― 第28話 ― 反撃開始の時間です

(ご両親の素晴らしい教育の賜物ね……)


 爵位など、取るに足らないものだ。

 クラリスやラザフォード公爵などよりもよほど貴族らしい立ち居振る舞いに、ルカは内心で敬意を払う。


「ふふ……シルフィの言うとおりですね、クラリスさま。私もそういった情報は必要であると感じて記憶しましたが、うっかり忘れてしまうことは仕方のないことです」

「……そ、そうよ。私は覚えることがたくさんありますの。うっかりすぐに名前が出てこなかっただけですわ」

「それはそれは……とても勤勉で、素晴らしいことですね。では、ご自身のお父君であるラザフォード公爵さまが自身の領民に対してお取りになった施策については、どのようにお考えでしょうか」


 そうして、ルカはシルフィからその反撃のバトンを引き継いだ。

 手始め程度の質問に、クラリスはあからさまに嫌な顔をする。


「な、急になんですの」

「ここ数年、ラザフォード公爵さまは領地の税金をジワジワと上げられていますね」

「それは、民が森を開墾し田畑を広げて、収入が増えているからで……」

「そうでしょうか?」


 ラザフォード公爵が治める領地は、立地がよく、土壌も肥沃で作物がよく育つ豊かな地だ。

 普通に生活していて困窮するような事態にはならないし、わざわざ新たに開墾する必要もない。

 しかし、その肥沃な土地で更に森を開墾してまで田畑を広げるということは、そうしなければ税金が払えないということなのだ。


「今はまだ、開梱する余地もあり、税の支払いに困りはしないでしょう。しかし、この先十数年後、もはや広げる土地もなくなった領地で税だけが重くなれば、民は次第に困窮するしかなくなります」

「……だから、なんだというのよ。作物が作れないなら商業にすればいいじゃない」

「それは胆略的な考えですね。商業するにたあり、商品を入手するのにも元手がかかります。必要以上に税を絞り取られている今の公爵領の民に、そんな余分があるとお思いなのですか?」


 ルカは、思う。

 人が生きていくために必要なのは、誰かを思う心であると。

 自分だけが良ければいいという考えは、ゆくゆくは自身を潰す。


「それでなくとも、作物の実りはその年によってかわるものです。際限なく税を上げていけば、そのうち破綻することも起こりえます。不満の溜まった民たちはその時、どうするでしょうね?」


