― 第21話 ― 従者は主君の変化に驚く

 一日の外遊を終え、執務室に戻るとすぐ、イシュトヴァルトは休む間もなく山積みにされていた書類に手を伸ばす。


「殿下、お召し替えは」

「いい、面倒だ」


 相変わらず仕事熱心な方だと思いながら、ルーシャスは積んであった書類の束を手の届きやすい位置まで移動させた。


「……ルーシャス」

「はい、殿下」


 書類を読む手を止めないまま、イシュトヴァルトがルーシャスを呼ぶ。


「町で捕らえたものを調べ尽くせ。手段は問わん。小者はどうでもいいが首謀者は炙り出す必要がある」

「仰せのままに」


 指示を受け止めながら、ルーシャスは町で起きたことを反芻して思案していた。


「しかし、自作の麻痺薬ですか」

「……」

「殿下、あまり驚かれずにルカさまに一人で動く許可を出されたということは、ご存知だったのでは?」


 ちなみにルカはそれを、自分で作ったと言ったらしい。

 通常、毒を扱う人間は解毒法も含めた相応の専門知識を持っているはずだが、いち領主の娘がその知識を会得していることはあまりないだろう。

 剣術の腕といい、毒の扱いといい、ルカは普通の領主の娘の規格に当てはまらないことが多すぎる。


「さすがに自作するとは思っていなかった。何かしら持っているとは思っていたがな」


 イシュトヴァルトは書類に差し戻しの指示を書き込みつつ、ペンを持っていない方の手で頬杖を突きながら、なんのことはなさそうにいう。


「なるほど」


 もしかしたら、彼女の人生背景が全く見えないという中で、イシュトヴァルトだけが知り得ていることがあるのかもしれない。

 思えばインレースの数ある領の中で、イシュトヴァルトが自ら視察に赴くと言い出したのはグレイシア領だけなのだ。

 当時はたまたま帰路の途中だから寄る程度に思っていたのだが、その頃からなにか考えがあった可能性は高い。


(なんたって、丸一日予定を空けて外遊に付き添うぐらい、気にかけていらっしゃるようですからねぇ……)


 ルカが自由に離宮を歩き回れるのも、イシュトヴァルトがそうさせるように言っているからだ。

 変な拘束をせず、好きに過ごさせるように指示すること自体、他人など目の前にいようが視界にいないもののような扱いであったこれまでのイシュトヴァルトの事を考えれば特例中の特例といえよう。


「あぁ、そう言えば殿下……あまり面白くないと思われるお手紙が届いてましたよ」


 うっかり忘れるところだったと、外出から戻ったら渡すために持ち歩いていた物を取り出す。その豪奢な封筒と公爵家からの封蝋をひと目見て、イシュトヴァルトはあからさまに面倒臭そうな顔をした。


「……」

「そんな怖い顔をされても、私にはどうにもできません」

「開けろ」

「はい」


 ナイフで端を切り開け、中身を取り出してみる。

 出てきたのは簡単な挨拶状と手紙、それに招待状に見えた。

 手紙には何らかの香料が染み込ませてあるのか、部屋中に甘ったるい香りが広がる。


「夜会の招待状ですね」

「多忙につき欠席する」

「あー、そうも行かなそうですよ……これは」


 招待の内容をざっくり斜め読みしたルーシャスは、そのままそれをイシュトヴァルトに押し付け、窓を開けた。

 冷え込み始めた外の空気が、頭の痛くなりそうな甘ったるい香りを消し去っていく。

 間髪入れずに欠席の連絡をするよう指示を出そうとして止められたイシュトヴァルトはといえば、摘まみ上げるように挨拶状を開いて不本意そうに内容を読み込んでいる。

 そこには婚約者が決まったと聞いたのでぜひ夜会に連れてきてほしい旨と、もしイシュトヴァルトが多忙で欠席するのであれば日中の茶会でも良いので婚約者だけでも来られる日を教えてほしいと書き記されていたのだった。


「……」

「見事に退路を塞いできていますが、いかがしますか」


 うまいこと書いてあると思った。

 イシュトヴァルトが夜会に行かないと言うことは可能だろう。ただその場合、代わりにルカが一人で茶会に出る事が決まる。

 ルカはまだ、イシュトヴァルトと婚儀を上げておらず、正式に皇太子妃という身分になっていない、平民にも等しい身分だ。つまり、身分の高い公爵家からの茶会の誘いを断ることが実質的に出来ないのである。

 どっちがマシかどうかで言うなら、イシュトヴァルトが同伴できる分だけ夜会のほうがマシだろう。


「……多忙のため、顔を出すだけにとどまるがそれで良ければ参加する」

「承知しました。ではそのように返信しておきます」


 不愉快極まりないという顔で舌打ちしながらそう決断したイシュトヴァルトは、忌々しそうに同封されていた手紙をひと眺めしてルーシャスに放り投げ、それきりまた仕事の処理に戻ってしまった。


(面白いですよね、本当に……)


 イシュトヴァルトはルカを離宮で好きなようにさせているが、外に連れ出すにあたってはかなり用心している節がある。

 自身が鍛えた騎士任せではなく、イシュトヴァルト自身がついていった今日の城下への散策もそうだし、今回の夜会の参加に関しても同伴を選択した。

 実は主城に立ち入らせないのも、ここの管轄が主に父帝の配下にあるからであり、自身の影響力が及びきらないためである。


(大事になさっていらっしゃる……のでしょうね)


 離宮であればイシュトヴァルトが事細かに手を回しやすいのは事実だ。

 何がそうさせるのかはわからないが、その様子は、ルカを大事にする意思があるように見えた。


「ルーシャス、いつまで突っ立っている気だ?」

「いえ、ルカさまにもお伝えしなければならないなと思いまして。また何か面白いことを考えてくれそうで、楽しみですね」

「……口じゃなく手と足を動かしてこい。ついでに、追加で今から言う物を至急用意してルカに届けさせろ」

「はいはい、承知しました」


 配下の者からは、まだルカの素性についての報告は上がってきていない。

 あまり時間がかかるとは思っていなかったが想定よりも難航しているのだろう。


(ふふ、一体何が出てくるのやら……)


 楽しみ半分、怖さ半分にくすりと笑い、ルーシャスは受けた指示をこなすために主君の執務室を後にした。

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