― 第19話 ― 怖がる理由がありません
「あの、そこをどいてくださらないと戻れないのですが」
「……うるさい、騒ぐなよ。おい、通路の入り口に見張りを立てておけ」
一番先頭に立つリーダーらしき人物がその他のメンバーに指示を出し、手に持ったナイフを見せ付けながら脅すように言う。
「悲鳴のひとつもあげないとは驚いた。抵抗しなきゃそんなに怖い思いはしなくて済む。そのまま大人しくしていろ」
「見ての通り私は何も持っていませんし、何ができるとお思いなのです」
殺気とは別の、舐め回すような色が加わり、ギラギラと血走った視線がジッと上から下まで眺めているのを見て取る。武器も抵抗する意志もないのを表すように、ルカはゆっくりと両手を顔の位置まであげてみた。
「あの皇太子が自ら選んだというからどんなやつなのかと思ったが、至って平凡そうな小娘だな。まぁいい、こっちは依頼通りにするだけだ」
その発言を聴いて、ルカはおや? と思った。
この言い方は、ルカがイシュトヴァルトと訓練場で遊んでいることを知らない言い方だからである。
(……つまり、城内で監視している手の者とはまた別の者……?)
情報が足りない。
もう少し引き出せないだろうかと、ルカはあえて会話を続けてみる。
「命を奪うつもりではない。ということですか?」
「そこまでは言われてないのさ。単にお前を大人数で傷物にしてこいってよ。大人しく言うことを聞いて、俺たちにその高貴な身体を預けてくれればすぐに終わる。簡単だろう?」
「なるほど」
通りでイシュトヴァルトがいても仕掛けてくる気になったわけだ。
大人数で彼を抑えている間、ルカに乱暴するぐらいの時間は取れると踏んだのだろう。
(あまりにも下調べが足りない胆略的な計画だこと……一体誰の指示なのでしょうね……)
ふわりと風が吹き、ルカのいつもと違う色をした髪が、後ろから前の方へ流れていく。
どうみても賊以下、町の札付き程度の腕である。
ルカの見立てでは、ここにいる十数人が束になってかかったところで、イシュトヴァルト相手に数分も持たない。
どのみち秒で蹴散らされて終わる運命だっただろうことを想像するのは難しくなく、なんとも無駄な仕事を引き受けたものだと内心で呆れていた。
「自分から皇太子と離れて一人になるとは好都合だった。おかげですぐ片付きそうだ。楽な仕事だよ」
「ちなみに、どこの誰の指示なのかは、言うつもりはないですか」
「言う訳がないだろ」
ジリジリと距離が詰められる。
人数的にも勝り、行き止まりで逃げられる心配もなく、ターゲットは丸腰。
その余裕が、油断を招いているとはおそらく最後まで気が付かなかっただろう。
「そうですか……。ここで私に言っておいたほうが良かったと、きっと死ぬほど後悔することになるかとは思いますが」
そこであえて、コツッと靴音を立てながら、ルカの方からも一歩近づく。
「言いたくない言うことでしたら……仕方ありませんね」
その直後、優勢だったはずの不審者の側で、くぐもった悲鳴を伴いながらドサッと何かが地面に落ちるような音がした。
それを皮切りとして、行き止まりの空間に、他にも数回同じような音が響く。
「……っ、うぁ!?」
リーダー格の男が自分の背後を見るためゆっくりと振り返って、そして再び驚愕の表情を浮かべながらルカの方を見る。
もちろん、ルカはその場で何もしていない。ただ静かに立っているだけだ。
それにもかかわらず、仲間が苦しそうな悲鳴とともにまたひとり地面に倒れ込んでいく。
「……な、なんだ? お前、何を……っ」
ひとり、またひとりと数が減り、動けるものがいなくなっていく異様な光景に、リーダー格の男はようやく危険を感じたらしい。
「知りたいですか?」
しかし、もう遅いと……目の前で崩折れていく男に、上から視線を注ぎながら、ルカはふふっと笑みを溢した。
「ぅ、ぐっ……お前……っ、魔女か……?」
「いいえ? 普通の人間ですよ。別に何も奇術など使ってはいません。単にあなたを含めた仲間の方々には全員、毒で痺れてもらっただけです」
「な、毒?!」
ルカ以外に立っているものがいなくなったその空間で、静かに淡々とタネを明かしていく。
「無味無臭の、粉末状に加工した麻痺薬を使用しました。毒性はさほど強くありませんが、速効性が高く、吸収されれば数十秒ほどで効果が出始めます」
「……い、いつの、間に……」
「ここへ移動している間です。見えますか?」
スッと、ルカは手に持った物を広げて見せた。
それは薄い布製の袋のような形をしており、真ん中に裂け目が出来ている。
もともとは麻痺薬を入れていたものだった。
「ポプリ用の袋に入れて、腰のリボンのあたりに仕込んでおいたものです。それを、移動しながら引き裂いて、この路地に入るところからここまで撒きながら歩きました」
この空間に来るまで、移動中はずっと風上の方角を意識しながら歩いていた。
今も風は、ルカの背後から前に向かって吹いている。
無味無臭の粉末は風に乗り、ルカより後ろをついてきていた不審者に気付かぬうちに降りかかっていたというのが真相だ。
