― 第24話 ― いざ尋常に乗り込みます

 それから二日間。ルカは書館にこもりながら必要と思われる知識を片っ端から詰め込んだ。

 ヴァルティア国内の主要貴族の情報はもちろん、特産物や貿易の動向に経済状況、国内情勢と最近のヴァルティア皇帝やイシュトヴァルトが発した政治施策、近隣諸国との関係性まで、その幅広く。

 イシュトヴァルトから事情を聞いたのか、時折ルーシャスが覚えておくと有用だと思われる情報を持ち込んでくれたので、それらも追加で詰め込んだ。


「うぅ……熱でも出そうね……」


 学ぶことに関しては抵抗がなく、ある程度の量までならそんなに覚えるのにも苦労しないルカではあるが、さすがに二日間睡眠を削っての突貫詰め込み学習は心身ともに負担が大きい。そのせいか、朝から鈍い頭痛に悩まされていた。


「……ルカさま、大丈夫ですか?」

「大丈夫よ、シルフィ。夜会を無事に終えて、ちゃんと寝ればたぶん落ち着くわ……」


 夜会は皇都にある公爵邸で開かれるらしいのだが、今回は馬で行くわけにも行かず、大人しく馬車の中でシルフィと座っている。

 前の馬車にはイシュトヴァルトとルーシャスが乗っていて、馬車の周りには警護のための騎士が付き添っていた。

 伯爵家出身のシルフィに侍女としての付き添いを頼むのは少々酷かとも思ったが、シルフィは逆に誰よりも自分が慣れているからとその役を買って出てくれた。


「それにしてもルカさま、ドレスがとても良くお似合いです。仕立てが間に合って良かったですね。黒い髪飾りも髪に映えて、素晴らしすぎます……!」

「ふふ、ありがとう。シルフィも素敵よ? いつも侍女のお仕着せだからとても新鮮だわ」


 ルカは今日、プレゼントされた黒い髪飾りとヒールに合わせ、黒のドレスとグローブを着用している。

 仕立て人に発注していたものが今朝届いたのだが、その中の一着だ。

 忙しい中、次々と大量に運び込まれるドレスの山に、侍女たちが朝から右往左往していたのは大変申し訳なかったと思う。


「シルフィのご両親は今日は参加されないの?」

「ルカさまにご挨拶がしたいとかで、一応来る予定にはなってるとのことでした」

「まぁ、それはぜひお会いしないと」


 シルフィはルカに合わせて落ち着いた深緑色のドレスを着ているが、こちらは急遽実家にあったものを届けてもらったものだ。

 元々可愛らしい顔立ちのシルフィなので、落ち着いた雰囲気のドレスを着ていてもとても愛らしい見た目になる。

 妹感覚で、今日のシルフィの髪のセットはルカが担当させてもらった。

 自身の侍女が可愛くて、とても満足である。


「あ、着いたようですね」

「そうね」


 ゆっくりと馬車が止まる。

 わずかに周辺を取り巻く空気が変わった気配がした。

 しばらくしてから馬車の扉がノックされ、静かに開かれていく。


「手を……段差に気をつけろ」


 外にはイシュトヴァルトがこちらに向かい、手を伸ばして立っていた。

 エスコートのために伸ばされたその手を支えに、片方の手でドレスを摘み、微笑みながら馬車を降りる。


「ありがとうございます、殿下」


 イシュトヴァルトはいつもの黒を基調とした装いに変わりはないが、ルカの髪色に合わせたのか所々に銀糸の飾りが施された正装に身を包んでいた。

 こちらは、どうもルーシャスが手配して新しく仕立てさせたものらしい。

 相変わらず似合いすぎていて怖いぐらいだが、彼の場合は何を着たところでこうなのだろうと思う。


「新調された正装、とてもお似合いですね」


 素直にそう告げると、イシュトヴァルトは何もいわないものの、手袋越しにエスコートしたままだった指先を少しばかり撫でた。

 握る状態だった手を離し、腕を組むように変えると、イシュトヴァルトは煽るように笑う。


「……行くぞ、気合を入れろ」

「ええ」


 言われるがままに、一度目を閉じて深呼吸をする。

 普段から姿勢の良いルカではあったが、いつも以上に姿勢を正し、自身に仮面をかぶせるかのように雰囲気を作っていく。


 背後でルーシャスにエスコートされながらその様子を見ていたシルフィは、そのルカの変化に目を見開く。

 柔らかな雰囲気から凛と澄むような雰囲気に様変わりしていくその一瞬、ルカから視線を外せなかったのだという。

 隣にイシュトヴァルトという存在があってなお、ルカの方に視線が吸い寄せられ、瞬きも許されないような感覚に陥ったのだと。


「行きましょう、殿下」


 わずかな不安と心配はもちろんある。それを上手く隠しながら、ルカは口の端に笑みを浮かべてゆっくりと階段を上がる。

 そんなルカの隣で、イシュトヴァルトもまた、普段は見せない満足そうな笑みを浮かべていた。


 恭しく侍従が一礼し、公爵邸の豪奢な扉が開かれていく。

 室内からは遠く微かに談笑と音楽が漏れ聴こえており、既に結構な招待客が集まっている気配がする。


(久し振りの、夜会の空気感……)


