」

「……クラリスさま。どちらかというと、貴女の方から会話を拒否されたように思いましたが、違いましたか?」

「……そんなことありませんわ」


 口元を扇子で隠しながら、ここまで案内してきた令嬢二人を従えるクラリス・ラザフォードを眺めて、ルカは覚悟を決めた。

 呼び出され、待ち構えている相手を見るに、もはや穏便におさめることも、おさめるつもりもない。


(仕方がありません。売られた喧嘩は、高く買いましょう)


 その喧嘩の値段を釣り上げるがごとく、ルカは遠慮なく挑発を重ねていく。


「先程、姿を見せるなといわれたこともお忘れに?」

「殿下にはいわれましたが、貴女からはいわれておりませんもの」

「それはそうですね。でもラザフォード公爵さまからもお叱りを受けたのではないでしょうか。そうでないのであれば、このようにこっそりと呼び出さず、会場でお声がけくださればよいこと」

「……」


 クラリスの表情がわかりやすく歪む。

 図星を突かれ、言葉に詰まった彼女は、すぐさま狙う矛先を変えた。

 御しやすく、貶めやすい、この場で一番弱い立場の存在へと悪意が向く。


「……あら、どこかで見たことのある侍女を連れていると思っていたのだけれども、確かリルアート伯爵家の……えっと、どなただったかしら?」

「……シルフィーゼです」

「そうそう、シルフィーゼ。伯爵家なんて数も多いし普段関わりが薄いからいちいち覚えていられなくって。ごめんなさいね?」


 クスクスと、取り巻きが笑いを重ねる。

 シルフィが背後でグッと何かを堪えるようにしているのを感じ取りながら、ルカは視線をそらさずにクラリスを見つめ続けた。


「それにしても、貧乏貴族が皇太子妃の侍女だなんて、分不相応の大出世ですのねぇ。羨ましい限りですわ」

「本当に」

「そうですわねぇ」


 暗にルカのことまで平民から成り上がった癖にと貶めているつもりの発言なのだろうが、ルカ自身は大出世なのは間違いがないので否定も肯定もする必要はない。

 なおも続く侮辱の言葉を耳半分で聞き流しながら、どう片付けようかと方法をいくつか探る。


(やるなら二度と絡んでくることがないようにするべきかしら……?)


 中途半端ではきっと無駄に遺恨だけが残る。

 それに、巻き込んでしまったシルフィの分に関しては、完膚なきまでに遠慮なく叩くべきだ。


「でも物は考えようという言葉もありますものね? 私はあまり人の世話をしたことがないので、貧乏伯爵家出身の者ぐらいが確かに適任ですわ」


 クスクス笑いをもはや扇子で隠すこともしなくなったクラリスは、何も言わない二人を見て軽蔑するように言葉を紡ぐ。


「だんまりですの? せっかく話しかけていますのに」


 何をいうのかと、ルカは思った。

 会話とは双方のやり取りで成り立つものだ。

 クラリスのこれまでの発言は会話ではなく、一方的な口撃でもって、相手を貶めるだけの演説である。

 その聞くに堪えない口上をいい加減終わりにしようかと反撃に出る直前、意外にもそれまで押し黙っていたシルフィが先に打って出た。


「……クラリスさま。伯爵家の私のような者の姿を覚えていてくださっただけで、私は大変嬉しく思いますが?」

「……なんとなく覚えていただけよ」

「それにしては、私の家名までしっかりとご記憶なさってますよね……? さすがクラリスさま。公爵家ともなると国内の貴族についてしっかりと暗記なさっているのですね。ド忘れは仕方ありませんわ。誰しもあることですから、恥ずかしがるようなことではないと私は思いますよ?」

「……っ、……」


 わざとらしく忘れたフリとは、幼稚なことをする……まさかシルフィからそんな反撃をされると思っていなかったクラリスは、半歩怯むように後ずさった。

 物静かで誰かに噛み付くような態度など取るように見えないシルフィだが、出るところは出るという、しっかりとした貴族らしい感性も持ち合わせていたらしい。

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