「いいですか? 悲鳴をあげないのは怖くないからです。相手が丸腰だからといって、安心してはいけません。むしろ狙って一人の状況にしたという可能性も考えておくべきでしたね」
「……っ、ぐ……ぅぅ……」
何故かターゲットに計画性と手際の悪さを指摘され、抵抗することも出来なくなったリーダー格の男は、そのままそこで観念したかのように呻いて黙り込む。
それと同時に、少し離れた場所でこの空間へと続く通路を塞いでいた残党を、秒速で片付ける気配がした。
イシュトヴァルトに事態の収拾を頼んでいたので、町の警備ものが到着したのだろうと思ったが、次の瞬間に真っ先に路地裏に走り込んできたのはグウェンとユリウスである。
「ルカさま!?」
「ご無事ですか?!」
「ええ、全く問題ありません」
状況についてはイシュトヴァルトから説明を受けていたのか、怪我もなければいつもと変わらない落ち着いた様子のルカを見ると、二人はそれ以上何も言うことはなかった。
そうして一瞬の静けさのあと再び、足音と共にピリピリとした殺気を纏った影がその場に現れる。
サッと敬礼の姿勢を取るグウェンとユリウスを横目に視線を向けると、色のない冷たい目をしたイシュトヴァルトが立っていた。
「イシュトヴァルト殿下……」
「……まさか麻痺薬とはな。いつの間に用意したんだ? ルカ」
「昨日、髪を染めるための染料と一緒に。本当に、念の為の用意でしたよ? 使うとは思っていませんでした」
言っている間にも、イシュトヴァルトは底冷えのするような相貌で不審者たちを見下ろしている。
既に右手には剣を抜いており、コツリコツリと歩くたびに鳴るブーツの音が、余計に恐怖を煽るようだ。
「グウェン、ユリウス……もうすぐ町の警備の者も着く。協力してこいつらを連行しろ」
「「御意」」
「だが、それまでに聞いておかねばならんことがあるな……」
リーダー格の男の前で立ち止まると、殺気と威圧感はより一層強まり、動けないはずの不審者たちは本能的な恐怖を刺激されて皆一様に身体を震えさせ始めた。
グウェンもユリウスも、ルカですらその殺気に身体が思わず強張る。
「答えろ。首謀者は誰だ」
ナイフのような問いかけ。
「言わないなら、言いたくなるようにするまでだが」
悲鳴も出せずにガタガタと歯を鳴らす様子が、あまりにも不憫に見えるほどである。
だから自分に言っておいたほうがいいと忠告したのにと、ルカは思う。
きっと今頃、何をされるのだろうかとその想像で頭はいっぱいのはずだ。
拷問の手段についてはたくさんあるだろうが、今この場で出来ることといえば、指や足を一本ずつ切り落としていくような血生臭い方法しか思い浮かばない。
ルカは強張った身体を呼吸一つおいて弛緩させると、イシュトヴァルトの背にそっと触れる。
「……殿下、おやめください」
「なぜ庇う、ルカ」
「もうこの者たちは逃げも隠れもできませんし、後ほどゆっくり話を聞く時間は取れますよ。ただ雇われただけの者に、殿下がお手を汚してまで拷問する必要はないかと。それに、私は無事です」
「……」
ね? と微笑みすら浮かべながら小首を傾げるルカを暫く眺めていたかと思うと、イシュトヴァルトは深い溜め息をついて殺気をおさめた。
拷問するかわりなのか、足元に転がる男の襟首を無造作に掴むと、片腕でズルリとその大柄な肢体を引き起こす。
「興が削がれた……ターゲットからの恩情に、死ぬほど感謝するんだな」
そして、もう本当に興味はないといった様子でその男を再び地面に転がし、ルカに向き直ったときには、先程までの凍て付くような雰囲気は霧散してしまっていた。
「しかし、これが対多数用の策か……確かに人数差があっても対抗出来るが、リスクは高いな」
「ええ、まぁ、確かに味方が大勢いるところでは使えませんね」
「麻痺により自害の可能性も下げられ、戦闘力も削げる。今回に関して言えば最適解ではあったが……お前、まだ他の手は残してあるだろう」
「あら、もちろんです」
冷静に分析された内容に、ルカは舌を巻く。
そもそもこの作戦を提案した段階で、イシュトヴァルトは今回に限ってはリスクが低いことをしっかり認識していた。それ故にルカ一人で動くことも許可されている。
風上で離れて待機してくれというルカの要望は、万が一麻痺薬が風にのって拡散してしまった場合に、イシュトヴァルトに影響を及ぼすことを危惧したからだ。
少量吸い込んだところで毒物耐性の高いイシュトヴァルトにとっては問題ないのだろうが、ルカ自身が不安だったのである。
「くくっ、怖い女だ」
「殿下に言われるなんて心外ですよ……」
「まぁいい、おかげで面白いものが見られた。そろそろ城へ戻るぞ」
「あ、はい」
片付けのための警備兵が到着するのを待って、馬を預けていた詰め所への道を辿る。
秋の日暮れは早く、気が付けばもう日が傾き始めるような時刻になっていた。
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