 革命や反乱は、全ては不満の種が芽吹き、育った結果の産物だ。

 歴史に数ある争いの中で、どれだけ自業自得の紛争があっただろうか。

 しかし、クラリスにとっては結局どうでもいいことなのだろう。


「か、考えが野蛮ですこと。さすが平民の考えね……私、調べたのよ? 貴女、元は辺境領伯の娘だけれど、実際は養女なんですってね?」

「そうですね、それについては否定はしません」

「貴族を名乗るにも値しない下民が、皇太子妃だなんて……殿下はどうしてお選びになったのかしら。大方、私には考えつかないような下品な誘惑をしたのでしょうけれど」


 相変わらずルカを貶めようとする発言に加えて、遂にイシュトヴァルトにまで言及し始めたのを聴き取り、ルカはそろそろ茶番を終えるべきと判断した。

 この先、クラリスはどうせ、自分の方が相応しいと言い始めるのだろう。


「皇太子妃なんて身に余りすぎでしょう。貴女、今すぐ辞退なさったらいかが?」

「辞退したところで、クラリスさまが選ばれるとも限りませんが」

「少なくとも私の方が余程貴族らしく、皇太子妃に相応しいと自負していますの」


 先の読めた展開に、ルカは面倒臭さを押し隠しながら一度目を閉じて静かに深呼吸を加える。

 その一連の動作は、ルカにとって何かを始める前に気持ちを切り替える為、必要な行動なのだ。

 そして、コツンと一つだけ靴音を立てて、今までよりもずっと抑えた声音を発する。


「……貴族とは、」


 その一言だけで、空気が震える。

 クラリスを含めその場にいた者は、場の温度が下がるような錯覚すら覚えたかもしれない。

 姿勢が、表情が、その声音までもが、口を挟むことを許さない雰囲気を纏う。


「民の上に立ち、民を導く存在です」


 息を吸うのも憚られるような静けさの中に、ルカの声だけが響き渡る。

 決して声を張り上げているわけではないにもかかわらず、言葉のひとつひとつに与えられた抑揚が、一言一句を聞き逃すことを許さない。


「決して、民を踏み躙る存在であってはならない」


 意識的に外していた視線をついっと動かし、ルカの視線がクラリスを射貫く。

 それはイシュトヴァルトとは違う質でもって恐怖を煽り、クラリスは本能的に後ろに下がった。


「私たち貴族は導き手として民を守り、その民に生かされていることを……ゆめゆめ忘れてはなりません」


 誰のおかげで明日の食べ物に困らず、誰のおかげで自分たちが生きていくことが出来ているのか、それを自覚できていないものは貴族を誇ってはいけないと暗に告げる。

 クラリスの背後にいた取り巻きは遂にガタガタと震え始めたが、これぐらいで怯えられては困るのだ。

 追い詰めるかのように底冷えのする笑みすら浮かべながら、ルカは続ける。


「クラリスさま。先程、何故殿下が私をお選びになったのかと、問いましたね」

「……ひっ、……」


 雰囲気に飲まれ言葉を発することもできないままのクラリスは、名前を呼ばれると小さく悲鳴を上げて肩を揺らした。


「お答えいたしましょう……。私は、あの日……殿下に手合わせしていただけるようお願い申し上げました」


 小刻みに震えながらもまだ視線は外さずルカを見据えているのは立派だとも思うが、どちらかといえば既に怯えきって動くことすらままならなかったという方が正しいのかもしれない。


「ふふ、いいですか……? 私は殿下に殺される覚悟で手合わせして、そして負けました。気を失い、目が醒めたときにはヴァルティアへ向かう馬車の中でしたが、死なずに済んだ理由は殿下のみが知ることです。貴女がもし、私にとって代わりたいと言うのなら、同じことをしてみるとよいでしょう」


 その結果がどのようになるかまで責任は持てませんが……と、ルカはくすりと笑った。

 そして、これまでの威圧感を更に強めて、今度はあえてクラリスに見下すような視線を送りながら言う。


「よく聞きなさい、クラリス・ラザフォード」


 敬称すらも排除して、明確に立場を認識させ、目の前にいるのが誰なのかを刻み、意識させるように。

 今まで甘んじて聞いていたが、もうその限度は過ぎていると。


「私はもう、貴女の無駄な戯言を耳に入れる気はありません。確かにまだ正式に皇太子妃という身分ではありませんが、殿下は私の言葉を聞いてくださるでしょう。先程姿を見せるなと命じられた言に背き、こうして再び私と私の侍女に対して不遜な態度を取ったと知れば、厳罰は免れませんよ」

「……も、申し訳……」

「誠意のない謝罪は聞くに堪えません。後ろの者たちを連れて、今すぐ広間にお戻りなさい」


 その謝罪すらルカはバッサリと切り捨て、決断を突き付ける。

 なすすべもなくなったクラリスと取り巻きの令嬢は、フラフラとルカの横を過ぎるやいなや、駆け去るように来た道を戻って行った。

 静寂に戻った東屋で、ようやくルカは小さな溜め息をつく。


(あれだけ脅せば、もう彼女が噛み付いてくることはないでしょう……)


 厄介ごとはひとつ片付いたが、途端にどっと伸し掛かるような疲労感が襲い、ツキリと刺すような頭痛に顔を顰める。

 己の意に沿わぬ立ち居振る舞いは、極力したくはないものだと……再び嘆息してから、ルカはシルフィの方へと振り返った。


「シルフィ、大丈夫?」

「……ルカ、さま……っ、」


 ずっと侍女としてその場にいて、始終を眺めていたシルフィはといえば、クラリスたちが去った後に気が緩んだのか、その大きな瞳に涙をためながら座り込んでしまっていた。


「シ、シルフィ?! ごめんなさい嫌な思いもさせて、怖かったわよね、泣かないで……」

「ちが、違います……怖かったわけではなくて、嬉しくて……」

「ええ……?」


 困惑しながらも慌てて抱き起こそうと手を伸ばせば、シルフィはルカの事をしっかり抱き締めてお礼を述べたのだった。


「父と母の民を思う領主としての生き方を認めて貰えたようで、嬉しくて……っ、ルカさまも一緒なのに怖いわけがありません!! ルカさまは、優しくて強くて、とても綺麗で、私、侍女になれて本当に嬉し……っ、……」

「落ち着いてシルフィ、落ち着いて……」


 伝えたいことをとにかく言わなければと口にするシルフィの背を撫でてあげながら、ルカは苦笑する。

 シルフィだって、優しくて強い芯の通った貴族令嬢である。

 ルカは頼もしい侍女への評価を更に高くつけながら、シルフィが落ち着くまでずっと背中をさすってあげるのだった。

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