― 第23話 ― 戦闘準備は抜かりなく
(夜会への参加が決まったとなれば、やらなきゃいけないことが山ほどあるわ……)
翌朝一番にルカがまずしたことといえば、ルーシャスに連絡を取ることだった。
シルフィに昨晩急いでしたためたプレゼントの御礼状を持たせ、伝言をお願いして送り出すと、ルカはそのまま離宮に併設されている書館へと足を向けた。
古びた紙と埃っぽさが混ざった独特な香りは、ルカの好きなものでもある。
聞いたところによると主城にも書館はあるそうなのだが、離宮に併設されている書館はそちらに置いておく必要のない古めの文書や書籍が格納されているらしい。
分館とはいえないほど大層立派で十分な広さがあり、全ての書物を読むのにどのくらいかかるだろうかと言うほどの量がしまい込まれていた。
これだけあれば、目的のものはおそらくあるだろうと、ルカはある程度目安を付けながら棚に並ぶ書物のタイトルを追っていく。
「年鑑とか、年表みたいなものがあると早いのだけれど……」
欲をいうならヴァルティアの歴代の皇帝の家系図などもあるといいが、それらは最重要機密文書扱いのはずなのでこんなところには置いていないだろう。
そこまでは知らなくてもいいとは思うが、夜会に出るにあたり、ある程度のヴァルティアの歴史とそれに紐付く貴族家系の流れを掴みたいのだ。
(あとは言語の辞書のようなものもあると、調べ物が楽にはなるわね)
ルカの故国インレースにインレース語があったように、ヴァルティアにはヴァルティアの言語があった。
もう滅多に使われておらず、日常の生活のほとんどは共通言語で構成されているものの、書物にはまだところどころヴァルティア語のものが混ざっているのだった。
特に古い書物はヴァルティア語で書かれていることが多いため、内容を読み解くのに少々手間がかかる。
過去、領主代行者として勉強が必要と判断したルカは、既にある程度のヴァルティア語を習得はしているものの、時間があればもう一度学び直そうと思っていた。
「んー、戦記、時代史……このあたりかしら」
棚に納まる古びた本を数冊抜き取ると、薄明かりの射し込む窓際の机に置いて開いてみる。
建国から、現在に至るまでに起きた戦争や内政について纏めてある本のようだった。
ヴァルティア自体がそんなに歴史が古い国ではないので、内容は遡っても二百年ほど前までになるだろうか。
「確か……初代皇帝は周辺の小国を武力併合してヴァルティアを建てたのよね」
建国当時から武力に重きを置いてきた国である。
もちろん周辺諸国の反発も激しかったが、争いが起きるたびにそれを力ずくで黙らせてきた。
時の皇帝は皆武闘派でありながら頭もよかったらしい。政治手腕も高かったために他に付け入る隙もなく、ヴァルティアは順調に国土を広げて一大大国となっていった。
今はもう、その圧倒的なヴァルティアの国力に対して、周辺国は下手に手を出せない。
「……まぁ、現帝も覇王と呼ばれているものね……。イシュトヴァルト殿下も文武双方の能力に秀でているから、この先まだ百年ほどは安定するかしら」
もうあまり国土を広げる気はないのか、ある程度侵略の方針は収まっている現在において、何故突如としてインレースが攻め込まれたのかの疑問は残るが……。
ともかく、それだけ能力の高い世継ぎを輩出している皇帝の血筋が次代まで繋がれば、ヴァルティアはまだまだ安泰ということだ。
(……んん、このまま行けばその世継ぎって私が産むことになるのでは……?)