 あまり好きではない香りが満ちる空間だった。

 今回夜会に招待してくれたのはラザフォード公爵家という、古くは王族に連なる家だ。

 豪華絢爛な邸宅の設えは、その由緒が正しいということを示しているようでもあるが、正直あまり趣味ではないなと思ってしまう。

 その上、家柄はいいものの、今のラザフォード公爵は家名だけの名ばかり貴族であるらしい……。


「シルフィ、少しだけ私の付き添いお願いね」

「もちろんです。ルカさま」


 侍女や従者は待機する部屋があるとのことだったが、最初の方は一緒に行動してもらうことにした。

 ルーシャスも別件で執務の処理のために客としてきている者に用があるとかで、同席するという。

 広間まで案内を受けながら、ルカはラザフォード公爵家について考える。


(家族構成は、当主と夫人……そしてご子息が一人とご令嬢が二人。上のお嬢さまは既に他国に嫁がれていて、ご子息は隣国へ留学中……)


 現在ラザフォード邸に残っているのは姉妹のうち、ルカと同じ年頃の妹の方だ。

 ルーシャスからの情報によれば、家柄的にも皇太子妃候補筆頭だったという。

 しかし、イシュトヴァルトはどういうわけか気まぐれをおこしてルカを選んだ。


(まぁ、納得行かないのも無理はないわね……)


 だからこそルカを無理やり呼びつけたのだろう。

 婚約者としてどんな者を選んだのか見極めるために。

 もし付け入る隙があるなら、ルカ共々にイシュトヴァルトを批難するつもりで……。


 邸宅の入口に続き、重厚そうな広間への扉が開かれていく。

 一瞬のざわめきの後の静けさ。そして、突き刺さる視線の山。


 好奇、羨望、嫌悪、嫉妬。感嘆に混ざる、僅かな祝福。

 そして薄っすらと漂う、憎悪と殺気。


(早速気が重い……)


 顔にも動きにも出さず、微笑みを張り付けながらそれらを受け止めるルカの前に、一人の男性が歩いてくる。

 おそらく主催者であるラザフォード公爵だろう。

 貴族院の重鎮である彼は、根っからの貴族主義であるような雰囲気を漂わせており、実力主義のイシュトヴァルトとは反りが合わなそうだった。


「これはこれは、イシュトヴァルト殿下。ようこそお越し下さいました」


 状況的にも迎えに動くしかなかったラザフォード公爵が、見た目だけは鷹揚に広間の中へと迎え入れてくれる。


「長居はしない。無駄な挨拶は不要だ」

「ご多忙なことは存じ上げております。ですがぜひご挨拶だけでもと……こうでもしなければ、ご紹介すらしていただけなかったでしょう」


 イシュトヴァルトはあからさまに無愛想で不機嫌であるのにも関わらず、いつものことなのかあまり意に返さない様子で話を続ける公爵。


「……それで、こちらの方が……?」


 チラリと投げられた視線を得たルカはといえば、瞬時に値踏みの感覚を捉えて微笑み返すだけの余裕があった。

 染み付いた本能のようなもので同時に身体も自然と動き、何を見られ、どこを評価されるのか……ルカは知り尽くしているかの如く、魅せるように礼を取っていく。


「お初にお目にかかります閣下。ルカ・マグノリア・フェンリースと申します。この度は縁あって、皇族の末席に加えていただくこととなりました。まだこの国について不勉強な部分も多く、何分不束かではございますが、御容赦くださいませ」


 先程視線を逸らせなくなったシルフィと同様、そのゆったりとドレスを広げて優雅な礼をする様に、会場の誰もが惹きつけられていく。

 会場のどこかでは、これは美しい……と、小さな呟きが漏れた。

 一礼を終えたときには突き刺さるような視線は少し減り、まず第一印象としての評価は問題なかったとみて、ルカはそこで内心ほっと息をついていた。


(興味本位だった視線は大分消えたかしら……)


 相変わらず値踏みや好機の視線は残るものの、いくらか呼吸がマシになったその空間で、なおもルカは微笑を浮かべながら堪え続ける。

 今はラザフォード公爵自身の自己紹介が終わり、ルカをジロジロと眺め回しながら、無駄な世辞を述べ始めているところである。

 隣りにいるイシュトヴァルトもしばらくの間、険しい表情のままながら黙っていたものの、いい加減世辞にも視線にも鬱陶しくなったのか、唸るように口を開いた。


「ラザフォード。我が婚約者は見世物ではない。あまりにも度を越した不快な視線は侮辱に値すると心得よ」

「これは失礼しました……」


 周囲への牽制も含めたその凍てつく忠告は効果が高く、ラザフォード公爵はすぐさま視線を外す。

 しかし、今度は入れ替わるようにその公爵の背後から鈴の音の響くような声音で不満が飛んだ。


「お父さまばかりお話されてズルいですわ。私のこともルカさまにご紹介してください。ぜひお話させていただきたく思っていますのよ?」


 視線を公爵の肩越しに奥に向けると、赤毛の女性と年若い令嬢の姿が映る。

 ルカはその姿から、ルーシャスから得ていた情報を思い返していた。

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