「い……色々と、不安しかない」
なんともいえない表情を浮かべながら、ルカは書棚に戻る。
自慢ではないが、速読は得意なのだ。
ある程度流し読みでも内容は頭に入るから、このペースで棚一段分ぐらいを詰め込んでしまおうかと、上の方の段に手を伸ばしてみたものの……。
(届かないわね……)
ルカの高めの身長でも上段の棚には届かない。
踏み台か梯子がないと指先で背表紙を撫でるほどしか触れなかった。
(背伸びしたらいけるかしら)
少しばかり勢いをつけて爪先で立ってみると、先程よりは届く位置が高くなったが、やはり取り出すまでにはいきそうにない。
(んー、もう少し、なのだけれど……)
横着せずに踏み台を探せばよかったのだが、もう少しで届きそうというその微妙な距離感のせいで、諦めがつかなかった。
ついでにいえば、その諦めのつかない奮闘に集中するあまり、書館に来客があったことにも気が付いていなかった。
失態に気が付いたのは、後ろからスッと伸ばされた腕が狙っていた本を抜き取った後の話である。
「コレか」
「殿下……?!」
ルカの後ろにはいつの間にかイシュトヴァルトが立っており、今しがた抜き取った本をしげしげと眺めている。
集中するあまり、迂闊にも気配にも気付けなかったのかと思ったが、彼のことだからきっとルカにあえて気が付かせないように近付いてきたのだろう。
「い、いつの間にいらっしゃったのです……?」
「ついさっきだ。お前を探していたら、棚の前でぴょんぴょん跳ねていた。野うさぎでもいるのかと思ったな」
「忘れてください……!!」
恥ずかしすぎるところを見られてしまい、その上に先程まで思考していた世継ぎの話まで思い出し、ルカは目の前の人から逃げ出したい思いでいっぱいである。
「……はっ! もしや、またお仕事を抜け出してきたのでは? ルーシャスさまにお小言をいわれますよ」
「残念だが、今日はそのルーシャスに頼まれて来ている」
「……くっ……、そうでしたか……」
せめてもと反撃しかけたものの虚しく躱されてしまったので、抵抗は諦めて大人しく恥ずかしさを受け入れることにした。
ルーシャスに頼まれて来ているとはいえ、イシュトヴァルトに無駄な時間を使わせるわけにはいかないという気持ちもある。
「あの……それで、ルーシャスさまの頼まれごとというのは?」
「お前が頼んだものだろ。夜会に参加するだろう客の想定リストだ」
「まぁ、もういただけるのですか。お仕事が早くていらっしゃる」
イシュトヴァルトが持ってきたものを差し出す。
受け取ったそれは、ルカが参加することになった夜会に一緒に参加するだろう貴族の名前と、家族構成、現在の役職などの仔細な情報の書いてある用紙だ。
ルカはヴァルティアに来たばかりで、この国の情報は対外的に出されているもの以外を知らない。
そんな状態では夜会に参加するわけにいかないと、簡易的なものでいいので情報が欲しいとルーシャスに申し出ていた。
まさかこんなにしっかりしたものを提出されるとは思っていなかったが……。
「準備に余念が無いな」
「当たり前です。殿下を伴って婚約者として参加するのですから、失態は犯せません」
ただでさえ侵略された国の領主の娘……平民も同様の立場である。
何をいわれるかだいたい想像はつくが、必要以上に侮られることのないように備えておかなければならない。
「……お前は既に知識も教養も十分持っていると思うが」
「基礎知識やマナー的な部分は問題ないとしても、そういうことだけではないのです。主にこの国の事に疎くては、将来の国母としては不足と判断されてしまうでしょう」
それに……とルカは静かに続ける。
「殿下の評価は、なんとしても落としたくありません」
ルカの評価は、すなわちイシュトヴァルトの評価だ。
ヴァルティアに来てからというもの、毎日忙しそうなイシュトヴァルトが、今までどんな仕事をこなしてきたのか気になって、時間をみつけては書館でその情報を読み込んでいた。
小さなことから大きなことまで、打ち出した施策は様々あったし、戦場へも赴いているがこれまで常勝。まだ皇太子でありながら見事という他ない統治能力である。
文武に長け、最高の統治者に足る能力をこれほどまでに持っている人物を、ルカは知らない。
そしてそれを、ルカ一人の存在で貶められることは、あってはならない。
「……殿下、正直に申し上げますと、私は今回あまり上手く夜会を乗り切れる自信がありません」
「ほう……? 苦手とは意外だな」
「いえ……苦手ではなく、単純に経験値が少ないのです」
ルカがここまで念を入れるように下準備をしているのにはそれなりの訳がある。
貴族社会には社交シーズンなどもあり、通常なら夜会の参加は義務のようなものなのだ。しかし、ルカは実のところそういったものにしっかりと参加したことがない。
「先代領主さまは、私をあまり夜会や茶会に参加させたくなかったようで、基本的には欠席していました」
「……なるほどな」
それは、ルカが養女という立場だったのを慮ってくれたのもあるが、ともかくルカはほとんど夜会には参加したことがなく、社交界という場での立ち回りにはいささか不安が残る。
(まぁ、養女だからという理由以外にもしっかりとした理由があるのですが……)
唐突に、どうしても出席しなければならないときは何故か髪色を変えて行くように指示されたのを思い出したが、あの理由だけはいまいちわからない。
ともかく、代行者として領地の執務を始めてからもそれは変わらず、忙しさを口実にそのほとんどを断ってきている。
故国での夜会ならまだしも、ヴァルティアでの夜会となれば一悶着あって然るべきで、イシュトヴァルトが側にいるなら何事も起こらない……と思うのは楽観的すぎる。
現に昨日も、城下ではイシュトヴァルト同伴であっても襲われそうになった。
だからルカは、自身のできる範囲で様々な準備をしている。
「ふふ、初めて殿下に守っていただく必要がでるかもしれませんね」
「お前なら切り抜けられそうだがな……」
「それは買いかぶり過ぎというものです」
助けてもらう前提ではなく、自力で切り抜ける手段を講じた上で、それでも駄目ならイシュトヴァルトに助力を願いたい。そう告げると、イシュトヴァルトは心得たというように頷いてくれる。
「あくまでも顔を出すだけだ。そんなに不安になるような状況にはならん」
「そうだと良いのですけれどね?」
ただ頷いてもらっただけなのに、こんなにも心強いことはない。それぐらい、頼もしく思えるような安心感を抱きながら、ルカは再び書物の読み込みに戻った。
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